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オーダー7番席『デビルズケーキ』

この物語はフィクションです。

実在の団体や人物などとは一切、関係ありません。




       1




 ――七年前。

 ママの御月は、布団にくるまる我が子の頭を撫でる。ついさっきまでパパと夫婦喧嘩していたことで、ボクが寝つけなかったのだ。

「……ねえ、ママ。ボクの名前が、眠兎なのは何で?」

 それが気になった理由は、忘れてしまった。もしかしたら、男の子の体である自分に嫌気が差して、生まれてこなければ良かったと思ったのかもしれない。

「ああ、それね。パパが考えたのよ」

 意見が対立していた相手に対して、ママは毒づくことなく語る。襖から子供の泣き声を聞いて、冷静になれたのだろう。

「『横になって眠るウサギみたいに、家で安心してリラックスできますように』、そんな想いを込めたんだってさ」

 現実はそうならなかった。セーラー服で学校生活を謳歌することが、できなかったように。未来に至っては、実家へ帰ることすら。

 そしてボクは、パパのことを――。




       2




 トリック・オア・トリート。Χ菌を除菌しなくちゃ、お菓子がもらえないよ。いつからだろう、日本のハロウィンでの決まり文句がそう移り変わったのは――。

 少なくとも、菌死禍になってすぐではない。みんな、家族や友人といった大切な人を亡くして、それどころではなかったからだ。庇護者のママを喪ったボクと同じで。

 ケーキ屋さんの窓に飾ってある、ジャック・オー・ランタンのステッカー。カボチャのお化けさんには、魔除けの効果があるらしい。ナーキッドの登場によって、製菓会社は復活を果たした。現在では持ち帰り販売を中止して、除菌スタッフのいる店内飲食か安全圏での取り寄せがメインになっている。

「どうしたの、眠兎? 黄昏れた顔して」

 店内で正面に座る橙香が、フォークを置く。

「ママとの思い出が甦っちゃったんだ」

「ふうん。悪魔の誘いに負けたくせして、余裕ね」

 相棒(バディ)が指差したのは、ボクの皿に乗る、どっしりとした黒のコーティング物体。チョコレートのスポンジ生地にガナッシュとアプリコットジャムの三重奏(トリオ)で、味わった者を魅了するデビルズケーキだ。

「だって、食べてみたかったんだもん」

「運動不足で太っても、知らないわよ」

「橙香の意地悪! なら、ダイエット手伝ってよ」

「スパルタで長続きできれば、確実に痩せさせてあげる」

 膨れっ面でそっぽを向く。筋トレが趣味な人に付き合ったら、身が持たないもん。

 輝レイと煇レイが第四世代機へとアップデート完了するまで、ボクらは束の間の休暇を満喫していた。橙香が口に含んだマンゴープリンを飲み込み、嘆息する。

 食品防衛部隊による大規模掃討作戦の決行も、再来週にまで迫っている。C&Rセキュアの除菌士スタッフとも合同で、都心中のΧ菌を屋外で滅菌するプロジェクト。どうやら、Χ菌出現による国民の行動変容で日本経済の危機を感じた政府から、早急な対応として命令が下ったそうだ。

 大根司令官は、食衛技術研究所で頭を抱えていた。黒幕の疑いがある戚利グループの参戦に。まだ証拠を掴めていないのに。だからと言って、救国の英雄として国民から人気の先方を拒否する訳にもいかない。

 不安要素がある現状でも、橙香とボクにできることはただ珠子女史の改修作業を待つのみ。暇を持て余すとは、このことである。食衛技術研究所に籠りっぱなしも不健康なので、戚利グループと提携していないお店でくつろいでいたのだ。

 悩み事は、もう一つある。ボクのおでこに痣となって消えない、Χの印だ。市立病院へ行って血液検査したところ、単なる打ち身じゃないかと、医者はぶっきらぼうに診断した。

 納得がいかず、珠子女史に相談したところ、非接触スキャナーでボクのおでこを調べた。「やはり、ナノ(、、)()シン(、、)でしたか。薮医者(やぶいしゃ)に当たりましたね」念のため無闇に取り除こうとはせず、その人工物のプログラムを解析してくれるそうだ。

 ケーキセットの紅茶を飲み干す。どうしてまた、そんな代物がボクの体内にあるのか。謎と不安は増すばかりで、橙香に釣られて溜め息が出る。

 トレイを返却口に持っていき、橙香とボクはパティスリーから出た。街中を散策して、シルバーブロンドの女性とすれ違う。ハーフアップの髪型がお嬢様のような気品を醸し出している。在日外国人の方だろうか。この御時世、海外からの観光客もかなり減ってしまった。Χ菌繁殖区域の都心と安全圏の田舎で、格差ができるくらい。

 不意にその女性が、こちらへ振り返った。目を輝かせて、駆け出す。

「橙香サーン、会いたかったデス!」

 勢いのまま飛びついた。ボクと相棒(バディ)の距離が離れる。

「あなた、ガリなの!?」

はい(ヤー)、正真正銘ワタクシでありマス」

「雰囲気が変わってたから、気づかなかった」

 話に入っていけない気がして、ボクは言葉を慎んでいた。橙香が察する。

「眠兎の家で話した、私の同級生よ。除菌士学校の頃、風紀委員長をやってた子」

 では、この人がかつて相棒(バディ)だった橙香を副委員長の座に就かせた学年主席。クラスメートの噂で聞いたことだけど、ナーキッドの操作が達人クラスだったはず。

「あの、初めまして……」

「あれ、眠兎はガリの顔を知らなかったっけ?」

「ボク、上級生に避けられてたみたいだから」

 橙香の名前を口に出して尋ねたら、何故か煙たそうな目で無視するのだ。主に女子生徒から。それからと言うもの、先輩の階へは怖くて上がれなかった。

「橙香サンは、ワタクシたちの王子様(プリンツ)でしたカラ。気になさらないで下さい、氷上眠兎サン」

「よく言うわよ。あなたの方が戦績が上で、女帝(クイーン)だったじゃない」

「ワタクシに一撃を与えられたのは、橙香サンだけでスヨ!」

 機嫌を損ねるネガティブ彼氏に、長所で持ち上げようとする世話好き彼女のようだ。橙香が素を出せている。離れないと信頼しているのだろう。

「その……。ボクの名前、ご存知だったのですね」

はい(ヤー)、操縦訓練の学年トップでしたヨネ」

 ちなみに学年首席は、零門くんである。除菌士技能だけでなく、ナノ加工技術まで履修して、通知表オールS。だから除菌士でありながら、ナーキッド整備士の仕事もこなせるのだ。

「改めまして、天津(あまづ)イングヴェア(はれ)と申しマス。ガリちゃん、と気軽にお呼び下サイ」

 本名と愛称の繋がりが解らず、ボクは戸惑う。見兼ねた橙香が、説明を付け足す。

「イングヴェアは、生姜って意味よ」

「ワタクシのお母様は、生姜好きなんデス。橙香サンが渾名をつけてくれまシタ」

 あまづイングヴェア→甘酢生姜。橙香にしては、意外なネーミングだ。一歩間違えれば、悪口に聞こえるだろう。

 ボクは勇気を出して、愛称で呼んでみる。橙香の友達なら、仲良くなりたい。

「えっと、ガリ……ちゃん……」

 彼女は「キャー!」と叫んだ。感激している素振りだった。

「橙香サン。ワタクシ、弟ができたみたいデス!」

 同級生は呆れ顔で聞き流した。話を逸らす。

「髪染めたのね。食衛隊って規則厳しいんでしょ、大丈夫なの?」

問題ありません(ケイン・プロブレーム)、蹴っちゃいましたノデ。今はC&Rセキュア本店で、除菌士チーフに就いているんでスヨ」

 橙香の顔が心配そうに歪む。

 ガリちゃんは腕時計を見た。ボクでも知っている高級ブランドだ。

「いけません、出勤時刻デス。またね(ビス・ダン)、眠兎サン」

 手を振って去っていく彼女の背中を、ボクらは見送る。

「……あの子もね、家族と会えないの。祖国へ帰りたがっていたのに、Χ菌を持ち込んではいけないって、父親が禁止したそうよ」

 菌死禍が続く現在、渡航制限は未だ厳戒態勢であり、外国からのイメージも最悪だった。評論家によれば、いずれ航空産業もその需要の高さで回復していくだろうとの見解だが、その兆しは見えやしない。

「その犯人が戚利グループだって聞いたら、傷つくでしょうね……」

 家族と離れ離れの苦しみ。橙香は痛いほど身に染みている。

「ガリちゃんのためにも、ボクら二人で悪者を懲らしめよう!」

 やる気が湧いてくる。帰ったら、ママさんにナーキッド戦の稽古をつけてもらおう。

「明日はどうする、眠兎?」

「そうだった。ごめん、橙香。別の用事があるんだ」

 相棒(バディ)は首を傾げる。

「零門くんとね、妹ちゃんのお墓参りに行くんだよ」

 旅行のトラブルで、彼はお盆休みを返上して、調査していたのだ。巻き込んでしまったお詫びも兼ねて、付き合うつもりだった。




       3




 霊園は紅葉に染まっていた。

 掃除して打ち水で清めた蜜口家の墓に、ボクはリンドウの花をお供えした。零門くんがお線香を上げ、一緒に合掌する。

 彼の瞳は、悲しげだった。見つめているのは、墓前に置いた二つの着せ替えぬいぐるみだった。

「妹ちゃんが好きだったの?」

「ああ。俺がよく相手になって遊んでいた。柚子(ゆず)は好物で亡くなったから、代わりにな」

 最後の言葉には、どことなく重苦しさを感じ取れた。通常種のO157による食中毒だとは聞いていたけど、妹さんの名前は初耳だ。

 後片付けして、霊園を散策する。マナーさえ守れば、不謹慎ではない。管理している草花を持ち帰るのは、厳禁。自分で出したゴミを持ち帰るのは、もちろん。SNSに写真をアップしない。お墓の敷地内へ入らない。夜中は石階段や砂利道の危険性に、不審者だと勘違いされる可能性もあるから控えるべき。

 喧騒溢れる街中から離れ、二人で紅葉が見守る静寂に浸った。

「情景を楽しむ中、悪いのだが。昨日の全体召集会に、戚利グループの総帥がいた」

 零門くんは大根司令官に嘆願して、最重要機密へのアクセス権を頂けた。志賀家の変死事件について詳細を調べたら、現総帥であり次男の志賀直吉にはアリバイがあるようだ。父親と長男の死亡日、ハワイに長期滞在していたらしい。

 ただし気がかりな点として、死因がΧ毒素(、、、)であったと数年後に判明したことだ。菌死禍で亡くなった人を司法解剖したとき、監察医が変死事件で記録していた細胞のサンプルデータと一致していることに気づいた。

 警察は変死事件とΧ菌出現に関係性を見出だしたが、証拠が集まらず迷宮入りとなった――。

「どんな人だった?」

「まるで、造花のような男だ。人の視線を惹き付ける異質さがあるが、どこか生気のない冷たさも帯びていた」

 ボクは織田信長を連想する。

 ショルダーバッグから携帯端末の振動が伝わってくる。画面を覗くと、大根司令官だった。

「はい、こんにちは。零門くんですか? 隣にいますけど。代わってほしい?」

 携帯電話を持たない主義の食衛隊員への連絡は、無線機がないオフの日に、上司が困るようだ。

 零門くんは謝罪してから、司令官からの言伝を聞いた。おもむろに目を見開く。

「あれが完成したのですか。承知しました。明日、受け取りに行きます」

 携帯端末をボクへ返した。

「あれって?」

「黴切真打ちの使用許可が、文化庁から下りたんだ。それに伴い、蜜口家の当主が大義を果たせと、俺専用の第三世代ワンオフ機を新造させた」

「それって国宝だよね。みんなに期待されてる!」

 食衛隊へ支給する熱太刀<黴切>は、ほとんどが影打(かげうち)の複製品である。日本最古のマイクロスケール刀、黴切真打ち。戦国時代の依頼者が何故、鍛冶屋に武器としても飾りとしても扱えない刀を作らせたのかは不明であり、除菌校七不思議の一つだった。

 しかし、耐久性においては比類無き名刀そのもの。腐食どころか、プラズマ切断でさえ無傷だったらしい。同じ業物の作成はもはや不可能で、紛失や人体に刺さる問題を考慮して、文化庁が徹底管理しているのだ。

 第三世代専用機の開発には零門くんも立ち会い、新武装を考案したそうだ。

「親の七光りのようで、不服だがな」

「それでも、すごいよ!」

 零門くんは首を横に振った。

「俺は……眠兎の尊敬に値するほど立派な人間ではない」

 またしても、表情に(かげ)りができる。

「妹が死んだのは、俺のせい(、、、、)なんだ」

 彼は自身が背負っていた十字架を打ち明ける。

 両親のいないときに柚子ちゃんは、ハンバーグが食べたいと駄々をこねた。家政婦は日用品の買い足しに出かけている。十歳の零門くんは妹の願いを叶えてあげようと、一人で調理したのだ。それが凶と出ることも知らず……。幼さ故、表面に焦げ目ができても中身が生焼けだったことに気づかず、耐性のない五歳児は腎不全を患ってしまった。

 家政婦に責任追及が向き、未成年の零門くんはお咎め無しとなった。柚子ちゃんの死ぬ間際まで苦しんでいた光景が、脳裏から離れないのだと言う。

「すまない、暗鬱な話だったな。飲み物でも買ってくる」

 悲嘆を押し殺すように、零門くんの口許が緩む。今まで見せてきた、不器用さと強さの理由が解ったかもしれない。

 カフェオレを頼むボク。彼は休憩所の自販機へとスロープを下りていった。

「零門くん!」

 手すり越しに呼び止める。

「どんな罪を背負っていたとしても、ボクはお店で待ってるから」

 ボクの方へと見上げる零門くんは目を細める。その笑顔が本当の安らぎだと確信できる日まで、寄り添いたい。

 住んでいる場所が遠距離だったとしても。恋愛対象が女の子だったとしても。男の子らしくないボクを肯定してくれた親友だから――。

「待たせたね、眠兎さん」

 誰かがボクに声をかける。

 振り向くとそこには、漆黒のコートを羽織ったアンダーポニーテールの男性が立っていた。

「……潔さんですか?」

 いつものメイクをしていなかったから、すぐに思い浮かばなかった。

「偶然じゃないですよね。どうしてボクの居場所を?」

「稲餅さんから連絡があったんだ。娘さんを通して、ここにいると知った」

 そうか、喫茶オレンジセントの常連だったのだ。連絡先を交換していても不思議ではない。

「戚利グループを糾弾する証拠が集まった。稲餅さんも近くにいる。ついてきてくれるかい?」

「わかりました。食衛隊の友達も来ています。彼も一緒に――」

「眠兎、離れろ!!」

 零門くんが叫ぶ。休憩所の方へ向き直ると、こちらへ駆け出していた。

「そいつは戚利グループの総帥、戚利シゲラ(、、、、、)だ!」

 血の気が引く。

 潔さんは後ろからボクを押さえて、側頭部に霧吹きスプレーボトル型格納庫を突きつける。零門くんが肩掛けバッグから黴キラーの母艦を取り出して構えるが、人質を盾にする凶悪犯の前では動けなかった。

 スロープの下、オールブラックのスーツスタイルに身を包む集団が零門くんを取り囲む。逃げ場を完全に封じた。

 佐藤潔だった人は嘲笑を浮かべる。

「苦労するよ、常に人畜無害を演じるのはね」

 その声色は、別人のようであった。

「蜜口零門、君には感謝している。人気のない場所で氷上眠兎を連れ去る、仲人(、、)になってくれて」

 零門くんの顔が絶望に歪む。

「その御礼に、チャンスを与えよう。僕のナーキッドを決闘で破壊できたのなら、このお姫様のことは諦めるよ」

 彼は深呼吸して、ワンピースサングラス型ヘッドギアを装着した。

 戚利グループの総帥は、部下に人質を預ける。ボクにもヘッドギアを被せた。ナーキッド視点の映像はすでに表示されていて、他の人が操っているようだ。

「食衛隊分隊長、蜜口零門。黴キラー、出る!」

「総帥、戚利シゲラ。A(アー)リマン、降臨」

 二人は母艦のトリガーを引く。

 スロープ手すりの桁橋を横切る水球より、赤色の三角巾ヘッドの機体、黴キラーは霊園の屋外宙域へ飛び出す。

 外部カメラの向きは動く。友軍信号をキャッチして拡大すると、戚利シゲラの使用機体だと思われるナーキッドが佇んでいた。

 背中に生える、八枚の光量子機動翅。西洋甲冑を彷彿とさせる白色の装甲は、上半身のみならず脚部全体も重厚で、男性的シルエットとなっていた。左肩につけた、黒薔薇のマークが目を引く。型番識別には、<Ah-riman ver4>と記載してある。

 そして、頭部の形状は騎士の仮面。対ノロウイルスΧ制圧作戦のときに煇レイを襲撃した、あのナーキッドだった。

「穢テオトルと似ていたナーキッド……」

 ボクの独り言に対して、総帥は横睨みする。

「当然さ。穢テオトルの方が、Aリマンの実験機を模して造られたのだからね」

 量産を前提としない非売品の滅菌汎用機だったから、<???>の表記になっていたのか。

「決闘を申し出ておきながら、よそ見か?」

 零門くんは、黴キラーに熱太刀で霞の構えを取らせていた。

「伝え損ねていて、悪かった。君の一太刀目を抵抗せず受けよう。第二世代機を相手にハンデがないと、つまらない」

 Aリマンは銃や刀、盾さえも手にしておらず、隙だらけだった。

 零門くんは意を決して攻め込む。スラスターを全開にして突撃。かと思えば、バレルロールで敵の視界から横へフレームアウトした。ピッチアップと横回転の順に行うインメルマンターンで、Aリマンの上空へと移動する。

 熱太刀を振り下ろし、光量子噴出の勢いも乗せて唐竹割りする。

 けれども、<黴切>の刃がAリマンの手前で急停止してしまう。球体のエネルギーフィールドがバリアとなって、Aリマンを守護していた。珠子女史の言葉を思い出す。これが既存の対Χ菌用ナーキッドでは歯が立たない機能なのだと悟る。

 黴キラーは引き下がり、電磁リングで解除を試みた。楕円形の輪がエネルギーバリアとぶつかり、水泡に帰す。

「コーヒーブレイクだ、サイフォン!」

 手加減は終わりだと言わんばかりに、戚利シゲラが武器を起動させた。Aリマンの後ろ腰に取り付けてある、ガラス風船型の武装ポッドが分離して、瞬く間に消える。黴キラーの背後に出現。

 零門くんは三次元レーダーで察知して、自機を振り向かせる。敵の武器が姿を眩まし、反対方向に現れてレーザーで撃ち抜いた。左の肩当てが落下していく。

 量子跳躍による、自立転移レーザー砲台。相手のナーキッドのロックオンを感知して、自動で瞬間移動回避するようだ。バリスタよりも速射性に優れている。死角からの攻撃のせいで、零門くんは守勢に回るしかなかった。

 Aリマンは腕組みして、きりきり舞いの黴キラーを眺めていた。とんとん拍子の戦況に、指で腕を叩いて弄ぶ。

「飽きたな。終幕にしよう」

 太腿部に位置する、ケーブルと繋がる取っ手へと腕を動かす。引き抜くと、マグカップの形をした未知の武器が露になる。

「デミタス・セイバー、出力解放」

 マグカップの口部から光量子が吹き出し、煌めく大剣を形成する。

 黴キラーは高エネルギーのレーザー光線を<黴切>の刀身で防いで、持ち堪えていた。心眼で適応した矢先に、敵の凶刃が差し迫る。

 Aリマンは、光の大剣を振り下ろす。黴キラーが、熱太刀でガードしようとする。

 重力に従って切り払う、光輝く剣筋。黴キラーは熱太刀ごと真っ二つに裂け、大破した。

「蜜口零門を拘束しろ」

 総帥の命令により、ブラックスーツの配下たちが寄って集って、取り押さえようとする。零門くんはナーキッド不在の母艦を投げ捨て、体術でいなしていく。

「歯向かうな。人質を忘れてないか?」

 戚利シゲラは再び、ボクへと母艦のノズルを向ける。零門くんが怯み、敵の手中に落ちる。

 総帥がスロープを下り、懐からサンプル瓶を出して、ボクへ見せつける。中には、粘りけのある液状物が入っていた。

「これはO157Χを濃縮したものだ。口にすれば、数分で絶命するだろう」

 配下が強引に、零門くんの口を開けさせた。総帥は、サンプル瓶の中身を喉へ流し込もうとする。

「止めてっ!!」

 シゲラの手が止まった。

「お願い、言われるままに従いますから……」

 零門くんが言葉にならない声で叫んだ。

 総帥は満足げに笑む。

「いいだろう。君たちを僕の館へ、招待しよう」

 配下がボクのバッグから携帯端末を抜き去り、コンクリートの地面へと叩きつけて破壊した――。




       4




 サンシェードフィルムで窓を覆ったリムジンに乗り、どこかも分からない中世風の豪邸へと到着する。

 館内の廊下を歩いていると、突き当たりの絵画が目につく。水浴びの最中、嫌がる美少年に抱きつく女性。おそらく、神話の一幕なのだろう。戚利グループの配下が、奥の一室にボクを案内した。

「ベッドの上に、用意した服があります。着替えて下さい」

 人目があり、ボクは躊躇う。

「総帥がお待ちです。早く――?」

 携帯端末の着信音が鳴った。配下はイヤホンマイクをオンにした。

「はい……分かりました。我々は退室しますが、脱出は考えない方が身のためです。蜜口零門が人質であることをお忘れなきよう」

 そう言い残し、部屋から出ていった。

 ボクは溜め息をつき、ベッドに向かう。衣服を持ち上げて確認すると、想定外のデザインに瞠目(どうもく)する。

 着替え終わり、扉をノックした。配下たちはボクを食堂へと連れていく。闇夜の窓際に、総帥の戚利シゲラはいた。ボクを向かい側の席に座るよう指示する。

「思っていた通りだ。君には、そちらの方が似合う」

 黒のフリルワンピース、スカートは膝丈。何で、ゴスロリなの? 好きではあるけれど、どっちかと言うと白が趣味なのに。

 料理内容は、フレンチのフルコース。オードブルが目の前にあっても、ボクは食欲が湧かなかった。

「心配せずとも、Χ菌など入っていない」

「零門くんにも、ちゃんと食べさせていますか?」

「無論だ。死なれては、人質の意味がない。部下の手で<セキュリティー・チャージ>を飲ませている」

 唯でさえ拘束されているのに、ゼリー飲料しか与えて貰えない。彼の健康に影響がないか、胸を痛める。

 メインディッシュのステーキがきて、総帥はナイフとフォークを手に取る。

「さて、君への要求だが。僕の下で、Aリマンの眷属として護衛について欲しい。そのためのナーキッドも手配した」

 部下がタブレットの画面をボクに見せる。

「君の専用機である、最新型<ray>シリーズ。その名も、()レイだ。煇レイがお気に入りだったのだろう? 装いも似せて、あしらった」

 純黒(じゅんこく)のキャスケット帽に灰桜色のボディーは、女幹部らしさを強調したデザインの抗菌装甲となっていた。こんなの、煇レイじゃない……。心なしか、この子のおっとり目外部カメラからは、鋭さを感じる。

 デザートの後、使用人たちは食堂から出ていく。ボクと総帥の二人っきりになる。

「脅しだけでは、君のモチベーションも上がらないだろう。任務完遂の暁には、ご褒美をプレゼントしよう」

 総帥はジャケットの内ポケットからテーブルの上に、一枚の写真を提示した。白衣を着た美人。口許は笑っているけれども、瞳の奥が海面下の氷塊を連想させる。

「この人が、あなたの妹さんですか?」

 総帥の口角が上がった。

「いいや、僕本人だよ」

 戚利シゲラの発言に、ボクは思考が追いつかなかった。

「僕は十年前まで、非嫡出子として生まれた女性(、、)だった。父と長男を殺害して、次男の志賀直吉に成り代わった」

 目の前にいる相手は、体格も語気も、男性と見分けがつかない。

「性別適合手術……?」

「それも一つの選択だが、僕ならより完全を目指す」

 戚利シゲラが腰を上げて、ズボンのベルトに触れた。ボクは悲鳴を上げて、手で見えないようにする。

「これが研究の成果さ! 僕は本物の男性となった。人間の細胞にナノマシンを注入したΧ細胞があれば、どんな生体組織でも培養して取り付けられる」

 気丈に振る舞うのも限界で、涙が溢れだした。

「もう、やだぁ。お家に帰して……」

 好きになりそうだったのに、まさか本性が露出狂のマッドサイエンティストだったなんて。

「目を背けるか。それを否定したりはしない。だが君も、自身の望まぬ性別に苦しんだ一人だろう? 父親の無理解によって」

 反論できなかった。

「ナーキッド喫茶で交戦したとき、滅菌汎用機と一体化する感覚を体験したはずだ。あれは、ナノマシン・センス。旅館で再会した前日、浴場に仕込んでおいた。Χ細胞組織を身体に接続する、前段階だと認識してくれ」

 恐怖で泣きじゃくる。

「転生したいほど夢見た、女性になれるのだよ。迷うことはないだろう?」

「零門くんに会わせて……」

「気持ちの整理が必要だな」

 総帥がトランシーバーで指示する。開扉の音に振り返ると、ボクは絶句する。

「総帥、お呼びでしょウカ?」

 シルバーブロンドに染めたハーフアップの髪は紛れもなく、ガリちゃんだった。まだ業務時間なのか、C&Rセキュアの制服姿で現れる。

「氷上眠兎に、例の計画書を渡してくれ。部屋までのエスコートも頼めるね、イングヴェア?」

全て問題ありません(アーレス・クラー)

 気づかぬうちに身だしなみを整えていた総帥は、廊下へと歩き去っていく。

「準備が出来次第、囚われの騎士(ナイト)様に会わせてあげよう」

 疲れ果てたボクは暫くの間、椅子から立ち上がれなかった。




       5




 ガリちゃんの案内で、ボクの軟禁場所である部屋へと戻った。真実を話して、橙香の元相棒(バディ)に訴えかける。

「あの人はΧ菌を生んだ張本人なんだよ。力を貸して、ガリちゃん!」

「承知の上で、協力していまスヨ?」

 彼女の返答に、衝撃を受ける。

「どうして……? 祖国へ帰りたがっていたって橙香から……」

「ワタクシはお父様を憎んでいマス。総帥のおかげで、愛されていなかったことに気づけまシタ」

 ガリちゃんは左手の薬指をボクの目線に合わせる。婚約指輪を嵌めていた。

「あの方はワタクシの価値を認め、ドイツ語で求婚して下さったのデス。実力を発揮できる、新機軸ナーキッドの開発まで提案シテ」

 頬に手を当て、恍惚の表情で語る。

「きっと、少年期(、、、)に父上から帝王学を叩き込まれたのでショウ。だから、ワタクシの苦労にも共感して――」

 婚約者に自身の正体を明かしていない……? 戚利シゲラの真意に勘づいてしまう。

「資料はデスクの上にありマス。おやすみなさい(グーテ・ナハト)、眠兎サン」

 ガリちゃんは扉を閉めて、ロックする。室内からは解錠できない仕組みになっているようだ。

 資料の表紙に目をやる。

「最終フェーズ、マイクロ戦取引計画?」

 手に取り、ページをめくった。

 

 一時間後。ブラックスーツの配下たちは、ボクを地下牢へと連れ出す。

 計画書が暗示する表裏について考える。もしものことがあれば、経済産業どころか日本という国自体も破滅しかねない。戚利グループの存続さえ危険なのに、総帥の目的はいったい――。

 牢屋の入り口が開いた先、項垂れながら座っている零門くんがいた。両腕は手錠で吊し上げている。

「零門くん!?」

「……眠兎、怪我はないようだな」

 声に元気がなかった。彼を介抱しようにも鉄格子が阻む。

「すまない、俺が柚子の墓参りに行ったせいで」

「違う、ボクが迂闊だったから!」

 オレンジセントの常連だったことに、警戒心を無くしてしまった。ハジカミさんのお店がΧ菌食中毒の第一例目になったのも、関係があるに違いない。

「眠兎、誘拐犯の戯言を真に受けるな。必ず、助けがくる」

 ブラックスーツの配下がジャケットの内側へ手を入れた。片割れが首を横に振って止める。

 戚利グループに協力する対価が脳裏を過り、ボクは俯く。親友の励ましでも、素直に喜べなかった。

「ねえ、零門くん。もしも、だよ。ボクが女の子(、、、)だったら、どう想う?」

 彼は話の意図がわからない様子だった。

「例えば……付き合いたい……とか?」

 女の子に生まれたなら、男の人が好きだと言っても、みんな許してくれる。あの日、そう思い知ったのだ。合同レクリエーションのドッジボールで、同級生の男子は相手チームの攻撃からボクを守った。そしたら、小学校が同じだったクラスメートはボクの性別を明かして冷やかした。秘かに思い慕っていた男子生徒の態度が激変して、心の傷となり、今も消えない。

 だから、零門くんには言えない。恋愛としての大好きとは――。

「女じゃない。俺が一番守りたいのは、眠兎だ!」

 彼は曇りのない声で宣言した。

 思いがけない返事に、顔を上げる。

「ボクが一番なの?」

「他に誰がいる。俺の来店を待ってくれるのは、お前しかいないだろ」

「男の子なのに?」

「何を吹き込まれたのかは知らないが、それのどこが問題なんだ。女だとか、男だとか、奴らが好きに言えばいい。柚子を死なせた俺に、幸せを享受する権利はないかもしれないが――」

 零門くんは身を乗り出す。

「眠兎が運んでくれるコーヒーは、極上の一杯だ!!」

 そんな日常業務で喜んでくれる人は、初めてだった。橙香の一番はお父さんだから、どう足掻いても二番手にしかなれない。でも、零門くんは異性よりもボクを一番に選んでくれたのだ。

 決心がつき、鉄格子から離れた。

「もう少し我慢していてね、零門くん」

 彼の制止の声を背中に、地上へ上がる。


 戚利シゲラは書斎のパソコンで文章を作成していた。ボクの来訪に目もくれず。

「戚利グループに協力します」

 その手が止まり、視線をこちらへと向ける。

「その代わり、ボクを女の子にして下さい」

 総帥は微笑を浮かべた。

「君の英断を讃えよう」

 ごめんなさい、ボクはみんなの敵になります――。

 

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