第七十四話 茶番劇
王城門前で待つ事しばし……
「おはようございます。レイ様、リシャルト博士、リーフ君。今日は何卒宜しくお願い致します」
朗らかな笑顔の鎧で武装した優男クオン=アスターが深々と頭を下げる。
これが女性ならば、黄色い声を上げながら身悶えするだろう。
しかし、あいにくとここには野郎だけ。
クオンに注がれるのはリーフの胡乱な視線だけだ。
「おはようございます。こちらこそ宜しくお願いします」
「神官殿。重ね重ねお礼申し上げるのじゃ」
「……」
「どうぞ、お気になさらずに」
黙り込むリーフを余所に、レイが淡々といつも通りに挨拶し、リシャルトが恭しい謝辞を述べる。
「では気楽に参りましょう。どうせこれから行われるのはただの茶番ですから」
笑顔の鎧が少し分厚くなった気がする。
含みのあるクオンの言葉を気にしつつ、レイ達は彼の背中を追った。
荘厳な城内を歩く事しばし。
石造りの歴史を感じさせる回廊をグルグルと歩きながら、レイはふと疑問に思った。
「クオンさん。何故ワルツブルク側の案内役がいないのですか?」
レイの疑問にクオンがクスリと笑う。
「レイ様。先ほど言いましたが今回の和平交渉は茶番なのですよ」
「どういう意味です?」
「交渉が始まれば分かりますよ」
クオンは答えをはぐらかし、何食わぬ顔で歩を進める。
そして辿り着いたのは、重厚感溢れるチークの扉。
クオンがスーッと扉を開くとそこには……
「遅かったのぅ。『神の薬』」
上品な調度品で彩られた会議室の長机に人影が一つ。
クオン以上に豪華で立派な法衣を纏った威厳に満ちた老人の姿。
公国の大公にして、リシュタニア教会のトップ、トライス=デ=テューレ=リシュタニア三世その人だ。
「申し訳ありません、大公閣下。情報漏洩防止の結界魔法を仕掛けておりました故」
「うむ、ご苦労」
世間話をする様に言葉を交わす二人。
レイは国家元首たる彼が、護衛も付けずに一人でここにいる事が不思議でならなかった。
「レイ様。大公閣下は国家元首であると同時に公国最強の魔法使いでもあります。身内びいきにはなりますが、王国の最大戦力九人を用いても大公閣下を害するのは不可能でしょう」
思っていたことが表情に出ていたのだろうか?
こちらの疑問を察したクオンがにこやかな表情で先回り。
言われてみれば納得の理由だった。
ルミナスはシュターデンの呪いのせいで強者に対して数で圧倒するのが難しい。
そんな事を考えながら、クオンの後ろをついて行っていると……
「『神の薬』よ。正しくは一人を除いては……だ」
レイ達が入って来た反対側の扉から野太い男の声。
ガタンと乱暴に扉が開いたかと思えば、そこにいたのは髭面の偉丈夫。
年の頃は三十前半くらいだろうか?
豪華な儀礼服にマントに身を包むその姿は威風堂々。
大柄ではちきれんばかりの筋肉は力に満ち溢れている。
「よぉ、トライス殿。ご壮健か」
偉丈夫はにんまりと気さくな笑みをトライスに向ける。
「相変わらずじゃのう。グェインの小僧。おかげさまでこっちはピンピンしておるわい」
「ハッハッハ!それは何よりだ。クソジジイ!」
枯れ木の様にほっそりとしたトライスが臆することなくため息を一つ。
それを偉丈夫ことグェインが豪快に笑い飛ばす。
状況の変化に頭が追い付けずにいた。
仮にも公国の国家元首であるトライスにこの態度。
そんなことができる王国の人間など……
「陛下……これは一体」
レイの疑問は、リシャルトの困惑した声と共に解消された。
「クオンさん?」
「はい、レイ様。あのお方こそワルツブルク国王グェイン=ソル=アスガルデ=ワルツブルク陛下にございます」
内心動揺しながら、クオンに確認してみれば、返って来たのは肯定の笑顔。
「ハッハッハ!リシャルト博士。そなたが驚くのも無理はない。世間一般で言われている我が王国と公国の冷戦はでっち上げなのだ」
会議室にグェインの快活な笑い声が響き渡る。
あまりに突飛な発言に事情を知らないレイ達が唖然とする。
「はぁ?それはどういう事なのでしょうか?」
三人を代表してリシャルトが問う。
するとグェインはその姿に似合わないニヒルな笑みを浮かべる。
「知っておるか?国というのは仮想敵がいた方がまとめるのが容易なのだ」
皮肉混じりの一言は誰に向けられたのだろうか?
これにはトライスもクオンも苦笑いを浮かべ、リシャルトとリーフは再び呆然。
「つまり、土台戦争が起きないルミナスで戦争しているフリをすることで内政を安定させていたと?」
意思とは関係なしに、相手が国家元首だという事も忘れて、レイは特大級のため息。
心底政治とは救い難いと心の中で毒づいた。
「そんな顔しなさんなって。この方が色々と楽なんだよ。なぁ、トライス殿」
「そうじゃのぅ。外敵がいる間は内乱も起こりにくいしのぅ」
「大変だな。貴族共の顔色伺いも……」
「そちこそ……」
会議室を埋め尽くす特大級のため息が新たに二つ。
疲れた国家元首の顔を眺めながら、レイは心の中で合掌した。
「さて、本題に入ろうか」
だが、お通夜モードも束の間。
グェインの一声で雰囲気がガラリと変わる。
「本当の外敵が現れちまった以上、茶番を続けるのは無意味って事で間違いないか?『救星の種』」
「何故……それを……」
「ハッハッハァ~~!なんでだろうな!」
イタズラが成功したとばかりにグェインの豪快な笑いが会議室を埋め尽くす。
レイは目をひん剥いた。
『救星の種』という単語はレイとトワとアヤメ、それからクオン達御前裁判に関わったリシュタニアの神官しか知らないはず。
「クオンさん?」
「いえ、私ではありません」
クオンもレイ同様、唖然としながら首を横に振るばかり。
そんなやり取りにトライスが肩をすくめながら言葉を紡ぐ。
「茶番はその辺にしてはどうじゃ。椅子の人数は間違いないのじゃろう?」
呆れた様な声にレイは会議室を見渡した。
椅子の数は……八脚。
この場にいるのは、レイ、クオン、トライス、グェイン、リシャルト、リーフの計六人。
それが意味するところは……
「ハッハッハ!そうだな。会議を始めるにしても役者が揃わんとどうにもならん」
豪快な笑い声と共に、パチンとグェインの指が鳴る。
「ようやくお呼びか。待ちくたびれたぜ」
「あなた、ここは公式の場ですよ。きちんとなさって下さい」
すっと開いた扉の先から現れたのはウアイノに似たカラフルな衣装を身に纏った一組の夫婦。
一人は燃える様な赤髪のがっしりとした中年男性。
もう一人はトワとよく似た紫髪の優しそうな夫人。
「えっ?どうして、あなた達が……」
レイは今日一番の驚きと共に、これ以上開かないのではないかと言うほど目を見開いた。
「よぅ、一ヶ月ぶりくらいかな?レイ君」
「お久しぶり、レイ君。トワは今どうしているのかしら?」
およそ一ヶ月ぶりに聞いた気さくで優しい声。
朗らかで柔らかい笑顔。
「お久しぶりです。セツナさん、カリンさん」
たった一ヶ月なのになぜか懐かしい。
気付けばレイは深々と頭を下げていた。




