第八十三話 閑話_邪悪
土と岩盤に覆われた洞窟の奥深く。
明らかに人工的に作られた鉄格子の牢獄。
薄汚れた少年が一人、仄かに光る苔を頼りにあたりを見回していた。
「お目覚めかしら。気分はどう?」
少年の傍らには少女が一人。
衣服こそ自分と同じ様に薄汚れているが、その水色の髪は艶やかで、憂いを帯びた琥珀色の瞳は本物の宝石の様。
ビスクドールの様に愛らしい彼女は少年の顔を覗き込みながらクスリと微笑む。
「死んだみたいに寝ていたから心配したわ。痛い所とか無い?」
「うん……大丈夫」
少年は顔を真っ赤にしながら頷いた。
こんな可愛い女の子に出会ったのは生まれて初めてだ。
「君は?それにここは?」
少年はポツリと問いかけた。
「私はファラリス。あなたは?」
「ユート」
「ユートね。こんなところで言うのも変だけど宜しくね」
少女ファラリスは少年ユートにニコリと笑う。
ユートはその笑顔に心拍数が急上昇する。
「それで……ここは?」
「分からないわ。わたしも昨日連れてこられたばかりだし」
「そうなんだ……」
ユートはファラリスの返事に僅かな違和感を覚えた。
どこにとは断言できない。
でも何かがオカシイと思った。
「それよりあなた。もしかしてだけど、女の子の知り合いとかいない」
「えっ?」
ユートはドキっとした。
もしかしてこれって……
「変な勘違いしないでよね。あなたと同じタイミングで連れてこられた女の子がいたから気になったの」
ユートはハッと目を見開いた。
「姉ちゃんだ!」
ここに連れてこられる前の記憶を思い出しゾッとした。
あの時、自分は姉と一緒に家から少し離れた森で遊んでいた。
「ファラリス!姉ちゃんは!」
「分からないわ。さっき大きな虫みたいな機械に連れて行かれたから」
絶叫するユートにファラリスは目を伏せながら答えた。
それから程なく……
「キャァアアアアアアアアアアアアアアア!!痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!」
牢獄は甲高い少女の絶叫で埋め尽くされた。
「姉……ちゃん」
ユートは絶望で凍り付いた。
悲鳴の正体は姉だった。
「聞いちゃダメ!」
ファラリスの腕がユートの頭を掴み、そのまま胸元に抱え込む。
「ここに連れてこられた子供達はああやって拷問を受けるの」
姉の絶叫にかき消されそうなか細い声でファラリスが語り掛ける。
「僕も……殺されるの?」
「このままじゃ、きっとね」
「姉ちゃんは……」
「…………」
ファラリスはユートの頭をギュッと抱きしめた。
ユートはその柔らかい肌がとても冷たく感じた。
「助けて!パパ!ママ!ユート!助けて!助けて!助けて!助けて!助けて!助けて!助けて!助けて!助けて!助けて!助けて!助けて!助けて!助けて!助けて!」
鳴りやまない悲鳴。
「うわぁああああああああああああ!姉ちゃん!姉ちゃん!姉ちゃん!姉ちゃん!姉ちゃん!姉ちゃん!姉ちゃん!姉ちゃん!姉ちゃん!姉ちゃん!姉ちゃん!姉ちゃん!姉ちゃん!姉ちゃん!姉ちゃん!」
姉の絶叫がユートに自身の無力さを突きつけ、幼い心を容赦なく蝕む。
「大丈夫、落ち着いて」
ファラリスの腕の力がギュッと強くなる。
顔に感じる少女の冷たい体温だけが、ユートの心を繋ぎ止めた。
「ユート、よく聞いて。ここから逃げ出すの。いい?」
「でも……姉ちゃんが……」
「諦めなさい!もうお姉さんは助からないわ!」
取り乱すユートにファラリスの怒声。
気づけば、姉の悲鳴は聞こえなくなっていた。
「うん……分かった……」
「うん、いい子ね」
ユートは残酷な現実に向き合うように、薄汚れた服の袖で乱暴に涙を拭う。
優しく囁きながら頭を撫でるファラリスの小さくてひんやりと冷たい手が愛おしい。
「ユート。あなたが寝ている間に調べたんだけど、あそこの鉄格子の間、私達ならギリギリ出られるの」
ユートは顔を上げ、ファラリスが指差した方へと視線を向ける。
彼女の言った通り他より間隔が広く、無理をすれば通れそうだ。
「うん、分かった。一緒に逃げよう!」
ユートはファラリスの手を強く握り、今にも挫けそうな心を奮い立たせ、一歩前へ踏み出す。
「えぇ、しっかり護ってね。私の騎士様」
ファラリスが口元を緩め、薄っすらと笑う。
姉が酷い目にあって死んだ直後なのに不謹慎だとは思った。
それでもユートは胸の高鳴りを抑える事ができなかった。




