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第二百十一話 黒い誘惑と秩序の鎖

 場面は再び、王都郊外商業エリアのカフェテラス。


謝謝(シェイシェイ)、ウィトレスさん。実にいいタイミングだ」


 紅茶を持ってきたウェイトレスに、フーロンが笑顔で礼を口にする。

 フーロンの爽やかな笑みに、レイは背筋が凍るような悪寒に襲われた。


 彼の素振りは一見すれば普通の青年だが、細い糸目の奥にはどす黒い殺意の光。

 席を離れればウェイトレスを殺す……フーロンの瞳は言葉以上に雄弁に語っていた。


「ありがとうございます。ごゆっくりお寛ぎ下さい」


 ウェイトレスは自分が人質に取られているとも知らず、満面の笑みをフーロンに返す。


「アンナ~!これ、三番テーブルに持って行って!」

「アッ!は~い!」


 ウェイトレスが慌てた様子でこちらに背を向ける。

 そんな彼女を見送りながらホッと息を吐くレイとは対照的に、フーロンは憮然とした態度で鼻を鳴らす。


「ふん!愚民共が……自分の命の危機にすら気付かない愚鈍さに吐き気がする」


 フーロンの声からも態度からも彼女への……そして平和を享受する人々への侮蔑がありありと滲み出ていた。


「なぁ、嶺。戦いを放棄した人間ほど醜い者は無いと思わないか?」

「何が言いたい?」


 レイは柄にもなく、怒気を孕んだ声で聞き返した。


「こういう話題は嫌いか?」


 フーロンが茶化した口調で問いかける。


「戦いなんて非生産的な行為、無いに越したことはないだろう」


 レイは不愉快さを胸の奥に押し込め、感情を悟られないように平坦に答える。

 ここで相手のペースに乗せられたら負けだ。


「はぁ!冗談だろ?もしかして貴様も八意側か?」

「……奴と同列に扱われるのは不愉快だ」


 今度はこちらを小馬鹿にしたような口調。

 流石のレイも今のフーロンの発言は看過できなかった。

 鋭い怒りの混じった声で反論すると、フーロンが肩を竦める。


「これは失言だった。あの混沌から生まれたような絶対悪と一緒にされたら流石に憤慨もしよう。なんせ貴様は敵を殺す為に弱者を守るという大義名分が必要な矮小な俗物。せっかくの力も宝の持ち腐れだ」

「…………」


 レイはフーロンという男に八意森羅やガ=デレクとは違った不愉快さを感じた。

 こちらを嘲笑う彼の言葉は勿論不愉快だが、決して的外れではない。

 レイは秩序の中でしか生きられない。

 例え、その秩序が自分を縛る鎖になったとしても……


「ほう?これは失礼をした。どうやら小生は貴様を侮っていたようだ」


 表情を曇らせたレイの顔をまじまじと覗き込みながら、フーロンは愉快そうに表情を歪めた。

 自分が縛られている自覚はあるのだな、と感心している様でもあり、縛られていると分かっていながら、なぜその場に甘んじているのか、と小馬鹿にしているようでもあった。


「貴様はこんな事を考えた事はないか?もし自分の力を自分だけの為に思う存分使う事ができたなら?敵を殺し、全てを思い通りにする為に何の気兼ねも無く力を振るえたのなら?愛しの姫君を下らない秩序から奪えたのなら?」


 レイは苦悶で歪みそうになる表情筋を制御し、本心を隠す無表情の仮面を被った。

 フーロンは今の自分の胸中を全て言い当てていた。


 ティアラはウィリアムと結ばれなければならない。

 グリセリアの未来の為に、平和が訪れるルミナスの未来の為に、トワが生まれる未来の為に……でも……


「図星か!」


 フーロンの顔が愉悦に歪む。


「嶺!貴様の苦悩は間違いではない!秩序に従ったところで貴様自身の幸福は存在しない!欲しい物は力で奪え!富も!地位も!名声も!女も!強欲に!傲慢に!貪欲に!全てを奪い!全てを貪り尽くせ!」

「……貴官の目的はなんだ?」


 声高に演説するフーロンに、レイは弱々しく返す。


 目の前の狂人の言葉は確かに不快だ。

 でも狂乱する悪魔は少なくともレイ自身の幸せについて語っていた。


 今のレイはフーロンの狂気に呑まれないようにするのが精いっぱいだった。


「何が目的?勿論強い敵との鮮烈な死闘を楽しむ事!最強の敵を打ち滅ぼし、中華の最強を証明する事だ!闘争はいいぞ!戦いだけが小生を高揚させる!秩序に縛られて碌に力も出せんような、つまらん敵を殺しても面白くない!貴様ほどの素材、最高の状態で味わわなければ勿体ない!欲望を解放し、力を振う事への躊躇いを捨て去り、正真正銘の全力になった貴様を小生の全力で完膚なきまでに蹂躙する!考えただけでもワクワクする!」


 演説を止めないフーロンの声が高揚し、恍惚に満ちる。


「なんなら手伝ってやろうか?ウィリアムだったか?貴様のお姫様に取りついた寄生虫だ。この紅茶と同じくらい不味い素材だが、奴を殺せば少しは踏ん切りもつくう?」


 フーロンがカップの紅茶を地面に零しながら、残酷な嗤いを浮かべる。


 フーロンは本気だ……


 紅茶の代金をテーブルの上に置き、立ち上がった奴はまるでショッピングをするような感覚で、ウィリアムの下に向かい、そして殺すだろう。


 彼を見送れば、もしかしたらティアラが……そう思った瞬間、レイは……


「おぉぉおおおおおおおおおっ!」


 レイはその右拳をフーロンの顔面に向けて振っていた。

 レイを動かしたのは怒りだった……フーロンと自分自身に対する。


「うむ、悪くない……だが!」


 フーロンはレイの拳を軽々と受け止め、右足でレイの鳩尾(みぞおち)を強かに蹴りつける。

 レイは鞭のようにしなる足に反応できず、蹴りをもろに受ける。


 激痛が走る。

 胃液が逆流する。

 肺の空気が全て奪われる。


 人体急所に受けた衝撃で折れそうになる膝を叱咤し、自己回復魔法で治療しつつ堪える。


「ほう……水月への一撃を耐えるか」


 フーロンが心底楽しそうに、まるで無邪気な子供のように笑い、そして……


「今日はここまでだ。ここでは邪魔が多すぎる」


 フーロンはこちらに背を向けた。

 騒ぎに気付いて、警備の兵士達が駆けつけたからだ。


「そこで暴れている貴様ら!住民から通報があった!大人しく詰め所まで来てもらおう!」


 十人ほどの兵士達がレイとフーロンを取り押さえようと殺到する。


「やめろ!奴に手を出すな!」


 レイは咄嗟に叫んだ。

 フーロンの細い糸目に、死にかけの虫けらを見つけた時のような不快感が浮かんだからだ。


「……」


 フーロンが無言で右腕をしならせ、裏拳を放つ。


「ッ!」


 フーロンを取り押さえようとした兵士五人の首がザクロのように弾ける。

 平和な商業エリアの床が真っ赤に染まる。

 飛び散る返り血がレイの頬を濡らす。


「きゃぁああああああああああ!」

「人殺しぃいいいいいいいいい!」

「貴様ぁああああああ!よくも隊長をぉおおおおおおお!」

「全員!かかれぇえええええええええええええ!」


 飛び掛かる兵士と拳を振り上げるフーロンがスローモーションに見える。


 人々の悲鳴が怖い。

 兵士達の絶叫が恐ろしい。

 べっとりと粘つく血糊の感触が不愉快だ。


 全てがこの後起きるであろう絶望的な未来を連想させる。


「防御スクリーン展開」


 レイはフーロンと兵士達の間に、力場の壁を展開。

 兵士達はフーロンの一歩手前で動きを止め、フーロンの拳が空を切る。


「〈フォトンガン〉」


 レイは人差し指でフーロンの眉間に照準を合わせ、躊躇う事無く光線を打ち込む。


「見え見えだ」


 戦いに興奮したフーロンが首を軽く傾け、フォトンガンを躱す。


「面白い!それが貴様の魔法か!」

「〈ビームブレイド〉」


 レイが空中から取り出した光の剣を右手に携え、フーロンを横薙ぎに切りつける。

 フーロンは軽やかなバックステップで躱し、そのままの勢いで大きく後方へジャンプ……民家の屋根の上に退避する。


「兵器を自在に呼び出し操る能力!いいぞ!これこそ小生が望んでいた敵!」

「〈フォトンガン〉」


 歓喜の雄叫びを上げるフーロンに、レイは容赦なく光線を乱射する。

 フーロンはそれをサイドステップで軽々躱す。


「無粋だな!だがその殺気!悪くない!」

「さっさと死ね」


 レイは両手の人差し指から、無数の光線を放つ。


 心が凍る。

 どす黒い感情が沸々と湧き上がる。

 これほど人を殺したいと思ったのはアップル達の時以来だ。


 だが、冷静さを失った殺意だけの光線はフーロンには当たらない。


「このまま戦ってもいいが、お互い準備不足だな。今回はこれでお暇しよう。次会う時は存分に殺し合おう。再見(ザイジェン)、我が最良の(とも)周藤嶺」


 フーロンが満足そうに高笑いしながら、民家の屋根伝いに街の外へと走り去っていく。

 奴を追うべく、レイも走り出そうとしたが……


「待て!貴様はいったい何者だ!」


 レイは新たにこの場に駆けつけた兵士に引き留められる。

 レイの足元にはへたり込み震える兵士達と、先ほどフーロンが殺した兵士の死体。

 おそらく自分が下手人だと勘違いされている。


「自分は……」

「総員かかれ!その男を捕らえよ!」


 

 自分の身元を説明しようとしたが、恐怖に心を支配された兵士達には届かなかった。

 レイは兵士達に取り囲まれ、散々殴られた挙句お縄となった。


 ……秩序に縛られた矮小な俗物。

 フーロンが残した言葉がレイの胸に小さなしこりとなって残った。

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