第二百三十話 魔素生成と雇用創出
「炊き出しをしましょう」
レイがユルゲンに入ってから七日目の早朝。
久しぶりに晴れた爽やかな空の下。
これまた久しぶりに八時間連続睡眠を取り、すっきりした顔のレイが言い放ったのが先の一言だった。
「クオン殿?一体何を?」
レイの隣で首を傾げているのは、朝っぱらから農作業に付き合ってくれる勤勉な代官ヒョードル。
彼は代官になってからずっとパトリックの監視により軟禁状態だったので、外で身体が動かせるのが嬉しかったらしい。
泥まみれになって嬉々として芋を掘る厳つい顔に浮かぶ人懐っこい笑顔は、彼が元武人である事を忘れさせる。
実際、数日間付き合って分かったが、彼はとても素朴な性格で、軍人や政治家ではなくこうして土いじりをして余生を過ごしたいとボヤいていた。
きっと剣や権より鍬や鎌の方がお似合いなのだろう。
事が一段落したら、この農地の管理者に出来ないかティアラに相談してみようと思っている。
閑話休題。
ヒョードルの問いにレイは入道雲が漂う空を眺めながら、言葉を探りつつ、ゆっくりと説明を口にする。
「先日説明しましたが、この農園を作った目的は二つ。魔法の素である魔素を作る事とそれに伴う魔法の取得。それからエクスト社に経済的な打撃を与える事です」
「はい、それは存じております。それで何故炊き出しを?」
「炊き出しをする理由は二つ。一つ、エクスト社が暴利で販売している食材を市民に買わせない為。今現在ユルゲンの経済はエクスト社が実質独占しています。ノイマンさんが金の流れを洗ったところ、エクスト社には近隣の貴族からも金が流れているようで、エクスト社が違法な商売で上げた利益の一部がそちらにも流れています」
「クッ!売国奴共め……この有事に敵と通じて私腹を肥やすとは……」
「おそらく貴族共はエクスト社の影に空の悪魔がいるかも、とは思っていないでしょう。尤もエクスト社の商売の違法性を知っていながら手を貸しているのですから、厳罰は避けられませんが……」
怒りで顔を真っ赤にするヒョードルに、レイが淡々と吐き捨て言葉を続ける。
「ユルゲンにはエクスト社が介入できない程の強固な経済体制が必要です。まず炊き出しで食料を供給し、市民にこの農園の存在を広く報せる。次にこの農園で労働者を雇い、市民を経済的に自立させる。
それと同時にエクスト社を厳しく処罰できるように法整備をしつつ、治安維持機関の体制を強化する。エクスト社は独占状態をいい事に暴利を貪っていましたが、逆に言えば暴利を貪れない状況を作れば勝手に崩壊します」
「なるほど……もし相手が馬鹿でなければ何かしらのアクションを起こすでしょうし、馬鹿なら勝手に滅びる。確かに良い手ですね」
「勝手に滅びた場合、空の悪魔の所在は掴めなくなりますが、少なくともユルゲンの問題は解決しますし、魔法習得の時間だって得られます」
「どちらに転んでも我々にとっては好都合というわけですな。私が少し忙しくなるのが珠に瑕ですが」
今まで憤慨していたヒョードルだったが、今度は感心した顔で冗談混じりに笑い飛ばした。
尤もレイはこのまま穏やかに事が進むとは思っていなかった。
このユルゲンには間違いなく空の悪魔が潜んでいるし、奴らが行動を起こさないわけがない。
上空の監視装置とファラリスが何よりの証拠だ。
ファラリスについては……ティアラに任せるしかない。
彼女の報告によると、ファラリスは一切妖しい行動を取っていない。
それどころかティアラの事を姉と慕い、本物の妹のように懐いているとか……
アスを通して監視をしても結果はティアラの報告通り。
思えば悪漢に襲われた時も、彼女は無抵抗だった。
本当に自分が知っている未来のファラリスと今のファラリスは別人なのか?
最初は九分九厘疑っていたが、今は半信半疑といった心境だ。
「さて、そうと決まれば急いで収穫です!」
レイの思考はヒョードルの威勢の良い声で中断される。
「そうですね。昼時には炊き出しを始めたいですし。ノイマン会や役場を通じて、市民にも知らせる必要もあるでしょう」
結局レイはファラリスの事を先送りにした。
今は目の前の事を注力しなくてはと自分に言い聞かせて……
その後、ヒョードルの尽力やノイマン会の協力もあって、炊き出しは大盛況の内に終わった。
その時に行われた農場の求人も上手くいき、作戦は概ね順調に進んだといっていいだろう。
だがレイの心には潜在的な不安と焦りがあった。
何か見落としがあるような気がするが、それが何なのかが分からない。
レイはその事を誰にも相談できずにいた。




