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第百九十七話 決意表明

 セリカがティアラを呼びに行ってから、無言で待つ事およそ十分。

 本当に寝間着姿のティアラが慌てた様子でオーク材の扉をガタンと開いた。


「シュターデン!何も言わずに勝手に居なくなってどういう了見!どれだけ心配したと!」


 着の身着のままのティアラが開口一番レイを怒鳴り付けた。

 そのアメジストの紫瞳には薄っすらと涙が滲む。


 よほど心配したのだろう。

 それから間髪入れず、ティアラがレイの懐に飛び込んだ。


「女王陛下……公爵閣下もいらっしゃいます」

「うぅ……知らないわよ!馬鹿!なんで最初にワタシのところに来ないのよ!あなたはワタシだけの騎士でしょう!」


 ティアラが鼻をすすりながら、涙と鼻水でグチョグチョになった顔をレイの胸元に擦り付ける。


「すまない、ティオ。心配を掛けた」


 レイはティアラの耳元だけにそっと呟いた。


「うるさい……あなたはもっと……ワタシの騎士としての自覚を持ちなさいよ…………」


 胸の中のか細くてくぐもった声は宙を舞い、レイの耳に届いた後、淡く消える。


 彼女の涙声を聞いていると、胸が苦しくて、切なくて…………レイは衝動的にティアラを抱きしめた。


「コホン!お若いの!仲が良いのは結構だが、場所を弁えてもらえないか」


 野太い咳払いが一つ。

 公爵の不機嫌そうな声にレイは我に返る。


「女王陛下?」

「ぐすっ……分かってる……わよ」


 レイは恐る恐るティアラの顔を覗き込む。

 涙と鼻水塗れでとても見せられたモノではない。

 ぐずる彼女の顔を、レイはハンカチでいそいそと拭う。


「……女王陛下。貴女様には我が息子ウィリアムという婚約者がいたはず。これはどういう事かご説明頂いても?」


 ルートヴィヒが険しい表情でティアラを問い詰めた。

 きっと彼の頭からは、レイの素性とか、アスとか、どうやって空の悪魔を退けたのかとか、諸々の事は吹き飛んでいる事だろう。


「そ……それは……」


 ティアラは言葉を詰まらせた。

 まぁ、どこからどう見ても言い逃れようの無い不倫現場だ。

 婚約者の父親の前で堂々とこんな事をしてしまえば、間男のレイでは打開策など思いつかない。


「……まあ、そちらのシュターデンは我が息子と領民の恩人だ。細かい事でとやかく言うまい」


 険しい表情から一転。

 公爵閣下は小さく笑みを浮かべながら、寛大に不問に付してくれた。

 その事にレイとティアラが目を丸くしていると……


「陛下、シュターデンさん。してやられましたね」


 レイ達の耳元でセリカが小さく耳打ち。

 その声色はとてもスパイとは思えない程、ティアラを心配するような口調だった。


「本来、シュターデンさんの手柄は、国を挙げて称えなければならない偉業です。当然、救われたリーングレイス領はシュターデンさんに対して莫大な褒賞を用意しなくてはなりません。それを今回のやり取りでチャラにしたのです」


 セリカが眉をへの字に曲げながら言い終わると、ティアラの表情が目に見えて曇る。


「……ごめんなさい、シュターデン」

「…………気にしないで下さい」


 ティアラが後ろめたそうに俯いた。

 心底申し訳なさそうに謝罪するティアラを見ていると、こちらまで息が詰まりそうになる。


 本当に喰えない主従だ。

 敢えてセリカに説明させる事で、ティアラに罪悪感を植え付けて、交渉を有利に進めようとしている。


 レイにとって、褒賞は心底どうでもいいというのに……


 正直な話、レイは地位や名誉や金銭には一切興味が無かった。

 そういうモノはあれば便利だが、時として身を縛る鎖にもなる。


 ティアラを守るのにはあった方が便利かもしれないが、トワ達を探す場合や空の悪魔と戦う場合は却って邪魔になる事の方が多い。

 はっきり言ってしまえば、ティアラの見習い近衛騎士というのが、レイが許容できる立場のギリギリなのだ。


「ほぅ……褒賞はいらないか?」

「はい、正直邪魔です」


 面白い玩具を見つけた子供のような口調のルートヴィヒに、レイはきっぱりとノーを突きつけた。

 どうせ嘘をついてもハクジャに見破られる。


「フフッ!そうか!権力はいらないか!フハハハハハァ!こりゃ愉快だ!」


 ルートヴィヒが心底楽しそうに高笑いした。

 きっとレイの答えは彼にとって予想を外れたモノで、普段何でも思い通りになる公爵閣下にとっては面白いモノだったのだろう。


「閣下」

「おぉ!スマンスマン」


 今まで背景に徹していたハクジャが腹を抱えて笑い転げる主を窘める。

 部下の諫言を聞き入れ、ルートヴィヒが息を整え、今度は真剣な表情でレイとティアラに向き直る。


「女王陛下。単刀直入に伺います。王都を守ったのはシュターデンですか?」


 ルートヴィヒの問いに、ティアラが一瞬言葉を詰まらせ、こちらに目配せする。

 おそらく、自分との約束を気にしているのだろう。

 レイは話してもいいという意味を込めて、彼女に小さく頷いた。


「えぇ……リーングレイス卿の想像通り。王都と()()()を救ったのはシュターデンよ」


 ティアラはルートヴィヒの言葉を強く肯定した。


「なるほど……それなら色々と納得もいく」


 ルートヴィヒが厳つい顎を手で触りながら、思案顔で頷く。


「シュターデンよ。そなたは異邦人だと聞くが、何故女王陛下をお救いした?」

「成り行きです。たまたまそこに居合わせて、助けられたから助けただけです」


 ルートヴィヒの問いに、レイはありのままに答えた。

 何故か、隣でティアラが落胆した表情を浮かべているが、これが本心だから仕方がない。


「では何故、未だに女王陛下に仕えている?」

「両親を亡くしたばかりの女の子を助けたいと思ってはいけませんか?」


 レイの答えにまたしてもティアラが落胆の表情を深めた。

 彼女がどんな答えを求めているのかは知らないが、ハクジャの手前、嘘は吐けないのだから仕方がない。


 一方、ルートヴィヒはハクジャと二、三言葉を交わしていた。

 おそらく、心を読んだ結果の確認だろう。

 それからほんの少しの沈黙を挟み、神妙な顔つきのルートヴィヒが言葉を紡ぐ。


「女王陛下、畏まって申し上げます。(しん)はシュターデンの強大な力を野放しにするのは危険と判断致します。つきましては、彼に然るべき地位を与え、王国の監視下に入れる事が最良と愚考致します」

「…………」


 レイは堪らず眉をひそめた。

 おそらく、ハクジャの能力で地位に付随するしがらみが、レイにとって邪魔なのは知っているはず。

 敢えてそれを押し付け、不和をもたらそうとする彼の意図が分からない。


「何故、そう考える?」


 ティアラは女王らしく凛とした口調で、公爵に問いかけた。


「彼が付くべき地位は自由騎士です」


 公爵の言葉にティアラはハッとした表情を浮かべた。


「セリカさん、自由騎士とは?」


 レイが努めて淡々とした口調で問いかけた。


「自由騎士とは、王国の管轄に入り、騎士としての身分を持ち、王国が生活の保障をしますが、平時は特に任務は無く、有事の際などに王国の求めで任務に就く……言ってしまえば非常勤の騎士です」


 セリカが必要以上にこちらに顔を近づけて、吐息混じりに耳元でささやく。

 この悪女……まだ自分を篭絡できるつもりでいるのだろうか?

 隣のティアラが、何故か不機嫌になっているので止めてもらいたい。


「どうだろう?シュターデン。これならば、そなたの利害に反しないと思うのだが?」


 ルートヴィヒが小さく口元を緩めながら、レイに問いかける。

 おそらくこれが最大限の譲歩なのだろう。

 父親として息子の婚約者の近くに目障りな虫を置いておけるわけがない。


「閣下。自分の今の地位は女王陛下の見習い近衛です。自分の意思で自分の所属をどうこうする権限は軍人にはありません」


 レイは体の中にこびり付いた軍人としての言葉を口にした。

 専制政治だろうと民主政治だろうと、軍人が好き勝手しては秩序が保てなくなる。


 レイは銀河同盟を離反したがそれは銀河同盟が人道に反したからだ。

 だが、それでもレイは軍人。

 人道に反しない限り、軍人は政府に従うべきだと思っている。


 レイはティアラに向き直り、アメジストの紫瞳を真っ直ぐ見つめ、そして一礼した。

 政府の最高責任者……すなわち女王陛下に信頼を持って意見を求めた。


「……確かにシュターデンは近衛よりも自由騎士として、王国の為に働いてくれた方が良いのかもしれません」


 ティアラは女王として、最良と思える答えを口にした。


「ですが……ワタシ個人としては今まで通り、シュターデンにはワタシの側近くで仕えて欲しいと思っております」


 今度はティアラという、一人の少女としての願いを口にした。


「シュターデン。あなたは異邦人ですし、あなたにはなすべき事があります。だから今回に限り、あなた自身で選んで下さい。自由騎士としてこの国の為に働くか、今まで通り近衛として私に仕えるのか……」


 ティアラはいったん言葉を区切り、大きく息を吸い込んだ。


「それとも……こんな煩わしい国なんて放り出して、あなたのやりたい事をやるのか」


 ティアラは涙を滲ませながら、第三の選択肢を用意してくれた。

 彼女はレイの出自の全てを知っている。

 レイが未来人である事も、レイの目的が空の悪魔を倒して元の時代に戻るという事も、はぐれた仲間を今すぐにでも探しに行きたいと思っている事も……


『ワタシにはもう……あなたしかいないのに!』


 レイの頭にティアラの悲痛な声が過った。

 荒れ果てたサンディアンの草原で聞いた、独りぼっちになった幼子の声。

 第三の選択肢を与えてくれたティアラの声は、あの時の幼子と同じだった。


 レイの心は……最初から決まっていた。


「お言葉に甘えて申し上げます。自分はティアラ=グリセリア=オールドライフという、ただ一人の女性に仕える騎士でございます」


 レイは何者にもはばかる事無く、高らかと宣言した。


「それが……そなたの答えか?」

「はい」


 鋭い眼光でこちらを睨み付けるルートヴィヒに、レイは真っ直ぐ答えた。


「ふぅ……一先ずそなたが王国に敵対する心配が無くてホッとした」


 今まで威圧的な態度だったのが一変。

 ルートヴィヒが心底疲れた表情で大きく息を吐いた。


「試すような事をして申し訳なかった。ルミナスの最高戦力が我らに牙を剥かないか……それをどうしても確認しておきたかったのだ」


 ルートヴィヒがレイとティアラに深々と頭を下げた。

 レイは言われてハッとした。

 ルミナス人が束になっても勝てなかった空の悪魔を撃退した自分は、ルミナス人にとっても脅威の対象。

 レイが安全かどうかを確認したいのは為政者として当然だろう。


「女王陛下。どうやらシュターデンは貴女以外には御せないようです。責任重大でございますよ。何せ貴女の手腕次第でルミナスの命運がどうにでも転がるのですから」


 ルートヴィヒがニヤリとからかうような表情をティアラに向けた。

 その瞬間、ティアラの顔が夕焼けのように真っ赤に染まる。


「今日はもう遅いですし、空の悪魔の対策については明日以降にしましょう。セリカ、二人を自室までお送りしろ」

「御意」


 ルートヴィヒの言葉に、セリカが慇懃に一礼する。

 レイとティアラはセリカの先導で客間を後にした。


「ありがとう……レイ」


 扉がパタンと閉まる音に重ねて、ティアラが顔を真っ赤にしながらポツリと呟いた。


「言っただろう。仲間と合流し、空の悪魔を倒すまでは、この命に代えても君を守ると……」


 レイは心臓をバクバクと鳴らしながら、改めて自分の決意を口にした。

 それはサンディアンの草原での約束。

 世界の美しさを教えてくれた女性(ティアラ)に捧げた誓いの言葉だった。

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