第六十八話 トワの旅その六~おままごと~
怒り心頭のイナンナについて歩く事しばし。
トワは演習場までやって来た。
古代ローマのコロッセオにそっくりな石造りの闘技場。
数千年前の遺跡を改造したモノらしく、見た目こそ古臭いが、中身は最新の魔道具をふんだんに使ったレジャー施設として整備されている。
魔道具による空調、大型立体スクリーン完備。
各種売店に遊技場等アミューズメント施設顔負けの設備が備わっている。
どうして学校の中にこんなモノがあるかと言えば、学校内の研究機関の試作品だ。
ここは腐っても最高学府。
様々な研究成果がここに集結する。
閑話休題。
もしもレイがここに来たなら目を輝かせながらあちこち見て回るんだろうな、等とぼんやり考えながら、トワはイナンナの背中を追う。
そして辿り着いたのは決闘の地……演習場中央舞台だ。
演習場の中央に設置された二十メートル四方ほどの正方形の石舞台。
一対一の勝負をするなら十分な広さと言えるだろう。
すり鉢状に配置された観客席にはイナンナ派閥の同級生達。
シャルロッテを含めた中立派は教室で担任に状況を説明している真っ最中だろう。
割と生徒同士の《《レクリエーション》》には寛容な学校だが、流石に授業をサボればカミナリを落とされるのは必至。
きっと止めに入ってくるだろうから、早めにケリをつけたい。
どうやって決着をつけるのが最良かを頭の中で思案していると……
「これより、イナンナ=フォン=シュテルブルク様とトワ=グラーフの決闘を始める!両者!位置へ!」
イナンナの腰巾着の男子生徒が声を高らかに宣言する。
トワに背中を向け、十メートルほど離れた開始位置へとイナンナが移動する。
その光景にトワは思わず苦笑い。
(敵に背を向けて決まった位置まで移動。モンスターやブラックファルコンが相手だったら即死だね)
まるでオママゴトだ。
当然か、ここにいる者達は戦士じゃない。
しょせん魔法が使えるだけの子供だ。
いくら魔力が強大でも、実戦では物の数にならない。
それに引き換え、レイやクオン、アヤメ達は凄かった……
こういう思考が働くあたり、自分もあっち側の人間なのだな、と自覚せずにはいられない。
トワは背中に警戒しながら、素早く配置についた。
「両者!構え!」
男子生徒の掛け声と共に、イナンナが魔力強化の宝石がついたロッドを取り出す。
一方、そういった触媒は一切使わないトワはあくまでも自然体の構えでイナンナを見据える。
(マスタートワ。イナンナの周囲に微弱な魔素の反応あり)
(へぇ……一応、開始前から魔力を練るだけの知能はあるんだ)
脳内に響くアスの平坦な機械音声。
その声には一切の危機感を感じられない。
トワは心の中で感情のこもらない言葉を呟く。
「はじめ!」
「凍てつく大地、凍り付く大気、永久凍土の抱擁で汝を包み込め」
開始と共にイナンナが水属性魔法の詠唱を口ずさむ。
「おぉ!あれは水属性上級魔法の詠唱!」
「シュテルブルク様は本気だ」
「おい!大丈夫なのか!あんなの喰らったら、英雄の末裔様も一溜まりも無いぞ!」
沸き立つ観客席。
悲鳴にも似た歓声が演習場を支配する。
だが……
(マスタートワ、魔素の動きに微弱な攻撃性を確認)
(分かってるよ)
アスが魔素の動きを感知するもやはり危機感は薄い。
それに関してはトワも同感だった。
「凍り付け!〈フリージングコフィ〉……」
「〈ファイアボール〉」
トワはイナンナの詠唱が成立する前に、無数の火球を打ち込む。
高速で飛来する火の玉は、イナンナの周囲をハチの巣にし、石畳を焦がす。
「えっ!?今のは……」
イナンナは口をパクパクさせ、青ざめた表情で固まる。
おそらく恐怖で頭が真っ白になっているのだろう。
詠唱は止まり、せっかく溜めた魔力も霧散している。
「〈ファイアボール〉」
トワは火球の第二波を発射。
今度は石畳を焦がすのに加え、上着の一部に焦げ目を付け、青みがかった長い黒髪の先がはらりと落ちる。
「トワ=グラーフ……一体何を」
「〈ファイアボール〉」
困惑するイナンナに第三波を発射。
今度は石畳と一緒に、靴とスカートの一部に焦げ目を付ける。
「イナンナ、あんたもう三回死んでるよ」
恐怖で動けなくなったイナンナに冷たく言い放つ。
頭に氷水を流し込んだ様に感情が冷え切る。
守ってくれる前衛がいない場合、魔法は威力よりも早さが優先される。
威力と派手さに囚われて、詠唱の長い大魔法を使おうとするのは愚の骨頂だ。
トワは自分がやっている事が無性に情けなく思えた。
自分が命がけで手に入れたイフリートの力はこんな弱い者いじめをする為に得たモノじゃない。
レイ達と一緒に空の悪魔と戦う為に得た力だ。
だが、ここでイナンナの心を折っておく必要がある。
そうしないと、シャルロッテや他の中立派の生徒に危害が及ぶ恐れがあるから。
「ねぇ、この辺で手打ちにしない?机と椅子の件は水に流すからさ」
トワは努めて柔らかい口調で語り掛ける。
これ以上イナンナを嬲っても、得るモノは何もないと思ったからだ。
「………るな」
だがこの態度が悪手だったのかもしれない。
イナンナがバラ色の唇を噛みながら、アクアマリンの青眼に憎悪の色を湛え、トワを睨み付ける。
「王国貴族!イナンナ=フォン=シュテルブルクを舐めるなぁああああああ!!!」
激昂したイナンナの周囲の空気が陽炎の様に歪む。
(イナンナの周囲の魔素に著しい変化。情緒不安定による魔素制御の機能不全と判断)
所謂、魔力の暴走状態。
トワはアスの機械音声に僅かな焦りを感じた。
「逆巻け大気!唸れ疾風!万物よ流転し、圧縮し、爆ぜろ」
「あれは……やべぇ!〈サイクロン〉だ!」
「嘘だろ!風の広範囲上級魔法!」
「シュテルブルク様、そんな大魔法まで使えるなんて」
「感心してる場合か!俺らまで巻き込まれるぞ!」
流石は魔法学校の学年首席といったところか。
一般魔法の大魔法を二属性も扱えるなんて。
これが普通の授業なら、感嘆の声も上げていたのだろう。
だが暴走状態となれば話は別。
命の危機に観客席は阿鼻叫喚の地獄絵図と化す。
「アス!どうすればいい?」
トワはレイが作ってくれた相棒を信じて問いかける。
(魔法の発動前に魔素のコントロールを奪う事で、発動を阻害する事が可能。具体的には……)
「分かった!やってみる!」
アスが言い切る前にトワが魔力を練る。その間一秒足らず。
「回れ、回れ、集え、集え、すべての愚かなる者達を飲み込む暴風となれ!〈サイクロ〉……」
「〈ファイアストーム〉!」
ファイアストーム……小規模の炎の渦を生み出す中級炎魔法。
間一髪だった。
暴風の魔法が完成する前に、トワの放った炎の嵐がイナンナの周囲の魔素を吹き飛ばし、魔法の発動を阻害する。
「きゃぁああああああああ!!」
「シュテルブルク様が!!」
「誰か!シュテルブルク様を!!!」
燃え盛る火炎。
炎に巻かれたイナンナの悲鳴が木霊する。
会場に再び上がる悲痛な叫び。
「イナンナ!」
トワはあらんかぎりの力で声を上げ、炎をかき消しながらイナンナのもとに飛び込む。
「トワ……さん」
灼熱地獄から救出されたイナンナが、目をまん丸に見開いてトワを見つめる。
「私を助けて……」
「えっ?いや、完全にマッチポンプだし、ここで死なれたら目覚めが悪いし……」
トワはバツが悪そうに頬を掻き、そっぽを向く。
腕の中にいるイナンナの瞳が妙な熱を帯びていたからだ。
「……私の完敗ですわね。これまでの非礼をお詫びいたしますわ。トワ様」
トワはイナンナをそっと降ろし、逃げる様にその場から離れた。
自分が撒いた種を刈り取っただけなのに何故か向けられた好意に、背筋がゾワッとするような居心地の悪さを感じた。




