第十二章 死の訪れ
お父さんの姿が、〝死〟の姿がまた消える。今度はコヨミも連れていかれる。背中を引っ張られ、玉座の上空までお父さんは飛んだ。目の前に少年姿の〝死〟が現れ、紫の鎌の一撃が来る。コヨミは父に代わってイザナミを振るう。
大きな花火が目の前で炸裂したようだった。
イザナミと紫の鎌がぶつかり合い、火花が散った。
お父さんは空中で回転し、コヨミはそのまま投げ飛ばされた。
背後でまた激しい鍔迫り合いが聞こえたが、コヨミはそれを無視した。
〝死〟はお父さんがやっつけてくれる。
コヨミは、コヨミのやるべきことをやる。
「いぃ!?」
〝支配〟が慌てふためいている。
お父さんの狙いは正確だった。コヨミを弾丸ミサイルのように〝支配〟めがけて投げつけたのだ。
地上では、コヨミの後を追うように〝飢餓〟も走り出している。
己の身一つで飛ぶのは生まれて初めての経験だったが、その場のノリと勢いが不良の醍醐味だ。伊達にタバコを吸いながら大人と渡り合ってきたわけじゃない。度胸だけならコヨミは陽の世界一位の自信がある。
ブレザーの制服をお父さんのそれと同じようにコウモリの翼に変え、その羽ばたきで本物の弾丸のようにきりもみ回転しながら突っ込んでいく。〝支配〟が必死に両手を――クロールのように――かき回し始める。懲りないやつだ。またアンデッド軍団だ。四方八方から集まってくる。コヨミは回転をそのまま生かし、イザナミを振るう。爆速で掘り進むドリルのようになって、集まってきたアンデッドを切り刻み、弾き飛ばす。
「おらあぁぁあああ!」
「ひいぃぃぃぃぃぃ!」
高速回転、最後の一回で、〝支配〟の両腕両足をぶった切る。コヨミはアイアンマンのように膝から着地する。
「ぐあぁっ!」
四肢を失い、〝支配〟は踏ん張ることも身をよじることもできずに地に落ちた。
まだまだ新しいアンデッドたちが――死体の何が新しいのかはこの際置いといて――裁判所に入ってきていたが、〝支配〟が落ちた瞬間、動きを止め、その場で立ち尽くした。
「ちっ……!飢えろ!欲しろ!」
走りながら〝飢餓〟が、指先を鳴らし、一番手近なアンデッドを指し示した。
そのアンデッドはアガガガガ、と顎を震わせ、ギュイン!とコヨミの方に振り返った。タップダンスのようなステップで一、二歩進み、その後大股で走り出した。
〝飢餓〟を先頭に、大量のアンデッドがやってくる。その向こうでは、〝戦争〟と〝死〟が激しく切り結んでいる。自分で解決するのだ。左手は怪我がひどく、動かせない。コヨミはイザナミを足元に突き刺し、右手の平で口元を覆う。イメージはそう、〝支配〟が口元でぐるぐる巻きにしている包帯だ。
私が〝支配〟だ。
「止まれぇ!!」
〝支配〟の猫なで声を真似して叫んだ。するとどうだ、アンデッド軍団は一斉に気を付けの姿勢になって止まった。
「なに!?」
一人だけ二歩も三歩も飛び出して、〝飢餓〟が振り返る。
「何をしている!動け!」
〝飢餓〟が再び指先を鳴らし、アンデッドたちは鞭うたれた馬のように走り出した。
「ふんがぁ!」
コヨミは右手に意識を集中させ、アンデッド軍団に向ける。止まれ止まれと力を込める。最初と違い、脳みそに手を突っ込まれたような痛みが、違和感がある。しかしアンデッドはまた止まる。
今度こそ〝飢餓〟は驚く。蛇のような目を見開く。一番近くのアンデッドに直接手を触れ、言い聞かせるように叫ぶ。
「動け……どうした、動けぇ!」
コヨミは頭に走る激痛に顔をしかめる。脳みそに、さらに何本もの手が差し込まれたような感覚がある。〝飢餓〟がアンデッドを操ろうとする度に不快感が襲ってくる。しかしアンデッドに向けている意識を緩めず、止まれ止まれと念じ続ける。〝飢餓〟はついに、アンデッドを操ることができずに終わる。
「バカな……これは……!」
コヨミを襲うことも忘れ、〝飢餓〟が驚きと戸惑いのつぶやきを漏らす。
コヨミは今がチャンスとばかりに、一番手近にいたアンデッドを呼び寄せる。人間のものが必要だと、お父さんは言った。
〝飢餓〟は当然気づき、アンデッドとコヨミの動きを目で追っている。ザンドスニッカーを構えなおし、走り出す。
しかしアンデッドがコヨミの元にデリバリーされる方が速い。一週間放置していた生ゴミよりひどい臭いがし、コバエがびゅんびゅん飛び交っていたが、その首筋に、コヨミはためらいなくかぶりつく。
他人が吐いたゲボを直接飲んでいるような体験だった。そのまま全部戻して、本当のゲボになってしまいそうだった。
それでも、飲み込むことでコヨミの体は治った。
左手と左ももの皮膚が閉じ、内側では骨がつながり、筋肉の繊維が一本ずつ修復されていった。右のまぶたが再び形作られ、瞬きしている内に、消えたもう半分の視界が戻ってきた。これで黄金の視界は完全復活だ。足りなかった血液が大量に生産され、ふらついていた体に力がみなぎった。
「うぉああああああああ!」
両手でイザナミを引き抜くと、ザンドスニッカーを振り下ろす〝飢餓〟を迎え撃った。血を吸ったコヨミの力は、知らずのうちに元の力より強化されていた。なんと〝飢餓〟を天井まではじき飛ばした。
「ぐっ!……うぅ!」
〝飢餓〟の小さな体が、天井と床とでパチンコ玉のように激しくバウンドするのを、コヨミは他人事のように見ていた。ちなみに、神に誓ってパチンコだけはマヂでやっていないそうだ。
強敵を退けたことで、少しは高揚感でも湧き上がってくるかと思ったが、それより先に吐き気がこみあげてくる。コヨミは「おえっ」と口元まで駆け上がってきたゲボを外に出すまいと、慌てて左手で唇をふさぎ、涙とともにもう一度飲み込んだ。
「まっっっっっず!こんなもん食っとったん!?正気ィ!?」
父親はあいにく瞬間移動している。コヨミはどこに向けて言うわけでもなく、裁判所全体に響き渡るように叫んだ。
ブン、と音がして、傍聴席の真ん中あたりに大量のコウモリが現れる。その中から顕現したお父さんが、若干切れ気味に叫ぶ。
「誰のために我慢していたと!?」
「はいはいどうもぉ!すいませんねぇ!」
〝死〟が〝戦争〟の頭上に現れ、黒い鎌を脳天めがけて振り下ろした。
お父さんはイザナギを頭上に掲げて受け止めると、鎌を巻き込むように、体ごと回転しながら、〝死〟に切りつけた。
〝死〟は素晴らしい反応速度で鎌を引き、首筋に迫ったイザナギをかわすために空中で一回転した。背中から、カラスのような真っ黒な羽が生えていた。そして空中で大柄な男に変貌すると、自身の体重を乗せ、力任せに鎌を振り下ろした。
頭をさすりながら〝飢餓〟が起き上がろうとしている。コヨミはピストルの音を聞いた小学生のようにスタートを切る。
「どういうことだ!〝死〟ぃ!」
腐っても〝飢餓〟だ。第三の騎士だ。〝死〟の方に振り返ったまま、コヨミの攻撃を防いで見せた。
「あれは〝戦争〟の能力だけではないぞ!」
「はあ!?あんたまさか、あのイカレポンチに騙されとったわけ!?」
イザナミとザンドスニッカーの押し付け合いをしながら、コヨミは苦情を申し立てる。
〝飢餓〟の頭がねじ切れんばかりの速度で戻ってくる。
「なんだ!真実を私に教えろ!」
「被害者面すんなかばちがぁ!あいつは!うちのお母さん犯して!うちを生ませた!キっチガイのクソ野郎じゃああぁぁあぁ!」
「貴様!」
傍聴席の方で爆発音がした。
コヨミと鍔迫り合いをしていたはずの〝飢餓〟が、お父さんと切り結んでいたはずの〝死〟を殴りつけている。
「よくも私にぃ!罪を負わせたなあぁぁ!」
「心配するな〝飢餓〟!〝死〟はいつもお前の傍にいる!」
〝死〟はひょろ長い青年の姿に変わり、紫の鎌の形までレイピアのように変えた。柔よく剛を制するように、ザンドスニッカーを華麗にいなした。〝飢餓〟の右肩を突いた。
〝飢餓〟は尾を踏まれたヘビのようにシャッ!と叫びあげたが、すぐに立て直し、左腕一本でザンドスニッカーを短く把持すると、裏拳のように振るった。
裁定の槌が歪んで見える。トップスピードに乗ったところで、長身の〝死〟を捉える。〝死〟は吹き飛ばされ、裁判所の壁に激突する。
そして瓦礫と埃の向こうから、無傷の〝死〟が出てくる。
皮膚が鋼でできているのだろうか、それとも、お父さんのように回復しているのか、いずれにせよ、一つ確かなことがある。
黙示録の騎士二人がかりでも、〝死〟には傷一つつけられない。
底知れない〝死〟の強さに、コヨミはさすがに身震いする。
「もはや手土産なしでは死ねん!貴様も道連れだ!」
〝飢餓〟は左手の中でザンドスニッカーを回転させ、〝死〟に向かって突撃して行った。
「お父さん!」
彼女と入れ替わるように、お父さんがこちらに駆け寄ってくる。
「〝死〟は強い」
お父さんは、動きを止めているアンデッドにつかみかかり、ちぎっては食べ、ちぎっては食べる。
「私と〝飢餓〟、〝支配〟が束になっても――」ダルマになって倒れている〝支配〟を一瞥し、すぐにアンデッドの咀嚼に戻る。
「私と〝飢餓〟が束になっても敵わない」
しれっと〝支配〟が除外され、コヨミは思わず〝支配〟の方を二度見してしまう。自分の手に握られているイザナミも見つめる。「ごめんなさい」と口走りそうになる。
「陽の光を呼び寄せるのだ。コヨミが呼べる、最大の出力で。私と〝飢餓〟で、なんとかして〝死〟を固定し、焼き殺す」
その作戦の危うさに、コヨミはすぐに気づく。
理由は知らないが、先ほどからお父さんは陽の光を克服している。だがそれは、お母さんの血から造られた血清を摂取している〝死〟も同じだ。その〝死〟を、コヨミの力で倒すことができるのであれば、同じくその光を浴びるお父さんはどうなってしまうのか。
「いくら陽の世界に順応したとはいえ、あの力は太陽とは別のものだ。必ず、〝死〟を撃ち破ることができると私は信じている」
「でも……それじゃお父さんが!」
「やるのだ!やつを倒さなければ!両世界の戦争は避けられぬ!影の世界にも、陽の世界にも、数え切れないほどの死者が出る!」
コヨミはまた泣きそうになる。
せっかく会えたのに。今なら好きなだけお父さんと呼べるのに。
失いたくなかった。
自分の手でそれを行うのが、死ぬほど怖かった。
「大丈夫だ。あの力は、〝死〟から受け継いだものではない」
お父さんが、コヨミと同じ視線まで腰を落とす。暖かい手で、頭を撫でてくれる。
「あなたが母上の――影の女王――私たちの娘であるという、紛れもない証なのだ」
コヨミはぐっと涙をこらえて頷いた。
不器用なりに背中を押してくれたのだとわかった。心配するなと、安心させたかったのだとわかっていた。
そして娘だと、お父さんがきっぱりと言い切ってくれたことに無上の喜びを感じた。そこだけ切り取るなら踊りだしてしまいそうだった。同時に二人が自分に託したものの重みも感じたが、それを飲んで腹をくくるだけのエネルギーはあった。
「おいぃ、歩きづらいぞどぉしてくれる」
〝支配〟がぐにゃんぐにゃんと歩み寄ってきて、感動の瞬間を邪魔する。アンデッドから四肢を奪い取ったのだろう、腕も足も全部大きさがちぐはぐで、バランスが保てていない。
「やんちゃな年頃なのだ、許せ」
お父さんは〝支配〟を一瞥すると、振り返ってコートをコウモリの翼に変えた。
「一瞬でいい、やつの動きを止められるか」
「いいやぁ、アンデッドの軍団ごと陽の光に当てればいい。やつらは焼けて蒸発する。〝死〟のエサにされることはない」
「そうか、では後を頼む」
「あにぃ?」
「我が娘をだ」
それだけ言い残し、お父さんは飛び立った。
時を同じくして、ザンドスニッカーの持ち手が真っ二つに折られた。
先の尖ったレイピアで、細い持ち手をピンポイントで打ち抜いたのだ。人間業ではない。
「っぐぅ!」
右肩をかばいながら戦っていた〝飢餓〟が後ろ向きに倒れる。お父さんが滑り込み、彼女の背を支え、跳ね返すように立ち上がらせる。
「〝戦争〟!」
「まだ戦えるか!」
「当然だ!死ぬまでぇ!」
〝飢餓〟はヘビのように舌なめずりし、短くなったザンドスニッカーを左手で弾ませ、折られた持ち手を右手で拾い上げた。
「どうやって殺す!」
「焼き殺す!我らもろとも!」
「なるほど!いい死に方だ!」
黙示録の第二の騎士〝戦争〟、第三の騎士〝飢餓〟、彼らは二手に分かれ、最大最強の騎士へ向かっていく。第一の騎士〝支配〟は、二人をバックアップするようにアンデッド軍団を差し向ける。
自分以外の黙示録の騎士全員が敵対しているというのに、第四の騎士〝死〟は笑っていた。
その表情は歓喜すら感じさせた。ぎゅるぎゅると大きな泥団子のようになると、少年の姿で勢いよく飛び出した。右手に握っていたレイピアは、鎌の形に戻っている。
「ひゃあ!はぁっ!」
お父さんと〝飢餓〟が一転、防御態勢をとった。イザナギとザンドスニッカーが激しい金属音を鳴らし、震える。二人はそれぞれ、こめかみのあたりに切り傷を負う。
「にいぃ!」
額に汗かきながら、〝支配〟がアンデッド軍団で間を埋める。〝死〟の姿を覆いつくす。お父さんと〝飢餓〟がその後ろからすぐに距離を詰める。
「なんだぁ、そのぬるい攻撃はぁ……」
離れて見ていたコヨミですらぞっとした。
アンデッドたちの下から、どす黒い殺意に満ちた声がした。
ぎゅうぎゅうのおしくらまんじゅうのようになっていたアンデッドたちが、くす玉のようにパッカンと割れ、はじけた。
「この程度で俺を止めるつもりか!?黙示録の騎士が聞いてあきれる!」
腐った血の雨を浴びながら出てきた〝死〟に、お父さんと〝飢餓〟が同時に切りかかり、殴りかかる。イザナギを鎌で受け止め、ザンドスニッカーを素手で打ち返し、〝死〟は暴れた。
お父さんの左腕が切り裂かれ、肩から先が胴と泣き別れになる。左腕はまたたく間に数十羽のコウモリに分散し、〝死〟の背後に回り込む。お父さんの分身になる。片腕のお父さんと両腕があるお父さんが、前後から〝死〟を挟み込む。
「だから甘いとぉ!」
〝死〟の右腕が蔓のように伸び、しなった。前後二人のお父さんの攻撃を同時に防ぎ、同時に反撃の斬撃をぶち込んだ。両腕のあったお父さんはバラバラにばらけ、大量のコウモリになって飛散した。片腕のお父さんの前には〝飢餓〟が割込み、右手に握ったザンドスニッカーの持ち手で攻撃を受けた。持ち手ごと彼女の右手は裂け、その後ろにいたお父さんも右肩から左のわき腹まで大きな切り傷を負った。
「ぬるい!ぬるい!ぬるいぬるい!」
折り重なって倒れるお父さんと〝飢餓〟を、〝死〟は何度も踏みつけた。かぁ!と気合のようなものを飛ばし、目に見えぬ衝撃波で残っていたアンデッドを吹っ飛ばした。
「5000年――先祖が味あわされた屈辱を忘れ!陽の世界に対する恨みを忘れ!黙示録の騎士は弱くなるばかりだ!だぁから俺は言ったのだ!継承すべきは記憶だと!つまらん能力だけ受け継ぎ!一時の安寧にあぐらをかいた結果がこれだ!終いには!陽の世界から来た売女が女王になる始末だ目も当てられん!」
「うっ!わああぁぁぁぁ!」
我慢の限界だった。
お父さんとお母さんのことを悪く言われたのが、たまらなく悔しかった。コヨミはがむしゃらに突っ込んだ。
「コヨミ!」
「コヨミ様!」
床に倒れたまま、お父さんと〝飢餓〟が叫ぶ。
「おいおい……ちくしょうがぁ!」
口元の包帯を引きちぎって叫び、〝支配〟自ら、〝死〟に向かって駆け出した。
「いいぞコヨミ……こい!」
振り返りもせず、〝支配〟の左腕と左足を切断し、放り投げると、〝死〟はコヨミに向き直った。あっさりとイザナミをかわし、鎌を左手に持ち帰ると、コヨミの右肩に突き立てた。
「ぎゅっ!うぅ……!」
イザナミは〝死〟の脇の下、何もない空間を貫いた。横に切り払ってやりたかったが、鎌が肩の骨に食い込み、どうにも動かせなかった。
「そうだ……それでこそ俺の娘だ!」
〝死〟の顔が、ボーイフレンドのものに変わっていく。左手で、体中を撫でまわされる。懐かしくもおぞましい感覚に、コヨミは歯を食いしばって耐える。
「触れなくても再現できるんだな……?あぁ!?んん?くっくっくっ……すでに俺を超えているぞ……!その力が証明している!お前がなんと言おうと!〝戦争〟が!あの女がなんと言おうと!お前は俺の子だ!影の世界を統べ、影の同盟を率い!陽の世界を滅ぼす!それがお前に与えられた役目だそのために創った!子供は!親の言うことを聞いていればいいんだ!」
コヨミは笑った。
「……ふふっ」
最初は小さく、次第に高らかに、朗らかに。
「ふははっ……!あはっ……!あははははははは!」
どれだけ右肩が痛もうが関係なかった。
おかしかった。
それだけで、たったそれだけで父親面する〝死〟が、死ぬほど面白かった。
「ひーぃ!ひい……はぁ……お前ぢゃ、ない……」
「なにぃ!?」
「うちの…………私のお父さんは〝戦争〟!黙示録第二の騎士〝戦争〟じゃ!なぁんも説明せんし!嘘つくし!タバコも吸わせてくれん!でもあったかいんじゃあ!頼んでもないのにつきまとって!死にそうになりながら守ってくれて!お母さんのこと、今でもずぅっと好きでいてくれとるんじゃ!血がつながっとるけぇなんじゃ!それしかなかろうが!」
ボーイフレンドの顔が、額に汗し、悔しそうに下唇を噛みしめる。
コヨミはありったけの声をかき集め、ぶちまける。
「お前じゃなれん!」
「偉そうな口を……!」
鎌で引き寄せられ、コヨミは首を掴まれる。
「うゔ!」
「ならいいさ好きに言え!本当の親が誰か……体に叩き込んでやる!」
「いっひっひっ…………もう忘れたん?」
「なにぃ?」
「うち――大人の言うこと聞くの――苦手なんよね」
「――――――――ぐっ!」
ボーイフレンドの顔が苦悶にゆがむ。
やつの右肩に一筋の線が入る。コヨミの喉を閉めていた力が、ふっと抜ける。
やつの背後に、イザナギを振り上げるお父さんがいる。
「ぐぅああぁーっ!」
初めて〝死〟が血を流した。
右肩が、胴体から完全に離れた。
「ゔゔゔゔ―っ!」
〝死〟がコヨミの背後に回る。コヨミは身構える。右肩に突き立っていた鎌が引き抜かれ、ものすごい力でわき腹を蹴られる。どちらに絶叫しているかわからなくなりながら、コヨミは転げる。
「〝飢餓〟!」
お父さんが叫ぶ。
「コヨミ様!」
〝飢餓〟が叫ぶ。
コヨミはイザナミを逆手に持ちかえ、槍投げのように投擲する。
お父さんと〝死〟は、互いに片腕一本で激しく切り結んでいる。
〝飢餓〟が、自分の銀髪をむんずとつかみ、上に引っ張り上げる。まるでゆで卵の皮をむくように、〝飢餓〟の表皮がつるんとむける。まっさらに生まれ変わった〝飢餓〟が、その下から出てくる。〝死〟に突かれた右肩も、切り裂かれた右手も、赤子のようにつやつやに治っている。
お父さんの体が無数のコウモリにばらける。〝死〟の攻撃は空を切る。コウモリたちは真っ黒な竜巻のように〝死〟の周りをぎゅるぎゅると飛び回り、六人のお父さんへと変貌する。六人全員が、イザナギの切っ先を〝死〟へ向けてぐるぐると回り続ける。
走りながらイザナミをキャッチし、〝飢餓〟がお父さんと分身を飛び越えて〝死〟へ向かう。
「私に続けぇ!〝戦争〟ぉ!」
お父さんと分身がそれに続く。さらにその後ろから、数十体のアンデッドが続く。〝支配〟が、首だけで起き上がり死者を操っている。
ザンドスニッカーとイザナミの二刀流で、〝飢餓〟は〝死〟に挑む。〝死〟は右腕一本でそれをいなす。六人いるお父さんが、次々に突進する。〝飢餓〟のザンドスニッカーが〝死〟の鎌をはじいた隙に、イザナギが〝死〟の肩を、ももを、二の腕を切り裂く。
「ぐうぅぅぅ!うぇあああぁぁぁ!」
的を小さくしたかったのか、〝死〟は少年の姿に戻り、鎌を滅茶苦茶に振るう。お父さんの分身が一体、また一体と鎌の直撃を食らい、コウモリに四散する。せっかく復活した〝飢餓〟の頬に、鋭い切り傷が走る。
「お前らぁ!今だぞぅぉ!」
〝支配〟が柄にもなく大声で合図する。アンデッドたちが一斉に飛び上がり、〝死〟の右腕、そして両足にかぶりつく。
「ぐぅあああ!」
〝死〟は再び目に見えぬ衝撃波でアンデッドを弾き飛ばす。お父さんと〝飢餓〟はその場で踏みとどまる。
アンデッドと入れ替わるように、〝飢餓〟が前に出る。イザナミの切っ先を、〝死〟の胸元へ伸ばす。
「つあっ!」
イザナミがついに刺さろうかというとき、〝死〟は大きく後ろへ下がり、致命傷を防いだ。黒い刃体は、やつの体の表面をなぞるだけで――終わらなかった。
「ぬるあぁ!」
〝飢餓〟はイザナミから手を放し、トンカチで釘を打ち込むように、その柄をザンドスニッカーで殴りつけた。
「っな――――」
〝死〟が目を見張る。
神が天界から落とした剣が、地中深くまで突き刺さるように、イザナミが胸に突き刺さる。その勢いで、〝死〟は後ろに吹っ飛ぶ。
お父さんの分身――残された四体が――〝死〟の真後ろに収束する。イザナギを構え、待ち構える。
「ぐっ!ぅぅぅあああああああ!」
〝死〟の胸を、イザナギの刃体が貫く。お父さんは右腕一本で〝死〟の体を持ち上げる。
イザナミの柄とイザナギの刃体が、陽の光に照らされてギラリと光る。
「ぅぅうおおおおおおおお!」
ザンドスニッカーをかなぐり捨て、〝飢餓〟が体当たりをかます。イザナミをより深く押しこむ。その上からさらにアンデッドが折り重なり、こんもりと山のようになる。
今だ――――
頭ではわかっている。
コヨミは右手に全神経を集中させる。まぶたに力を入れ、黄金の視界を引き絞る。
やらなくてはならない――しかし――
「――お父さん…………!」
踏ん切りがつかない。
アンデッドの山が、噴火寸前の山のように膨張する。何体かは裁判所の天井まで打ち上げられ、ぐしゃりと潰れる。胸を貫かれてなお、〝死〟が暴れている。
「ぜぇ……!あぁ!ぐおおおおおぉぉぉお!」
地獄の底で叫ぶ悪魔のようだった。アンデッドたちの隙間から、牙をはやし、〝飢餓〟の腕に噛みつく少年の姿が見えた。
〝支配〟はアンデッドを絶え間なく呼び寄せている。だがそれを超える速度で〝死〟が吹き飛ばしていく。供給が追い付かない。
「コヨミ様!」
締め付けられたような声で〝飢餓〟が叫ぶ。右腕をつぶされ、左腕と両足でイザナミを押さえつけている。
「コヨミ様ぁ!」
アンデッドに指示を飛ばしながら、おびただしい量の鼻血を流しながら、〝支配〟が懇願する。
「でも……」
決断できない。
「でも……!」
「コヨミ!」
お父さんの声がする。
「大丈夫だコヨミ――大丈夫だ」
物陰からささやくような声で、お父さんは言う。
「最初に言った通り、私はあなたの味方だ」
右腕で〝死〟の体を抱きかかえ、決して離すまいと力を込め、それでも、穏やかな顔でコヨミに語り掛ける。
「いつ、いかなる時も、何が起ころうとも――」
黄金の視界がにじむ。
コヨミは涙をこらえられなくなり、嗚咽する。
お父さんは頷くと、満足そうに笑った。
「――お前を愛している」
「うわああぁああぁぁあぁあああああ!」
最も強い力で陽の光を引きずり下ろす。
裁判所の天井が、固い大理石が熱で溶ける。
ぼたぼたと、白んだ液体とともに、陽の光が落ちてくる。
太陽がそのまま落ちてきたような、ものすごい熱と光量だった。触れるものすべてを焼き尽くす黄金の光だ。
アンデッドが一瞬で蒸発し、〝飢餓〟と〝死〟、お父さんだけが残る。
〝飢餓〟の背中が真っ黒に焼けこげ、〝死〟の顔からも煙が上がる。一番下にいるお父さんも、陽の光から顔をそらす。
「ぐうううううう!うぐあああああああああ!」
〝死〟は無我夢中で暴れていた。しかし背後にいるお父さんには手が届かない。〝飢餓〟を殴りつけ、殴りつけ、殴りつけ、イザナミから引きはがした。
「ぐあぁっ!」
〝飢餓〟の体がはじけ飛ぶ。〝支配〟が呼び寄せたアンデッドが、彼女を受け止める。
「うぅ……!」
目の奥に痛みがさす。
しかしコヨミは両足でしっかりと地面を踏みしめ、両手を〝死〟とお父さんの方へ向ける。
力を込めるほど目の痛みは増し、腕は重たくなった。それでも緩めなかった。
「いぇやああぁぁぁぁあああ!」
雄たけびを上げるとお父さんは、イザナギを握り直し、天高く掲げた。
「うぅ!うゔ!うゔぁああああああああ!」
〝死〟は絶叫した。頭を振り回した。鎌を持つ手も振り回した。
少年の顔が歪み、大男のものに変わった。ひょろ長い青年やボーイフレンドの顔にもなった。お母さんの顔も現れた。コヨミがまだ見たこともない、何十何百という顔に目まぐるしく変わった。そのどれもが、苦悶の叫びをあげ、逃げ出そうと首を伸ばしていた。
二人の体が黒焦げになる。真っ白な炎が上がる。
つま先や足先から、はらはらと灰になり、散り始める。
黄金の視界の中――コヨミは最後までお父さんを見つめ続けた。
お父さんは一度も苦しそうな顔をしなかった。
叫び声一つ上げなかった。
最後まで、笑顔でコヨミを見つめてくれていた。
カラン、カラン――固い金属が二つ、地面に落ちる音がした。
コヨミはそっと、目を閉じた。
裁判所のような建物はほとんど崩壊していた。
天井の半分が崩れた、もしくは溶け、ステンドグラスやガーゴイル像は粉々、玉座は跡形もない。傍聴席の座席もめくれ上がったか燃え尽きている。
わずかに残されたステンドグラスから、聖なる光のように、陽の光が降り注いでいる。
キィ、キィ、と鳴きながら、コウモリたちが光に触れないよう、器用に飛び回っている。地面には、ムカデやクモが戻ってきている。
どれくらいの間そうしていたのだろう。コヨミは打ちひしがれ、べったりと座り込み、くすん、くすんと泣いていた。
影の戦争は、始まることなく終わりを迎えた。
でもコヨミは心の底から喜べない。強がって笑うことさえできない。
払った代償は大きかった。
あまりにも大きかった。
お父さんは行ってしまった。
約束通り、〝死〟を道連れに行ってしまった。
お母さんが待っている場所まで、行ってしまったのだ。
コヨミはまた、一人ぼっちになった。
「コヨミ様……」
〝飢餓〟が寄ってきて、小さな手で背中をさすってくれた。
朝が来るまでずっと、コヨミはすすり泣いていた。
黒い煙のようなものを全身にまとわせ、コヨミは帰ってきた。
ちょうど、彼女がいなくなった海岸線に、ありとあらゆる捜査機材を持ち込んで準備していたところだった。
太陽の向こうから落ちてきたようだった。ただし、隕石のように急降下するのではなく、ふわりと着地する風船のようだった。僕は呼びつけたFBIの本隊とともに、彼女を迎え入れた。
腰に真っ黒な剣を下げていたので、僕の同僚たちは大変に驚いていたが、なんとかなだめすかした。
コヨミは両頬に涙の跡をべっとりとつけ、力なく笑っていた。
へなちょこなピースサインには、チェーンについたドックタグがぶら下がっていた。
僕は――抱きしめるのは少し違う気がしたので――彼女とグータッチした。
彼女はすこし顔をふやかせて、ふんすと鼻を鳴らした。
アメリカでの様々な手続きを――ジョーがかなり強引に――進めて、コヨミは二週間ぶりに日本へ帰った。
おばさんはまだ入院中だったので、再会したのは病院だった。
影の世界であったこと、自分の出自、そして、今後のことについて洗いざらい話した。
おばさんは折れてない方の腕でコヨミを抱きしめてくれた。
コヨミはまたたくさん泣いた。
コヨミは女王の座を受けついだ。影の女王だ。
冠帯式のことは、面倒すぎて思い出したくもない。
ただでさえ「また世襲に戻すのか」とか、「空席となった黙示録の騎士の座をどうするのか」とか、「陽の世界から奪った金品をどうやって返すのか」などなど、頭を痛くする問題がいくつもあったのに、その上さらに、伝統的な式の形式を一つ残らず頭に叩き込まなければならなかったのだ。
二度とやりたくない。
コヨミは〝飢餓〟にそうこぼした。
それは、5000年の歴史で最も質素で、しかし最も意義のある冠帯式になった。
影の女王の座が再び世襲によって引き継がれ、それは、陽の世界と影の世界、両世界の血を継いだ子供によって成された。
街の全住民が王宮に招かれ、おごそかな雰囲気で式は執り行われた。
先代女王のように、陽の世界との友和を目指す者も、〝死〟にかどわかされ、影の同盟に入っていた者も、みな一様に集め、コヨミは丁寧に説明した。
玉の間の中央、一番奥は階段状になっており、ここには王と、黙示録の騎士しか上ることを許されていない。そして階段の最も上にある玉座は、王以外、触れることすら許されない。
コヨミは玉座につながる階段を上がった。玉座の両脇に、剣先が突き刺さった状態で、黒い刀剣が二振り在る。玉座を守る門扉のような面構えだ。
袖が大きく垂れた黒いレースのドレスをはためかせ、平民が一生かかっても触れることができないひじ掛けを何度も撫で、コヨミは玉座に腰かけた。
先代女王の代理として、〝飢餓〟が王冠を持ってくる。
大粒の黒い宝石と、美しい白い宝石で飾られた冠だ。コヨミは玉座を降り、跪いてそれを受け入れた。
玉の間にいた者は、皆険しい顔だったに違いない。後方にいる民の顔を直接見たわけではないが、コヨミには確信があった。
陽の世界のとの友和。
コヨミの女王就任に伴い、それが影の世界の共通目的だと、改めて確認がなされた。しかしそれを達成するための障害は多い。
これから陽の世界との交渉が始まる。
ジョーを窓口として、影の同盟が奪った命の謝罪と、金品の補償だ。その着地点をどこに持っていけばいいのか、コヨミには未だ見えない。
大丈夫だ。私はコヨミに語り掛ける。
コヨミは控室を後にする。
影の世界、その街に初めて顔を出す。
灰色の空、光を出さない太陽、影の陰――すべてが新しい。
通りを抜け、大きな噴水にたどり着く。
皆、コヨミと距離を置く。
気にはなるのだろう、軒先に出てきてジロジロと見るが、近づくと病魔でもうつされると思っているのか、二メートルと寄ってこない。
大丈夫。あなたはあの人の子だ。
言いようのない寂しさに襲われ、コヨミは思わず泣きそうになる。
しかしぐっと奥歯を噛みしめ、こらえる。
ぎこちなくとも笑顔を作り、民に笑いかけた。
あの人と、私の子だ。
子供が一人、近寄ってきた。
コヨミは膝を折り曲げ、視線をその子と同じ高さにした。
かわいい女の子だった。色の濃淡しかないこと以外、陽の世界の子供となんら変わりはなかった。
彼女はコヨミの頭に手を伸ばし、左耳の上につけていた青い蝶々のブローチに触れた。
コヨミはちょっと待ってね、とつぶやき、蝶々のブローチを外した。
優しい手つきで、その子の頭にとまらせてやった。
彼女はしばらく蝶々を手でこねくり回していたが、やがてきゃあきゃあと笑い始めた。
それを見て、街の人々の間に流れていた空気が変わった。
ほっとした安堵のような、柔らかい空気が流れたのだ。
コヨミはそっと胸をなでおろして、歩み寄ってくる人たちに笑顔を振りまいた。まだぎこちなくとも、いつか本当の笑顔になると信じて。
風がふいた。
髪留めのなくなったコヨミは、風になびく白髪を手で押さえた。風の行方を見上げた。
キィキィと鳴きながら、コウモリが羽ばたいていた。
空を埋め尽くすほどの、たくさんのコウモリだった。
コヨミは今度こそ、満面の笑みで彼らを見上げた。
そうとも、私はいつでもお前を見ている。
私は影の女王に仕える者。
黙示録、第二の騎士――
我が名は――
影の〝戦争〟




