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第五十五話 マオ

 シーサーペント指令室。

 レイの心は完全に暗闇に閉ざされた艦内の様に、深淵に沈んでいた。


「うぅ……うぅ……うううぅぅぅぅぅううぅ…………」


 いつからだろう。

 もう何時間も、下手したら何日も……そう思わせるほど長い時間をレイはずっと泣いていた。


 トワが死んだ。

 アヤメが死んだ。

 クオンが死んだ。

 ガ=デレクとおしゃべりなんかせずに即座に始末していればこんな事にはならなかった。

 レイの心は絶望に支配されていた。


「お兄さん!」


 レイは自らの耳を疑った。

 彼の耳に少女の声が届いた。

 聞き覚えのある声。

 聞きたかった声。

 それに呼応するかのように響く三つの足音。

 レイは目を擦り、顔を上げた。


「お兄さん!」

「ト……ワ…………」


 幻じゃない。

 涙にぬれる視界の先には慌ててこちらに駆け寄るトワの姿。


「トワ!」


 レイはトワに駆け寄り、ギュッと抱きしめた。


「ちょっと!お兄さん⁉痛いって!」

「トワ!トワ!」


 幻覚じゃない。

 確かにトワはここにいる。

 レイはトワを力いっぱい抱きしめた。

 顔を真っ赤にして嫌がるトワの声を無視して力の限り抱きしめた。

 ボロボロと涙を零しながら……


「まったく妬けるねぇ……あたいらだって心配で急いで駆けつけて来たってのに」

「同感です。私がどれほど心配したか……」


 ジタバタと暴れるトワを抱きしめている所に、呆れたようなアヤメの声と、ムスッとしたようなクオンの声。

 レイは二人の声を聞き我に返る。


「お兄さん!いい加減放してよ!」

「あっ!すまない」


 レイは慌ててトワを解放する。

 トワは顔を紅潮させたまま、もみくちゃにされた紫のツインテールを直す。

 レイは全員の無事にホッとし、その場に腰を落とした。


 それから全員が落ち着くまで、しばしの静寂が艦内を支配した……



「〈アナライズ〉……問題なさそうですね」


 クオンが全員の健康状態を魔法で確認。

 今まで仏頂面だったクオンの表情が少しだけ緩む。


「ありがとうございます。今回の戦い、みんながいなければ勝てなかったでしょう」


 レイは改めて全員に頭を下げる。

 感謝と謝罪の意味を込めて。


「レイ様……宜しいでしょうか」


 笑顔のクオンがレイににじり寄る。

 そして……


 パァーン!


 レイの頬に鋭いビンタ。


 ひりひりと痛む頬。

 何が起こったか分からず、レイは呆然自失になる。

 いきなりの出来事にトワとアヤメも目を見開いた。


「あなたは大馬鹿者です!何故、あなたを心配する人間がいる事が分からない!」


 クオンは叫んだ。

 瞳をうっすらと潤ませながら……その目は医師でも神官でもなかった。

 少しの怒りと大きな安堵が綯交(ないま)ぜになった人間クオンの目だった。


「……すみませんでした」


 レイは捨て犬の様に項垂れた。

 この時になってやっと自分がどれだけこの人達に心配をかけたのかが分かったから……


「分かって頂ければ結構です。次、同じ事をしたらまた一発お見舞いしますので、そのつもりで」

「はい」


 レイは素直に頭を下げた。

 クオンはため息を吐きながら矛を収めた。

 驚きから硬直していたトワとアヤメもホッと胸を撫で下ろしていた。


「ところで、みんなはどうやって助かったんですか?」


 レイは疑問を投げかけた。

 シーサーペントのフォトンキャノンが発射される所を目撃したのだ。

 本来なら億に一つも助かる可能性は無い。

 疑問に答えたのはトワだった。


「マオさんが助けてくれたの」

「マオさん?」


 レイは首を傾げた。

 マオとは誰か?

 あそこに他の人間なんていただろうか?

 そもそも誰かいた所でフォトンキャノンを防ぐ事など可能なのだろうか?


 様々な疑問がレイの頭を駆け巡ったが、考えた所で答えは出ない。

 レイは黙って頷き、トワに話しを促した。




 およそ一時間前。

 フォトンキャノン発射直前。


「お爺ちゃん。観測とはどういう意味?それに歴史がどうのって?」


 トワはマオに問いかけた。

 それはトワだけではなく、クオンとアヤメも抱いていた疑問だろう。

 三人に詰め寄られたマオは柔和な笑みを浮かべる。


「そうですね……ではこうしましょう。あなた方は観測者、という言葉に聞き覚えはございますか?」

「!!!」

「???」

「…………」


 マオの発言にトワは驚愕し、アヤメは疑問符を頭に浮かべ、クオンは眉をひそめ沈黙した。


「なるほど。トワ殿とクオン殿はご存じですか。ではわたくしから簡単に説明させて頂きましょう」


 そう前置きした後に咳払いを一つ。

 マオは朗々とした口調で語り出した。


「観測者とは意思を持った魔素の集合体。シュターデンより生み出された魔法の源。そしてわたくしはその代弁者……としておきましょう」


 老人の物言いにクオンが渋面を浮かべた。


「先ほどから妙に引っ掛かる物の言い方ばかりなさいますが……」

「申し訳ありません。わたくしの正体については、詳しくお話するのが困難でして」


 心底申し訳なさそうにマオが頭を下げる。


「それに……わたくしの事を詮索している暇はなさそうですね」


 今まで柔和だったマオの目つきが鋭くなる。

 その視線の先にはシーサーペント。


「何あれ⁉」

「ティアマトの頭が……あれって拙いんじゃないかい!」

「レイ様が言っていた主砲……」


 トワ達は驚愕した。

 シーサーペントの先端から眩い光。

 あの巨体から放たれる攻撃はブラックファルコンとは比べ物にならない程強大だろう。

 慌ててその場を離れようとしたが……


「ヤツの主砲の射程は十キロ以上。今からでは間に合いませんよ」


 ポツリと呟きながら、マオがシーサーペントの方へと一歩踏み出した。


「そんなの分からないよ!一緒に逃げよう!」


 トワはマオの腕を掴み引っ張った。

 しかし……


「それに逃げる必要などありません」


 目を細めたマオの手がトワの手を包み込む。

 その節くれだらけの手はとても温かかった。


「コードANSi。対ビーム防御スクリーン展開」


 マオの命令(コード)に呼応して、漆黒の霧がトワ達の周囲を覆う。

 そして瞬く間に漆黒は淡く光る透明な膜へと変化する。


「これは?」

「これが……魔素の力の一端ですよ」


 マオはトワに小さく笑いかける。

 その笑顔がとても優しくて、トワの胸の奥がポカポカと温かくなった。


「来ます!」


 トワの隣からクオンの鋭い声。

 直後、山をも覆い尽くしそうな巨大な光の束がトワ達を飲み込む。

 トワは目を瞑り、死を覚悟した……


「えっ⁉」


 だがその時は訪れなかった。

 フォトンキャノンの光はマオの目前で左右にねじ曲がり、意思を持ったようにトワ達を避けていく。


「これは……」

「はぁ……」


 クオンとアヤメもトワ同様呆けていた。

 透明な膜に乱反射する死の光がキラキラと輝いて、美しくも幻想的な光景を作り出していた。


「さて、もう宜しいかな」


 マオはシーサーペントが動きを止めたのを確認してから、防御スクリーンを解除した。


「わたくしはこれにて失礼させて頂きます。早くあの若造の所に行ってあげて下さい。きっといっちょ前に絶望して、わんわん泣いております故」

「ちょっと待っ!」


 マオは慇懃な礼を執りながら、すっとその場から消え失せた。

 まるで最初からそこに無かったかのように……


「急ぎましょう」

「あっ……あぁ」

「……うん」


 我に返ったクオンが行動を促す。

 正直な所、マオの正体は気になる。

 だが今優先すべきはレイの安否。

 もしもマオの言う通り、レイが泣いているのだとしたら……

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