第百九十九話 閑話 公爵の胸中とグリセリアの現状
薄暗い蝋燭の明かりが照らす客間。
ルートヴィヒ=フォン=リーングレイスは座り心地の良い上等な椅子にぐったりともたれ掛かった。
「お疲れのようだな、主よ」
「あぁ、ハク。今回は飛び切り疲れた」
ルートヴィヒは親友の心配そうな声に力なく頷いた。
ハクジャが心配するという事は、自分は余程酷い顔をしているのだろう。
「公爵閣下、ただいま戻りました。随分お疲れのようですが、お加減は宜しいですか?」
「……半分はそなたのせいだ」
シュターデンとの対談での緊張の糸が途切れたところに、今回の戦犯が何食わぬ顔で扉を開く。
「はて?何のことでしょうか?」
「惚けるな……俺はシュターデンを穏便に説得してここに招けと命令したのだ。何故誘惑を使った?スズバヤシの読心術によると、シュターデンは意図せぬハニートラップに大層憤慨していたぞ」
ルートヴィヒは険しい表情でセリカを問い詰めた。
セリカは女王陛下の侍女であると共に、護衛でありスパイでもある。
彼女の霊術誘惑は耐性の無い異性ならほぼ百パーセント、同性でも五十パーセントくらいで魅了できる。
ルートヴィヒだって、本来なら怒鳴り付けているところだが、彼女に対してはそうはいかない。
まったく、味方でも敵でも厄介な事この上ない。
「閣下、その質問は無意味でございます。シュターデンさんはわたくしの誘惑にかかっていながら、平常心を保ち、わたくしの誘いを拒みました」
「……どういう事だ?」
悔しそうに吐き捨てるセリカにルートヴィヒは、疲れた声で聞き返した。
「そのままの意味でございます。シュターデンさんは姫様と違ってわたくしの誘惑にちゃんとかかっていました。おそらく耐性も全くのゼロでしょう。にも拘わらず精神力だけでわたくしの霊術を跳ね除けた……本当に恐ろしい方です」
「……そうか」
セリカが苦々しさと恍惚が綯交ぜになった不可解な表情を浮かべる。
悔しがりながらも内心ではこの状況を愉しんでいるように思えた。
彼女は姫様の前では猫を被っているが、その本性は他人の男を奪うのが大好きなクズ女だ。
特に好きなのは幸せそうなカップルの男を誘惑でつまみ食いをした後にポイ捨てする事。
彼女から言わせて貰えば、霊術如きに心を惑わされる男の方が悪いとか……
こんなゴミみたいな悪女だが、有能で使い道も色々あるから、下手に手放す事も罰する事もできない。
「あの頑固者のシュターデンさんを姫様から寝取れると思うと……ゾクゾクしますわ」
「姫様にバレて斬首刑になっても俺は止めんぞ」
舌なめずりをしながら、恍惚の表情を浮かべるセリカに、ため息を禁じ得ない。
この女が何か問題を起こす前に、自分自身で断罪した方がいいのではと思わなくも無いが、残念ながら彼女を断頭台に掛けるだけの罪状は持ち合わせていない。
ルートヴィヒは頭痛を堪え、全身全霊で知恵を振り絞る。
今、リーングレイスが如何に危機的な状況にあるのかを分かっていない頭の悪い馬鹿女に、簡潔に現状を伝える言葉を探して……
「セリカ……シュターデンについてどう思う?」
「顔は良いですし、将来有望ですし、食べ甲斐のあるいい男だと思います」
「そうか、いっぺん死んでくれ」
ルートヴィヒの口から公爵らしからぬ本音がポロリと零れる。
これには背景に徹していたハクジャも苦笑い。
「そんな……公爵閣下。あんまりでございます。およよ~」
「わざとらしい泣き真似は止せ。虫唾が走る」
いちいち話の腰を折ってくる馬鹿女に癇癪を起こさないあたり、自分はかなり寛容なのだとルートヴィヒは自分で自分の機嫌を取る。
「閣下……拙者が代わりに説明しましょうか?」
「いや、いい。俺がする」
心の底から心配してくれる親友の手前、無様な姿は見せられない。
ルートヴィヒは自らの気持ちを奮い立たせ言葉を紡ぐ。
「まず前提条件から言っておく。我々はシュターデンに慈悲を請う立場にある。端的に言えば、彼の言葉は絶対だ。もし仮に俺が彼の気分を害して、彼が俺に死ねと言えば俺は死ななければならない」
ルートヴィヒは言葉にありったけの力を込め、静かに重く吐き出す。
その言葉に隣のハクジャは勿論、今までふざけていた目の前の悪女も息を呑む。
今の一言で、馬鹿女も自身が如何にやらかしていたのかを理解しただろう。
「空の悪魔が最初に姿を現したのは、隣のフィーナル大陸。奴らはフィーナル最大の軍事国家デスペアを完膚なきまでに破壊した。今までデスペアを支配していた軍関係者は惨たらしい拷問と人体実験の末に処刑。捕らえられた民草は奴隷として使役されるか人体実験の材料、若しくは空の悪魔の慰み者だ」
ルートヴィヒは吐き気を堪えながら、隣の大陸で起きている悲劇を口にする。
隣の大陸の今が、自分達の明日になる可能性が嫌でも頭を過る。
ルートヴィヒは一度深呼吸をし、呼吸を整える。
「デスペアには火薬と呼ばれる爆発する薬を使った強力な兵器があったが、全く歯が立たなかった。おそらく我らの霊術をもってしても手も足も出ないだろう」
ルートヴィヒは絶望的な現実を口にした。
今日の戦いの詳細を連絡官に自ら確認した。
敵は三キロ以上離れた場所から、堅牢な鋼鉄の車による強力な光線で要塞を一方的に蹂躙した。
どんな強力な霊術使いも一キロ以上離れた場所への攻撃手段は持っていないし、鋼鉄を傷付けるほどの威力を持つ霊術は稀だ。
ウィリアムは勿論、国一番の霊術使いでも太刀打ちできなかっただろう。
「その強大な敵をシュターデンは退けた……いや、一人残らず皆殺しにした。この意味が分かるか?」
ルートヴィヒが重々しく二人に問いかけた。
「シュターデンさんの協力を得られなければ、我々は生き残れない?」
「二十点だ、セリカ。スズバヤシはどう思う?」
相変わらず思慮の足りない発言にうんざりしながら、親友に意見を仰ぐ。
「……彼の機嫌一つでルミナスが滅びます」
「七十点」
間違ってはいないがもう一歩だと思った。
いや、ハクジャは読心術でこちらの思考が分かっている。
セリカに状況をしっかり把握させ、馬鹿な真似をさせない為に、敢えて公爵である自分に言わせる気なのだろう。
「正しくは姫様の機嫌一つでルミナスが滅びる……だ」
「!!」
「……」
ルートヴィヒが言い終わった途端、セリカの顔色が真っ青になる。
おそらく、普段の調子で姫様をおちょくったのだろう。
ハクジャが渋面を浮かべるのが何よりの証拠だ。
「シュターデンは姫様に少なからず好意を抱いている。そしてそれは姫様も同様。ここまで言えばどんな阿呆でも、俺が何を言いたいのか分かるだろう」
「…………」
セリカの喉元からゴクリと唾を飲む音が響く。
ようやく自身の馬鹿さ加減に気付いてくれたようだ。
シュターデンは、自分はティアラ=グリセリア=オールドライフだけの騎士だ……と言ってのけるほどに一途だ。
そして推測するまでもなく、姫様はそんなシュターデンを一人の女性として慕っている。
息子の婚約者が横恋慕している状態を喜んでいいかは分からないが、強力な力を持つシュターデンを、普通の女の子らしい優しさを持った姫様が手綱を握っているのは色々と好都合だ。
もっとも普通の女の子らしい感情が悪女のせいで、悪い方向に傾かなければ……だが。
「明日以降、姫様とシュターデンの都合と体調と機嫌を考慮しながら、今後について話し合いをする。セリカ、今後はシュターデンに対して、余計な干渉をしない事。もし、何かあれば……」
「何か……あれば……」
ルートヴィヒが凄みを利かせながら、一度言葉を切る。
セリカが額からダラダラと脂汗を流しながら、言葉を促す。
「人間が感じるありとあらゆる苦痛を与えた後、反逆者として一族郎党断頭台に送ってやる。これは脅しじゃないからな」
「……肝に銘じます」
文字通りの殺し文句に、青ざめたセリカがコクリと頷く。
「結構!それでは明日も早い。そなたも部屋に下がりゆっくり身体を休め給え」
「……御意」
セリカが生気を失った表情で客間を後にした。
これだけ言えば、流石にシュターデンにちょっかいを掛ける元気も残っていないだろう。
ルートヴィヒは悪女の背中を見送った後、再び椅子の背もたれにぐったりと体を預けた。
「ルディ……随分とらしくない脅しだったな」
「あぁ……だが、あれくらい念を入れなくては……我々はシュターデンの慈悲で生かされているのだからな」
そう……立場を履き違えてはいけない。
シュターデンの前では公爵などという身分など一切意味を為さない。
彼にはそれだけの力がある。
「勇者に対して石を投げれば、相応のしっぺ返しが待っている。我々は弁えなくてはいけないのだ」
物語の勇者が人々を救うのは、物語の都合上勇者が寛容と慈悲の人間と定義づけられているからだ。
だが、ここは現実。
シュターデンという実際に存在する一つの人格に理想を押し付け、空想の善意を求めれば間違いなく破綻する。
破綻の先に待っているのは……ルミナスの滅び。
「彼は惚れた女の為に戦う……どこにでもいる青年なのだよ」
ルートヴィヒはポツリと呟いた。
自分がそうであるように、今の息子がそうであるように……ルミナスを守る勇者がそうであると願って。




