惑乱さんに相談しよう
お兄ちゃんが、ようやく元気になってきた。
5月くらいまでは庭で植木を眺めているか、窓から空を眺めているだけ。
いやいや、眺めていたのも怪しい。だって目の焦点が合っていないというか、そもそも反応がおかしかった。
話しかけても、自動的に反応しているという感じだったもん。
やがて5月が終わり、6月になって。
それでも、お兄ちゃんはどうにかなってしまったままだ。
外に出かけるのは、ときどき学院に行くのと、病院でお薬を貰って帰ってくる時くらい。帰ってきたお兄ちゃんは、そのまま置物と化している事が多い。
それも流感が治ってからは、かなりまともな状態になってきたと思うの。
少なくとも置物になる事も少なくなってきた。
だから、最近はお兄ちゃんの気をひくために色々な事をしている。
──ねえ、お兄ちゃん。肉じゃが作ってみたけど、食べて。
「……ああ、さすがは志帆だ。美味しく出来たね……」
──ねえ、お兄ちゃん。この服、似合っているかなぁ……
「うん、すごく似合ってるよ。そのフリル、かわいいねぇ……」
いつまで経っても、どんなに話しかけても…… いつもこう。
心ここにあらずと言うよりも、魂が抜けかかっているような感じ。
病院に行って相談したけど、こればかりは時間がかかるかも知れないって。
でも、いつかは治る病気だから安心なさいって、言うだけ。
話を聞いていると、看護婦さんや惑乱さんにはノーマルな反応を返しているらしい。お母さんやお父さんも、同じような事を言っていた。
だとすると、私だけが? でも嫌われているって訳じゃなさそうだ……
「……という訳で、お兄ちゃんが最近私に優しくしてくれない件について」
「いきなり言われても訳わかんないんですけど?」
久しぶりに遊びに来てくれた惑乱さんに相談してみる事にしよう。
私の勉強を見てくれる…… というのは建前で、あいつの狙いはお兄ちゃん。
でも、前のように、取って食うぞ的な雰囲気はない。どちらかと言うと、お兄ちゃんの姿を見て満足するだけ。
そして、もうひとつ変わった所があるの。
たとえば、私がしようとしている事を応援してくれているかな。
マタタビの粉や鳥の餌──特にカラスが好きそうなモノ──を渡してくれるばかりか、使い方のヒントもくれる。
最近はちょっと手に入れにくくなってきたから、とっても助かってるの。
その一方で、やってはダメだと釘を刺されている事も、いくつかある。
一番ヤバいのは、犬を使う事だって。たしかに犬に噛まれたら厄介だ。
噛まれたところの洗浄も、場合によっては傷口を切り開いて洗浄する事もあるそうだから。そして注射を何本か打たれるけど、これがとっても痛いんだとか。
さらに噛んだ犬が野良だったら、保健所が野犬狩りを始めるらしい。
実際に野良犬に噛まれた惑乱さんの言葉は重いのよねぇ。
実際のところ、私は犬を誰かにけしかけた事は無い。
犬にも猫と同じように好きな匂いがある事が分かったので、それでイタズラをした事はあるけど…… これからは、それも止めておこう。
それよりも、今はお兄ちゃんを何とかしなくちゃ。
お兄ちゃんに話しかけても、虚ろな視線を向けられるだけなの。
それでも会話じたいは普通に成立するんだけど……
死んだイカのような…… 虚ろな目で見られるのは、もういやだ!
ひょっとしたら私、お兄ちゃんに嫌われちゃったのかも……
「……疾風君がキミを構ってくれない? 彼女でも出来たんじゃないのかな?」
「それは無い…… と、思うケド……」
うん。お兄ちゃんに近付く害虫は、確実に追い払っているはず。
少なくとも、この春までは確実にね。
私の不安を煽るように、彼女は話を続けた。
「果たしてそうかな? 岩波先生のところのひらきちゃん…… だったかな?
最近とみに見かける事が多いんだけど?」
惑乱さんの一言で、私は心臓を冷たい手でつかまれたような気がした。
岩波先生は、学院で国語を教えている男の先生だ。
たしか、シオカから電車で通勤しているって、誰かが言っていたのを憶えてる。
でも、まさか…… そんな……
「くくく…… 知らなかったのか。これは傑作!」
とてもいいことを聞いたとばかりに笑ってる惑乱さんには悪いけど、私には大問題だ。お兄ちゃんは滅多に家の外に出ないから…… しまった、油断した?
実は、私は中学校に通いながら松戸先生の講義も受けている。
ひらきというオンナは、その隙をついたのだろうか。
拙い拙い拙い拙い…… 害虫は駆除しなくっちゃ。
それも可及的かつ速やかに。
なぜお兄ちゃん──疾風君が虚ろな目をしているのかなぁ。
ちなみに今回出てきた岩波ひらきという女の子は、ぴっちぴちの11歳。
最近は雨月物語やら幻夢物語にハマっているとか……




