第百八話 優しい略奪
廃墟の港町シェリガンの海岸にて。
トワは壊れた船で散らかった砂浜を当てどなく歩いていた。
「お兄さんの……バカ」
トワは珍しく、年相応にいじけていた。
なんであんな事言ったのだろう。
別に喧嘩したかったわけじゃない。
でも無性に腹が立った。
「トワちゃ~~ん!」
ふと、背中の方から自分を呼ぶ声。
振り返るとそこには、息を弾ませ全力疾走するアヤメの姿。
「はぁ、はぁ……やっと見つけた」
余程慌てていたのだろう。
戦闘でも滅多に息を切らさないアヤメが肩で息をしている。
その額にはうっすらと汗。
「トワちゃん。あまり一人でうろつかないでくれるかい。ティアマトがいなくなったとは言え、この辺はまだ危ないんだから」
「……大丈夫だよ。そこら辺のモンスターならアタシの敵じゃないし」
アヤメの小言に思わず憎まれ口を叩く。
完全に八つ当たりだった。
怒らせたかな?なんて考えて少し後悔したが、彼女は肩をすくめるばかり。
「そうだったね。あんたは強い子だよ」
「……何?子供扱いしないでよ」
ポンポンと優しく頭に置かれるアヤメの手が鬱陶しくて思わず払いのける。
「子供を子供扱いして何が悪いのさ」
「アタシは子供なんかじゃ……」
「いいや、あんたらは子供さね」
「うるさい。アタシはアヤメお姉さんみたいに寝坊しないし、お部屋散らかさないし、下らないイタズラしないし、お砂糖とお塩間違えないし、焼きそばと焼き鯖間違えないもん」
「それ……今関係あるかい?」
トワの暴露話にアヤメの顔が引きつる。
目の前のポンコツにだけは子供扱いされたくなかった。
ここ十日間ほど一緒に過ごして分かった事だが、気の抜けた時のアヤメは色々とヒドイ。
基本的に怠け者でトワ以上に子供っぽくて、だらしなくて、しょうもないイタズラでダル絡みしてくる。
トワはこの図体だけデカい幼児に何度脳天チョップを叩き込んだか……
そんな彼女だが、真面目な時は今みたいにちゃんとお姉さんになる。
アヤメお姉さんの事は頼もしいと思う反面、自分がこの人以上に子供だと思うのが癪で、つい反発してしまう。
「お姉さん……お説教しに来たの?」
「いんや、あれはレイ君が悪い」
トワは居心地の悪さから、トボトボと歩きながら問いかけてみたが、アヤメの返答はあっけらかんとしていた。
「なんで言ってやらないのさ。お兄さんが死ぬなんて嫌だ。誰を犠牲にしてでも生き残れって」
「…………」
トワは押し黙った。
トワは怖かった。
このままでは空の悪魔に勝とうが負けようが、レイはいなくなるのではないかと。
「言えないよ」
トワは震える声で呟いた。
「どうして?」
アヤメが柔らかい声で聞き返した。
「お兄さんはルミナスの人じゃない。本当にお兄さんの言う通り、空の悪魔がお兄さんの仲間だったら」
「レイ君と戦うかもって?」
アヤメの問いにトワはブンブンと首を振る。
「お兄さんは絶対にアタシ達を見捨てない。でもお兄さんがアタシ達の為に仲間と戦ったら……お兄さんに帰る場所が無くなっちゃう」
トワは俯いて肩を震わせた。
レイがいなくなるのも、レイが悲しむのも嫌だった。
「……本当にどうしようもないね。あんたらは」
ポンポンとアヤメの手がトワの頭に乗っかる。
鬱陶しいが今は振り払う気になれない。
「トワちゃん。あたい、これから物凄く酷い事言うよ」
アヤメが優しい声でポツリと呟いた。
トワは俯いたまま、黙って話を促した。
「レイ君を空の悪魔から奪おう」
トワはパッと顔を上げた。
アヤメの表情はとても穏やかだった。
「レイ君には故郷に残した妹がいる。これから戦う空の悪魔の親玉はレイ君の師匠であり大切な人。そんな状態でレイ君に戦わせるのは可哀そうだよね」
「……うん」
トワは力無く頷いた。
「じゃあ奪えばいい。妹も師匠も生まれ故郷も関係ない。レイ君にルミナスで生きたいって思わせればいい。石に齧り付いてでもトワちゃんと生きたいって思わせればいい」
「でも、それじゃ病気の妹さんは?」
「知ったこっちゃない。あたいは会った事も無い妹さんより目の前のレイ君の方がずっと大事だ」
今まで年上のお姉さんとして一歩引いた目線だったアヤメが、初めて自分の感情を吐露した。
「あたいは聖人君子じゃない。他人が何万人死のうと関係ない。レイ君が妹さんの事で悲しむかもしれない。でも……それでもあたいはレイ君に生きてて欲しい。例え何があろうとも目の前の大切な人が生きていればそれでいい。生きてさえいれば……別の形で幸せになる事だってできるんだ」
トワは目を見開いた。
アヤメの言葉は普段の彼女から凡そかけ離れた身勝手で独りよがりなモノだった。
彼女は麒麟の先祖返りである事を理由に、赤ん坊の頃に両親と生き別れになった。
だがハンゾーや葉隠れの里の人達の下、幸せと言っていい人生を歩んで来た。
そんな彼女だからこそ、未来への希望を語る事ができるのだろう。
「トワちゃん。あたいはあんたらと同じガキなんだよ。だからあんたらももっとガキらしくワガママになっていいんだよ。気に食わない事があれば感情のまま相手にぶつけてさ。フォローは年m……大人のウンディーネにでも任せればいいさね」
冗談めかしにアヤメが口元を緩める。
そんな彼女に釣られて、トワもクスリと笑う。
「全く、酷い話だよね」
アヤメは確かに彼女の言う通り子供なのかもしれない。
だが、少なくとも自分が子供である事を自覚している子供。
トワはアヤメの言葉に自分に足りなかった何かを気付かされた気がした。
「戻ろっか、レイ君も心配してるだろうし」
「うん」
笑顔で差し伸べられたアヤメの右手を握り返す。
少しだけ軽くなった足取りで工場へと戻っていると……
「トワ……」
噂をすればなんとやら。
そこにはバツが悪そうに佇むレイの姿。
弱々しく自分の名を呼ぶレイがお母さんに叱られた子供みたいで、それが妙におかしかった。
「お兄さん。これからあのドラゴンでグラーフ草原に行くんだよね」
「あっ……あぁ」
何か言いたげなレイを無視して、トワが笑顔で言葉を紡ぐ。
「そうしたらここにはしばらく戻ってこないんだよね」
「そう……だな」
笑顔のトワにレイは戸惑っているようだ。
「じゃあ、戦いが終わったらまたここでちらし寿司食べよう」
トワはニコリと笑いながら、上目遣いで催促。
なんだかんだ言って、レイはこれに弱い。
「……分かった。約束だ」
レイはホッと息を吐きながら頷いた。
「絶対だよ!破ったら絶交だからね!」
トワは空いた左手をレイに差し伸べる。
「……そうだな。ここの魚は新鮮で美味いからな」
レイは口元を緩め、不器用に目を細めた。
「もう祝勝会の話かい?もちろん、あたいもご相伴に預かっていいんだろうね?」
「うん!今度はクオンさんもお父さんもお母さんも呼んで、みんなでやろう!勿論、作るのはお兄さんだからね」
呆れたように首を振るアヤメに、トワは満面の笑みで返事。
その視線の先にはため息混じりに頷くレイの姿。
「魚の調達はウンディーネさんにお願いするか」
レイがポツリと呟いた。
笑顔で仲良く手をつなぐ三人は、とても決戦前の戦士には見えなかった。