第百十二話 男同士の話
時は夕方、所はリシュタニア教会総本山であるリシュタニア神殿入口。
レイはクオンの迎えに来た。
「……どうしました、レイ様?酷くお疲れの御様子ですが?」
「いえ……どうぞお気遣いなく」
マオとの会談を終え、トワの御機嫌取りも無事に終えたレイだが、現在グロッキー状態。
これから旅という事もあり、いつもよりも簡素で動きやすい一般人の様な服を着た亜麻色髪の優男は、心配そうな表情でレイの顔を覗き込む。
「宜しければ、〈チャージ(疲労回復魔法)〉をかけましょうか?」
「いえ……そこまでしてもらう必要はありませんので」
トワにあちこち連れ回されたから疲れているなんて言えないし、そんな事で魔法を使わせるわけにもいかない。
レイの最後のプライドがクオンの申し出をやんわりと固辞。
「ところでトワ様とアヤメ様は如何なさいましたか?」
「アヤメさんは宿に部屋を借りて休んでいます。一応王国の所属なのであまり公国の首都をうろつきたくないそうで。トワはアヤメさんの付き添いです」
「……そうですか」
レイは引きつりそうな顔の筋肉を必死に制御しながら返答した。
アヤメには、乗り物酔いでグロッキー状態になっている事をクオンに言うな、と厳命されている。
彼女のくノ一としてのプライドが、公国の神官に弱みを見せる事を許さないのだろう。
どうせ会えばバレるのに……
「では参りましょう。余りアヤメ様達を待たせるわけにはいきません」
クオンがいつもの笑顔で歩き出す。
レイも彼の背中をトボトボとついて行く。
「クオンさん。その後は如何ですか?」
レイは昼間に引き続き、自分から話題を振った。
理由は出来るだけクオンの歩く速度を遅くする為だ。
グロッキーのアヤメには出来るだけゆっくり戻って来るように言われている。
少しでも時間を稼いで、体調を万全にしたいのだろう。
一分や二分変わった所で、焼け石に水だと思うのだが……
そんな事を考えていると、クオンが顎に手を当て何やら思案する様な表情を浮かべ。
「そうだ!せっかくですし、適当に寄り道しませんか?」
クオンがにんまりと柔らかな笑みを湛えながら提案。
まさに渡りに船。
レイの口元が僅かに緩む。
「そうですね。少しくらい遅れても誰も文句は言わないでしょうし、積もる話もありますので」
「トワ様への連絡を忘れないで下さいね。お腹を空かせると機嫌が悪くなりますので」
「お気遣い感謝します」
柔らかな笑みに彼らしからぬイタズラっぽさが混じる。
これはこちらのやましい気持ちがバレたな。
こうして、レイとクオンは男二人で寄り道をする事にした。
……歩く事しばし。
クオンに案内されてやって来たのは、下町の小さな食堂。
周りの真っ白な石造りの建物からは少し浮いて見える古ぼけた佇まい。
良く言えば味があり、悪く言えばオンボロな店内は、貧乏人にも優しそうな反面、クオンが来るには些か不釣り合いに思えた。
「ここは私がまだ神官見習いの頃から通っている店で、当時の安いお給金でもお腹いっぱい食べさせてくれる稀有な所だったんですよ」
「そうなんですか」
狭い店内にはカウンター席が五席と四人掛けのテーブル席が一つ。
カウンターの奥には店主と思われる仏頂面の男が一人。
クオンが慣れた様子でカウンター席に腰掛け、レイも彼に倣って隣に座る。
「なんだ、クオンの坊主。懲りずにまた来たか」
「マスター、御無沙汰しております。今日は新しいお客を連れてきました」
「……余計な事すんじゃねぇよ。おりゃ~さっさと隠居したいのに坊主のせいでおちおち寝てもいられねぇ」
不愛想な店主が憎まれ口を叩きながら、注文も聞かずに厨房へと向かう。
「マスター。《《私達は》》お酒抜きですので」
「分かってらぁ!ガキ相手に酒飲ませるかよ!」
笑顔で注文をつけるクオンの声に、返って来たのはがなり声。
どうやらこの店主はかなり偏屈らしい。
「気にしないで下さい。いつもあぁなんです。マスターはちょっと癖が強いですが、料理の味は保証しますので」
「るっせぇよ!文句があるならさっさと帰れ!」
肩をすくめながら、クオンが小声で耳打ち。
そしてすぐさま店主の怒鳴り声。
偏屈な上に地獄耳……いくら安くて美味くてもこれは流行らないだろうな。
「まぁ見ての通り閑古鳥ですし、マスターにお酒を奢ればここでの話は絶対に外には漏れませんので」
そう言いながらクオンは立ち上がり、勝手にカウンター内の酒瓶を漁り、お金と一緒に店主に手渡す。
「なるほど……内緒話をするのには持ってこいと言うわけですね」
レイは軽く肩をすくめる。
どうやら相談事をしたいという自分の心境を見透かされていた様だ。
「何か変わった事でもありましたか?」
クオンの顔つきがいつもの優男から、秩序を守る神官へと変わる。
レイは金色の瞳を真っ直ぐ見据えながら頷いた。
「お~い、お待ちどうさん」
話を始めようとした横から上機嫌な店主の声。
お酒が飲めるのがそんなに嬉しいのか。
右手のお盆にはコップに入った水が二つと、大皿に載った肉と野菜の炒め物。
ピリ辛の香ばしい香りが食欲をそそる。
「せっかくですし、摘まみながら話しましょうか」
「そうですね」
レイと同様に気が抜けたのだろう。
クオンの顔つきが元の優男に戻る。
酒瓶片手にカウンターの奥に引っ込む店主を見送り、ちびちびと大皿の料理を摘まみながら、レイは昼間にあった出来事を語った……
「……という事がありまして」
「会ったのですね。マオという老人に……」
クオンは眉間にしわを寄せ、眉をひそめる。
彼はマオとシュターデンが同一人物である事を知っている。
そのマオが遺物の探索にクオンを指名した。
事の重大さに思うところもあるのだろう。
「レイ様。マオ殿はトワ様に四大精霊と仮契約しろと仰ったのですよね」
レイはその問いを不思議に思いながらも黙って頷いた。
普通なら重大な責任を負わされた事に尻込みしたり、疑問に思ったりもするはず。
だがクオンにはその兆候が一切見られない。
代わりに自身が疑問に思った点を、明確にしようとしているように思える。
クオンは少し考え込んだ後、ポツリポツリと独り言の様に言葉を漏らした。
「レイ様。精霊や天使との契約方法についてはご存じですか?」
「いえ、知りません」
「魔素の集合体である精霊や天使と契約する際に、契約者は対象の精霊、若しくは天使の魔素を体内に取り込むのです」
レイにとってとても興味深い話だった。
この話が本当なら、ACAを使った自分とクオン達は身体構造上近しいと言えるのかもしれない。
「本契約と仮契約の違いは取り込む魔素の量です。魔素を一定量以上取り込むと、精霊や天使との繋がりが強くなります。その結果お互いの場所が分かるようになり、助けを呼ぶ事もできるので召喚が成立します」
なるほど……魔素をGPSタグと救難信号代わりに使っているのか。
位置情報と呼び出し合図さえあれば、惑星上なら一瞬で駆けつける事ができるだろう。
なんせ魔素は宇宙空間を超光速移動可能な超微小な有機生命体。
惑星上を光速移動なんて朝飯前だろう。
「今、聞いた話を総合すると、マオは強大な力を持つ魔素集合体を遺物に近づけるのを嫌っている様に思えます。何故だと思いますか?」
「……いえ、見当もつきません」
クオンがお手上げとばかりに大きく肩をすくめる。
「一番考えられるのは遺物の誤作動。空の悪魔に対抗する為の何らかの装置だとするなら、制御系もデリケートなはず。余り多くの魔素集合体が近くにいると制御に何らかの支障をきたす可能性が高いとか……」
「あの……レイ様?」
レイは昼間に引き続き、思考に没頭する。
クオンが自分を呼んだ気がしたが、今はそれどころではない。
「だがそれだとマオが説明を濁した理由が分からない。動作不良を起こすから仮契約で済ませて欲しいならそう言えば良い。それをしなかったという事は、別の何かが隠れている。例えば問題が起きるのは、遺物側ではなく遺物の使用者の方とか……」
「レイ様……聞こえていますか?」
レイは深く深く、マオの思惑を推察しながら思考に没頭する。
「遺物の使用には強力な魔法使いの助けが必要。つまり魔素は多いに越した事は無いはずなのに魔素集合体の数は極力減らしたい。この矛盾に整合性を付ける理由があるはず……それともそもそも前提条件が間違っているのか?」
「レイ様!落ち着いて!さっきから言っている事が滅茶苦茶です!」
クオンの慌てた声が耳に届き、レイはハッと我に返る。
「おっと!すみません。どうも自分は思考に没頭すると周りが見えなくなる様で」
「そのようですね」
レイの謝罪に、クオンが愛想笑いと苦笑いが半々に混ざった様な、微妙な表情を浮かべる。
「マオの件は保留ですね。どうせ行ってみないと分かりません」
「そうですね。分からない事をあれこれ考えても時間の無駄ですから」
いくら悩んでも答えが出ない物は仕方がない。
結論を先延ばしする事にクオンも同意。
「そう言えばクオンさん。最近どうですか?」
レイは改めてクオンに近況を尋ねる。
「……そうですね。一先ず、公国と王国の和平交渉については一定の合意を得る事ができました。幸い両者に人的被害、経済的被害はほとんど出ていませんので。ただ、国境問題の方で多少ごたついておりますので、完全な条約締結にはもうしばらく時間が掛かりそうです」
苦笑いを浮かべるクオンに釣られて、レイの顔も僅かに引きつる。
クオンは自分達と違って政治の中枢に関わっているから、色々と気苦労も多そうだ。
「それから先日は不完全だったウリエルとの契約は無事終了しました。今後は回復だけではなく、補助の面でもお役に立てるかと思います」
「おぉ、そうですか!それは非常に心強いです」
控えめにはにかむクオン。
嬉しそうなその表情にレイの引きつった顔も自然と緩む。
「おい、坊主!そろそろ日が落ちるが帰らなくていいのか!」
ちょうど話し終えた所に赤ら顔の店主のがなり声。
ふと外を見ると、夕日が沈みかけていた。
「すみません。それではそろそろ失礼します。お土産にBLTサンドを六人前お願いしてもいいですか?」
「ったく!そういう事は先に言えよな。こっちにも準備ってもんがなぁ……」
クオンも外を見ながら、しれっと追加オーダー。
トワの御機嫌を取る為の食べ物なのだろう。
店主は不機嫌そうにキッチンの方へと引っ込んでいく。
「レイ様、お土産を待つ間に皿の料理を片付けてしまいましょう」
クオンに言われて皿を見てみれば、まだほとんど手付かずの肉野菜炒めの姿。
「そうですね。食べ物を粗末にしては罰が当たります」
レイとクオンは黙々と肉野菜炒めを食べ進める。
甘辛の味付けは冷えても美味しかった。