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第七十六話 小宴会

 会議が終わり、時は夕方。

 レイはリシャルトとリーフの二人と別れ、代わりにクオン、セツナ、カリンの三人と一緒に宿屋で一泊することになった。


「いい宿ですね」


 王国が手配した高級宿にレイは感嘆の声を漏らした。

 清潔感溢れる内装と落ち着いた雰囲気の調度品。

 凛とした物腰のホテルマン達は、宿の格式の高さを象徴している。


「全く、グェイン殿も見栄っ張りだな。俺らは別に安宿でもよかったのに」

「まぁ、あなた!そんな事言わないの!せっかくのご厚意なんですから!」

「セツナ殿、国の威儀というヤツですよ。ここは素直に受け取っておきましょう」


 レイ以外の三人の反応はまさに三者三様。

 ぼやきながらも満更でもなさそうなセツナ。

 夫の捻くれた物言いに苦言を呈するカリン。

 笑顔で柔らかく正論を叩きつけるクオン。


 トワやアヤメと旅をしていた時の事を思い出し、レイの胸中にホッと温かな想いが込み上げる。


「申し訳ありません。チェックインの手続きをお願いします」


 フロントで駄弁っていると、フロント係のホテルマンが恭しくこちらに頭を下げる。

 その右手は宿帳を指している事から、記名を求めているようだ。


「こちらで宜しいですか?」

「はい、ありがとうございます」


 レイはフロント係から羽ペンを受け取り、サラサラと記名する。


「おや?レイ君。文字が書けたのか?」


 現地語で丁寧に名前書くレイに、セツナが驚き半分、感心半分と言った口調でささやく。


「はい、アスの文字学習機能を使って覚えました。読みはともかく、書きの方は名前を書ける程度ですが……」

「アス?」

「後で紹介します。あまりホテルマンさんを待たせるわけにはいきません」


 首を傾げるセツナの言葉を遮り、代わりに宿帳を押し付ける。

 するとセツナは慌てて宿帳にサイン。

 笑顔のホテルマンにプレッシャーを感じたのだろう。

 その姿は歴戦の戦士にはとても見えない。



 ……宿帳に記名を終えたレイ達は鍵を二つ受け取り、足早にそれぞれの部屋へと向かう。


「ふぅ~。ようやく人心地つけますね」

「そうですね」


 荷物を下ろしたクオンはラフな普段着に着替え、ぐったりした様子でベッドに突っ伏す。


「お疲れの様ですね」

「まぁ……ですね。公国内だと煩わしい政争で頭痛が絶えませんし、政敵の暗殺なんてモノにも警戒しなくてはなりませんから。こうして国外にいる時くらい羽を伸ばさないと」

「それは……なんとも」

「いえいえ、レイ様ほどでは」


 いつもの笑顔の鎧ではない気楽な微笑にレイは釣られて笑みを返す。

 レイ達がくつろいでいると、ノックも無くスッと扉が開く。


「おっと、楽しそうにしているな。俺らも仲間に入れてくれよ」

「お邪魔しますね。レイ君、クオンさん」


 ひょっこりと顔を出したのはセツナとカリン。

 悪びれもしない夫と申し訳なさそうに頭を下げる妻がなんとも対照的だ。


「いえいえ、荷物はもう宜しいのですか?」

「あぁ、大したモン持ってきてねぇしな。それより色々話をしようや。今後の事とか、トワの事とか」

「なるほど、それが目的ですね」

「ははぁ!そういうこった!」

「それでは小腹も空きましたし、ルームサービスでも頼みましょう」

「あら、すみません。クオンさん」


 こうして和気あいあいとした空気の中、経費は王国持ちでささやかな宴会が催される事となった。



 ……ルームサービスが届くまで待つ事しばし。


「それじゃ、友との再会と新しい友との出会いを祝して!」

「カンパーイ♪」「かんぱ~い♬」「……乾杯」


 レイは唖然とした。

 彼にとって目の前の光景はまさに桃源郷だった。


 セツナの音頭のもと、始まった宴会。

 テーブルに所狭しと並べられた湯気の立つ料理。

 新鮮な肉に魚に野菜に果物は、銀河同盟の高級レストランでもとんとお目に掛かれない一級品。


 それぞれのグラスを満たすカラフルなお酒。

 楽しそうにグラスを打ち鳴らす音。

 こんなにも平和で豊かな光景を見たことが無い。


「どうした?こういうのは好きじゃねぇか?」

「いえ……そういう訳では……」


 黄金色の泡立つ液体を片手に持ったセツナの腕が、レイの肩に伸し掛かる。


「あなた、絡み酒は止しなさいな。レイ君が困ってるでしょう?」

「なんでぇ、別に困ってねぇよな?」

「はぁ……」


 カリンが薄紫の透き通ったグラスに口を付けながら、夫にお小言。

 不貞腐れた様に言い返すセツナの口からはアルコールの臭い。


「レイ様、もしかしてお酒は苦手でしたか?それならこちらを……」

「ありがとうございます」


 レイはいつもより気の抜けた笑顔のクオンから、氷の浮いた透明なソーダ水を受け取る。

 正直、未成年で酒が飲めないレイにはありがたい気遣い。

 今のクオンからはいつもの張り詰めた空気は感じられない。


「おぉ!クオン殿!今お前さんが飲んでいる酒はなんだ?」

「これですか?王国特産の米酒ですよ。すっきりしていてフルーティな口当たりで悪くありません」

「そっか……どっちかっていうとカリン向きだな」

「そうね。あなたはいつもビール一択ですから」


 楽しそうに酒盛りをする三人を眺めながら、アルコールとはそんなにもいいモノなのか?とレイは思わず首を傾げる。


「なんだ?レイ君、酒はダメか?」

「はい。自分は未成年ですし、身近に歩く禁酒令みたいな人がいましたから」

「歩く禁酒令?」

「はい、自分の元上官です」


 レイは古い記憶にある神経質そうな金髪親父に想いを巡らしていた。


「へぇ、どんな人だ?」


 セツナはレイに肩組したまま、好奇心に満ちた瞳で問いかける。


「ゲイリー=アークライト。父の親友で、自分にとっても師匠であり、恩人であり、家族の様な人でした」


 楽しかった子供時代、そして地獄の様な軍人生活。

 その両方を影となり日向となり支えてくれたかけがえのない人。


「あの人はなんというか、とても神経質な部分がある人で、特にお酒に関してはとても厳しい人でした。『アルコールは脳を破壊する害毒だ』があの人の口癖で、アークライト隊では軍規とは別に禁酒令が敷かれていました。違反者は漏れなく営倉行きで、アル中軍人はアークライト隊にぶち込めというのが、宇宙艦隊の不文律でした」

「……とんでもねぇ人だな」


 柄にもなく楽しい話をしたつもりなのだが、セツナ達は若干引き気味だ。


「セツナさん。自分なにかおかしな事言いましたか?」


 レイが不思議に思って尋ねてみると……


「あのなぁ。お前さんの話によると宇宙艦隊ってのは恐ろしくデカい組織なんだろう?そんな組織の中で自分の主張を貫いて、勝手に自分の法律を作って、それを上層部に認めさせる労力が如何なモノか、考えた事はあるか?」

「あぁ~……」


 レイの口から思わず気の抜けた声が漏れた。

 言われてみればその通りだ。

 それだけ最強の艦隊士官ゲイリー=アークライトの影響力は絶大だという証左なのだろう。

 尤もその影響力を些かしょうもない事に使っている気がしなくも無いが……


「レイ様。今度の敵はそのゲイリー=アークライトなのですよね?」


 先ほどの気が抜けたクオンは何処へやら。

 敢えてこの問いを投げかける事で、シルフの契約者であるセツナとカリンにも情報共有をしようという狙いなのだろう。


「はい……はっきり言って強敵です。トワもウンディーネと修行して力を付けようとしているようですが……」

「えっ?ウンディーネですって?」


 レイの言葉にカリンがひどく驚いた表情を浮かべた。


「何かご存じなのですか?」


 首を傾げながら問いかけたのはクオンだった。


「えぇ……シルフが言うには、四大精霊最強に最凶。最恐にして最狂の鬼ババとか……」


 まるで雪山にでもぶち込まれたかのように、この場にいる者の表情が固まった。


「……トワもそんな事を言っていましたね」

「おい!大丈夫なのか!そんなところにトワをやって!」

「そもそも契約ではなかったのですか?何故精霊と修行など……」


 場が騒然とする。

 レイの言葉にセツナが狼狽え、クオンが困惑する。

 楽しい宴会のムードが一気に阿鼻叫喚の地獄絵図に……


「トワと話してみますか?」


 レイが何とか場を鎮める為に、恐る恐る提案。


「あぁ、頼む!カワイイ娘の一大事だ!」

「レイ君。お願い」


 当然、グラーフ夫妻はその提案に飛びつく。

 だが、彼らは気付いていなかった。


「どうやって……とは聞かないのですね……」


 レイが如何にルミナスにおける非常識を冒しているのか……

 騒然とする部屋の片隅。

 唯一その事に思い至ったクオンの呟きは虚しくかき消された。

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