第六十四話 トワの旅その二~精霊魔法講座~
所変わって、ワルツブルク公国とユルゲン連邦の国境ダルシャンにて。
レイが古文書騒動に巻き込まれているのと同刻、トワは優雅に高級ホテルのフカフカベッドで飛び跳ねていた。
(マスタートワ。マスターレイより通信)
「つうしん?」
美味しい夜ご飯も食べてご満悦で浮かれていたところに脳内に響くアスの機械音声。
飛び跳ねるのを止めたトワが首を捻っていると……
(トワ、聞こえるか?)
「えっ?お兄さん?」
トワは目を見開き仰天した。
(どうした、トワ?素っ頓狂な声を上げて)
「いや!驚くよ!お兄さん!神聖魔法の〈テレパス〉も使えたの!」
トワが驚くのも無理のない話だった。
レイが当たり前の様に行った通信はクオン達神官が使う神聖魔法に属する。
トワはレイが一般魔法に属する創造主の魔法しか使えないと思っていた。
(あぁ……そういえばアスに通信機能がある事は説明してなかったな)
「お兄さん……大事な事なんだから前もって言っててよ」
レイの平坦な声を聞きながら、トワはガックリと肩を落とした。
この生真面目で不愛想な兄貴分は時々どこか抜けている。
住む世界そのものが違うから常識の違いがあるのは仕方ないのかもしれないが……
(アスの機能については後ほど本人に聞いてくれ)
トワはレイの一言に引っかかりを覚えた。
「……ねぇ、お兄さん?アスって名前どこで知ったの?」
トワの声が剣呑さを帯びる。
彼女の頭の中は今、嫌な予感で埋め尽くされていた。
(あぁ、その事か。そちらのアスの分体とこちらの本体は繋がっている。リアルタイムで情報共有しているからそちらの情報は逐一入ってくるし、こちらから情報を送る事も可能だ)
「…………」
トワは絶句した。
今の話が本当なら……
「お兄さん……それだとアタシのプライベートとかは……」
(危機管理上の措置だ。諦めてくれ)
無慈悲で無神経でデリカシーの無い平坦なレイの声にトワが愕然とした。
そして……
「……めて」
(ん?どうしたトワ。よく聞こえない)
心配そうなレイの声がトワの脳内に届く。
「絶対にやめて!もし今度盗み聞きしたら絶交だからね~~~~~!」
(…………)
トワの絶叫が最上級客室の厚い壁すら貫いて、ホテル全体に響き渡る。
年頃の女の子が私生活を覗かれたのだから、怒るのは当然だろう。
(マスタートワ。夜中に大声を出すのは非推奨)
「誰のせいよ!」
すかさず脳内に響くアスの平坦な音声。
だが怒り心頭のトワには疎ましいばかりだった。
「お客様?如何なさいましたか?」
トワは扉からのノックと共に聞こえた客室係の声で我に返る。
「ごめんなさい!ちょっと〈テレパス〉使ってたら興奮しちゃって。」
「……さようでございますか。他のお客様のご迷惑になりますので」
「はい、気を付けます」
トワが頭を下げると、客室係は恭しく礼をしながらその場を後にした。
客室係からしたらトワは子供とはいえ、高級ホテルに泊まれるだけの財力を持ったグラーフ族の祈祷師。
その上神聖魔法である〈テレパス〉まで使えるとなれば、尊敬の対象になるのは必然だ。
「ところで何の用で連絡入れたの?」
トワは怪訝な声でレイに問いかける。
(あぁ、実は厄介な案件に巻き込まれてな。魔法に詳しい君に助言を求めたい)
そう尋ねるレイの声はいつもの淡々とした口調ではなく、どこか歯の奥に物が引っ掛かったような物言いだ。
きっといつものお節介で厄介事に巻き込まれたのだろうと思いつつ、頼られた事自体は満更でもなかった。
(実は……)
トワは静かにレイの言葉に耳を傾けた。
そして……
「つまり古文書を発掘した学者さんを助けて、その古文書の内容はシュターデンが残した兵器の設計図で、それを作る為には火と水の魔法が必要って事」
(あぁ、古文書の詳細はアスに記録させているから、そちらで確認してくれ)
聞き終えたトワは血の気が引いた。
シュターデン関連の遺産はすべて最高国家機密扱い。
救星の旅で已む無く手に入れたモノならいざ知れず、他人が発掘したモノを盗み見るのは完全に違法行為だ。
「お兄さんマズイよ。アタシ達の手元にそんなモノがあるってバレたら……」
(問題ない。データはアスからしかアクセスできない。アスにアクセスする権限を持っているのは自分達だけだ)
「そういう問題じゃなくて……あぁもう!そんなんだから指名手配になるんだよ!」
(人命と星の命運に比べれば些細な問題だ)
「あぁ!分かってるよ、そんな事!」
トワはまたしても声を荒げる。
言っている事は正しいが、こうも正論ばかり言われると流石に堪える。
(それでどうだ?なんとかなりそうか?)
トワの苛立ちを余所にレイが淡々と問いかける。
その問いにトワは真剣に考え込む。
「う~ん……今のアタシじゃ難しいかな。イフリートと契約したせいで、他の精霊が寄り付かなくなったから」
(ん?どういうことだ?)
レイが困惑した口ぶりで問いかける。
「元々精霊魔法って複数属性を扱うのには向いてないんだけど、その理由ってなんだか分かる?」
(ん?そう言えば聞いてなかったな。力を持った精霊を制御する関係上、術者への負担が大きくなって、契約精霊以外の属性魔法の行使が困難になるからだと、自分は推測するが……)
「まぁ、そういう側面もあるけど……」
トワは感心半分、呆れ半分といった具合で息を漏らした。
彼の魔法に対する好奇心や探求心はおそらくルミナスでもトップクラスだろう。
純粋な魔法は一切使えない癖に、知識は貪欲に取り入れようとする。
遠い将来、彼の故郷の知識とルミナスの知識を用いて、新しい魔法理論を構築して、オリジナル魔法を生み出したとしてもトワは驚かないだろう。
閑話休題。
肩をすくめたトワ先生が生徒レイと答え合わせ。
「お兄さんの理論だと、キャパシティさえあれば別属性の精霊と契約すれば問題ないよね。実際、力の弱い精霊と複数契約して、全属性バランスよく使える祈祷師もいるわけだし」
(ほう、そういうやり方もあるのか)
脳内に感心したようなレイの声が響く。
トワは楽しそうな反応が妙に嬉しくて、得意になりながら言葉を続ける。
「でもね、精霊って基本的に群れるのが好きじゃないんだよ」
(ん?何故だ?)
「さぁ?理由は分かんない。精霊に聞いても『なんとなく』としか言わないし」
(う~む。精霊としては契約者から受け取る魔力を独占したいのだろうか?興味深いな)
「まぁ、後でイフリートにも聞いてみるね。四大精霊は他の精霊より思考が明確だし、答えてくれるかも」
(そうか。もし何か分かったら自分にも教えてくれ)
トワはホッと息を吐いた。
おそらくレイは本質的には学者肌なのだろう。
興味があるモノにはトコトンのめり込み、厄介事からはトコトン距離を置く。
彼の境遇と強すぎる倫理観が、彼のワガママを許さなかっただけなのだ。
もし空の悪魔とのゴタゴタが無くなって、本当の意味で平和になったら、彼と一緒に魔法学校に行くのも悪くないな、とトワは思った。
「コホン、それじゃ本題なんだけど……」
咳ばらいを一つ。
トワの前置きに若干興奮気味だったレイも静かになる。
「精霊って、基本自分より強い精霊と契約した祈祷師とは契約してくれないんだ」
(……それはつまり)
レイの苦々しさを帯びた声が響く。
トワが言おうとしている事を察したようだ。
「うん。本来、祈祷師の契約は力の弱い精霊からコツコツ積み上げていくもの。グラーフ族は元々精霊との相性がいいから、普通は下級精霊から契約する所を中級精霊と契約できたりするんだけど、アタシは四大精霊のイフリートと契約してしまった」
(つまり、四大精霊以外との契約はできないと……)
「そういう事」
尤もイフリートと契約した段階で、このルミナスでは最強の炎魔法使い。
空の悪魔と戦おうとでもしない限りは、それ以上の力を欲する人間はまずいない。
ましてや四大精霊と複数契約を結ぼうとするなど……
(それでか……君が四大精霊に拘っていたのは)
「うん。アタシが強くなる方法は他にないから」
トワは改めて決意表明した。
そうでもしないと今から立ち向かう困難に打ち勝つ事はできないと思った。
(そうか。何かあればすぐに言うんだぞ)
「うん、分かった」
レイの優しい声に、トワの口元が思わず緩む。
彼は頑張れとも無理をするなとも言わない。
今はただトワ自身の決断を尊重し、何かあればすぐにフォローできるように見守ってくれる。
港町で別れた時の一件で、トワが一度決めたら折れない性格だという事が分かったのだろう。
そういう彼のスタンスにトワは心底感謝していた。
「お兄さんはこれからどうするの?」
トワは照れくささを隠す為に話題を切り替える。
(とりあえずリーフと、その祖父を王都に連れて行って保護を求めるつもりだ)
「そう……あんまり厄介事を起こさないでよね」
(……善処する)
レイの少しだけ不機嫌そうな声と共に通信は終了した。
「……ねぇ、アス。最近のお兄さんって少し子供っぽいよね」
(…………子供っぽいという言葉の定義が曖昧な為、回答不可)
回答をはぐらかすアスの声は、いつもより僅かにしどろもどろな様に感じた。
「まぁいいや。次の目標が決まった事だしね」
トワは口元を綻ばせた。
レイは水の力を欲している。
「確かアクアテラスの伝承にあったと思うんだよなぁ~。水の四大精霊ウンディーネ」
明日からの戦いに想いを馳せ、トワは目を閉じる。
今回はイフリートの時みたいにはならない。
万全の準備をして、自分の力でウンディーネと契約するのだ。




