第二百三十一話 メッセンジャー
「クオンさ~ん!お客さんだよ~!」
レイがユルゲンに来て十日目の夕方。
夕日が差し込む簡素な客室でくつろいでいたところに、宿屋の女将が扉をノックしながら、威勢のいい声でレイに呼びかけた。
「客?どなたですか?」
「えっと……エカチェリーナさんって言ってたかな。金髪の色っぽい別嬪さんだったよ。全く隅に置けないねぇ~」
扉を開いたレイが問いかけてみれば、返ってきたのはニマニマと茶化すような声。
エカチェリーナ?聞き覚えの無い名前だ。
レイは首を傾げながら、一先ずその女性が待つという食堂まで足を運ぶ事にした。
……宿屋一階食堂にて。
「いらっしゃいませ!……ってクオンさんか。今日は何にする?」
敷居をくぐって真っ先にレイを出迎えたのは、ジャガイモみたいな丸っこい顔をした元気なウェイターの声。
ティアラに宿を追い出されて以来、この宿に長期滞在しているのですっかり顔見知りだ。
レイはいつもの不愛想な顔の口元を少し緩め、自分よりも若いウェイターに会釈した。
「女将さんから聞いているかもしれないが、エカチェリーナという女性が自分を訪ねてきたハズなのだが?」
「えっと……聞いてないなぁ~。どんな人?」
「金髪の色っぽい女性とか?」
「じゃあ、多分あの人だ」
ジャガイモ顔のウェイターが部屋の隅に座る女性を指差す。
レイがそちらに視線をやると、ここみたいな中世ヨーロッパ風の大衆食堂では浮きそうな真っ赤なミニスカスーツを着た金髪ポニーテールの後ろ姿。
「あのうなじに生足……たまんねぇなぁ~。絶対美人でエロいお姉様に決まってるぜ。なぁクオンさん、どうやってあんなお姉様とお近づきになれたんだよ!」
「……」
耳元で嫉妬の声を漏らすジャガイモヅラの馬鹿に、レイは心の中だけでため息を漏らす。
自分はあんな派手な格好をした不審者の知り合いなんて心当たりが無い。
いや、厳密に言えば面識は無いが心当たりはある。
ある意味待ちに待った心当たりであると同時に、できれば会いたくなかった心当たりでもある。
レイはうるさいジャガイモヅラを無視し、エカチェリーナがいるテーブルへと歩を進めた。
「あら?思ったよりも遅かったわね。レディを待たせるなんて失礼だと思わない?」
レイが音も無く背後に近づいたのと同時に、赤いスーツ姿の女が振り返りもせずに妖艶な声でこちらに問いかけた。
「あいにくと、アポイントも無しに押し掛けてきた人物に、払う礼節は持ち合わせていないのでな」
「あら、そう?こんな美人がわざわざ足を運んだのに、つまらない男……」
エカチェリーナが呆れた声を漏らしつつ、足を組み替えながら半身になってこちらに振り返る。
年の頃は二十台半ばくらいだろうか。
ミニスカートからスッと挑発的に伸びる程良い肉付きの白い生足には深紅のハイヒール。
真っ赤なジャケットの下の白いブラウスはボタンが二つほど開いており、はち切れんばかりの胸元が今にも零れ落ちそうな危うさ。
切れ長の碧眼と薄暗い店内でもキラキラと輝く明るいホワイトブロンド。
高い鼻と堀の深い西洋系の顔立ち。
血のように真っ赤な唇が魔性の美しさと妖しい色香を演出する。
大人でセックスシンボル的な妖艶さを持つ女に、周囲の男共がチラチラと視線を寄越す。
「あいにくと知らない人間に警戒心を抱かないほど、平和ボケした人生は送っていない」
「そうでしょうね。シュターデン」
「……宇宙艦隊……か」
「ご明察」
エカチェリーナがペロリと艶めかしく舌なめずり。
レイはこの女の意図を察し、ほとんど動かない表情筋を僅かに引きつらせた。
先日のフーロンといい、このエカチェリーナといい、またしてもこの場にいる人間全てを人質に取る気だ。
「そんな怖い顔しないでくれる?武力での真っ向勝負ではこちらに勝ち目が無いのだから、せめて戦術的なアドバンテージを取らないと対等な会話は成立しないでしょう?」
「よく言う……人質を取って……」
「貴方が礼儀と立場を弁えた言動をすれば、今日のところは平和に済むわよ。私はリャン少佐のような野蛮人じゃないから」
エカチェリーナの口元が残忍に歪む。
その右手には樹脂製で棒状のスイッチらしき何か。
エカチェリーナはその棒状のモノにぬらりと舌を這わせ、唾液で濡れたそれを胸元に仕舞う。
「そんなところに入れたら、直ぐには押せまい」
「あら?貴方、まさかこんなところで女の胸元を弄るつもり?そういうプレイも嫌いじゃないけど、坊やが相手じゃ燃えないわね」
「減らず口を……」
レイは苦々しい思いで悪態をつきながら、エカチェリーナが指で差し示した席に大人しく座る。
「なるほど……リャン少佐が言った通り。秩序に縛られた下らない男」
エカチェリーナが挑発的にクスクスと嗤う。
「エクスト社か?」
尤もレイはこの女の安い挑発に乗る気は無い。
目の前の不愉快な阿婆擦れに割く時間が惜しい。
レイは早速本題に切り込む。
「せっかちな男。きっとベッドでもお早いのでしょうね……アッ!ごめんなさい。童貞だから分からないわよね?」
「御託はいい……要件をさっさと言え。阿婆擦れ」
あくまでもこちらを見下した態度を取り続けるエカチェリーナに、レイは鉄面皮で淡々と話を促す。
その反応がつまらなかったのだろう。
エカチェリーナが肩を竦め、これ見よがしにため息を吐く。
「単刀直入に言うわ。この街から出て行ってくれない?」
エカチェリーナが上目遣いで前かがみになり、胸元のスイッチをこちらに見せつけながら脅迫した。
余計な事をすれば街の人間を皆殺しにすると言いたいのだろう。
「貴様らにできるとは思えないな。ここが宇宙艦隊の重要な補給拠点であることはもう調べがついている」
「あら?意外と馬鹿ではないようね。でも少しだけお頭が足りないかしら」
要求を突っぱねられても、エカチェリーナは余裕の微笑を崩さない。
むしろこちらを小馬鹿にした笑みはより深みを増す。
「ちょっとだけ種明かしをしてあげる。ねぇ、この街の人間だけど、みんな馬鹿だと思わなかった?いえ、勿論生物的に劣等種のサルだという事を差し引いての話よ」
エカチェリーナが右手で周囲を指し示しながら、平和に夕食を楽しむ人々をクスクスと嘲笑う。
「……上空の装置か?」
レイは頭の中だけで悪態をついた。
おそらく上空の装置から、思考能力を低下させる電波か音波が発生しているのだろう。
そして自分もその影響を少なからず受けている。
そうでなければ、魔素を増やす事に固執して、エクスト社を探らないなんてミスは犯さなかったし、アスと相談しないなんて事も無かった。
「あら!よく分かったわね。小型だから上空五百メートルなら見つからないと思ったのに……」
「今すぐ破壊することだってできるぞ。貴様を含めてな」
「フフッ、やっぱり馬鹿になってるわね。やるのは構わないけど、あまりおススメはしないわよ」
レイは心の中だけで盛大に舌打ちした。
エカチェリーナが余裕の表情を崩さない。
おそらくこの女が死亡した場合や上空の装置が破壊された場合、何かしらの安全装置が発動するのだろう。
例えば、条件を満たした瞬間、街全体が吹き飛ぶとか……
こちらの脅しが全く通用しないどころか、逆に挑発される始末。
完全に相手のペースだ。
「三日間猶予をあげるわ。相方のお嬢ちゃん……ティアラちゃんだったかしら?その子と一緒にこの街を退去して、もう二度とこの街には立ち入らない事。そうすれば少なくとも、この街の人間は我々の奴隷として生きていける。一応ちゃんと人間らしい生活はさせてあげるから……どう?破格の条件じゃない?」
エカチェリーナはうんざりした表情でこちらに要求を突きつけた。
レイは彼女の出した条件に……
「何故わざわざ猶予を設ける?即刻追い出せば自分達が余計な事をするリスクが減るというのに?」
レイは自分の判断力が低下している事に思わず舌打ちした。
言わなければ、対策を強化される事も無いのに……
だが、エカチェリーナはレイの苦悩に勘づき、愉しそうにクスクスと嗤う。
「フフフッ、自分が馬鹿になったって認識があるのは不幸よね。滑稽過ぎてお腹がよじれそうよ」
「……」
レイは黙り込むより他なかった。
これ以上、この女の前で口を開いても、ますます調子に乗らせるだけだ。
「沈黙は金、雄弁は銀。まだ知性が残っている貴方に特別にご褒美を上げる。この街は八意様のおもちゃ箱なの」
エカチェリーナの顔が醜悪に歪み、恍惚で口からだらしなく涎が垂れる。
「八意様は貴方と遊びたいの。この街に設置された安全装置を解除できるか、それとも尻尾を巻いて逃げるか、はたまた解除に失敗してお陀仏するか。どんな結果になっても八意様の無聊を慰める事ができる……」
不意にエカチェリーナの動きが止まる。
言い終えたかと思えば、フルフルと全身を震わせて、恍惚の顔は激しい憎悪の表情にみるみる変化する。
「全く妬ましいわ!あの方はこの私を犯す事よりも貴方と遊ぶ方が楽しいのよ!あぁ!妬ましい!妬ましい!妬ましい!妬ましい!妬ましい!妬ましい!妬ましい!妬ましい!妬ましい!妬ましい!妬ましい!妬ましい!妬ましい!妬ましい!妬ましい!妬ましい!」
エカチェリーナが金髪のポニーテールを振り乱し、狂気に満ちた碧眼でギョロリとこちらを睨みつける。
「絶対に成功なんてさせない!徹底的に邪魔してやる!お前の大事なモノを全部奪ってやる!地位も!名誉も!女も!思い出も!何もかも奪って肥溜めの糞尿みたいな屈辱に塗れた死をお前にくれてやる!」
レイは取り乱すエカチェリーナを見て……ほくそ笑んだ。
この女は初めて余裕と自身の優位を手放した。
しかも勝手に……どれだけインテリぶっていようと、所詮はガ=デレクと同じ、低俗な空の悪魔なのだ。
「だが貴様は自分の邪魔はできない。八意森羅から遊びへの介入を禁止されているからだ」
そう考えるとエカチェリーナの行動の不可解さに合点がいく。
街を丸ごと人質に取るという戦略的優位を持っていながら、レイを効率的に始末しようとしない。
それは、この女がゲームの参加者ではなく、単なる伝言板だからだ。
この女の行動の限界は下らない脅迫だけなのだ。
「チッ!私としたことが……足を引っ張る者の影響を受けたかしら」
エカチェリーナが悔しそうに頭を掻きむしる。
せっかく見た目だけは綺麗だったのに、今はボサボサで見るも無残だ。
「フ~ッ……これ以上貴方と話しても、こちらに益は無さそうね。これにてお暇させて頂くわ。こんな動物園みたいな臭い場所からさっさと退散して、八意様に身も心も慰めて頂かないと……」
「……大人しく見送るしかなさそうだな」
「フフッ、分を弁えていて大変結構」
エカチェリーナは初めて会った時の妖艶な大人の色香を取り戻し、颯爽と立ち去った。
レイはその背中を眺めながら歯噛みした。
「クソ!八意森羅め……」
八意森羅の目的はレイの知性と判断力を奪って都合のいい手駒にする事。
上空の知能を奪う装置足を引っ張る者は、効果範囲にいる時間が長ければ長いほど、影響も深刻化する。
エカチェリーナはジャガイモヅラのウェイターの横をすり抜け、真っ直ぐ出口から退店した。
こんな堂々たる無銭飲食は生まれて初めて見た。
「おい、クオンさん。あのお姉様が食っていった分はあんたが払ってくれるんだよな?」
レイの目の前……今までエカチェリーナが座っていた席には、食べ終わった料理の皿と高そうなワインのボトルの空。
「あの阿婆擦れが……」
レイは心の底から怒りを覚えた。
あの女の下らない意趣返しと、それに気づかない馬鹿になった自分に対して……




