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第六十七話 トワの旅その五~久しぶりの教室~

「グラーフさん……どうして貴女がここに……」


 教室はどよめいた。

 イナンナ=フォン=シュテルブルクを始めとする上流階級の子息令嬢は焦っていた。

 いけ好かない英雄の末裔が帰って来た事に。


「あっ、イナンナ。そこどいてくれる」


 トワは気の抜けた声でイナンナに呟いた。

 白磁の様な透き通る肌とアクアマリンの様な青眼の綺麗な顔立ち。

 トワより少し大人びた彼女が入り口付近に陣取っているせいで、教室に入れなかった。


「……グラーフさん。契約休暇中だったはずでは?」

「ちょっと学校に野暮用があってね。それより入れてくれない?」


 どうも教室内のざわつきがいつもと違うような気がする。

 机に落書きでもしたのだろうか?

 などと考えながら、呆けるイナンナの青みがかった黒髪の脇を抜けると……


「……はぁ~、そういう事」


 トワは特大級のため息を吐いた。

 落書きどころか机と椅子そのものが無くなっていた。


「あのさぁ~……前も言ったけど、やるんだったらバレない様にやろうよ。流石にアタシだってここまでやられたら報復しないわけにはいかないんだよね」


 トワはポキポキと指を鳴らす。

 ホームルームも始まっていないのに早速これ。

 なんでわざわざ虎の尾を踏むような真似をするのだろうか?

 前は魔法と拳を駆使して十人くらいぶちのめしたけど。


(あぁ~、きっとアスを通じてレイお兄さんにも伝わるんだろうな)


 せっかく普通の女の子として見てもらえていたのに。

 トワが鬱屈した気持ちで青い顔をする同級生達を見渡していると……


(マスタートワ。魔法の使用は死者が出る恐れがある為、非推奨。マスタートワの身体能力なら、素手のみで十分に報復可能だと判断。宜しければ最善の報復手段を提案致しますが)


 脳内に響く無機質な機械音声。

 アスの声に若干の苛立ちが混じっているようにトワは思えた。


(いや、いいよ。どうせ今日だけだし、今回だけは大人しく引き下がってあげるよ)


 トワはふぅ~ッと息を吐きながら脳内でアスに呟く。

 アスが自分の代わりに怒ってくれたみたいで嬉しかったのかもしれない。

 トワはかつて自分の机と椅子があった場所にドカリと座り込む。


「トワさん、宜しいのですか?」


 後から教室に入って来たシャルロッテが慌ててこちらに駆け寄り耳打ちする。


「いいの、いいの。お兄さんと旅してた時は結構野宿とかしてたし。それに比べたら教室の床なんて清潔そのものだから」

「そういう問題じゃなくて」


 朗らかに答えるトワの耳に、やるせなさが混じったシャルロッテの呟きが届く。


「トワさん。まさか気付いていないわけじゃありませんよね。馬鹿どもの戦勝ムードに……」

「…………」


 トワが地べたに座り込んだ途端、教室の空気感が変わった事は勿論分かっている。

 最初はトワの実力行使に怯えていた癖に、こっちが手を出さないと分かった途端、勝った気になって嘲笑を向けてくる。


「……あぁ~あぁ~。やっぱり都会のもやしっ子は嫌いだなぁ~。実力も無い癖に陰でコソコソと他人の足を引っ張る事しかできない能無しばっかりで」


 これ見よがしに全員に向けて放ったトワの一言でまたしても教室の空気が一変。

 侮蔑混じりの宣戦布告に上流階級の幾人かがこめかみに青筋を立てる。


「あぁ~あぁ~。せっかく精霊と契約したのに骨のある相手は何処にもいない。これが世界最高学府シュターデン記念魔法学校の実態だと知ったら、きっとご先祖様もお嘆きになるだろうなぁ~」

「ちょっとトワさん……」


 分かりやすい挑発で周囲を煽るトワを、シャルロッテが慌てて止めようとする。

 グラーフ族がシュターデンの血筋である事は周知の事実なのだが、それを受け入れようとしない王侯貴族は結構いる。

 そんな輩の前で自分はシュターデンの子孫だぞ、と殊更に主張すれば反感を買うのは必至。

 この傾向はシュターデンを神とするシュターデン教の信徒に特に見られる。

 特にシュターデン教が盛んな王国の貴族であるイナンナには……


「グラーフさん!今の言葉聞き捨てなりませんわね!」


 イナンナが青眼を真っ赤に血走らせながらトワに噛みつく。


「あぁ~あぁ~、アタシに正面切って決闘挑んでくれるような骨のある奴はいないかなぁ~」


 トワは激昂するイナンナを無視して、尚も教室全体に挑発を続ける。

 そのあからさまに舐め腐った態度にイナンナの堪忍袋の緒が切れた。


「いい度胸ですわ!その喧嘩!買って差し上げますわ!」


 イナンナは何処から取り出したか分からない手袋をトワに投げつける。


「〈プチファイア〉」


 プチファイア……ファイアボールより更に小さな火を出す下級魔法。

 トワはライターサイズの炎を手袋に放ち、自分にぶつかる前に焼き落とす。


「何?イナンナ?もしかして消し炭になるのがお望み?」


 冷や汗を流すイナンナに、トワはニィッと口元を吊り上げ挑発的に笑う。


(マスタートワ。交戦は避けるのでは?)

(最初はそう思ったんだけどね。でもこのまま放置したら……)

(増長した同級生によるシャルロッテへの危害を予想)

(そういう事)


 トワはアスの問いに脳内で答えつつ、こちらを睨みつけてくるイナンナを無視し、シャルロッテに視線を向ける。

 この面倒くさくて何故か自分に好意的に接してくれる学友を見捨てるわけにはいかない。

 自分は今日でおさらばでも構わないが、彼女には学校での長い生活が待ち受けているのだ。


「トワ=グラーフ!どこまでも王国とシュターデン様を馬鹿にして!」

「えっ?アタシ、別に王国もシュターデンも馬鹿にしてないよ。あんた達を馬鹿にしてるんだよ」


 肩をすくめながら、これ見よがしにため息を一つ。

 完全に頭に血が上ったイナンナの怒りの火に油を注ぐ。


「今すぐ演習場に来なさい!そこで正義の鉄槌を下して差し上げますわ!」

「はぁ~、先に喧嘩を売ったのはどっちなんだか……」


 ホームルームはどうするのだろう?

 そんな疑問を抱きながら、肩を怒らせるイナンナについて行くトワだった。

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