第七十八話 観測者対ゲイリー=アークライト
漆黒の宇宙空間。
宇宙艦隊からはバグと呼称され、ルミナスでは観測者と呼ばれていた××は歓喜の中にいた。
(エリアαの敵フェンリル部隊を殲滅。損耗率八十九パーセント。再生開始)
(エリアγの敵勢力九十パーセントを撃滅。損耗率五十パーセント。残存戦力で包囲殲滅)
(エリアΔにて損耗率増大。エリアθからの援軍を要請)
(エリアθ了解。抜けた穴はエリアΣの兵力にてカバー)
理路整然と整理された思考。
正確な情報がコンマ数秒の誤差もなく届く快適さ。
分裂していた人格が統合された事で飛躍的に向上したスペック。
漆黒のバクテリアは巨大な宇宙要塞と無数の戦闘艇に姿を変え、敵フェンリルを次々に撃ち落としていく。
これならマスターの命令を達成できる。
もしかしたら『救星の種』の出る幕は無いかもしれない。
もし自分が人間だったとしたなら、得も言われぬ高揚感に包まれていた事だろう。
今まで苦戦していた白痴兵特攻部隊を赤子の手を捻る様にあしらっているのだから。
だが、そう思うのも束の間だった。
(エリアωの敵旗艦グングニルより戦闘艇が発進。凄まじい速度で友軍を撃破。最終防衛ラインまで接近中)
かつて観測者と呼ばれた××は人間らしい焦りを感じた。
流星の如く、黒い艦隊を薙ぎ払うのは金色の戦闘艇。
××はその正体を知っていた。
(金色のフェンリル……ゲイリー=アークライト)
自身の古いデータベースから掘り出した記憶。
宇宙艦隊最強の士官にして最強の敵。
そして『救星の種』の恩人。
できれば撃沈したくない。
撃沈してしまえば……
だがそんな事を考える余裕は××には無かった。
(魔素式宇宙要塞ユグドラシル、金色のフェンリルの攻撃により航行不能。戦闘艇部隊による救援間に合わず。撃沈は時間の問題)
無数のビーム砲やミサイル兵器を前進しながらすり抜ける金色の光。
まるで針の孔を通す様な緻密且つ最小限の動きで黒い艦隊の攻撃を躱し、巨大要塞の動力部を的確にレーザーで打ち抜く。
その手腕はまさに神業。
おそらく、オーバーリミットモードで身体能力及び感覚器官を極限まで上昇させているのだろう。
レイと違ってデメリット無しで扱えている辺り、彼の恐ろしさの一端が垣間見られる。
『白痴兵特攻部隊!突入!』
ゲイリーの険しい声を無線で傍受。
その声に連動した銀色のフェンリル達が次々に宇宙要塞ユグドラシルに特攻を仕掛ける。
銀色は白い閃光となって、漆黒の要塞を飲み込む。
××の焦りは極限に達した。
ユグドラシルは文字通り最後の砦。
これを抜かれたら、外宇宙までは目と鼻の先。
(全部隊をωエリアに集結。何としても金色のフェンリルを食い止める)
××の思考にゲイリーを死なせたくないという感情は無くなっていた。
この男は『救星の種』にとって最大の障害となる。
なんとしてもここで仕留めねば……だがこの焦りが命取りだった。
『白痴兵部隊!要塞に集結しつつある敵戦闘艇部隊を各個撃破!』
移動の為にできた僅かな隙を見逃してくれるほど、宇宙艦隊最強は甘くなかった。
背を向けた漆黒の艦隊に、銀色の艦隊が猛攻。
飛び交う白い閃光はこの宙域を占めていた黒を次々に殲滅する。
(全体損耗率八十九パーセントを突破。戦闘艇部隊残存率五十パーセント。再生……間に合わず)
このままでは負ける。
ここからの巻き返しは不可能だろう。
だが、せめてあの金色の機体だけでも……
××は要塞跡に集結した残存戦力を全てゲイリーの元へと差し向ける。
『グングニル!全砲門一斉射撃!』
それは教科書通りの完璧なタイミングだった。
××はしてやられたと思った。
ゲイリー=アークライトは自らを囮にし、黒の艦隊を誘い出したのだ。
旗艦グングニルの主砲オーディンスピア、副兵装のレーザー、量子爆雷といった大量破壊兵器が一瞬無防備になった黒の艦隊を蹂躙する。
その威力は大きな惑星くらいなら簡単に粉砕する圧倒的破壊力。
今まで漆黒だった宇宙空間に白と赤の光に包まれ、やがて虚無へと還る。
(全体損耗率……九十二パーセント。これ以上の交戦は困難)
この時、××は本来の自分らしからぬ思考状態にあった。
これ以上戦えば、ルミナスの魔法を維持する魔素まで失われてしまう。
そうなってしまえば本末転倒だ。
それでも……この場でゲイリー=アークライトだけは討たねばならないと思った。
戦略レベルでは間違いなく××の方が優勢だった。
だがゲイリー=アークライトは個人の戦闘力と戦術レベルの働きでそれをひっくり返した。
兵法の根本をひっくり返すが如き所業。
パラメータでは測れないゲイリー=アークライトの底知れなさに、××は恐怖に似た感情を抱いていた。
(引きなさい。これ以上の交戦は無意味です)
これは通信と言ってもいいのだろうか?
思念によるイメージが老人の声となって、××に届く。
(……マスター?)
声の正体はマオ。
ほんの一日ほど前、トワ達をシーサーペントの凶弾から救った老人だ。
(これ以上戦ってはダメだ。君が消えては何の意味も無い)
シーサーペントを前にしても、余裕の表情だった彼の声は明らかな焦燥していた。
(……承知しました。お役に立てず申し訳ありません)
××の平坦な機械的な声には口惜しさが滲み出ていた。
(いえ、君はよくやってくれた。おそらく今のアークライト隊の戦力は当初に十分の一以下。しかも旗艦グングニルの兵装を大きく消耗させ、確実にその足を鈍らせた。後はあの若造を信じるとしましょう)
マオは心底ホッとした声で××を労った。
彼にとっては、ゲイリー=アークライトを仕留め損なった事よりも、××を失わなかった事の方が重要だったのだろう。
(マスター……『救星の種』は上手くやるでしょうか?)
××が彼らしからぬ不安そうな声でマオに追いかける。
(上手くやりますよ。わたくしはそれを知っていますから)
アークライト隊を見送る××の脳裏には、確信に満ちたマオの声だけが響いていた。




