第六十九話 閑話~イナンナの心変わり~
放課後。イナンナ=フォン=シュテルブルクは反省文を書いていた。
理由は勿論、ホームルームをサボった事と、コロッセオの無断使用の件。
イナンナは優等生らしい、如何にもテンプレで教師受けしそうな反省文を書いた後、物思いに耽っていた。
何故トワ様は自分を助けたのだろうか?
誇り?見栄?正義感?罪悪感?責任感?
分からない。
少なくともあの段階では私達は敵同士。
しかも私が一方的に絡んでいただけだから、疎ましく思っていたはず。
助ける理由なんて……
「あぁ!なんでアタシが反省文なんか……あんたのせいだからね」
そう、助ける理由なんて無い。
今だって、私への怨嗟と共に唸り声を上げている。
「ねぇ、イナンナ。反省文ってどう書けばいいの?」
ふくれ面のトワ様が私の反省文を覗き込む。
「うわぁ~、如何にもって感じの反省文。よくこんなにスラスラ書けるよね」
「……色々と書く機会が多かったですから」
ふと嫌な事を思い出してしまった。
私は……
「ふぅ~ん。もしかして実家絡み?」
「えぇ~、まぁ」
私は暗澹とした気持ちを悟らせない為に、トワ様から顔を背けた。
「大変そうだよね。神官の名門一家に生まれるって」
トワ様が沈んだ声でポツリと呟いた。
そういえば、入学式の時もこの台詞を言われただろうか?
あの時の私にはトワ様の言葉が嫌味に聞こえて、それで勝手に嫌いになって……
「あっ!?ゴメン。こういう風に言われるの嫌いだったよね」
トワ様が沈んだ表情を更に深めた。
心底申し訳ないという気持ちが伝わってくる顔だ。
「うっかりしてた。あんたと喧嘩になったのって、アタシがこの言葉を言ったからだったんだよね」
トワ様が反省文を書きながら、ポツポツと言葉を漏らす。
「あの時は全然考えが及ばなかったんだ。お互い今以上に子供だったし。神官一家で神聖魔法の適性が無いと色々大変なんでしょう?」
私は黙って頷いた。
何故だろう。
昔なら問答無用でトワ様の頬を引っ叩いていたはずなのに、今はちっともそんな気が起きない。
「アタシ、つい最近まで分かってなかったんだ。アタシがなんであんたに嫌われているのか」
反省文を書く手が止まり、エメラルドの綺麗な瞳がこちらを向く。
「あんたは血筋で恵まれているアタシが放った無神経な一言が許せなかった。だから今回の件はアタシの自業自得……ただそれだけの事」
「だから……あの時、地べたに座りましたの?」
「まぁ、そんな所」
トワ様の瞳が再び反省文の方を向く。
「でも、あんたじゃなくてあんたの取り巻きが舐めた態度を取ったでしょう。流石にこのままじゃマズイと思ったんだよね」
「あぁ~、それであの挑発を」
「……うん」
「それにしては戦闘中、容赦ありませんでしたわよね」
「ゴメン。徹底的にやってあんたと取り巻き共の心をまとめて折る必要があったから」
バツが悪そうに頷くその姿は、親に叱られた子供そのものだった。
「どうして、この時期にこちらに戻ってきましたの?」
これ以上この話をしても、お互いに得るモノは無さそうなので話題をすり替えた。
「ちょっと水の力が必要でね。ウンディーネの事を調べに来たの」
「はぁ!?ウンディーネ!」
私は素っ頓狂な声を上げた。
在り得ない。
ウンディーネは四大精霊の中でも最強と謳われる勇猛な精霊。
アクアテラスにもいくつか伝承が残っているが、その全てが災害クラス、神話クラスのものばかり。
歴史書には数人掛かりで一時的に力を借りた記録しか残っていない。
そもそも四大精霊は個人で扱えるような力ではない。
「なんで、そんなものを……」
私は聞かずにはいられなかった。
無策で契約に赴けばトワ様が……
「力が必要なんだ。アタシが強くなる方法はそれしかないから」
この言葉で頭の中でバラバラだったピースが組み上がった。
「トワ様……もしかして、イフリートと契約を……」
「うん」
私は愕然とした。
トワ様があまりにも遠くに感じた。
十二歳で上級魔法が使えるようになって、学校では神童ともてはやされる私だが、四大精霊は次元が違い過ぎた。
「ねぇ、そのトワ様っての辞めてくれる。同級生なんだし、背中がムズムズするんだよね」
ふと、トワ様が心底嫌そうに呟き、私はハッとした。
「さっきの話なんだけど……イフリートとの契約を手伝ってくれたお兄さんの話なんだけど」
私は黙って頷き、言葉を待った。
よくよく考えてみれば、一人で四大精霊と契約するなんて不可能だ。
仮に個人で契約するのなら、優秀な護衛は必須だろう。
「そのお兄さんは何でも我慢するような人でね。ほら、アタシってグラーフの祈祷師でしょう。それが分かった途端、お兄さんってアタシの従者扱いを受ける事がほとんどだったの」
「えっ?違いますの?」
「全然。むしろイフリートと契約したアタシより強いよ」
「はっ!?」
朗らかに笑うトワ様の笑顔に嘘は見えない。
感じるのはそのお兄さんに対する信頼だけ。
「それで尋ねてみたの。『どうして馬鹿にされて我慢するの?』ってね。そしたらなんて言ったと思う?」
私は黙って、楽しそうに話すトワ様の言葉を待った。
「感情が死んでるんじゃないかってくらいの無表情で『考え方は人それぞれ。些末な事で腹を立てるのはエネルギーの浪費だ』ってね」
トワ様が眉間にしわを寄せながら、可笑しな物真似をした。
よっぽど達観した人なのだろうか?
多分嫌な事が沢山あり過ぎて、周囲に期待しなくなった人なんだろうなぁ……
などと考えていると。
「でもね、この話には続きがあってね。お兄さんが同じ無表情、同じ声のトーンで言うの。『無害なら放置すればいいが、自分や仲間にとって有害だと思ったら躊躇わず殴れ』ってね」
何故だろう……さっきと違って、その人が暴力の権化の様に思えてきた。
「まぁ、追加で言うなら『無害だと思える幅が広ければ、他人との衝突も減って、比較的平和にやっていける』みたいな話もしてたかな」
色々ツッコミどころのある言葉だが、要は寛容になる事で自分や周囲が安寧を得られるという意味だろうか。
当たり前だけど、結構忘れがちになる事だ。
こういう言葉があったからこそ、トワ様は私との諍いの原因を考える様になったのだろうか。
「そんな強くて、倫理観がやたらガチガチのお兄さんなんだけど、その本性は好奇心と面倒くさがりのハイブリット。なまじ一人でも強いもんだから、人に頼らずなんでも自分で解決しようするんだけど……」
トワ様が心底嬉しそうに呟く。
「今回はちゃんと相談してくれた。そして頼ってくれた。それがちょっと誇らしかった」
その言葉は雲間から差す陽光の様に晴れやかだった。
「トワにとって、そのお兄さんはとても大切な方なのですね」
釣られて私も笑った。
「うん!」
エメラルドの綺麗な瞳は、夜空の星々よりもキラキラと輝いていた。




