第七十二話 トワの旅その九~トワちゃん愚痴ります~
『今日はこの辺しておきましょう。明日からはもっとビシバシやりますからね』
時間は少し進んで夜。
ウンディーネにみっちりしごかれたトワはグロッキーだった。
『主……大丈夫か……』
『イフリートこそ……』
気遣わしげに問いかけるイフリートの声にも力が無い。
彼はトワ以上にしごかれたのだから無理もない。
『イフリート!何をへばっているのですか!これからトワ様に夕餉を作って差し上げるのです!こっちに来て火を貸しなさい!』
ウンディーネの叱責にイフリートがトボトボと立ち上がる。
『遅い!一秒以内!』
『はいぃぃぃぃ!』
洞窟に鳴り響く怒声。
同時に響き渡る悲鳴にも似た脊髄反射的な返事。
もうすっかりウンディーネへの恐怖が骨の髄まで染みついている様だ。
天井を仰ぎながら、泣きそうなイフリートの声に耳を傾けていると……
(マスタートワ。マスターレイより通信)
「えっ!お兄さん!つないで」
アスの無機質な声にトワが飛び起きる。
それから待つ事、数瞬。
(こちらレイ。トワ、聞こえるか?)
(うん、どうしたの?)
いつもの平坦な声が脳内に響く。
トワはホッと一息つきながら、頭の中だけで問い掛かる。
(つい先ほど、王国の首都グランソイルに着いた。明日、国王と謁見する予定だがしばらく連絡ができなくなるかもしれない)
(そうなんだ……)
トワはガックリ肩を落としながら応じる。
(どうした?浮かない声だが)
頭の中に心配そうなレイの声が響く。
(実は今……)
トワは疲れた表情で、視線を泉の方へと向ける。
そこには鼻歌混じりのウンディーネがイフリートをこき使う姿。
ジュージューと焼ける魚の音をBGMにトワは今日行われた地獄の訓練を語り出す……
(……それは…………大変だったな)
脳内に響くレイの声が震えていた。
おそらくドン引きしているのだろう。
なんせ、イフリートの出力を全開にした状態で三時間組手をして、魔力がスッカラカンになった所に、魔素感知訓練と称して、高圧水流の水鉄砲を持ったウンディーネと鬼ごっこをさせられたのだから。
おかげで頭はクラクラするし、体中痣だらけ。
傷の方はウンディーネが治してくれたが、それでも疲労感と脱力感は相当なものだ。
尚、イフリートは組手中に数万回と切り刻まれ、あと一撃で存在そのものが消え去るくらい削られた。
ギリギリの調整を行う手腕こそ、ウンディーネが最凶たる所以なのだろうが、やられる方は堪ったモノではない。
(トワ、そのウンディーネが使っていた武器についてなんだが……)
レイの問いにトワは首を傾げる。
(なんか気になる事でも?)
(あぁ、ウンディーネが使っていた剣は、刀身にそりがある片刃の長剣で間違いないな)
(うん。普通の剣とだいぶ形が違ったからよく憶えてる)
ルミナスの剣は叩き潰す事に特化した両刃の直刀がほとんど。
切れ味鋭く、芸術品の様に美しいその剣は、武器に詳しくないトワにとっても印象的だった。
一方、その答えにレイは唸り声を上げていた。
(日本刀の特徴だな。ウンディーネの能力がシュターデン由来だとすると、シュターデンは日本人?)
これは難しい事を考えているときのレイの声だ。
彼は思考に没頭すると時折周りの声が聞こえなくなる。
自分と話している最中に余所事を考えるお兄さんに、トワは頬を膨らませる。
(お兄さん!もっとなんか言う事は無いの!)
(あっ!すまない)
脳内で声を張り上げるとあちらでも大きな声になるようだ。
レイの驚いた声にトワの溜飲が下がる。
(その……訓練頑張ったな)
(うん!)
不器用で柔らかいレイの声に、トワが満面の笑みを浮かべる。
(どうだ?ウンディーネとは上手くやっていけそうか?)
だが次に飛んできた何気ない問いに、トワのテンションは駄々下がり。
(できると思う?あの鬼教官と)
(確かに……難しいかもな)
(でしょう!こっちはへとへとなのに、まだできるとか、本気でやれとか、何十回も……こっちはとうに限界を超えてるっていうのに……)
(そ……そうか)
(ウンディーネが言うには、四大精霊には前世にあたる基礎人格があるらしいんだけど、絶対石頭で融通が利かないヒステリックババアだったに決まってるよ!)
(おいトワ。仮にも相手は教官だぞ……)
(どうせ聞こえてないよ!それに言いたくもなるって!大体あの鬼ババア!こっちは……)
今日受けた仕打ちを思い出し、愚痴が止まらなくなる。
聞かされるレイからはため息が漏れ出ていたが、当然トワには聞こえない。
『あ~ら。随分と楽しそうですね?トワ様』
不満を吐き出して少し胸が軽くなったと思うのも束の間。
不意に背後から降って来た底冷えするような声に振り替えるとそこには……
「ウンディーネ……さん。どうかなさいましたか?」
『あ~ら、トワ様。私の事は鬼ババアと呼んで頂いても宜しいのですよ』
トワの背筋が凍り付いた。
全身からは滝の様な冷や汗。
張り付けた様なウンディーネの笑顔が堪らなく怖い。
「とっても清楚でお美しいウンディーネ様……もしかして今の会話……」
『はい、全部筒抜けです♡』
終わった……そういえばアスと精霊は魔素を通じて意思疎通ができたんだった。
つまり、自分とレイの通信も……
『トワ様はまだまだお元気そうですし、食事が終わったら鬼ごっこを追加しても問題なさそうですね』
「えっ?冗談……だよね」
『あらあら?私、冗談って好きじゃないんですよ。なんせ石頭で融通が利かないヒステリックババアですから』
冷や汗が勢いを増して吹き出す。
全身がガクガクと震える。
歯がガタガタと鳴る。
「ご…………」
表情こそ笑っているが目は笑っていない、絶対にさせてはいけない笑顔をウンディーネは浮かべていた。
「ごめんなさぁ~~~~~~~~~~~~い!」
この日、トワは本当の意味で口は災いの元という言葉の意味を知った。




