第百九十四話 確信
王都グリセリア王城、ティアラの私室にて。
レイが戦闘を終えた頃と時を同じく。
女王ティアラ=グリセリア=オールドライフは心底不機嫌だった。
「あの狸オヤジ……」
グリセリア王国の重鎮ルートヴィヒ=フォン=リーングレイス公爵との昼食会談は、終始ティアラが押される形だった。
まずは空の悪魔に王都の襲撃を許した事による責任と今後の対策について。
次に王都の復興について。
それから、ティアラの警備、生活など身の回りの事について。
最後に前国王夫妻、則ちティアラの両親の国葬について。
ティアラはこれら全てに満足に答える事ができなかった。
今までこれら全てをレイが補佐してくれていた。
空の悪魔はレイが撃退してくれた。
王都の復興はレイの馬鹿力と土の精霊の力というパワープレイで押し切った。
ティアラの世話だってほとんどをレイがしてくれている。
両親の埋葬だって……
だが実際問題、これらは全てティアラがしなくてはいけない事だった。
『女王陛下。貴女様はまだ玉座について間もないから致し方ないのかもしれませんが、これらは全て女王陛下が行わなくてはならない責務。もし手が足りずにお困りでしたら、我らとしても最大限お助けする準備ができております』
堅苦しい言葉で淡々した口調は、不甲斐ない主君を嘲笑っているように見えた。
『お前の手には余りそうだから、自分が手を貸してやるぞ。なんだったら王を変わってやろうか?』と上から目線で詰め寄られているみたいで、王族としてのプライドを酷く傷つけられた。
自分が不甲斐ない事は分かっている。
それでも父と母が愛したグリセリアは自分の手で護りたい。
でも……
「ワタシ……レイに頼ってばかりだ」
今日まで何とかグリセリアが回っていたのは全てレイのおかげ。
王都が無事なのも、復興が順調なのも、ティアラが人間らしい生活ができているのも全て……
「……もどかしいわね」
ティアラはポツリと呟いた。
レイの功績を公に出来れば……
レイはティアラの騎士。
臣下の功績は則ちそれを取り立てた主君の功績。
彼の功績を公言できさえすれば、諸侯のティアラに対する不信感も少しは薄れるだろう。
だが、それではますますレイに……英雄シュターデンに依存する事になる。
何より彼の功績を公言しないという、彼との約束を反故にする事になる。
それだけはレイとの信頼を失わないという打算的な部分と、ティアラ自身の矜持の両面でやるべきではないと思った。
「アス……今、レイはどこ?」
ティアラはレイから貰ったプラチナのネックレスに話しかけた。
レイ曰く、このネックレスにはレイやアスと話す為の通信機というモノが入っているとか。
……まったく、情けない。
こんな時でもレイに慰めてもらおうとしている。
自然と声のトーンも下がる。
(ティアラ様。マスターレイはただいまお昼寝の真っ最中。何人たりとも起こすなと厳命されております)
ティアラは脳内に響く淡々としたアスの声にギョッとした。
レイがこんな時間に……しかも賓客が来ている最中に眠るなんて異常事態だ。
しかもアスがそれを咎めるでもなく、むしろ庇い立てしている。
「レイに何かあったの?」
(それについてお答えする権限を私は持ち合わせておりません)
アスが明確にティアラの質問を拒絶した。
ティアラの頭にカァっと血が上る。
二人は明らかに隠し事をしている。
「ねぇ、なんで答えられないの!もしかして浮気!」
ティアラは自分自身が何を言っているのか訳が分からなかった。
目の前が真っ赤になって感情が制御できなかった。
真っ先に頭を過ったのはセリカだった。
彼女はレイに猛烈にアタックしていた。
自分には無い胸をレイの腕に押し当てているのを見逃さなかった。
レイだって年頃の男だ。
そういう事に興味津々だろうし、誘われれば拒む理由なんてない。
(ティアラ様。マスターレイの名誉の為に申し上げますが、マスターレイは本当に眠っておられます)
ティアラは脳内に響くアスの声にゾッとした。
氷柱のように冷たくて鋭い声色には、明確な怒りが含まれていた。
(ティアラ様。マスターレイはあなたの所有物ではありません。もしあなたがマスターレイの人格を傷付けるような発言をするのであれば、私にだって考えがあります)
「……ゴメン……なさい」
ティアラは深い後悔と共に、素直に頭を下げた。
アスが怒っていると思っていたが、それはティアラの思い違いだった。
アスは激怒していた。
それこそ、ティアラが主を傷付ける外敵だと認識する程度に……
ティアラは触れてはいけないアスの逆鱗に触れたのだと、自分の愚かさに恥じ入った。
(ティアラ様。マスターレイは間違いなくあなたの味方です。例え私があなたを嫌ってもマスターレイはあなたの味方であり続けるでしょう)
アスの声色がいつもの淡々とした口調に戻る。
(だから私もあなたの味方であり続けます。だからどうか……マスターレイを信じてあげて下さい)
アスの静かな願いに、ティアラは黙って頷いた。
彼の忠誠心……いや、友情は本物だ。
自分が頭を下げた事で、穏やかになるアスの口調がレイへの想いの強さを滲ませていた。
(そもそもあなたに浮気云々をとやかく言う資格はありません。あなたには婚約者がいるのですから)
「…………」
ティアラは言葉を失った。
やっぱり怒っている。
でも正論だ。
婚約者がいる自分にレイの事をとやかくいう資格は無い。
いい加減はっきりさせないといけないのかもしれない。
「ははぁ……お父様、お母様……女王様……辞めちゃってもいいのかなぁ?」
ティアラはできもしない事を夢想した。
女王様なんて辞めて、一人の女として好きな人と結ばれる。
そんな当たり前の幸せに想いを馳せてしまった。
「女王陛下!連絡官より火急の知らせです!」
乱暴に扉を開く音と共に飛び込むセリカの金切り声。
連絡官とは霊術の一つ〈念話〉で遠方との情報のやり取りをする官吏の事。
空想の世界に旅立ちつつあったティアラの思考が現実に戻される。
「何事ですか!騒々しい!」
「申し訳ありません……」
ティアラの叱責にセリカが頭を下げながら言葉を続ける。
「リーングレイス領が空の悪魔に襲撃されました」
「エッ!」
ティアラの頭が真っ白になった。
「う、ウィリアムは!」
ティアラは真っ先に婚約者の安否を気遣った。
国を統べる女王として最初に気にすべき事は民の安否と被害状況のはずなのに……
……結局、私人としての情を捨てきれないのか?それともウィリアムに未だに幼い恋情を抱いているのか?
本当に幼い頃はウィリアムの事が大好きだった。
将来、ウィリアムと結婚するのが楽しみだった。
だが自分が霊術を使えないと知り、何でも完璧に熟すウィリアムと比較されるようになり、次第にウィリアムの事が嫌いになった。
月日が流れ、つまらない嫉妬も婚約者への尊敬と言う形でなんとか折り合いをつけた。
決して心がときめかない婚約だったが、それなりに幸せを見出せた。
そんな矢先に出会ったのが……レイだった。
「ウィリアム様はご無事です」
セリカの声にティアラは我に返る。
心底ホッとした。
どうやら、ウィリアムは上手く空の悪魔を撃退してくれたみたいだ。
「被害状況は?」
幾分か冷静さを取り戻したティアラは女王らしくセリカに問いかける。
「ミシディア砦は壊滅。シャンティン要塞も半壊状態。死傷者は少なく見積もっても三万人以上。被害額は百億オルディオを超えると試算」
「そう……王都からの救援は?」
「現状、王都も復興したばかりで余力がありません。ミシディア砦は放棄。防衛機能をシャンティン要塞に移すより他ないでしょう」
「そう……よね」
ティアラは被害の深刻さを聞き、暗澹とした気分で言葉を漏らした。
「それから、これは不確定な情報ですが……」
沈んだ表情のティアラに、セリカが煮え切らない声で話を続ける。
「シャンティン要塞の戦場で、奇妙な白い鎧を纏った怪人が空の悪魔と交戦したとか」
「!!」
ティアラの表情が驚愕で固まった。
「……報告は……それで全部?」
「……はい」
震える声のティアラに異変を感じたのだろう。
セリカは恐る恐る頭を下げる。
「ありがとう……もう下がってもいいわ」
「……失礼します」
セリカがもう一度、深々と頭を下げ退室する。
「……アス?レイは今どこに?」
ティアラは震える声で呟いた。
(マスターレイはお昼寝中です)
アスの答えは変わらなかった。
「レイは……無事?」
ティアラは涙声で質問を変えた。
(まったくの無傷です)
アスの答えは淡々としていた。
「そう……よかった…………」
ティアラのアメジストの紫瞳からボロボロと大粒の涙が零れた。
ただただ安堵した。
そして確信した。
…………ティアラ=グリセリア=オールドライフは、レイ=シュートを愛していた。




