第百十一話 日常の陰で
(さて……まずは何からお話しましょうか?)
脳内に響く柔和な老人の声。
レイは宇宙艦隊の支援AI、AS03ことアスへのアクセスという神業をやってのけたマオを睨みつけながら、何から聞き出そうか思案していた。
(ねぇ、マオお爺ちゃんって何者?)
先に問いを投げたのはトワだった。
その質問にマオは柔和な笑みを浮かべる。
(私はマオです。それ以上でもそれ以下でもありません)
マオの視線が一瞬だけレイと重なる。
余計な事を喋るなという意味だろう。
どうやらマオは自分がシュターデンである事を子孫に知られたくないようだ。
(ではマオさん、自分から質問です。こんなところにいるあなたの目的は何ですか?)
柔和だったマオが少しうんざりした様な表情を浮かべた。
どうやらこちらの意図……わざわざタイムスリップしてまで何をしたいのか、という問いに気付いたようだ。
(若造もトワ殿もご存じだと思いますが、わたくしは観測者の代弁者です)
レイは心の中で舌打ちした。
この狸爺の化けの皮を剥がしてやろうと思ったのだが、上手く躱された。
(観測者はシュターデンの遺物の管理もしておりまして、トワ殿達がこちらに来る頃だと思いましたので、注意事項の説明に参りました)
マオはあくまでもトワに対して語り掛けた。
自分はこの老人に何か嫌われる事でもしただろうか?
基本的に柔和な態度のマオだが、レイに対してだけは何処か辛辣だ。
(では、その注意事項というのをお願いします)
レイが話を促すと、マオはほんの少し眉をひそめる。
(せっかちな若造ですね。これから話しますよ)
やはり嫌われているのは確定らしい。
トワに悟られない様に、レイに見える側の表情だけ変えるのがなんとも器用だ。
(まず遺跡に行くにあたってですが、トワ殿はイフリート以外の三柱の精霊と仮契約をしておいて下さい)
(えっ?契約じゃなくて仮契約?)
(はい)
目を丸くするトワに、マオが柔和な笑顔で頷く。
(トワ、契約と仮契約はどう違うんだ?)
(若造。話の腰を折らないで頂きたい)
レイの問いかけに、マオが再び小さく眉をひそめる。
そんなマオの態度にトワが首を傾げながら口を開く。
(契約っていうのは精霊が百パーセントの力を貸してくれる状態の事。イフリートの召喚もちゃんと契約してるからできるんだよ。仮契約っていうのは、精霊の力を一部借りる事。今のアタシとウンディーネの関係で、魔法は補助してもらえるけど召喚は出来ない状態)
説明を終えたトワは何処か得意げ。
その微笑ましい光景にレイとマオの口元が僅かに緩む。
(マオお爺ちゃん。どうして仮契約なの?)
トワは再度質問を重ねる。
不思議そうに目を丸くする彼女に、マオは頬を掻きながら言葉を紡ぐ。
(すみません。それについては説明できません。多分言葉で言っても理解できないと思いますし、信じてもらえないと思いますので)
老人は申し訳なさそうに頭を下げる。
その返答にトワも追及を諦める。
(次の注意事項ですが、若造。ゲイリー=アークライトとの交信はお済ですか?済んでいないなら速やかに行って下さい。旗艦グングニルはもうルミナスの目の前まで迫っていますよ)
マオの言葉に目を見開いた。
まるでこちらの行動を見透かしているようだ。
通信機はだいぶ前に出来上がっているが、ゲイリーとの対談をずっと先送りにしていた。
ルミナスを守ると決心を付けたつもりでも、いざ完全に決別するとなると尻込みしてしまう。
(最後に遺跡には必ず若造、トワ殿、クオン殿、アヤメ殿の四人で行って下さい。以前遺物の起動には強力な魔法使いの助けが必要と言いましたが、余計な人間は連れて行くべきではありません)
マオの眼光が鋭くなる。
この注意事項は彼にとって一番重要なモノらしい。
その剣呑な雰囲気にレイとトワは息を呑む。
「お待たせしました。こちらカプチーノになります」
「おぉ、ご苦労様です」
不意に聞こえたウェイターの声にマオが柔らかい声で応える。
盆の上の飲み物を老人の前に置く姿は日常そのもの。
脳内の会話とは裏腹に、ルミナスは今も平和に回っている。
マオは受け取ったカプチーノを一口。
ホッと息を吐く姿は何処にでもいる普通の老人だ。
(わたくしからの話は以上です。他に聞きたい事はありますか?)
マオの声から剣呑さが消える。
まるで一仕事終えた労働者の様な雰囲気だ。
(では一つだけ良いでしょうか?)
レイは真剣な眼差しでマオの黒い瞳を真っ直ぐ見据える。
マオはカプチーノの香りに目を細めながらゆっくりと頷く。
(シュターデンは幸せでしたか?)
レイの問いにマオが目を細めたままカプチーノから口を放す。
レイはどうしても聞きたかった。
魔素と魔法を作り、世界を救った英雄はちゃんと救われたのかを……英雄本人に。
(いずれ分かりますよ。あなたは『救星の種』なのですから)
マオは笑みを深め、カプチーノを飲み干した。
(それではわたくしは失礼します。どうぞランチをお楽しみ下さい)
マオは音も無く立ち上がり、気が付けば何も無かったかのようにその場から姿を消した。
「行っちゃったね……」
「……あぁ」
呆然とするトワの隣で、レイは心の中で舌打ちした。
あのジジイ……飲み物代をこちらに押し付けやがった。