第二百五話 教官シュターデン
「女王陛下。臣は一度自領に戻らせて頂きます。シュターデン殿、くれぐれも陛下の事、宜しくお願い申し上げます」
タイムスリップから三十日目。
朝日に照らされた王都の北門。
昨日までの曇り空とは打って変わって抜けるような青空。
少し蒸し暑い空気の中、レイ達は赤髪赤目の厳つい武人リーングレイス公爵の背中を見送った。
彼は王都での仕事も一段落ついたとの事で、空の悪魔の襲撃を受けて不安定になった自領を安定させる為に一度帰還するそうだ。
「ふぅ~……なんとか乗り切ったわね」
「ははぁ……そうですね」
ホッと息を吐くティアラを眺めながら、レイは苦笑いを浮かべた。
公爵がいた数日間、ティアラにとってはさぞ居心地が悪かっただろう。
なんせ婚約者の父親、つまり舅がずっと側にいるのだ。
公爵と彼が連れてきた千の兵士が去っていく姿に、肩の荷が下りた想いなのだろう。
それについては同感だが、彼が去った事でこちらもやる事が色々と増えた。
その一つが……
「シュターデン殿!吾輩はフランツ=フォン=ゴドウィン子爵!リーングレイス第三騎馬隊の隊長を勤める上級騎士也!本日より公爵閣下の命により卿の下、空の悪魔から奪取した武器および魔法の訓練に努めさせて頂く!ご指導ご鞭撻のほど宜しく頼む!」
野太くて大きな声にホースシュー(馬蹄型)の口髭が特徴の厳つい金髪ゴリラ男ゴドウィンとその後ろに整然と控えるおよそ百人の騎士達。
公爵が残した置き土産……リーングレイス第三騎馬隊だ。
公爵曰く、彼らはリーングレイスきっての武闘派で武骨で多少気性が荒いが、武芸は達者な強者揃いだとか。
先日の会談で決まった空の悪魔の武器を使う精鋭として選ばれたのが彼らだ。
ゴドウィンはガハハと野太い笑い声を上げながら、ごつくて毛むくじゃらな右手をレイに差し出す。
「シュターデンです。第三騎馬隊は精鋭揃いだと、公爵閣下より聞き及んでおります。こちらこそ宜しくお願いします」
レイはゴドウィンに差し出された手をスッと握る。
手を握った途端、彼の顔が茹でダコのように真っ赤になり、手も汗ばみ、プルプルと震えているような気がするがどうしてだろうか?
「うぅ~~~~~ん!……なかなかやるではないか!」
「ん?何をしているのですか?」
呻き声を上げ、全身全霊を握力に込めているようだが、いったい何がしたいのだろうか?
レイの口から疑問がポロリと漏れる。
「おい……ゴドウィン隊長のくるみ割りが効いてねぇみたいだ」
「マジかよ、ケロッとしてやがる。俺、あれで手の骨にひびが入ったんだぞ」
「どうすんだよ。舐められない為の示威行動が裏目じゃねえか」
自分達の裏で何やら騎兵隊員達がヒソヒソ話をしているが、ゴドウィンの呻き声がうるさくてよく聞こえない。
「シュターデン、ゴドウィン隊長。レクリエーションはその辺にしてさっさと戻るわよ」
レイが頭の上に疑問符を浮かべているところに、ティアラが軽い調子で一言。
彼女のゴドウィンを見る瞳に、薄っすらと憐みが浮かんでいるのは気のせいだろうか?
まぁ、城に帰る為の馬車も待たせているし、深く考えずに従うのが吉だろう。
レイは少し離れた場所に停まっている馬車にティアラをエスコートした後、自分は馬車に乗らず横に待機する。
「シュターデン殿!もしかして馬をお持ちではないのか!?」
ゴドウィンが薄ら笑いを浮かべながら問いかける。
嘲笑されているようだが、おそらく気のせいではないだろう。
「はい、自分は乗馬ができませんので」
レイは正直に答えた。
ゴドウィンは乗馬もできない平民を嘲笑いたいのだろうが、見栄を張っても仕方がない。
どうも、自分は彼から目の敵にされているようだ。
いきなりどこの馬の骨か分からない異邦人の下で働けと言われれば、含むところもあるのだろう。
「はっはぁ~!それではお先に失礼。乗馬もできない騎士殿」
ティアラの馬車に追従して、ゴドウィン達第三騎馬隊の馬が走り出す。
「いえ、ご心配には及びません。一緒に参りましょう。コンバットモード・レッグ」
レイの足が仄かに光を放つ。
体内の魔素により強化されたレイの足はまさに韋駄天。
いつも通り涼しい顔で馬車の少し前を並走する。
「シュターデン……いつも思うんだけど、どうしてわざわざ走るわけ?」
「馬車の中では奇襲を受けた時に初動が遅れます」
「…………」
馬車からヒョイと首を出した不満顔のティアラに、レイは何度目になるか分からない説明を口にする。
少し後ろにはあんぐりと口を開くゴドウィンが何か言いたそうな顔をしているが、取り敢えず無視だ。
「おぉ!シュターデンさんとお城の馬車だ」
「また走ってるよ、あの人。いったいどんな足してんの?」
「今日は騎士様の馬と一緒か。あんまり埃立てんでくれよ」
「お~い!シュターデン!たまにはこっちにも顔出せよな!娘がお前さんに会いたいって首を長くして待ってんだからよぉ!」
「シュターデンさ~ん。今度、ウチの店にも来てねぇ~~。思いっきりサービスしちゃうから~」
流石に目立ちすぎたようだ。
いつものやじ馬達がここぞとばかりにレイに絡む。
ちゃんと住民の言い分を聞いて、騎馬の走り方が少し大人しくなったみたいだ。
流石公爵旗下の精鋭部隊。
主の顔に泥を塗らないように住民の前では品行方正らしい。
「シュターデン?相変わらず人気者ねぇ?」
「…………」
そして何故か野次馬達が現れると、決まってティアラの機嫌が悪くなる。
理由は分からないが、無実なので黙秘を貫いた。
そんなこんなで走る事しばし……
レイを先頭とした大名行列が王城へと辿り着いた。
「お疲れ様です、女王陛下」
「えぇ、ありがとう。部屋までお願いするわ」
「御意」
レイは馬車から降りるティアラの柔らかい手をそっと取りエスコートする。
彼女が馬車の段差を踏み外すとは思えないが、エスコート無しで降りるのは淑女としてはしたないらしい。
こっちに来てからティアラに叩き込まれた所作だが、何回かやったからそれなりに様になっているだろう。
先ほどまでふくれ面だった彼女も今は上機嫌だ。
「シュターデン殿!ちょっと宜しいか!」
ティアラを馬車から降ろしたレイの背中に野太い声。
鼻息を荒くしたゴドウィンがこちらに詰め寄る。
「貴官は女王陛下の騎士ではあるが、異邦人の見習い近衛!女王陛下の護衛とエスコートは上級騎士である吾輩の役目である!」
スケベ心丸出しのゴドウィンが、ティアラの白魚のように滑らかな手を、太くて武骨で毛むくじゃらで男臭い右手が掴もうとする。
だが……
「ウッ!ぶはぁ!コラ!何をす……いだだだだだだだだ~~~~!」
「すみません……反射的に……」
レイが左手でゴドウィンの手首を捻り上げた後、そのまま右手で後頭部を掴み、地面との熱いベーゼを強要する。
当然、ゴドウィンはジタバタと暴れるが、無表情のレイは口では謝りながら、ギリギリと左手の力を強める。
「シュターデン、その辺にしてあげて。それ以上やると彼の腕がもげちゃうわよ」
「……チッ!仰せのままに」
博愛主義のお姫様のご命令に、レイは舌打ちしながらゴドウィンの手を放す。
「貴様!平民風情が上級騎士であり、子爵の吾輩に対して!」
そして手を放した途端、いきり立ったゴドウィンがレイの胸倉に掴みかかる。
いつもならトラブル対応係の癖で、つい謝ってしまうところだが、今は目の前のゴリラが非常に腹立たしい。
「女王陛下、ゴドウィン卿は少々虫の居所が宜しくないようです。少し静かにさせたいのですが、彼を病院送りにした場合、小官は罪に問われるでしょうか?」
「うぅ!何を……痛……」
レイは感情の全てをゴミ箱に投げ捨て、アスも真っ青の機械的で淡々とした口調でティアラに問いかける。
その際、胸倉を掴んだゴドウィンの腕を、ミシミシと締め上げるのも忘れない。
「……後遺症が残らないようにね。彼も一応グリセリアの騎士だから」
ティアラが青く血の気が引いた表情で、半笑いになりながら答える。
(マスターレイ……ティアラ様および騎士達から恐怖によるストレス反応あり)
アスに言われて周りを見渡せば、顔面蒼白になった騎士達。
その様子にレイは心の中で……ほくそ笑んだ。
「第三騎馬隊諸君。改めて自己紹介する。自分は今日から貴官らの教官を務めさせてもらうシュターデンだ。まず始めに言っておくが、自分は貴官らを一切甘やかすつもりは無い!訓練期間中は上官も部下も貴族も平民も一切関係ない!貴官らは一兵卒として自分に絶対服従だ!もしその禁を破ればどうなるか……ゴドウィン卿に身をもって範を示して頂こう!」
レイの漆黒の瞳が爛々と凶暴な光を放つ。
騎士達が携帯端末のバイブレーションのようにブルブルと震え上がる。
勿論、目の前の腕を握りつぶされて悶絶するゴドウィンも含めてだ。
「せい!」
「ぐはぁ!」
ゴドウィンの腕をレイが両腕で抱え込み、一本背負いを叩き込む。
甲冑ゴリラの巨体が宙を舞う。
そして強かに背中を打ちつけられたゴドウィンは、地面にクレーターを作りながら、泡を吹き、白目を剥いて気絶する。
「ふぅ~……他にゴドウィン卿の後を追いたいという忠義の者はいるか?」
レイの問いに騎士達がフルフルと全力で首を横に振る。
「では各自!馬を厩に繋ぎ、自室で荷物の整理を済ませた後に、速やかに訓練場に集合!部屋割りについては侍女長に確認する事!」
サー!イエッサー!
「宜しい!今回は……十五分以内だ!ノロノロするなよ!」
サー!イエッサー!
レイはキビキビと言われた通りに命令を実行する騎士達に満足しながら、ティアラの手を取る。
「女王陛下……ご命令通りお部屋までお供しても……宜しいでしょうか?」
レイは遠慮気味にティアラにお伺いを立てた。
理解力の足りない騎士共に、しっかりと現状把握させたのはいいが、そのせいでティアラを怖がらせてしまった。
声が自分でも分かるくらい弱々しい。
「……えぇ、お願いするわ」
こちらの心配を他所に、ティアラがアメジストの紫瞳を細め、天使のような柔らかい笑みで、レイの手を取る。
「しっかりエスコートするのよ」
「っ!……仰せのままに!我が女王陛下!」
レイは顔がボッと赤くなりそうなのを隠すように、正面だけを向いて歩きだした。
だが、声の上擦りだけは誤魔化せなかったようだ。
ティアラがクスクスと可笑しそうに笑う声と、彼女の滑らかな手の感触だけが、レイの脳みそを支配していた。




