第百四話 小さな別れと大きな再会
「これは……」
「直接見てはいましたが、にわかに信じられませんな」
救星の旅四十日目。
僅か一週間で様変わりしたグレイプニル製造施設は、カミラとシェイを始めとする魔法騎士隊の感嘆の声で満たされていた。
「一週間……思ったより時間が掛かりましたね」
ステルス戦闘機の様な流線形のボディと翼。
黒光りする全長二十メートル、高さ六メートルの巨大なギラニウム装甲。
レイは魔素式大気圏内戦闘艇グレイプニルを眺めながら、不満げに呟いた。
「レイ様。何がそんなに不満なのですか?」
シェイは巨大な翼の生えた金属の塊を眺めながら、不思議そうに問いかけた。
これだけのモノを一週間で作ったのに不満を漏らすレイの思考が理解できなかったのだ。
レイは彼の疑問を理解しつつ、少し上を向きながら言葉を探す。
「元々は五日で作る予定だったのですが、パイロットスーツ……ちょっと事情があって本来の力が出せなかったので」
宇宙艦隊の技術を伏せながら話すのは難しい。
コンバットモードが使えればもっと早く作れたと言えれば楽なのだが、そうするとパイロットスーツや宇宙艦隊の技術についても説明しないといけなくなる。
技術力のギャップを前提に会話するのがこれほど神経を使うとは……
レイはうんうんと唸っていると。
「もしかして、先日地底に潜った時にお怪我でも?」
「……まぁ、そんなところです。もう体調は万全ですのでご心配なく」
レイはこちらを心配そうに覗き込むシェイの言葉に乗っかる事にした。
嘘を吐いた事と心配を掛けた事には心が痛んだが、他の言い訳も思い浮かばないし仕方がない。
「ちょっと待て!それでは私が怪我人相手に負けたみたいではないか!」
それにカミラが噛みつく。
騎士隊長の彼女としては、怪我人に負けたなどプライドが許さないのだろう。
「コホン!隊長!」
そんな器の小さい隊長を叱責する副長の咳払い。
「すまない。貴公の言葉を疑ったわけではない」
シェイに睨まれて、カミラがおずおずと引き下がる。
あの試合を経て、彼女の態度はかなり軟化した。
騎士として強者に敬意を払っているのだろう。
貴様から貴公に変わったのがその証拠だ。
「カミラ隊長。こちらは気にしていませんので」
怪我をしていたわけではないが、本来の力を出せなかったのも事実。
レイは特に訂正を入れる事も無く、カミラの謝罪を受け入れる。
こういう時、下手に事実を追求すると逆に話がこんがらがるのが世の常。
大事なのは事実ではなく、納得なのだ。
「レイ殿。少し宜しいか?」
グレイプニルの状態確認をしているレイの背中に、ふとカミラの声。
「我々は一度王都に戻り、シュターデンの兵器が完成した事を報告せねばならない。我々がこちらに戻ってくる必要はあるか?」
神妙な騎士隊長の声にレイは少し考え込む。
「……いえ、自分もグレイプニルの点検が終わったら、機体を一時封印し、数日中にここを引き払おうと思っています」
「そうか」
「一週間、短い間ですがお世話になりました」
レイは魔法騎士隊に深々と頭を下げた。
この一週間、隊員達は本当に良くしてくれた。
彼らはシェリガンの調査の傍ら、レイの生活に関わる雑用全般を一手に引き受けてくれた。
食事、現場の清掃、洗濯、買い出しなどなど、彼らのおかげでグレイプニル製造に集中する事ができた。
パイロットスーツ無しでの工事を一週間で終えたのも、彼らのおかげだと言っても過言ではない。
「じゃあな、レイ君。今度会う時は俺の田舎のシチューご馳走してやるからよ」
御年二十八歳、兄貴分のジョージが屈託の無い笑顔で手を振る。
彼は主に食事担当をしてくれていて、野外でも作れる王国の郷土料理を振る舞ってくれた。
「野宿とかじゃ難しいだろうけど、洗濯は出来るだけ毎日するのよ」
隊のお姉さん、そばかすほっぺに笑顔が可愛らしいキャロルがレイにお小言。
制作と研究に没頭すると寝食を疎かにするレイは彼女に良く叱られた。
「まぁまぁ、レイ君だって分かってますって。なぁ、レイ君」
太っちょで温和な調停役チャールズ。
こんな見た目と性格だが、隊一番の剛腕で重いモノを運ぶ時によく手伝ってくれた。
「そろそろ行きましょうぜ。あんまり駄弁っててもレイ君に迷惑でしょ」
おちゃらけた言動とは裏腹に何かと細かい所に気が利くロベルト。
個性が強い隊員達が規律を持って行動できるのは、シェイと彼のおかげだろう。
「レイさん、また会いましょうね」
「また訓練付き合って下さいね」
「今度は絶対に一本取ってみせますからね」
元気で賑やかに頭を下げるのは、シェリー、ミシェル、ネリッサの三姉妹。
新兵としてこの隊に配属された彼女達とは作業の合間によく戦闘訓練をした。
彼女達のおかげで気分転換とACAの戦闘データ収集ができたので非常にありがたかった。
「それでは我々は失礼します。これからお互い忙しくなりますが、どうかご自愛下さい」
そして一番お世話になったのは勿論シェイだ。
大人で気遣いができる柔和な性格の彼は、レイの良き話し相手になってくれた。
両親がいない事、妹が病気だが会いに行く事ができない事、尊敬する上官と喧嘩している事(空の悪魔の首魁とは言えない)を話したら、黙って相槌を打ち、寄り添ってくれた。
彼は決して余計な事は話さず、ただ相手の気持ちを汲み取ってくれる人なのだろう。
そんな今まで出会った事の無いタイプの彼に、レイは尊敬の念を抱いた。
レイは離れていく騎士隊員達の背中に手を振った。
その姿が消えるまで……
……騎士隊員達がいなくなり、レイは再び作業に戻った。
グレイプニルは点検を済ませ、いつでも戦闘できるように整えた。
流石に飛行訓練はまだだが、動作確認は入念に行っているし問題ないだろう。
『マスターレイ。脳波にシータ波とデルタ波の低下が見られます。休息を提案』
アスの機械音声が心配そうに語り掛ける。
「そうだな……少し休憩しよう」
レイはグレイプニル工場から少し離れた広場に移動し、ふぅ~っと小さくため息を吐く。
アスの指摘通り、少し気分が落ち込んでいた。
せっかく仲良くなったのに、もうお別れ。
自分も騎士団も戦士である以上、いつ死んでも不思議はない。
グレイプニルの冷たい感触を思い出すと、これからの戦いを嫌でも実感させられる。
自分はあの機体を駆り、敵の戦闘艇フェンリルと戦う事になる。
そうなれば自分が撃墜される可能性は勿論、騎士団員達を始め、無関係な人達が戦禍に巻き込まれるかもしれない。
怖い……こんなに死と言うモノを怖いと感じたのは初めてだ。
自分の死だけじゃない。
自分の知っている人達の死が眼前まで忍び寄っている。
怖い……それでも…………
「自分がやらないといけないんだ」
後は動力源に火と水の魔力を加えれば、グレイプニルは完成だ。
それに関してはトワが何とかしてくれるだろう。
だが、完成してしまえば……
「ふぅ~……重いな」
今度は大きくため息を吐いた。
こうやって息を吐き続けないと、空気が喉に詰まって窒息しそうだった。
「どうしたの?背中が煤けてるよ?」
不意に背後から少女の声。
その懐かしい声に振り返ってみると……
「トワ……なのか?」
エメラルドの瞳と溌溂とした笑顔。
瑞々しい褐色の肌の可愛らしい少女。
紫のツインテールとウアイノに似たグラーフ族の服をたなびかせながら、トワがこちらに駆けてくる。
「もう!何言ってるの!もしかしてアタシの事忘れた?」
「いや……そういう訳では……」
レイは一瞬、自分の目を疑った。
いつものトワのはずなのに、その顔つきは前に見た時より、ずっと逞しくなっているように思えた。
「随分、頑張ったんだな」
「……うん」
気を取り直して、口元を緩めてトワの頭を撫でる。
その行動に今度はトワが目を見開く。
「どうした?トワ」
「いや……お兄さんってそんな笑い方してたっけ?」
レイは首を傾げた。
トワの言葉の意図がいまいち掴みかねていた。
「ほら、お兄さんって最初会った時はもっと仏頂面だった」
「そう……なのか?」
確かに自分は人前で笑う事はほとんどなかった。
トワが自分の顔を見て笑えていると思うなら、それはきっとルミナスの人達のおかげだろう。
「おやおや、妬けるねぇ。あたいもいるってのに」
再会を喜ぶレイとトワの横から茶化すような女性の声。
切れ長の黒曜石の瞳とカラスの濡れ羽色の髪のアジアンビューティー。
女性らしい所がしっかり主張した豊満な身体を覆い隠す黒の忍び装束。
くノ一陰陽師アヤメが肩をすくめながら、テクテクとこちらに歩み寄る。
「アヤメさんもお久しぶりです」
「あぁ、久しぶり……随分疲れているみたいだけど、大丈夫かい?」
「はい。さっきよりだいぶ良くなりました」
「そうかい……そりゃ妬けるね」
トワの頭を撫でるレイを見ながら、アヤメがニヤニヤと面白そうに笑った。
行動こそ別れる前と大差ないが、彼女の瞳にも以前より強い光が宿っている様に思えた。
「立ち話もなんです。家まで案内します」
「エッ!家!?」
「そんなモン作ったのかい!」
「はい」
「ねぇ、お兄さん。なんか食べるモノある?アタシお腹空いちゃった」
「あぁ、家に帰ったらお昼にしよう」
どうやらお互いに色々あったようだが、積もる話は後。
トワの健啖家ぶりも相変わらずらしい。
騎士隊との別れで落ち込んでいたのにもうケロッとしている。
我ながら単純なのだなと、自分に呆れるレイだった。