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オーダー6番席『ジェノベーゼ』




       1




 ボクはエレベーターの鏡で、服装をチェックする。

 九月の残暑に秋らしさを取り入れて、ピンクベージュのTシャツとファーバッグのコーデに決めていた。今日はデートではなく、あくまでも情報収集。胸を高鳴らせる自分に言い聞かせる。

 額のΧの印は、朝のメイク前に見たところ、だいぶ薄くなっていた。激痛と内出血に、一時はどうなるかと思ったけど、回復傾向にあるようで胸を撫で下ろす。

 目的の階へ到着する。開いたドアの先、相手は約束の時間よりも早く、待ち合わせ場所に来ていた。

 佐藤潔さん。喫茶オレンジセントの常連だった人。落ち着きのある光沢を帯びたグレーのスーツが目に留まる。大人の男性として魅力を感じるのは彼が昔、自身の化粧に対して両性からの嫌味を受け、努力してきたからなのだろう。

 潔さんはボクに気づく。

「こんにちは、眠兎さん。連絡してくれて、ありがとう」

「こちらこそ。こんな素敵なお店を予約して下さり、ありがとうございます」

 ボクの好みを聞いた上で、いくつかの候補まで用意してくれた。同性だと知っていての紳士然とした振る舞いに、好感を抱く。そして選んだのが、完全個室のイタリアン、ランチメニューはカジュアル、おまけに駅近のアクセス。

「さあ、中で話そう」

「はい、よろしくお願いします」

 彼が先に入店して、扉が閉まらないよう押さえる。お辞儀をして、進ませて頂いた。厨房にあるレンガ造りのピザ窯。除菌スタッフを配置した隔離部屋は、向かい側にあった。人一人が通れるかくらいのスペースなのに、二人体制で窮屈そうだ。除菌士となってこの方、そんなとこばかり気になってしまう。

 予約した個室は広め。通路側の席へエスコートしてもらう。ボクの不安を和らげる誠実さに、安心する。

 注文を終えて、思い出話に耽った。

「やっぱり、カルボナーラサンドが好きだったんですね!」

「オレンジセントで初めに食べたのが、あれだったんだ。それ以来、病みつきになってね。自宅で再現しようともしたんだよ」

「料理上手だなんて、すごい」

 ボクは昨日、献立のカレーライスで定番レシピの分量を守って作っても、大味になってしまった。橙香曰く、「カレーの醍醐味は、隠し味」とのこと。相棒(バディ)がニンニクとインスタントコーヒーを投入してカスタマイズしたおかげで、コクのある大人の味に仕上がる。食い道楽メンツによって舌が肥えていたけど、炊事は任せきりだったと、改めて自覚する始末。

「でも、マスターの料理には到底、及ばなかったよ」

 潔さんの瞳は、寂しげだった。行きつけの店を失い、二度と口にできなくて、よほどショックだったのだろう。

 ノック音がする。給仕係は入室して、ランチセットのサラダとスープをテーブルへ運んだ。暫くしてから、ボクのジェノベーゼ、潔さんのウニパスタの順に皿が並ぶ。ボクは緊張のあまり、食事の間中、寡黙になった。

 フォークとスプーンを皿の上で水平に置く。

「お口に合ったかな?」

「はい、美味しかったです」

 梅干野マスターと同じくらい、だなんて口が裂けても言えない。

「では、本題に移ろう」

 ボクは気を引き締める。

「Χ菌のルーツについてと仰っていましたけど、本当なんですか?」

 零門くんが食品防衛部隊の機密情報にアクセスして調べても、戚利グループの総帥とΧ菌の研究は結びつかなかった。

 潔さんは瞑目して、告げる。

「その生みの親は他でもない、僕の妹(、、、)だからね」

 思わず口に手を当てた。アメフラシの雌雄同体を研究、すなわち生物学だ。

「そして、戚利グループは妹亡き後、その成果を悪用して、Χ菌という生物兵器が誕生した」

 彼は懺悔するように語る。

 妹さんはどうやら、男性(、、)に生まれたかったらしい。見た目や好みを寄せることでは満足できず、肉体も完全になりたかったのだ。自身を産み落とした、実の母親と衝突する日々。願望の根底にあったのは――、異性が自分を性対象として認識する苦痛だった。

「僕にこのメイクを強要したのは、一種の腹癒せだったのだろう」

「もしかして、潔さんは妹さんのことを……」

「そう、憎んでいたよ」

 ボクは後悔する。知らずにとは言え、旅行のとき見当違いのことを口走ってしまった。

「だが、血の繋がった兄妹として愛してもいた。だから、今も続けている」

 妹さんの気持ちは、解らなくもない。きっと、ボクにとってのママが、彼女にとっての潔さんだったのだ。激情を受け止めてくれる者がたった一人でも、傍にいてほしいもの。家出した橙香を追いかけた、ボクみたいな――。

 妹さんの研究内容とは、自己複製機能を持たせたΧ細胞の技術確立。生体組織の培養に役立てることを謳っていたが、その真の目的は別にある。人工物の注入によって異種の遺伝情報を細胞に組み込み、体外で進化のコントロールをすることだった。アメフラシの遺伝子で、自身の体と適合する外部生殖器を作成したかったのだ。しかし、再生医療へ実用化するには、致命的肉体変化を引き起こす細胞毒素が倫理問題に引っ掛かってしまう。

 すでに、研究者が人体実験も敢行。スポンサーだった戚利グループは、証拠隠滅を図る。研究中にΧ毒素の漏洩で、自宅の両親を巻き込む大事故。妹さんの遺体は、顔も判別できないほど醜悪に……。潔さんのみ、出張で家を離れていたことで免れた。

 間もなくして、Χ細胞で進化した異形のバクテリアが出現することになる。

「苦労したよ。グループの総帥に目をつけられないよう、人畜無害に生きる日々は……」

「ですけど、ボクに打ち明けてしまったら!?」

「Χ菌ナーキッド事件のニュースを目にして、覚悟が決まったんだ。稲餅マスターや君のお母さんのような犠牲者をこれ以上、増やさないために」

 消え入りそうな声音に、ボクは胸を痛める。

「稲餅さんの娘は、身内である僕のことを赦さないだろう」

「そんなことないです!」

「明日から有給消化で休みに入る。証拠を集めるには、絶好の機会だ。データを入手次第、君たちに託す」

 彼は会計板を持って、立ち上がった。その袖を掴むボク。足が止まる。

「無茶しないで下さいね」

 潔さんの顔が綻ぶ。

 レジカウンターで、ボクが財布をファーバッグから出そうとしたら、彼は手で遮る。

「今日の礼をさせてくれ」

「気にしなくていいんですよ」

「それでも、眠兎さんのあの言葉は本当に嬉しかった」

 潔さんに喜んで貰えて、はにかむ。

 店員の女性は、商品が詰まったバスケットから一つ摘まみ出す。

「こちらは当店と業務提携する志賀製薬が開発した、ナーキッドを所有していない御家庭でも頂ける栄養食品です。良かったら、どうぞ」

 朧気に覚えている。菌死禍より以前、社会人と高校生の間で普及したショートブレッドだ。美容に悪影響を及ぼさないことから、ダイエット食品としても女性が好んでいたはず。空気に触れず口へ直接送り込む形式のパッケージでリバイバル版となり、帰ってきたらしい。

 ビルの廊下へ出ると、潔さんはそのサービス品を見つめていた。

「どうかされましたか?」

「昔、飽きるほど食べたんだ……」

 偏食による反動で、体が受け付けなくなっているのだろうか。

「だったら、ボクが貰いますよ。体型維持に差し障りないですし」

「ありがとう、助かるよ」

 細長の製品箱をファーバッグに仕舞う。気配りができるボク、偉い!

 ビルの外でお礼を言って、ボクと潔さんは反対方向に別れる。鼻唄を口ずさんで歩いていると突然、通学帽子が視界に映り込む。

「――氷上眠兎ですよね?」

 ランドセルを背負った少女。低身長だったから、ぶつかるところだった。見知らぬ子に、ボクは首を傾げる。

「……女子にしか見えません。どれ、拝見といきましょう」

 少女は屈みこんで、目線を相手の下半身に合わせた。ボクが後退りして両手で隠しても、その姿勢を変えない。

「本当に男子なんですね。興味深い」

 腰を上げて、薄笑いする。

 ボクは頬が熱くなった。

「お母さんに教わらなかったの、セクハラだよ!?」

「生憎、母性を知らずに生きてきましたので」

 踏み込んではいけない親子関係のようで、二の句が継げなくなる。

「彼とは、どんな関係ですか?」

 潔さんのことを指しているのだろうか。ボクはそっぽを向く。

「悪戯する子には、教えない!」

「誤解を生んでしまいましたか。困りましたね」

 少女のもとに、スーツを着た筋肉質の男性数人が集まってきた。耳元に話しかける。

「勝手に動かないで下さい。肝を冷やしましたよ……」

「残念、タイムアップです」

 男性たちが連れていく中、少女は振り向き様に呟く。

「私は自由人ですので、あなたの好きにさせましょう」

 捨て台詞みたいで、腹が立つ。

「何なの、あの子!!」

 都会の裏通りに、ボクの叫び声は響いた。




       2




 喫茶フルバーストの扉には、長期休業のお知らせが貼ってある。

 帰宅したボクは、自分で室内除菌をする。霧吹きスプレーボトル型格納庫のハッチが閉まった。プレートに刻んである、<叙-y(ジョイ)>の型番。溜め息をつきながら、二階へ上がっていく。

「おかえり、眠兎」

 本日の料理当番である橙香は、こちらへ振り向いた。電子モニターのフェイスシールドが下りている格好で、鍋の中をお玉でかき回している。

「ただいま、これからお昼?」

「いいえ、晩御飯を煮込んでるとこ」

 現在時刻、二時過ぎ。ボクは橙香が力を入れている料理が気になり、覗いてみた。見慣れた絵面に、辟易する。

「また、カレー!?」

「昨日の余りがまだ残ってたのよ。具材をトマトに変えたから、いいでしょ。元気が湧くし」

 栄養価はあるだろうけど、橙香と交代で炊事をやっていると、好物のカレー率が跳ね上がるのは難点だ。梅干野マスターもご機嫌取りのため、週一で献立表に加えている。あの人の退院が、早まらないだろうか。

「そうだ。晩御飯までのつなぎに、これ食べない?」

 ボクはファーバッグから、栄養食品の箱を見せた。橙香がジト目になる。

「随分と、おめかし決め込んじゃってるわね」

 つい、狼狽えてしまう。最近の橙香は、勘の鋭さに磨きがかかっている。

「デートじゃないよ! それに橙香の知り合いだもん」

 潔さんのことはまだ、証拠を見つけ出してくれるまで話さないでおこう。お父さんの喫茶店が潰れてしまった元凶の身内だと知っても、今の橙香なら理性を失わない。けれども、罪滅ぼしの意思を示した方が、気持ちの整理はつくだろう。

「零門は大規模掃討作戦の召集会とやらで、有給を取れないし。お相手は誰かしら?」

「そんなことよりも、ほらこれ」

 橙香はようやく、お土産のショートブレッドに目を向けた。顔つきを変えて、取り上げる。フェイスシールド越しに睨むと、一呼吸置いてからボクへ返す。

「外で捨てて来なさい」

「そんな、食べ物を粗末にしたらバチが当たるよ!」

「それの製造元は、戚利グループ(、、、、、、)よ」

 敵の術中にはまっていて、悪寒が走る。

 お盆休みのプチ慰安旅行でΧ菌食中毒が身近に起き、橙香は食べ物に対してより一層、警戒心を高めていた。フェイスシールドを調理中、常に装着しているのはそのためだ。

 今や、戚利グループの商品は市民の日常生活に浸透している。橙香の命が狙われているかもしれないのに、油断していた。

 インターホンが鳴った。親機のモニター映像で来訪者を確認して、橙香はナーキッドの母艦を片手に一階へ下りる。ボクも後についていく。

「おかえりなさい、ママさん!」

 夫のお見舞いで留守にしていた師匠、梅干野むすびが戻ってきた。

「ただいまー、橙香ちゃん、眠兎くん」

 出かけるときの表情は陰りがあったけど、普段のゆるふわ笑顔を取り戻していた。

「マスターの容態は、どうでしたか?」

 意識は戻ったと病院から連絡があった。

「すっかり元気になってたよー。早く包丁を握りたいって、叫びながら歩き回ってたくらい」

 もはや、料理中毒である。看護師の方々も、刃物の名を口にしながら徘徊する患者に肝を潰したことだろう。

「これも二人のおかげよ。重ねて、ありがとー」

 ママさんは頭を下げた。橙香が「大したことはしてませんよ」と照れ隠しする。二人のやり取りを見守るボク。ポケットの中、マナーモードにしていた携帯端末が振動する。

 電話帳にない番号。ボクは用心して、応対する。

「どなたでしょうか?」

『俺だ、眠兎』

「オレオレ詐欺ですか?」

『……すまない、言葉足らずだった』

 くすっと笑う。

「大丈夫だよ、零門くん。意地悪しちゃっただけ。珍しいね、そっちから電話をかけてくれるなんて」

 零門くんは咳払いしてから、用事を伝える。

『眠兎と橙香に、食衛隊からの協力要請がある』

 カフェテラス・イベントを思い出す。経験則から、第三世代機の戦力を求めているのだと察する。

「でも、橙香とボクは自分の機体を修理に出している最中だよ?」

 O157Χとの戦闘で、輝レイと煇レイの光量子炉・極が不具合を起こしてしまい、母艦のナノマシンたちは修復にお手上げ状態だった。だから開発元へ発送して、ボクらはママさんのナーキッドを借りていたのだ。

『それなんだが。どういうわけか、食衛隊を経由(、、、、、、)して、俺のもとに届いている。修理も万全らしい』

 業者の人が終わり次第、梅干野夫妻の店舗付き住宅へ返送すると、電話で言っていたはずなのに、不可思議だ。

 それならば、ボクらから出向くべきだと考え、食衛隊の依頼を引き受けることにした。緊急事態らしく、指定の場所へ出来る範囲ですぐ駆けつけてほしいとのこと。通話終了のアイコンをタップ。

「開発元の手違いなんでしょ。どうして、私たちが足を運ばないといけないわけ?」

「予定よりも早く着いたんだから、結果オーライだと思おうよ」

 橙香とボクは、出発準備に取りかかった。「待って!」と、ママさんが呼び止める。

「――わたしも行くわ」

 師匠の眼差しは、戦う決意に満ちていた。


 立ち入り禁止のテープで囲んだ区画の正面には、ナーキッドと女性除菌士のイラストが描いてある壁面看板。店名『滅キングダム』の建物は逢魔時(おうまがとき)の薄暗さで、ポップな字面に不気味さを纏っていた。

 食品防衛部隊のテントの中、ボクは煇レイの母艦を受け取った。愛機との再会を喜び、胸に抱き寄せる。

 垂れ幕を捲って、零門くんが入ってくる。その手には、イエローカラーの霧吹きスプレーボトル型格納庫を持っていた。ママさんへ手渡す。

「むすびさん、司令官から貴女にと頼まれました。全機整備済みだそうです」

「わー、懐かしい! まだ、取っておいてくれたのね」

「伝説ですので」

 今回の任務には、ママさんも参戦する。零門くんが上司に掛け合ったところ、即答で快諾してくれたそうだ。それだけ解決に手を焼いているのだろう。

「この搭載数(、、、)で間違いないですか?」

「操作に問題なーし」

 確認を終えた零門くんは、ホワイトボードの前に立つ。ボクらも着席する。

「これより、ブリーフィングを始める。事の発端は、ナーキッド喫茶で起きた、Χ毒素が原因のクラスターだ」

 彼の説明に、ボクは違和感を覚える。集団感染なのは分かるけど、どうしてΧ菌ではなく、『Χ毒素が原因』と回りくどい言い方をするのだろう?

「滅菌汎用機が捉えた、ターゲットの拡大図を提示する」

 補助の女性隊員は、マグネットで写真を貼りつけた。

「見ての通り、新種だ」

 球形の発光体。ブドウ球菌Χとは異なり、単眼など生物的特徴は見受けられない。

「それで名前は、通常種の何菌なのかしら?」

 Χ菌種の名称は、似ているけど違う生き物、所謂○○モドキのような名付け方に準えている。性状が酷似している通常種菌類の和名に<Χ>を足すのだ。

 零門くんの面差しが険しくなる

「いや、これはノロウイルス(、、、、、、)だ」

 喫茶フルバーストの除菌士メンバーは、息を呑む。橙香が立ち上がって、抗議する。

「待ちなさいよ、細菌ですらないじゃない!?」

 それどころか、生物かどうかも疑問である。

「重々承知だ。この上、厄介なことに。こいつは食物に付着せず、空気感染で人間の体内へ侵入する」

 これまでのΧ菌は磁石の如く、人間の食べ物にはくっつき、それ以外には離れていく特性があった。その常識が覆れば、都心はパニックに陥るかもしれない。

 情報の流出は制限したものの、ナーキッド喫茶の顧客から多数の感染者が出ていた。Χ菌種と違って頭痛程度の軽症であるが、空気汚染で長時間、吸い続けた場合の危険度が計り知れない。早急に対策する必要があった。

「先行部隊が殲滅を試みたが、ノロウイルスΧの返り討ちに遭った」

 防衛行動でまとわりついてきて、ナーキッドを機能停止に追い込んだそうだ。抗菌装甲は敵が触れ続ければ、電力を浪費してしまう。接近戦では、歯が立たない。また、中性である従来の圧縮エタノール弾も通用しなかった。

 そこで考案したのが、少数による制圧戦。大人の身長で店内を埋め尽くせば、ナーキッドの逃げ道が確保できない。よって、ノロウイルスΧの反撃に持ち堪えられる半永久機関動力の第三世代機、広範囲殺菌戦略兵器を有する黴キラー、たった一人で分隊相当の戦力を担えるママさん、この四人が精鋭部隊として赴く。

「ナーキッドの安全を優先して構わない。各自、防護服の着用に取りかかってくれ」

 対ノロウイルスΧ制圧作戦が、幕を開ける。

 

 食衛隊員が二人がかりで、ボクにヘッドギア内蔵の全身化学防護服を着せる。メーカーは蜜口製作所で、ナノサイズの分子も浸透させない安心ブランドだった。

 着付け役の方々が離れると、ボクは酸素ボンベの重量で倒れそうになる。背中を受け止めてくれる人がいた。零門くんだった。

「俺が支える。ゆっくり歩けばいい」

「ありがとう、お願いするね」

 彼の介助で、事件現場に繋がる消毒ゲートへと歩行する。

 四人の精鋭ナーキッド部隊は、密室ボックスに入った。LEDボードは『滅菌中』の文字を表示して、室内に霧状の消毒液が充満する。『菌反応ゼロ』に変わり、別出口への自動ドアが開く。

 ナーキッド喫茶の店内は、照明が消えていた。零門くんは携行ライトを灯す。ホラーゲームの舞台を彷彿とさせる閉鎖空間に、ハート型の背もたれ椅子、真っ白のカフェテーブル。ファンシーと言うよりも、ダークファンタジーの世界観だろう。ライブステージでは、女の子がマイクと霧吹きスプレーボトル型格納庫を手に、除菌業務パフォーマンスを披露すると聞く。実際は裏方の子が滅菌汎用機を操作していて、プロジェクターで戦闘シーンを客に見せている。インターネットの書き込みによる噂だから、真実は言わぬが花。

 第三世代機用のメモリとCPUを移植させた、防護服のフェイスシールドにて三次元レーダを起動させる。ノロウイルスΧの居場所を発見。厨房の一ヶ所に寄り集まっていた。

 全員、母艦のトリガーに指をかける。

「除菌開始、いらっしゃいませ!!」

 自機の視点を映し出す。ノズルより発射した、水滴の中。プリンセスティアラ意匠の水色キャスケット帽を被ったアンドロイドは、揺らめく水面から、ナーキッド喫茶の店内宙域へ飛び出す。

 煇レイの左右。三ツ星意匠の紺色シェフハットが特徴である相棒(バディ)の輝レイは、揮発する消毒液をピッチャーライフルIIで振り払う。反対側で、赤色の三角巾ヘッドと長大な肩当てを身に纏う、黴キラーは推参する。

 三つの水球が上空を通過して、弾け飛ぶ。黄色のバンダナヘッドが際立つ、白妙(しろたえ)の機体。三次元レーダーでは、<叙-y ver2 commander(コマンダー)>と識別していた。ママさんが食衛隊のエースとして愛用した、伝説の指揮官機だ。ピッチャーライフルを一丁、両腕にはRトレイ・風火輪を盾として装備している。

 その両隣、二機の叙イ=ソルジャーは随伴する。ママさんが同時操作しているのだ。武装は、制圧戦向けの重火器で固めていた。

 友軍信号を微弱にキャッチ。煇レイの外部カメラをカフェテーブルへ向ける。拡大させると、先行部隊たちの残骸が散らばっていた。

 滅菌汎用機の骨組、SESA内部フレーム。デッサン人形のような構造体が電磁スフィアパーツで磁束を発生して、駆動させる代物。電力切れになると、関節を接合する吸引力まで失うため、機体がばらけてしまうのだ。

 フェイスシールドの電子モニターより、通知が流れる。Χ毒素反応が急激に活発化。こちらへ接近しつつあった。

 営業停止の闇に蠢く、病原の銀河。発光するノロウイルスΧが、ナノサイズのため、ナーキッド視点では集合体にしか見えない。食衛隊の情報よりも、大規模だった。ウイルスは自己増殖できないはず。他に考えられる仮説として、感染した生き物が身近にいるか、あるいは……。

「遠慮はいらん。全武装の使用を許可する」

 分隊長の零門くんが、攻撃指令を下す。迷っていたら、先行部隊の二の舞となってしまう。

「バリスタ、全機出勤」

「トローリー・クーシー、出勤」

 橙香は輝レイのスカートアーマーから、六つの無線式飛行砲台を分離させた。

 ボクは煇レイの母艦から、補給用サポートメカを発進させる。

 黴キラーは右の肩当ての内側にあるグリップを握った。大口径の銃身が露になり、敵へ照準を合わせる。

「次亜塩素酸ナトリウム砲、発射!」

 反動で後退りした。敵付近へ到達した次亜塩素酸ソーダの砲弾は、圧縮力から解放されて膨脹。直径百ミリメートルの範囲内に存在するノロウイルスΧを一瞬で、死滅させる。

 バリスタが輝レイの上下に三機ずつ並んだ。

「全機整列、輝レイ一斉掃射(フルバースト)!」

 両手のピッチャーライフルIIも含めた、八つの直射熱光線を広げる。砲身に変形した脚部から圧縮エタノール弾を撃ち、胸部リボン孔の電磁砲弾で引火させた。病原の銀河に、霧散の秋桜(コスモス)を咲かす。

 叙イ=コマンダーがピッチャーライフルで指揮する。随伴機のソルジャーたちは、それぞれワインボトル・大口径ランチャーで砲撃を行う。二筋の極太ビームで薙ぎ払い、ノロウイルスΧを一掃した。

 敵軍は未だ全滅せず、厨房より群れを成して押し寄せる。

「手を緩めるな!」

「言われなくても!」

「りょうかーい」

「補給は任せて下さい」

 ヘッドギアに響く、犬の鳴き声。ワンちゃん頭部の自立型トローリーワゴンが来着。近接戦タイプの煇レイは支援に徹して、荷台に乗ったエネルギーパックを持ち上げた。叙イ=ソルジャーの右腕に備え付けてあるワインボトル・大口径ランチャーのカバーを開けて、二つ交換。もう一機が、左腕のガトリング・ペッパーミルの発射口から、円錐状に熱光線を乱射。片方の補給が終わり、守備役を交代する。

 輝レイがピッチャーライフルIIを連射モードに切り替え、六つのバリスタと共に熱光線の弾幕を張った。

 黴キラーが再び、次亜塩素酸ナトリウム砲を放つ。敵軍のど真ん中で拡散する水球は、ノロウイルスΧを次々と飲み込み、死に追いやる。

「装填のため、母艦へ帰還する。暫しの間、任せるぞ」

 背を向ける、若侍のナーキッド――。三次元レーダーが、敵の方角(、、、、)からロックオン射線上であることを告げる。

 瞬時に反応した零門くんは、敵襲の熱光線を自機の肩当てで防ぐ。滅菌汎用機による攻撃だった。

『――我々は、菌類解放戦線です』

 ヘッドギアを通じて、何者かの音声が聞こえてくる。




       3




 所属不明の機影が多数、銀河の彼方より出現する。

 ワークキャップ型の頭部、嘲笑の半月目カメラ、腰の両側に取り付けた紡錘形ポッド。外見から全員、(サイ)フォールの第二世代機と判別できる。菌類解放戦線だと名乗る集団は、ピッチャーライフルの銃口をこちらへ向ける。

『この度の犯行は、我々によるものです。日本国民の皆さんに告げます、菌類の支配を受け入れなさい』

 ボクらは、相手の出方を伺う。

『Χ菌による天下統一。これは、稲餅椒の意志です』

「――違う」

 沈黙を破ったのは、橙香だった。

「お父さんは、無差別に感染症をばら蒔いたりしない」

 ボクも頷く。麹丸さんが言っていた。リーダーを失ってから、菌類解放戦線は空中分解になったと。この人たちは、組織の理念を曲解している。ハジカミさんが望んだのは、菌死禍を招いた黒幕への天誅だ。

 輝レイが二丁のピッチャーライフルIIを、ロングライフルモードに連結して構えた。

「お父さんの名を貶めるなんて、赦さない!」

 熱光線を長距離掃射する。

 砦フォール集団は散開する。その姿形がぼやけ、複数体に分かれ、増えていく。

 AIで解析する。紡錘形ポッドから、マイクロ・プリズムを散布。実体のない光学残像、つまり影分身でロックオンを阻害しているのだ。照準を機械任せにしている橙香は、かなりの痛手だった。バリスタが目標を認識せず、コネクター・ロングライフルも命中しない。

「黴切、抜刀!」

 黴キラーは左の肩当てから、熱太刀を出す。敵の残像群がその隙を突いて、ピッチャーライフルで挟み撃ちにした。飛翔して躱し、熱光線を一方向にする。

 叙イ部隊も苦戦していた。重装備のソルジャーたちが敵の集中砲火を浴びて、回避に専念している。

 長期戦になれば、ノロウイルスΧがこちらの戦闘エリアまで到達してまとわりつき、みんな電力切れでナーキッド喪失という最悪の結末を迎えてしまう。

「うーん、駒が足りないかな」

 ママさんは笑みを溢す。

「本気、出しちゃおー」

 霧吹きスプレーボトル型格納庫を構えて、二回プッシュする。

「まだ、増えるの!?」

「五機同時操作……?」

 橙香とボクは、ママさんの離れ業に驚愕した。

 天翔(あまがけ)る水球が二つ。揮発する消毒液を突き破り、叙イ=ソルジャーはさらに加勢する。腰には熱刀を二本、所持していた。

「除菌分隊ムスビンジャー、けんざーん!」

 叙イ=コマンダーはピッチャーライフルを腰にマウントして、Rトレイ・風火輪を両手に持ち替えた。円形の盾から刃が二つ飛び出て、双刃刀(そうじんとう)となる。

全軍突撃(フルバースト)、いっきまーす」

 射撃戦タイプのソルジャーが脚部を砲撃モードに変え、圧縮エタノール弾で牽制する。

 四方に分散した砦フォールの残像群。近接戦タイプのソルジャーが、二刀流のピックブレードで片割れを追撃。敵はピッチャーライフルで迎撃しようとした。一発、また一発、外れていく。囮となっている内に、僚機が背後から敵の胴を切り捨てる。

 爆発すると、残像群の一部が消えた。どうやら、影分身の対象外である熱光線の弾道を読んで、本体がどれなのか導き出したようだ。

 射撃戦タイプのソルジャー二機は、別の残像群へと目掛けて、上方からガトリング・ペッパーミルで光束のシャワーを浴びせた。各個撃破に成功する。広範囲に渡って攻撃するのも、有効打のようだ。

 叙イ=コマンダーは単騎で、残像群のもとへ突き進む。敵が慌てて、ピッチャーライフルを連射した。紙一重で避け、Rトレイ・風火輪を投げ飛ばす。外部カメラのある首を跳ねて、戦闘不能に追い込む。

 銃器では裏目に出ると悟った敵の残像群が、熱鉈ピックマシェットを片手に指揮官機へ襲いかかった。叙イ=コマンダーの右足が変形して、音叉のような機構を露出させる。足先の景色は異様に波打つ。

 指揮官機は回し蹴りで打って出る。敵の残像群をまとめて、跡形もなく粉砕したのであった。

 共振波動蹴り――。<type1>系フレームの脚部をマイクロ波発生装置に取り替え、接近戦で殲滅するエース特権の運用法。除菌士学校の図書室で資料を閲覧したことはあるけど、実物の威力に鳥肌が立つ。

「目から鱗だな」

「そうやって、倒せってことね!」

 弟子たちが、反撃に出る。

 黴キラーは胸部鎧結び孔より、電磁リングを発射した。砦フォールの残像群は二手に別れる。

 ピッチャーライフルの猛襲を掻い潜る輝レイ。零門くんは弾道から敵の本体を見極め、熱太刀で両断する。

 今度は黴キラーに対して、熱鉈を携えた敵の残像群が追いかける。橙香はその機会を見逃さなかった。

 輝レイが足先の砲門から圧縮エタノール弾を、敵の頭上に向けて発射。拡散したところで、バリスタの熱光線が引火させる。爆発の余波によって、残像群を吹き飛ばした。落下する本体をコネクター・ロングライフルで狙い撃つ。

「やるな、橙香」

「私が一番弟子だってこと、忘れてたでしょ?」

 ボクも二人に続こう。煇レイは二振りの熱刀を両方とも順手で、鞘から抜いた。

 寒気がする。愛機の背後に、何かの気配を感じた。加速ブースターを用いて回転切りすると、刃同士でぶつかり合う。その姿を目の当たりにして、ボクは一驚する。

 騎士の仮面を被った頭部、両手でも片手でも扱えるバスタードソード、漆黒のボディ。AIの型番判別では、<???>と示していた。兜の切れ込み(スリット)から灯る眼光。その面影が、()テオトルと重なる。

 未知の脅威に、ボクは緊張感を高めた。六枚の光量子機動翅を有していることから、相手は第三世代機であると窺い知れる。どのようなコースター・ハロ機能を秘めているか、予想できない。

「コースター・ハロ、起動!」

 煇レイの光量子機動翅の周囲に、薄荷色の光輪を発生させた。座標を一点に指定。不意打ちで先手を取らないと、高性能の同世代機に負けるかもしれない。

 漆黒のナーキッドの死角に、煇レイの残像が現れた。量子分身・覇気双除(はきそうじ)、ピックブレードを真横に挟み込んで切ろうとする――。

 敵の姿が、瞬く間に消え去る。技は空振りに終わった。上空に気配を感知。漆黒のナーキッドが振り下ろすバスタードソードを熱刀で受け止めたことにより降下する。

 敵の背中には、深紅の光輪が出現していた。一瞬で視界から、姿を眩ます。煇レイの脚部ブレードを展開して、急速宙返り。サマーソルト・レッグブレードで黒騎士の不意を突き、防御に転じさせた。

 外部カメラで捉えた矢先、またしても漆黒のナーキッドは雲隠れする。三次元レーダーで移動先を探り、発見。離れた位置で、煇レイを凝視していた。

 量子跳躍――。自身を別地点へ瞬間移動させる機能。輝レイの量子転送よりも発動の早さで優っており、初見殺しの域に達している。判断が少しでも遅れていたら、煇レイはMIAとなっていた。

 疑問が過る。ボクはどうやって、レーダーよりも先(、、、、、、、、)に敵の居場所を知ることができたのだろう?

 他方では、黴キラーが砦フォールの残像群をミラーボールの惑星へ追い込んでいた。熱光線を放てば、本体がバレてしまう。敵はピックマシェットで影分身ラッシュをかける。

 若侍は急上昇で飛び去っていく。敵が突っ込んだ先には、バリスタの直射熱光線の網が待ち受けていた。そのまま六方からの溶断攻撃で細切れとなって、星になる。

 叙イ=コマンダーはRトレイ・風火輪を駆使して、標的の腰から紡錘形ポッドを切り離した。光学残像が消滅した後、接近を図る。敵が熱光線で迎え撃つ。その手を掴んで、背中側へ回っていく。反対の手をピッチャーライフルで撃ち抜き、無力化。

 指揮官機の真ん丸目カメラが、犯人を見下ろす。後ろ頭を足蹴にした。

「教えて頂戴。サンデービーフでO157Χを料理に汚染させたのは、貴方たち?」

 ママさんはヘッドギアで通信を試みる。夫の命を危険に晒した者が赦せないようだ。

『……』

「話してくれないかー。じゃあ、さよなら」

 マイクロ波発生装置が足先に表出して、砦フォールの右腕以外を木っ端微塵にした。二つのRトレイ・風火輪は刃を仕舞いながら飛んできて、叙イ=コマンダーの両腕にくっつく。

「むすびさん、一機くらいは捕獲しても……」

「だいじょーぶ、確保済み」

 接近戦タイプのソルジャーが、四肢のない砦フォールを熱刀で串刺しにしながら持ち帰ってきた。

 砦フォール集団は全滅した。輝レイと三機の叙イ=ソルジャーが、加熱マイクロ波を広域に放射した。残存するノロウイルスΧを焼き尽くす。

 ボクは、漆黒のナーキッドと決着を着けられずにいた。量子跳躍してくる敵の猛攻を第六感で受け流し続ける。その勢いが突然、止む。

 睨み合う、姫騎士と黒騎士。一足一刀の間合いにより、お互い少しでも進めば、斬撃を当てることができる。

 絶え間ない全集中。意外なことに、黒騎士はバスタードソードを投げ捨てた。攻めて来いと、言わんばかりに。ボクは煇レイの危機を察知。次の瞬間、敵の内部フレームが赤らみ、大爆発を引き起こす。

 爆煙の中、煇レイは間一髪のところで巻き込まれることを免れた。ピックブレードは砕け散り、機体の手に傷がつく。第三世代機を自爆させた――。高額で入手困難のナーキッドを何故?

 囚われの身だった砦フォールも自爆して、叙イ=ソルジャーを一機、道連れにする。

「……何なの、こいつら?」

 橙香は敵の躊躇いのなさに動揺する。

「ボクにも分からないけど……痛っ!?」

 手に焼けるような激痛が走る。相棒(バディ)はボクの顔を覗き込んだ。

「眠兎。そのおでこ(、、、)、どうしたの?」

 胸にのしかかる戦慄。

「蛍みたいに光ってるわよ」

「え、ホタル!?」

 遠くで見るのは平気だけど、自分がそうなっていることを想像すると、ぞぞ髪立つ。

「外に出たら、前髪を上げなさい!」

「怪我したのか、眠兎!」

「滅菌完了、おーだーすとっぷ」

 橙香と零門くんは、ボクに詰め寄る。ママさんが作戦終了をゆるふわに宣言した。


 消毒ゲート内の霧が薄まった。

 橙香と零門くんは、ボクの腕を片方ずつ、逃がすまいと組みついていた。これでは、犯罪者扱いだ。

 店の外へ脱出すると、食衛隊員が出入口を取り囲んでいた。霧吹きスプレーボトル型格納庫のノズルをボクらへと向ける。

「氷上眠兎、氷上橙香。そして、蜜口分隊長と大葉小隊長。以上、四名を拘束します。抵抗しないで頂きたい」

 現役隊員の零門くんが喫茶フルバーストのメンバーを庇い、立ち塞がる。

「連行の説明を求む」

 仲間は眉一つ動かさず、告示する。

「稲餅椒が、刑務所から脱走(、、)しました」

 娘である橙香は、その衝撃に声を発する。




       4




 護送車は悪路を走っているのか、座席シート越しに振動が伝わってくる。

 橙香がボクの前髪を掻き上げた。表情が真剣になる。

「隠していたわね。いつ頃からなの?」

「先月の旅行のとき。ごめんなさい」

 リキッドファンデーションで覆えないほど、Χの印が目立っているようだった。悪化したのは間違いなく、煇レイがダメージを受けたときだ。ナーキッドと除菌士は、脳波を電波に変換するヘッドギアで操作しているだけであり、肉体と直結していないはず。機体の損傷を本人の痛覚にフィードバックするなんて、有り得ないのに。

「取り調べが終わったら、病院へ行くわよ」

「うん、迷惑かけてばかりだね」

「自虐する癖、止めなさい。見捨てないから」

 ボクの頭をくしゃくしゃに撫でる、義姉の手。温かすぎて、泣きそうになる。自分だって、お父さんのことが心配であるだろうに。

 ママさんは窓の外を眺めていた。

「どう思いますか、むすびさん?」

 隣にいる零門くんが、小声で話しかける。

「そうねー。一つ言えるのは、街から離れて行ってることかなー」

 警察署は街中にもあるのに、郊外へ。ボクは不安になり、橙香へしがみつく。

「護身術でも、二人が限界かなー」

「なら、自分は五人やります」

「怖い、橙香……」

「大丈夫、人間相手なら殴り慣れているわ」

 ボクは閉口する。それは安心していいのだろうか。

 携帯端末やナーキッドの母艦といった機械類は、食衛隊員が没収していた。時間もわからぬまま、護送車が町外れの廃墟で停まる。フェンスを設置しており、まるで心霊スポットのようだった。

 月夜の下。ボクら四人全員が降りると、食衛隊員たちは後ろへ向き直る。橙香と零門くんが身構える。垂れ下がる、ワンピースサングラスをかけた頭。

「御無礼をお許し下さい」

 肩透かしを食い、ボクらは間抜け面になる。

「司令官が地下で、お待ちしております。貴女方の知人も。ナーキッドを返却致しますので、こちらへ」

 状況がつかめず、なされるがまま食衛隊員についていった。蛍光灯が照らす地下通路。気密扉の前、カードキーをタッチして開ける。室内の眩しさが、ボクらの視界を奪う。

 目が慣れてくる。室内の奥で、少女と男性はタブレットに目を向けながら立ち話していた。どちらも見覚えのある顔だ。

「お父さん……?」

 橙香は目に涙を浮かべる。ハジカミさんが娘の来訪に気づくと、喫茶オレンジセントでの日々を思い出させる温顔で出迎える。

「ただいま、橙香」

 橙香は走り出した。父親の胸に抱き着く。

「良かった。またいなくなったらって!」

「すまなかった。監獄では、戚利グループの暗殺から身を守れそうになかったんだ」

 橙香が顔を上げて驚く。

 その一方、ボクは少女を指差していた。

「また会えましたね、氷上眠兎」

 お昼に悪戯してきた子だった。

 ママさんが表情を緩ませる。

「珠ちゃん、奇遇だねー!」

新羅(にら)珠子(たまこ)です。アザラシじゃあるまいし、略さないで下さいと、あれほど言ったでしょう?」

 二人が知り合いであったことに、ボクは戸惑う。

「眠兎くんと、顔見知りだったんだー」

「ええ。彼が男子であるか、下半身を拝見させて頂きました」

 皆の視線は、ボクに集まった。羞恥心で顔が燃えそう。両手を胸元で交差させる。

もう止めて(ノーモア)、セクハラ!!」

 ボクの訴えを他所に、別室から新布陣が二人も加わる。

「ちょりぃす、ミントちゃん、むすびちゃん」

 この納豆を掻き混ぜたような、ねっとりボイスは。

「麹丸さんまで、いるんですか!?」

 ターコイズブルーに染めたボブカットの髪を揺らして横ピースする菌類解放戦線の戦闘員、麹丸キクジ。何食わぬ顔で食衛隊の輪に入っていて、ボクは混乱する。

「――それについては、私の口から話そう」

 常装に山葵の地下茎を象った胸の紋章が煌めく、白髪交じりの壮年は進み出た。零門くんが敬礼。ママさんも一歩前に出る。

大根(おおね)司令官。数々の任務を放棄しておきながら、狂犬が舞い戻ってしまいました」

 かつての部下と三年ぶりに再会して、上官は目を細めた。橙香とボクへ、ウインクする。

「司令室で格納庫のノズルを突きつけられて以来、私はむすび君の大ファンでね。弟子である君たちが羨ましいよ」

「止めて下さい、恥ずかしー!」

 ママさんは黒歴史の暴露に、顔を手で覆う。

「デスクの上に膝を乗せる様に、ハートを掴まれてだね」

「はい、もう終わり! お話があるのでしょ」

 ハジカミさん、珠子という少女。二人は司令官の両隣に立つ。

「皆に集まって貰ったのは他でもない、ライバル店の闇討ちに乗り出した戚利グループへの抑止力が必要となったからだ」

 菌類解放戦線のリーダーが頷く。

「僕と大根司令官は、旧知の仲だ。牢獄で彼に、Χ菌の秘密と協力者である新羅さんの危機を知らせた」

「椒君は昔、自衛隊の糧食班に所属していた経歴を持つ。私も彼の料理をとても気に入っていたのだ」

 ボクは橙香を見た。相棒(バディ)は首を横に振る。娘にも知らせていなかった様子だ。

「戚利グループの口封じから珠子女史と椒君を匿うため、脱走という形で、この食衛技術研究所へ避難させたのだ」

「あたしもぉ、御月ちゃんの墓参りしてたところをぉ、リーダーが拾ってくれたんだぁ」

 橙香は少女へ目をやる。

「ちょっと待って。あなた、いくつなの?」

「今年で、二十八です」

「ボクより年上!?」

「わたしと、大学の同期なんだよー」

 ママさんとの接点よりも、童顔魔女の容姿に仰天する。身長も、女性の平均を下回る小柄のボクに負けてるなんて。

「ふふ、完璧な変装だったでしょう?」

 ランドセルと通学帽子のみを頼みに出歩くなんて、綱渡りにも程がある。

「あの、珠子さんのご職業は?」

 改まって敬語で質問するボクであった。

「ナーキッド開発ラボ技術課、役職は主任。滅菌汎用機のAIとムスビンジャーシステムをプログラミングしたのは、私です。まあ、横流しがバレて、クビになりましたけど」

 ということは、ナーキッドの生みの親であり、戚利グループに在籍していた人物だった。

「ごめんねー、わたしが先行販売をお願いしちゃったばっかりに……」

 ママさんが申し訳なさで萎れる。

「構いませんよ。おかげで、食衛隊という新しい金づるにありつけました」

 珠子女史はしたり顔で、タブレットを肩に当てる。

「あの日、第三世代機を弟子に渡すと聞いて焦りましたが、初陣の戦果で納得しました。私が組み立てた(、、、、、、、)穢テオトルを撃破したのですからね」

 ボクは合点がいく。菌類解放戦線が非正規のルートで魔改造機を入手できた理由に。

「戚利グループ内にも、自由人がいたってことです」

「珠子女史、そろそろ本筋に」

 司令官の意見で、彼女は話の脱線から軌道修正する。タブレットを操作して、近くのPCモニターにナーキッドの設計図を映し出す。除菌士学校で習った、どのフレーム系統にも類似しない、謎の構造体だった。

「間もなく、戚利グループが第四世代機(、、、、、)を完成させます」

 第三世代を発表してから、まだ半年も経っていないのに、もう次世代の開発を行っていたとは。その真意が読めなかった。

「稲餅椒が主要取引先を一つ潰して下さったおかげで、予算が足らず時間稼ぎになりましたが、タイムアップです」

 ハジカミさんが身を挺してでも犯行に及んだのは、そんな意図があったのか。ボクの視線に、彼は心配無用と言いたげな微笑みを返す。

「ノロウイルスΧは謂わば、黙示録の四騎士が最後。手始めに飲食業界の支配、続いてΧ菌との戦争を演出、食料の制限からの疫病。中二病男子が喜びそうなシナリオですね」

 珠子女史の解説だと、戚利グループの目的が日本滅亡に聞こえる。

()の総帥が産み出そうとしているのは、マイクロスケール世界よりノロウイルスΧを人間社会へ蔓延させる、最凶のナーキッド。これはもはや、生物兵器だと言わざるを得ません」

 日本は生物兵器禁止条約に署名して、批准(ひじゅん)している。それと同族の機体を、防衛省が管理する食品防衛部隊も使用していると発覚すれば、国際問題になりかねない。

「第四世代機の性能に、現存する対Χ菌用のナーキッドでは太刀打ちできません。彼らはこの機体を用いて、救国の英雄どころか神にすら成り代わるつもりなのでしょうか? はたまた、戚利グループ一強(いっきょう)の社会を築き上げるとか」

 総帥である戚利シゲラは、珠子女史が菌類解放戦線と繋がっていると疑い、第四世代開発チームから外した。彼女は最終調整までのデータの奪取に失敗したが、現時点での主武装なら逃亡の際、脳に記憶できたそうだ。

「どちらにせよ、私はあの企業に腹癒せをしたくて堪りません。なので、悪神まがいのナーキッドを討ち滅ぼす、真の清浄なる女神の製造を考案しました」

 実は珠子女史もかなりの中二病なのではないだろうかと、ボクは推察する。

 PCモニターの設計図に、別のウィンドウを追加。それは、八枚の光量子機動翅がブラックボックスの動力源とリンクしているイラストだった。おそらく、光量子炉・極だと思われる。

「Χ毒素をアンチトキシンにさせる装置、仮名は<清装(せいそう)>としましょう。その原理を公開します」

 光量子炉・極の黒塗り部分がクリアになり、内部の真実を明らかにする。

 橙香はしかめっ面となり、ぼやく。

「……あいつら、頭の中まで感染してるんじゃない?」

「エネルギー源は、バイオマス。しかも、Χ菌の核(、、、、)だったんだね」

 明滅するΧの字が、菌類の増殖力を利用して、燃焼による電気エネルギーへ変換。動力炉が空気を吸入して、餌が作られていく仕組みだった。量子転送で苦しがるO157Χを想起する。輝レイと煇レイが不具合を起こしたのは、これが原因だったのだ。

「コアの正体は、ナノマシンです。つまり、Χ菌はナーキッドの親戚さんだったのですよ」

「止めて。余計、鬱になる」

 橙香は輝レイの中身を知って、バイ菌アレルギーに苦しんでいた。

「気に病むことはありません。これから、Χ菌を無毒化するプログラムへ変更するのですから。ただ、どこぞのお馬鹿ちゃん達が、悪党のもとへ第三世代機を修理に送ったときは、舌打ちしちゃいましたけどね。ハッキングして、送り先をここにする手間が増えて大変でした」

 橙香とボクは顔を見合せ、はっとする。

「だから、食衛隊を経由してきたのね」

「戚利グループは、貴方たちのナーキッドを回収したがってるのですよ? 盗撮していた私に感謝して下さい」

 聞き捨てならないセリフも耳にしたけど、フォローありがとうございます。もしかして、ボクとばったり会ったのも、パソコン越しに監視してたからでしょうか。

「もう、解りますね。貴方たち二人の機体を、<清装>プログラム搭載の第四世代機へ、アップデートしたいのです。無論、拒否権だってあります。戚利グループの飼い犬だった私を信用するのは、至難でしょうし」

 ボクは橙香の意思を再確認する。不敵な笑みが返ってくる。愛機の母艦を珠子女史へ差し出した。

「託します、師匠の友達である珠子さんに」

「好き放題してきた付け、戚利グループに払わせてやるわ」

 同意を得られた珠子女史は、タブレットのスクロール操作でメモ書きアプリに切り替える。

「要望はございますか? ある程度なら、叶えられますよ」

「強くしてくれるなら、何でもいいわ」

「清楚でかわいく、してほしいです」

 珠子女史の微笑が黒みを帯びる。

「いいでしょう。美少女狂戦士(、、、)にしてあげます」

「やっぱり、返して……」

「ジョークです」

 大根司令官が腰に手を当てる。

「残る問題は、証拠となるΧ菌培養工場の所在だが――」

 ハジカミさんが手を挙げる。

「セキュアに潜入して、除菌士の子達から、興味深い話を聞いた。僕が当たってみる」

 潔さんの動きを教えるべきか迷う。しかし決断する時間もなく、彼はワンピースサングラスをかけ、食衛技術研究所から去っていく。

 食品防衛部隊が月初めに国民へ発表していた、都心で実施する大規模掃討作戦。Χ菌との全面戦争は、その陰で個人店の喫茶フルバーストを巻き込み、黒幕を糾弾する天下分け目へと激化していく。


次回。最終章、突入――。


「ガリちゃん、と気軽にお呼び下サイ」


「眠兎、離れろ!!」


こんなの、煇レイじゃない……。


ごめんなさい、ボクは――。


Χ菌撲滅を懸けた、掃討作戦編が始まる。

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