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第三十五話 厄介な妹

 レイは困惑していた。


「あなた。どうやってお兄様をたぶらかしましたの」


 時計台に連行されるレイとそれを護送する不機嫌そうなシュタッドフェルド。

 誰もいない牢獄への道で、シュタッドフェルドが発した第一声目がこれだった。


「お兄様?」

「『翼星の神官』『神の薬』クオン=アスターの事ですわ」


 裁判時の堅苦しい口調とは違うヒステリックな女性特有の姦しい声色。

 どうやらこちらが素のようだ。

 彼女がクオンの妹……レイは彼女の意図が掴めず首を傾げる。


「自分がクオンさんをたぶらかした?」

「そうですわ!常に冷静沈着、理性と知性が服を着て歩いているような完全無欠のお兄様。そんなお兄様があなたの様な如何にも胡散臭くて如何わしい狂人の肩を持つなんて!きっと怪しげな魔法で洗脳したか、それとも弱みを握ったか。とにかく何か卑劣な手段を用いたに違いないわ!」


 シュタッドフェルドは親の仇を見るような目でレイを睨みつけた。


「いいこと!あなたがどんな卑劣な手段を使っていようと、絶対にお兄様には手を出させませんわ!」


 ビシッとレイを指差すシュタッドフェルド。

 聞いていた話とだいぶ違う。

 レイは状況が整理できず大いに混乱した。


「あの……シュタッドフェルドさん」

「ん!その汚らわしい口で我が誇り高き家名を口にする事は許しませんわ!」

「では何とお呼びすれば?」


 レイは遠慮がちにお伺いを立てる。

 彼のクレーム対応係のアンテナが叫ぶ。

 彼女は気位の高い厄介なクレーマーだと……

 こういうタイプは機嫌を損ねない様に言葉を受け流すのが一番。

 またしても胃がキシキシと痛む。


「そうですわね。家ではモニクお嬢様と呼ばれておりましたけど、これはちょっと違いますわね……シュタッドフェルド司教は家名を呼ばせたくありませんので却下……モニク様若しくは司教様と呼んで宜しくてよ」

「はぁ……分かりました。司教様」

「結構ですわ」


 これは名前を呼ぶと馴れ馴れしいとキレるパターンだ。

 レイは長年の経験から正解を導き出す。

 シュタッドフェルド改めモニクもご満悦の模様。


「ところで司教様。自分如きがクオンさんを手玉に取れるとは到底思えないのですが」

「あなた!誰がお兄様の名前を気安く呼んでいいと言いましたか!」

「では何とお呼びすれば」

「そうですわね。『翼星の神官』『神の薬』完全無欠、麗しの神官長クオン=アスター様とお呼びなさい!」

「長いので神官長様で宜しいでしょうか?」

「……いいでしょう。特別に許可致しますわ」

「ありがたき幸せ」


 レイは心を虚無で埋め尽くしていた。

 この手の相手は逆らうだけ労力の無駄。

 死んだ魚の瞳で機械的に対応するレイと終始ご満悦なモニクとがなんとも対照的。


「確かにあなたの言い分にも一理ありますわね。あなたみたいにパッとしなくて、知性が足りなさそうで、如何にも野蛮そうな俗物がお兄様を懐柔できるとも思えませんわ」

「分かって頂けて幸いです」


 マニュアル通りの対応。

 ボロクソ言われてもレイは全く動じない。

 彼の心は無風の水面の様に凪いでいた。


「ではお兄様は何故、あなたのような路傍の石を庇い立てするのでしょう?」

「さぁ?自分は浅学の身故分かりかねます。きっとお優しい方だからではないでしょうか」

「……それもそうですわね」


 何とか誤魔化し切れたようだ。

 レイはホッと胸を撫で下ろした。

 クオンを持ち上げた途端にコロッと態度を軟化させる。

 この女は相当にチョロいと思った。


「司教様は神官長様の事を敬愛していらっしゃるのですね」


 レイは自分ができる限界まで愛想の良い声で語り掛ける。

 囚われの身となっている状況で少しでも情報が欲しいと思っての行動だ。

 だが笑ったり、他人と仲良くしたりが下手くそなレイ。

 口から出てくるのは平坦な声。


「なんですの?その口ぶり。わたくしとお兄様が釣り合わないとでも言いたげですわね!」

「いえ……そんなことは」

「いいですわよ!分かっていますわよ!お兄様は公国史上でも五指に入る至高の神官。それに引き換えわたくしは家柄が良くて、頭が良くて、美人で、優秀な神官と言うだけのどこにでもいる凡人。お兄様に釣り合うだなんてとてもそんな事口にできませんわ」


 およおよと泣き出すモニク。

 自分を卑下しているのか自慢しているのか分からない口上にレイはひたすら困惑。

 彼はヒステリーを起こしたバカ女の対処法など知らない。


「ここに来る道中でクオン……神官長様はこんな事を言っておりました。『私は妹に恨まれている』……と」

「えっ?」


 レイは自分の状況が許す限り、良心的であろうとする人間だ。

 はたまた相手が妹だったからかもしれない。

 この発言もモニクを慰めようとしたからだ。

 どこか台本を読んでいるようなぎこちない言葉に、モニクは表情を凍り付かせた。


「『自分のせいで妹に辛い幼少期を過ごさせた。本当は妹と仲良くしたい』そんなことを言っていたいと思います」

「それは……本当ですの?」


 モニカは俯きながら掠れた声を漏らした。

 その肩はほんの少し震えていた。

 完全に嘘ではないが少しばかり脚色した台詞がレイの良心をチクチクと突き刺す。


「自分は賢い方ではありませんので、一言一句その通りとは断言できませんが、少なくとも兄君が司教様を嫌っている様子はありませんでした」


 レイは良心の呵責に耐えられず日和見した。

 だがモニクにはそれで充分だったようだ。


「ありがとうございます。レイ……さん」


 監獄の手前。

 涙声で俯く彼女は……初めてレイの名を呼んだ。


(ミッションコンプリート)


 レイの脳内に脚本家AS03の機械音声が流れたのは内緒の話。

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