第七十話 トワの旅その七~ウンディーネの洞窟へ~
救星の旅二十七日目。トワが旅立ってから五日目の朝。
トワ達はアクアテラスから少し離れた小島に船を着けていた。
「トワさん、ここで宜しくて?」
「うん。ありがとうシャルロッテ」
「お安い御用ですわ。それよりも……」
「何ですか?私の顔に何か?」
対岸に船を止めるシャルロッテが同乗者のイナンナにじっとりした視線を送る。
「トワさんが連れてきたから今まで聞かないでいましたけど、どうしてあなたが?」
「どうしてって、ちゃんと船の操船に協力したでしょう」
「そういう話ではなくて!」
「トワが許可したんだからいいでしょう?貴女って思ったより度量が小さいのですね」
「むきぃいいい!言わせておけば!」
「こらこら、二人とも。その辺にしておきなさい」
トワは睨み合う二人を眺めながら、ふぅ~っとため息を一つ。
どうしてこうなった。
トワは昨日の事を思い出しながら、ガックリと肩を落とす。
禁書庫で調べた結果、ウンディーネはこの島のどこかにいるらしい事が分かった。
ここで問題になったのは移動手段。
海を渡るのだから当然船が必要になるのだが、この辺は海流が強く魔力駆動式の船でなくてはどうにもならない。
船本体は校長が用意してくれたからどうにかなったが、問題は操船と動力。
魔力駆動式の船には、操舵と動力の魔力供給者が必要になる。
操舵は無属性、動力は水と風の魔力が必要になる為、火属性と弱い無属性の魔力しか持たないトワにはどうにもならない。
その事を相談して名乗りを上げたのがこの二人なのだが……
「わたくしはまだ認めておりませんわよ!なんでこんな女と……」
「それを決めるのは貴女ではなくてトワです。そうやっていちいち干渉するからトワに疎まれるのでは?」
「あぁ!このアマ!言う事欠いて!」
「やめなさいって言ってるでしょう!」
目を離すとすぐに喧嘩を始めようとする二人にトワが一喝。
「シャルロッテ。イナンナの件は水に流すって言ったんだからうだうだ言わない!イナンナもいちいちシャルロッテを挑発しない!」
ぴしゃりと言い放つトワの声に二人が肩を落とす。
せっかくイナンナとの関係を正常化したのに、今度はこっちに火種。
「イナンナさん……もしトワさんに嫌われたらあなたのせいですわよ」
「人のせいにするのはよくありませんわ。貴女が嫌われるのは貴女のせいですし」
今も表向きは大人しくしてるけど、きっとこっちに聞こえない声でバチバチ火花を散らせているのだろう。
トワは心の中で大きなため息を吐きながら、脳内でアスに話しかける。
(アス。ここで間違いない?)
(肯定。この島にある洞窟の最深部に魔素の濃度が極めて高い箇所あり)
トワはこの無機質な機械音声に何故か安心感を感じる。
多分、女同士の煩わしさが無いからだろう。
「トワさん。わたくしの占星術によるとこの島には」
「地下に通じる洞窟があるんだよね。アスに聞いたよ」
「……おのれ、わたくしの活躍の場を……許すまじレイ」
シャルロッテが喜色満面で話しかけてきたかと思えば、がっくりと肩を落とし、こちらには聞こえない声でブツブツと何か呟く。
前に会った時よりも感情の起伏が激しくなった気がする。
思春期なのだろうか?
「トワ、下らない事を考えていないで先に進みましょう。これから私達が挑むのはウンディーネの試練。生半可な気持ちでは命を落としますわ」
凛とした表情のイナンナが先行する。
そんな彼女の様子にトワは肩を落とす。
「えっと、イナンナ。気合充分の所申し訳ないんだけど、ここからはアタシ一人。二人には船を守ってもらわないと」
申し訳ない気持ちで頭を下げるトワに、イナンナの表情が曇る。
「……仕方ありませんね。退路は確保しておきますから、無事に戻ってきて下さいね」
「うん、ありがとう。イナンナ」
イナンナは渋々といった様子で引き下がった。
彼女にも分かっていたのだろう。
四大精霊相手では自分達など足手まといだと……
全てを飲み込んで聞き分けてくれたイナンナに、トワは深々と頭を下げる。
「じゃあ、行ってくるね」
心配そうに見送る二人の眼差しを背に、トワは試練の地へと歩を進めた。
さざ波の音が不気味に響く薄暗い洞窟を魔法の火を頼り、奥へ奥へと進む。
じっとりした重い空気。
湿気のせいだけじゃない。
イフリートと初めて会った時以上の濃い魔素に息が詰まりそうだ。
額にうっすらと滲む汗を拭いながら、トワは歯を食いしばる。
(マスタートワ。呼吸と心拍に異常。魔素の取り込み過ぎが原因と判断。イフリートの召喚を推奨)
「えっ?」
トワはアスの提案に目を丸くする。
疲労状態での魔法の行使など、ルミナスの常識に反している。
(重ねて提案。不調の原因は魔素の取り込み過ぎによるモノ。イフリート召喚により空気中の魔素濃度を下げる事で体調不良が改善すると判断)
トワの思考を読み取っての再提案だったのだろう。
魔素を詳細に観測できるアスだからこそ出来る判断。
「分かった。〈召喚イフリート〉!」
トワの身体から真っ赤な光が溢れ出す。
光はメラメラと燃え滾る炎に姿を変え、それが瞬く間に筋骨隆々の巨大な魔人へと姿を変える。
『主、ウンディーネか』
「うん」
イフリートは威風堂々とした声でトワに問いかける。
どうやら、こちらの状況はある程度分かっているようだ。
トワは呼吸を整えながら頷く。
『我を呼び出したのはアス殿の提案か?良い判断だ』
トワは意外に思った。
威厳に満ちた声には真の称賛が窺えた。
自他共に厳しい武人のイフリートが他人?を素直に褒めるのはかなり珍しい。
でもそれ以上に……
「イフリート?アスの事話したっけ?」
『……アス殿には魔素を読み取る機能がある故、意思疎通は可能だ』
「そうなの?」
(肯定。私とイフリート達精霊の間では、魔素を介した対話が可能)
「ふ~ん、そうなんだ~」
アスとイフリートの意外な関係を知り、トワは訝しむような表情を浮かべる。
『主よ、何か言いたげだな?』
「別に。ただイフリートがアスに対して、妙に礼儀正しいというか……」
『……気のせいだろう』
首を傾げながら問いかけるとイフリートはバツが悪そうに顔を背けた。
イフリートは何か隠している。
トワは直感でそう思った。
(マスタートワ。今は非常時。不要な問答は非推奨)
アスの諫言にトワは思考を打ち切る。
「そうだね。ところでウンディーネとも意思疎通できたりする?」
(肯定……)
無機質な機械音声は短く答えた後、数秒沈黙。
すると……
『私を呼ぶのはどなたですか?』
凛とし、清涼感がある美しい女性の声が洞窟全体に響き渡る。
「ウンディーネ?」
『如何にも』
声に呼応する様に洞窟全体の魔素が蠢く。
威圧的なそれはトワの眼前で白い光として収束し、蒼く輝く水球へと形を成し、瞬く間に人型へと転じる。
「あなたが……ウンディーネ」
トワは目を見開いた。
それはあまりにも美しい女性だった。
全身は透明な水色。
切れ長な瞳と高い鼻の整った目鼻立ち。
身の丈はレイよりほんの少し低いくらいだろうか。
その一糸纏わぬ艶めかしい肢体は、ギリシャの彫刻の様な抜群のプロポーション。
畏怖すら感じさせる神秘的な美女は、瞳を三日月にしながら微笑んだ。
『お会いするのを心待ちにしておりました…………ティオ=グラーフの末裔よ』
ウンディーネの口調は柔らかく、慈愛に満ち、それでいて何か言いたい事を言えずにいる様な……そんな複雑な感情が乗っているように思えた。
何故初対面のトワにこんな言葉を掛けるのかは分からない。
でも……この口調……どこかで聴いた事があるような……
『貴様がウンディーネか。なんだその破廉恥な恰好は!』
トワの思考に水を差すようなイフリートのがなり声。
『あら、お初にお目に掛かります。炎の四大精霊様は意外と初心なのね。別に殿方がいるわけでもないのに』
『我は元々男子だ!』
『あらそう。あなたも死んで五千年も経っているのだから、そういう感覚は捨てたのかと』
『主の教育に良くない!』
人間なら顔を真っ赤にしてそうな物凄い剣幕でイフリートがウンディーネを怒鳴り付ける。
一方、叱られた側は肩をすくめ呆れ顔。
ため息と共に水で出来たグラーフ族の男物の衣服が形を成し、ウンディーネの肢体を覆い隠す。
『これでいいかしら?』
『……あぁ、問題ない』
『ふふ、がっかりした?』
『誰が!』
ウンディーネは思春期の男子をからかう大人のお姉さんの様な口調でイタズラっぽく微笑む。
これには堅物のイフリートもお冠。
「なんで男物なの?」
『あぁ……マスターとお揃いにしてみました。似合いますか?』
「マスターって、シュターデン?」
『はい』
最初の凛とした雰囲気は何処へやら。
ウンディーネは恋する乙女よろしく、花もほころぶ様な笑顔を浮かべる。
イフリートが威厳に満ちた態度だっただけあって、思っていた四大精霊とのギャップに戸惑いを禁じ得ない。
『ところでト……グラーフの末裔よ。あなたの目的は分かっています』
ウンディーネは柔らかい口調のまま、トワの目の前で膝を落とし、視線を合わせる。
その瞳は幼い我が子を慈しむ母の様だった。
『少しお話をしましょう。試練はそれからという事で』
「……はい」
トワは素直に……そして無警戒に頷いてしまった。
『では、お互いに自己紹介から。私はウンディーネ。我がマスター、シュターデンより彼の子孫たるグラーフ族の守護を任せられた者です』
「トワ=グラーフ。偉大なるグラーフ族の族長カリンとグラーフの戦士長セツナの娘」
『はい、宜しくね。トワ様』
トワは信じられなかった。
目の前の凛として美しくて、でも中身は可愛らしいお姉さんの様な女性が、神話級の力を持った最強の四大精霊だという事実に……




