第十二話 観測者との接触
嶺は真っ黒な空間にいた。
光も無い。
音もない。
空気も無い。
イフリートに焼かれた痛みも無い。
ここがあの世か?
嶺は強烈な眠気と疲れからその場に寝転んだ。
『レイ=シュート。残念ながらここはあの世じゃないよ』
無邪気な少年の声。
直接脳に響くような声。
驚きの中、嶺は慌てて飛び起きた。
『初めまして、マスター。お会いできて光栄です』
今度は妙齢の女性の声。
姿を現さない得体の知れない相手に嶺は警戒心を強める。
『案ずるな。我らはもうマスターの目の前におる』
今度は威厳に満ちた老人の声。
目の前に広がるのは暗闇。
嶺は漆黒の空間を訝しげに睨みつけた。
『思ったよりも鈍いのう。ほれ、目の前の漆黒こそが我らよ』
今度は飄々とした老婆の声。
嶺は小馬鹿にされた不快感に眉をひそめた。
(AS03応答しろ)
嶺はこの状況に陥った段階でAS03に状況分析を命令していた。
だが返って来たのは沈黙。
『無駄ですよ。マスターのAIには少しの間黙って貰っていますから』
今度は可愛らしい少女の声。
それはとても聞き覚えのある声だった。
『この声はお気に召したみたいですね。ではこの姿にしましょう』
目の前の漆黒が姿を変える。
黒い斑点が波打ち、蠢き、渦巻き、重なり、溶け合い、そして漆黒の少女に姿を変容する。
「……杏」
『あぁ。この子、杏っていうのですね。マスターの記憶から拝借したのですが、お気に召しましたか?』
ニコリと微笑む少女。
色こそ真っ黒だが姿も声も仕草まで、正真正銘嶺の妹、杏のモノだった。
「何の用だ?」
妹の姿を騙る無粋で得体の知れない存在に苛立ちを覚えながら、低く鋭い声で問いかける。
それに対して漆黒の少女はクスクスと笑う。
『マスターって思ったよりだらしないのですね。まさかイフリート如きに後れを取るなんて』
「何の用だと聞いている?」
『せっかちですね。気にならないのですか?トワ様がどうなったか?』
「まさか!」
嶺の脳内に最悪の光景がよぎる。
そんな彼を嘲笑うように漆黒の少女はまたクスクスと笑う。
『ご心配には及びませんよ。イフリートは無事トワ様と契約しました』
「そうか」
心底ホッとした気持ちで息を吐く嶺。
『我々も協力したのですから、少しは感謝して下さいね』
クスクスと笑いながら、嶺の反応を楽しむ漆黒の少女。
『それでは先ほどの質問にお答えしましょう。まず、改めて自己紹介から。我々はこの惑星ルミナスでいうところの魔素。マスターが認識するところのナノマシンサイズの有機生命体です』
嶺はピクリと眉をひそめた。
漆黒の少女はその反応に面白そうに微笑する。
『呼称が無いと不便ですし……杏って呼んでみますか?』
「ふざけるな」
おどける漆黒の少女。
妹の猿真似に、嶺は心底不快な気持ちで言葉を吐き捨てた。
『あら、お気に召さないようで。それでは観測者とでもお呼び下さい』
黒の少女改め観測者はクスクスと笑う。
「癇に障る笑いだ」
『あら、ごめんなさい。マスターの記憶にある杏は、あなたが失敗するとこうやって馬鹿にしておりましたから』
「…………」
似せる気があるのかどうかも分からない猿真似だった。
不快感を示しても辞めない観測者を嶺は無言で睨みつける。
『あぁ、どうかお許し下さい。我々はしょせんナノマシン生命体。人の感情というモノは理解し難いモノなのです』
観測者が大仰な仕草で許しを請う。
その顔には先ほどと同じ笑み。
道化師の様な仕草も相まって嶺の神経を逆撫でする。
嶺に睨まれた事で流石にふざけ過ぎたと察したのか。
観測者は居住まいを正し、真っ直ぐ嶺を見据える。
『単刀直入に申し上げます。マスターにこの星を救って頂きたいのです』
観測者はパチンと指を鳴らす。
途端、黒い空間が蠢き、出来上がったのは巨大な映像スクリーン。
「これは……」
『この惑星の三百光年先で実際に起こっている出来事です』
そこに映し出されたのは広大な宇宙空間。そして……
「宇宙艦隊……旗艦グングニル……アークライト隊」
嶺は驚愕した。
それは嶺が所属する宇宙艦隊と謎の生命体バグが交戦する映像。
しかも宇宙艦隊の中に嶺が良く知る漆黒の巨大戦艦があった。
『マスター?この艦隊をご存じで?』
「…………」
嶺は言葉が出なかった。
今バグと交戦している艦隊は嶺の上司。
最強の艦隊士官ゲイリー=アークライトの旗艦……宇宙艦隊は本気だ。
嶺が呆然とする中、返事が無い事に観測者がため息を吐きながら話を元に戻す。
『ここはマスター達銀河同盟が外宇宙と呼ぶ場所。そしてマスター達がバグと呼んでいる存在は我々の同胞』
嶺の思考は停止した。
情報量が多すぎて話についていけない。
『我々は魔素。我々はシュターデンの観測者。我々は待った。シュターデンの因子を持つ者。『救星の種』を……』
呆然とする嶺を置き去りに、観測者は懇願する様に叫んだ。
観測者は初めて感情らしい感情を表に出した。
『レイ=シュート!我らがマスター!どうか、空の悪魔からルミナスをお救い下さい!』
次の瞬間、映像スクリーンに映し出されたのは、想像を絶する光景だった。
「……これは?」
『過去に実際に起こった出来事。そして近い未来に起こるかもしれない出来事です』
空から地上を焼く宇宙戦艦。
略奪と破壊の限りを尽くす軍隊。
泣き叫ぶルミナス人を殺し、奪い、犯し、暴虐の限りを尽くす軍人。
これはまるで……
「暗黒の歴史」
嶺は言葉を失った。
その光景は歴史の授業だけで語られる宇宙艦隊の汚点。
それがどうしてこの未開惑星で……
『マスター!我々は戦った。今も戦い続けている!でも……それももうすぐ限界を迎える!だから……どうか……』
妹と同じ声で……妹と同じ姿で懇願する観測者。
嶺は混乱の極みにいた。
意味不明だった。
善悪が逆転したような気分だった。
未開惑星で見せつけられる宇宙艦隊の悪逆非道。
今まで敵対していたバグにマスターと崇められ、今まで味方だった宇宙艦隊を裏切れと……
ゲイリー=アークライトと戦えと唆される……
だが何故だろう?
拒否しようという気持ちは生まれなかった。
嶺は懇願する観測者に偽りを感じる事ができなかった。