第百十三話 交渉
深夜。
首都セイレーン郊外の森、グレイプニル着地地点にて。
レイは一人、コックピット内のコンソールを操作していた。
「アス、星間通信機の調整はどうだ?」
『準備完了、いつでも通信可能』
静寂の森を無機質な機械音声だけが響き渡る。
寄り道後、レイ達は急いで宿屋に戻ったが、アヤメの体調は戻っていかなかった。
今日はもう遅いし、アヤメをもう一度グレイプニルに載せるのは酷だという話になり、結局宿屋で一晩明かす事になった。
レイはトワ達が寝静まったのを見計らって、一人抜け出したのだが、その目的は……
『マスターレイ。宇宙艦隊旗艦グングニルより応答あり。回線を繋ぎます』
アスの声と共にグレイプニルに搭載された星間通信機の回線が繋がる。
『こちら宇宙艦隊所属、戦艦グングニル。貴公の所属と姓名は?』
「宇宙艦隊第二十三外宇宙探索部隊戦闘艇パイロット周藤嶺大尉」
『確認する……記録にはバグとの戦闘中MIA(戦時中行方不明)になったとあるが』
「バグとの戦闘でフェンリルを破損。本惑星ルミナスに不時着した」
『戦闘宙域から三百光年も離れた惑星にか?』
「それについてはこれから説明する。ゲイリー=アークライト大佐への取次を要請する」
久しく忘れていた感覚。
レイは宇宙艦隊パイロット周藤嶺に戻った自分に僅かな違和感を覚えた。
グングニル通信士の無機質な声に、自分も感情のこもらない無機質な言葉で事実だけを語る。
通信士は思考を制限された白痴兵だろうけど、今の周藤嶺も彼と何ら変わらない。
気持ち悪い。
自分が自分でないみたいだ。
これならトワの機嫌を損ねて、胃の痛くなる想いをしながら、なんとか御機嫌取りをしていた昼間の自分の方が百倍マシだ。
そんな事を考えながら待つ事、数十秒。
『こちら宇宙艦隊グングニル艦長ゲイリー=アークライト大佐。貴官は周藤嶺大尉で間違いないか?』
通信機から聞こえる懐かしい声。
野太く、堅苦しく、神経質で頑固な職業軍人を絵に描いたような声。
もう聞けるとは思っていなかった声。
レイの中にいるまだ幼い嶺が涙を零しそうになる。
「肯定です。自分は宇宙艦隊第二十三外宇宙探索部隊戦闘艇パイロット周藤嶺大尉で間違いありません」
震えそうになる声帯を必死に制御しながら、努めて淡々とした口調で応える。
『そうか。周藤、よく無事だったな』
ゲイリーがホッとした様に息を漏らす。
口調こそ堅苦しいが、その声は微かに震え、隠し切れない優しい安堵が滲み出ていた。
「大佐。お話があります」
『分かっている。フェンリルが墜落したのだろう。至急救助隊を派遣する』
「いえ、違います。惑星ルミナスについてです」
レイは努めて自分の感情を押し殺した。
ゲイリーと話せたのが嬉しい。
ゲイリーが自分を助けようとしてくれている事が嬉しい。
だが、同時に悲しい。
自分はゲイリーと……戦わなければならない。
『……それはグングニルに戻ってからではダメなのか?』
「はい」
ゲイリーの声に不安と落胆の色が浮かぶ。
せっかく助けられると思った生存者から待ったがかかったのだ。
何かのっぴきならない事情がある事くらいは想像できたのだろう。
「アークライト大佐。惑星ルミナスが魔素……バグの発生源だという事は御存じでしょうか?」
『……知っている』
ゲイリーの口調に固さと神経質さが帯びる。
ゲイリーおじさんからゲイリー=アークライト大佐に切り替わったのがはっきりと分かった。
「単刀直入に申し上げます。宇宙艦隊の外宇宙進出とルミナスへの進行を中止して下さい」
『…………理由は?』
ゲイリーの声が険しさを増す。
レイの具申は完全に軍令違反。
銀河同盟に戻れば、軍法会議は避けられない発言だ。
正当な理由無しでこんな事をすれば、良くて牢獄、悪ければその場で銃殺刑だ。
レイは緊張で震える身体を心の中で鼓舞しながら、いつもの鉄面皮を被って淡々と言葉を紡ぐ。
「惑星ルミナスには原住民であるルミナス人が暮らしております。ルミナス人はバグの事を魔素と呼び、魔素を使った魔法と呼ばれる技術で独自の文明を築いております。もしも宇宙艦隊がバグを排除した場合、ルミナスの文明は失われ、原住民に多くの犠牲が出るでしょう。これは銀河同盟憲章に明記された未開惑星不可侵条約の精神に反します」
『…………』
レイの答弁に返って来たのは沈黙。
おそらく、レイの言葉の真偽を吟味しているのだろう。
「加えて、ルミナスには昔、外敵から侵略を受けたという歴史的背景があります。バグはルミナス人が防衛の為に作ったモノであり、積極的な攻撃の意図はありません。銀河同盟が外宇宙に進出するにしても、まずはルミナス人と友好関係を結ぶ為の時間が必要だと愚考致します」
レイは固い口調で言葉を締めくくった。
通信機越しに聞こえるゲイリーの呻き声。
彼は宇宙艦隊艦長として、重大な決断を迫られているのだ。
レイは沈黙し、ゲイリーの答えを待った。
『周藤大尉。情報のソースは?』
「ルミナス人とバグからであります」
『それを信じる証拠は?』
「支援AI、AS03のデータを送信致します。そこにルミナスで自分が見聞きした全記録とルミナスを侵略した侵略者の残党との交戦記録が入っております。そちらを確認した上で銀河同盟本部に判断を仰いで頂ければ幸いです。以上、通信を終了致します」
『おい!待て!周と……』
レイはゲイリーの制止を無視して通信を切り、データを送信した。
『マスターレイ。データの送信完了』
「……ご苦労」
『…………ありがとうございます。マスターレイ』
レイはアスに労いの言葉を掛けた。
考えてみれば、今までアスに感謝の言葉を伝えた事は無かったかもしれない。
戸惑った様に遅れて返って来た機械音声にレイは思わず苦笑した。
「アス……この惑星に来て変わったな。君も、自分も……」
レイは空を見上げ、物思いに耽った。
目の前の煌めく星空もだいぶ見慣れてきた。
「ここから銀河同盟本部まで、超々光速通信でも十日はかかるだろう。その間にシュターデンの遺物を手に入れれば」
通信機が示したルミナスとグングニルの距離はおよそ十光年。
もう目と鼻の先だった。
マオの警告が無ければ、ゲイリーと話す前に戦端が開かれていたかもしれない。
内心ゾッとしたが、今回の交渉で最低でも十日の猶予を得られただろう。
シュターデンの遺物がどんなものなのかは分からない。
だが魔素と魔法を作り出したシュターデンのとっておきなら、グングニルとの交渉に使えるくらいには強力だろう。
それを持って交渉に当たればきっと……
この時レイは、そんな楽観的な事を考えていた。