好きこそものの上手なれ
【好きこそものの上手なれ】という諺を否定する人が数多くいる。
否定する人の意見はこうだ。
「好きで続けてはいるが、一向に上手くならない」
「下手の横好きなんて言葉の通り、上手さと好きに関連性はない」などなど。
確かに好きの一点張りで上手になれるのなら僕は今頃『令和のレオナルドダヴィンチ』と呼ばれていたことだろう。
万能の天才も夢ではなかったのだろう。
しかし、ならこの諺は間違っているのかというと、それは違う。
上手になるためのワンステップ目が、好きであるということなのだ。
(まぁ必ずしも『好き』という感情が上達に必須かというと、そういう訳でもないのだが、今は関係ないので置いておこう)
例えば、野球。
野球が上手くなりたければバットを振り、ボールを投げ、走り込み、身体を野球専用に鍛え上げる必要性がある。
――野球が嫌いでそんな面倒なこと出来るか?もちろん強引に育て上げることはできる。けれど、いつかは無理も出てくるしストレスも溜まる。そもそも努力の質に嫌々するのと進んでするのとでは雲泥の差がつく。
もうお分かりの通り、本当に野球が好きならばこれらの苦行を平然と行えるのだ。
他人からすれば辛く苦しい運動も、嬉々として実行できるのだ。
「何故かって?好きだからだよ」
好きだから上手になるのではない。
好きだから真剣に取り組み、その結果自然と上手になるのだ。
つまり【好き】という感情は、始まりの一歩なのだ。
「そこでどうだろう、僕らもいっそ付き合ってみるというのはーー…そうか。いや、仕方ない。・・・---・・・…やっぱり、好きだからと言って上手くいく訳ではないな。いやぁ、勉強、勉強」