第九十六話 トワとアヤメの試練その四~怒れる精霊~
立ち込める黒雲。
荒れ狂う雷鳴。
漆黒に染まった黄龍の巨体が、咆哮を上げながらトワ達に迫る。
『くたばれ!偉大なる守護者を忘れた不浄なる者共!』
『させません!』
強大な龍の突進をウンディーネが水の刀一本で受け止める。
黄龍の爪に比べれば、まるで枯れ枝の様に細い水刃は超重量を前にビクともしない。
『アヤメ様!』
「分かってるさね!せやぁああああ!」
ひらりと舞い上がり一閃。
動きを止めた黄龍の腹を、漆黒に輝くギラニウムの刃が切り裂く。
だが……
『どうした、小娘?蚊に刺されたほどでもないわ』
「ちっ!デカすぎる」
本来、金行で作ったギラニウム刀と土行の龍である黄龍とは相性がいい。
加えてここは陰陽道の聖地である黄山であり、五行の相性が色濃く反映される地。
アヤメの攻撃は大ダメージを与えて然るべきなのだが、如何せんサイズが違い過ぎる。
いくら強力な一撃でもこちらが虫サイズではどうにもならない。
『ほれ、どうした。もっと攻撃してみてはどうだ?貴様がノロノロと攻めあぐねている内に、先ほどの傷はもう癒えたぞ』
黄龍はニヤニヤと表情を歪め、アヤメを嘲笑する。
『おや、よそ見している暇なんてありませんよ!』
振り上げ一閃。
ウンディーネが油断した黄龍の爪をその手首ごと切り捨て、そのまま身体を回転させて、龍の巨体に回し蹴りを叩き込む。
『トワ様!』
「分かってる!〈ウォーターハンマー〉!」
トワはウンディーネと仮契約した事で、強力な水魔法も使える様になっていた。
ウォーターハンマー……水で出来た巨大なハンマーを生成し、敵を殴りつける水属性中級魔法。
トワは自身の数倍はあろうかという水のハンマーを投擲。
城壁すらも吹き飛ばす一撃が、黄龍の横面を殴りつける。
『……ふっ、その程度か?オールドライフの末裔よ』
漆黒の龍はニヤリと口元を歪める。
その顔には余裕と嘲り。
「嘘……無傷……」
『相変わらず忌々しい耐久力。図体だけはデカい木偶の坊め』
愕然とするトワ。
キッと黄龍を睨みつけて舌打ちするウンディーネ。
『次はこちらの番だ!〈地烈斬〉!』
黄龍は巨大な尻尾を地面に叩きつける。
轟音と共に裂ける大地。
飛散する岩石。
爆発的に広がる岩の散弾が津波となってトワ達を襲う。
『くっ!各自散開!』
「無理!地面が揺れて歩けない!」
地割れ時に発生した揺れで、トワが尻もち。
立ち上がる事もできず、その場に縫い留められる。
「トワちゃん!」
トワの危機にいち早く気付いたのはアヤメだった。
疾風の如き黒装束のくノ一が、トワと土砂の津波の間に割って入る。
「〈木行霊樹壁〉!」
木行霊樹壁……蒼山木行呪符の力にて、堅牢な霊木の壁を生み出す魔法。
アヤメが胸元から取り出した大量の呪符が地面に五芒星を描き、そこを中心に樹齢数千年の巨木を創成。
巨木は防壁となってトワとアヤメを守る。
『ほぅ……あれを防ぐか。シュターデンに穢されたとはいえ、やはり腐っても我が眷属よ』
黄龍は自身の攻撃を防がれたにも関らず、どこか満足気に高笑い。
『それではもう一撃!消し飛べ!〈地烈斬〉!』
黄龍が再度尻尾を地面に叩きつける。
「くっ!持たない!」
押し寄せる岩石の雪崩。
メキメキと軋む霊樹。
アヤメが苦悶の表情を浮かべる。
まさに絶体絶命のその時……
『破ァ!』
霊樹がへし折れる寸前。
透明な青の剣閃が土砂の海を切り開く。
『また貴様か。穢れの元凶、忌々しきシュターデンの狗め』
攻撃を防がれた黄龍が心底不愉快そうに呻く。
その悍ましい咆哮に、トワは一瞬身体を震え上がらせる。
だが……
『……訂正なさい』
それ以上の恐怖がトワの背筋を掻け巡る。
トワの視線の先には、今にも黄龍を噛み殺さんばかりに睨み付けるウンディーネ。
その声からは本来の凛とした美しさが失われ、代わりに灼熱の憎悪で満たされていた。
『何をだ?貴様が穢れた存在である事をか?』
プルプルと身体を震わせるウンディーネに降って来たのは、妖怪じみた嘲笑の声。
『黙れ。その臭い口を塞げ。いつ私が貴様に喋る許可を与えた』
トワはゾッと身体を震わせた。
ウンディーネの荒々しい声には純粋な殺意。
『愚か者の貴様に教えてやる。私と我が主はとても寛容だ。だから自分がいくらこき下ろされても何も感じないし、我が主への侮辱だって飲み込める。だがな……』
低い声と共に、青白く眩い光がウンディーネの刀に収束する。
(警告。ウンディーネの周囲に強大なエネルギー反応!ただちに退避を推奨)
トワの胸元のペンダントから緊迫した機械音声。
危機的状況を告げるアスからの緊急警報。
それを聞いたアヤメがトワを小脇に抱え、その場を飛び退く。
『貴様はトワちゃんとアヤメちゃんを侮辱したァアアアアアアアア!』
激昂と共に膨れ上がる光。
膨大なエネルギーは天を衝くほどに巨大な水刃に姿を変える。
『ウンディーネ……貴様!この辺一帯を塵芥にするつもりか!』
黄龍が初めて狼狽した。
その声には先ほどまでの妖怪じみた怨念は無い。
そしてトワもまた、迸る高エネルギーの刃に大きな危機感を抱いた。
「マズイ!〈召喚イフリート〉!」
トワは己の魔力を集中し、炎の魔人の名を叫ぶ。
身体は燃える様な深紅の光を放ち、それが瞬く間に巨大な炎の魔人へと姿を変える。
「イフリート!」
『承知!』
切迫したトワの声に全てを察したイフリートは、ウンディーネに向かってその拳を構える。
『うわァアアアアアア!〈水刃絶衝〉!』
『灼熱の腕よ!星となりて我と主に仇なす者共を灰燼に帰せ!〈スターフレア〉!』
絶叫するウンディーネが刃を振り下ろす。
そしてその刃の横面にイフリートが奥義を繰り出す。
まるでバベルの塔の様に肥大化した水刃と、太陽の中心温度に匹敵する強大な熱量の火球がぶつかり合う。
水蒸気爆発……灼熱の炎で蒸発した水は水蒸気と化し、およそ千七百倍に膨張する。
そして膨れ上がった体積は全てを吹き飛ばす爆熱の嵐と化す。
『くっ!やらせはせん!やらせはせんぞぉおおおおおお!』
爆音の中、全てをかなぐり捨てて必死に
漆黒だった黄龍は元の黄金色に戻り、無数の岩壁と自らの巨体で爆風を押さえつける。
『この星は!……・・・・・は我ら守護者が……!』
爆ぜる轟音。
全身を貫く衝撃。
爆風に叩かれて、馬鹿になった鼓膜に届いた最後の声は、正気を取り戻した聖獣の叫びだった。