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オーダー3番席『ロックフォール』




       1




 黄昏色に染まるC&Rセキュアの窓際席にて、ボクと楪さんは向かい合って座っていた。テーブルの上で、制服のキャスケット帽を差し出す。昨晩、電話で助っ人のお仕事を辞めたいと伝えたのだ。

「……そうか、迷惑をかけてすまなかった」

「いいえ、参加してしまったボクが悪いんです」

 カフェテラス・イベントが理由というよりも、戚利グループに対する不信感を拭えなかったからだ。ハジカミさんから聞いたバイオテロの証言は、信憑性があった。口封じの標的とならぬよう、本業一筋の意思を言い訳にする。

 楪さんは社員の証を押し返す。

「その帽子は御詫びとして、君に進呈しよう。気に入っていたのだろう?」

 水色のキャスケット帽が煇レイの面影と重なる。手放すべきなのに、ボクは断れなくなった。

「イベントの後始末は、私がつける。上層部は、昨年に入社の新参者をトカゲの尻尾切りに利用したがっているものでね」

 中止を即決して、食衛隊に避難誘導を願い出たのは支店長の楪さんだった。食材や備品、キッチンカーなど多額を費やしているにも関わらず。

「まさか、クビに!?」

「いいや。(くだん)のフランス企業の社長が、滞在最終日の金曜に、うちの支店で食事をなさる」

 主要取引先なのに、海外出張のスケジュールを狂わせてしまったのだ。その穴埋めは、相当の重責だろう。

「だから、眠兎くんのキャリアに傷をつけさせない。君の店に、繁盛があらんことを」

 彼女は席を立ち、事務用のバックルームへと下がった。離別の切なさに胸が詰まる。

「ありがとうございます、楪さん……」

 せめて彼女は本当の好い人であると、信じたい。ボクも振り返ることなく、C&Rセキュアを後にする。

 別の収入源を失ってしまったけれども、余暇ができることはむしろ好都合だった。菌類解放戦線に所属する、ハジカミさんの所在を突き止めるため――。




       2




 翌日、喫茶フルバーストはモーニングが目当てのお客様で賑わう。ラッシュ時にはビジネス層で満席。それを過ぎれば、住宅地のシニア層と入れ替わっていく。

 ボクはカウンターから振り向く。店内の一番席では、ミリタリーコート姿の零門くんがホットコーヒーを啜っている。ここ数日間、いの一番で欠かさず朝食を食べに来てくれるのだ。

 彼に手を振ってみる。ボクの視線に気づき、頷くリアクションを返してくれた。秘密の会話をしているみたいで、元気が湧く。

 ボクが正面を向くと、隣にいる橙香は物言いたげな顔で台の上に肘をついていた。

「あなた。零門のこと、どう思ってるわけ?」

「え? 一番の友達だよ」

 その発言は、橙香の失笑を買ったようだ。

「彼、可哀想ね」

「そんなこと、言わないでよ!? ボク、零門くんしか友達いないんだから」

「はいはい。ほら、本人が会計したがってるわよ」

 橙香は肘で小突いて、ボクをレジへ向かわせた。零門くんから伝票を受け取り、『450』と打ち込む。金額を伝えるも、財布が出てこない。気になり、見上げてみる。

「……悩み事はないか?」

 仏頂面だけど、ボクを気にかけていたらしい。

 菌類解放戦線の足取りについて新情報がないか訊こうとしたが、思い止まる。冷静に考えてみれば、ボクは一介の除菌士だ。食衛隊の機密情報を無闇に漏洩させてしまうのは、忍びない。

「えっと、今はないかな」

「いつでも、相談に乗る。もしものことがあれば、連絡してくれ」

 前に来店したとき、彼が暮らす官舎の電話番号をメモ書きで教えてくれたのだ。コーヒー代を丁度で支払い、零門くんは出勤する。早起きしてまで時間を作ってくれるとは、よほど喫茶フルバーストの味が恋しかったのだろう。

 そうしてモーニング終了の十一時を過ぎ、五人組の奥様方が訪れる。多忙のピークを越えたばかりで、ボクは案内に戸惑う。

「眠兎、右奥の六番席が片付いてるわ」

 橙香はノールックでボクに指示する。カウンター側からでは視認できなかったが、大人数向けの長テーブルが空いていた。実家の喫茶店の手伝いで磨いた、一種の空間認識能力。三次元機動のマイクロスケール世界で活かせる武装があれば、もっと無双できるはずだ。

 しかし、橙香はお父さんのことがショックで、戦意を喪失している。提案しても、乗り気になれないだろう。今はホールスタッフの仕事で、気を紛らわしてほしい。

 水とおしぼりを運ぶ彼女とすれ違う傍ら、ボクは二番席のコップが目に入る。食事中の老紳士のもとへ、ピッチャーを持って向かう。

「お水はいかがですか?」

 この店の名物である、ジャムたっぷりのフルバトーストがまだ半分も残っているのに対して、コップの水は心許ない量だった。

 ボクの気配りは、先読みの域に達していた。時には心を覗かれているみたいだと周囲が怖がってしまうけど、これも人の顔色を窺って生きてきた影響だ。使いどころさえ気をつければ、ナーキッドの戦闘でも役立つ。

「ありがとう、気が利くね。将来、良いお嫁さんになるよ」

 慣れっこの作り笑いで、給仕する。

「実はボク、男の子なんです」

「そうなのかい!? 女の子みたいだね……」

「よく、言われます。ごゆっくり、どうぞ」

 気まずさを淑やかさで包んで、立ち去っていく。お客様の機嫌を損なわぬように立ち回る術は、お手の物。こうすると、相手も悪い気はしない。ドライ接客の橙香や零門くんを参考に、自力で編み出した。

 閉店時間まで駆け抜けると、除菌スタッフのママさんは隔離部屋から出てきて背伸びする。橙香とボクが全席の食器を下げて、業務用洗浄機に並べていく。

「みんな、お疲れちゃんだぜ……」

 梅干野マスターが、労いの言葉をかける。異様にやつれた顔をしていて、ボクらは仰天する。

「どうしたんですか、もしかして賄いにバイ菌が!?」

「ママさんに限って、有り得ないでしょ」

 彼は息を切らしながら説明する。

「除菌するむすびに苦労をかけると考えたら……火入れで神経が……」

 奥さんをナーキッドの戦場に送り出すことが、ストレスだったのですね。どうりで、普段以上に調理器具を手入れしていたわけだ。

「わたしのために頑張ってたのね、ちゃーくん!」

 ママさんが夫の頭を抱き寄せて、撫で撫でした。ぐったり気味の梅干野マスターは力を振り絞って、サムズアップする。

「ちょっと、私たちには迷惑をかけても良いってこと!?」

 橙香は怒声を上げ、ボクは閉口する。生焼けの悪癖を治してさえくれたら、ナイスガイなんだけどな。

 夫を椅子に座らせて、ママさんは付箋が貼ってあるメモ帳をボクへ手渡した。

「眠兎くん、橙香ちゃん。買い出しをお願いしても、いいかなー?」

「はい、喜んで。珍しいですね、ボクらに頼むなんて」

「んーとね、人と会う約束があるのー」

「でも、どうして橙香まで?」

 困り顔のママさんは、手を合わせる。

「そこは突っ込まないでー」

 まるで、誕生日サプライズを仕掛けている人みたいな反応。ボクは先月にお祝いして貰ったし、橙香はまだ半年先だ。気になるけど、ここは空気を読んでスルーしてあげよう。

 荷物置き場のクローゼットの前で、ビッグシルエットのデニムジャケットの袖に腕を通す橙香、ミドル丈のカーディガンを肩掛けにするボク。念のため、煇レイの母艦をショルダーバッグに入れて、ドラッグストアへ出発する。


 ナーキッドの武装は、市販で買い足すことができる。

 消毒液の詰め替えケースは、一週間で空になってしまう。ピッチャーライフルのエネルギーパックも殲滅主力機と近接支援機では消費量が異なり、前者の場合、三日が交換の目安である。熱刀に至っては金額が割高で、刃毀(はこぼ)れしたら使用中止のルールを遵守しなければならない。

 除菌士は資源節約のリサイクルに協力して、開発元行きの回収ボックスへ使用済みのケースを入れるのがマナーだ。場所はドラッグストアの入り口付近に設置してあったりする。マイクロサイズの武器を投げ棄てることに環境への影響はないが、レアメタルの確保が課題である現代社会においては、出来れば避けたい。

 食品売場が丸ごと、ゼリー飲料の<セキュリティー・チャージ>に置き換わった陳列棚。品出し業務に勤しむ白秋の女性店員へ、ボクは近づく。口ごもりながら、探し物の置き場を尋ねる。

「あの……用品の……キンは、どこでしょうか?」

 経験豊富の方のようで、切れ切れの単語から察してくれた。

 相方の橙香は上の空で、アドバイザーとして機能していない。お父さんが菌類解放戦線の構成員だと知ったあの日から、勤務を終えるといつも、この状態に陥る。良くも悪くも、喫茶店のしがらみで人生を過ごしてきたのだ。

 女性店員が橙香の袖を引っ張る。

「あなた、この子の彼氏(、、)でしょ。エスコートして、あげなさいよ!」

 お姉様の額に、怒筋(どすじ)が浮かび上がったような気がする。爆発する前に対処しないと!?

「えっと、そっちが女の子で、ボクが男の子なんです……」

 弁明するボクと(むく)れる橙香を見比べて、女性店員は「ごめんなさいね」と頭を下げた。美人でモデル体型なのに、どうして間違えられるのだろう。ボクの傍へと立ち戻る。

「あなたも、紛らわしいわよ」

「すみません、ご迷惑をおかけして」

 もしかして、ボクの容姿が原因なのでは。だとしたら、乙女心にピックブレード。

 その他はすでに、見つけ済み。菌死禍に入ってからというもの、買い出しは日用品のみとなってしまった。梅干野家が食材をネット通販の真空包装で取り寄せていることも相まって。ゼリー飲料の味も年々、種類が増えて、カレーやコンソメの定番だけでなく麻婆豆腐にトムヤムクンの変わり種まである。純粋に楽しめていた学生の頃を思い出す。

 戚利グループが真の悪者なら、庶民のボクは果たして、ママの敵討ちを望めるだろうか。その相手が細菌ではなく人間であったとすれば、どのような復讐を実行する?

 これだけは言える、<人殺し>なんて嫌だ。六年前、ニュースキャスターが公表するΧ菌感染の死者数に怯えていた日々。家族が嘆願しても、食べることを諦めないママ。最悪の事態が現実となり、説得の無力さに、ボクは癒えぬ傷を負ってしまった。

 もう誰も、Χ菌なんかのせいで死なせたくない。だから滅菌汎用機による武力行使で、ハジカミさんの穢テオトルを消毒する――。

 ドラッグストアの自動ドアを通り抜けると、駐輪場からバイクのエンジン音が聞こえる。ドライバーの女性は停車中、ヘルメットをハンドルに下げて、タバコをふかしていた。王冠の刺繍を強調した、スタジアムジャンパー。ボブカットの髪色はターコイズブルーに染めていて、その奇抜さについ目が向いてしまう。

 彼女と視線を交わす。ボクの顔に釘付けとなった。

「まじぃ、御月ちゃん……?」

 知り合いに遭遇した雰囲気で話しかけられ、ボクは混乱する。当人が涙を滲ませて、飛びつく。ボクの頭を胸元に抱え込んだ。

「寂しがったよぉ、何でカマチョ連絡してくれないのぉ!?」

 ふかふかベッドに押しつけられているみたいで、息ができない。抵抗するも、力負けしていた。「助けて、橙香!」と曇り声で呼んだ。

「苦しんでるでしょ。眠兎から離れなさ――ッ!?」

 相棒(バディ)は引き剥がそうとした矢先、飛び退くように離れていった。

「この臭い、まさか。あなた、何食べてきた?」

 ドライバーの女性が考える仕草になって、ボクは拘束を振り解いた。脱兎の如く、橙香の背中に隠れる。

「えっとぉ、昨晩はロックフォールとゴルゴンゾーラをワインで飲んで寝て、今朝は遅くに起きて納豆トーストを頬張ったよぉ」

「オール菌類、最悪だわ……」

 吐き気で呻き声を発していた。バイ菌アレルギーを拗らせて、酵母(イースト)にまで鳥肌が立っている。喋れなくなった橙香に代わり、ボクは見知らぬ人へ質問する。

「あの……お名前は?」

麹丸(こうじまる)キクジでぇーす、改名なう。ネーミングの由来はぁ、矢部規矩治(きくじ)さまぁ!」

 彼女は横ピースで決めポーズを取って、名乗った。その偉人がどなたかは存じ上げませんが、リスペクトしてらっしゃるのは分かります。

「というかぁ、飯友(、、)のあたしを忘れるなんて酷いよぉ、御月ちゃん!」

 落ち着きを取り戻したボクは、彼女がママの名前を連呼していることに心づく。過去に、ママが友達と会うため隣の区までチーズメインの酒場へ足を運んでいた。帰ってくるとピザポテト臭が漂うから、思春期の脳に焼きついていたのだ。

「その、ボクは氷上眠兎と申します」

「ふぇ、非課金推奨? もおぅ、ゲームのガチャは卒業したってばぁ」

 ヒカ以外が原形をとどめないほど、のめり込んでいたらしい。

「御月は、ボクのママなんです」

 麹丸さんは首を傾げる。


 近場の街区公園に移動して、ママの死を告げる。Χ菌騒ぎで田舎へ疎開する世帯が増えているからだろうか、人気はなかった。

 簡易椅子(スツール)に座る麹丸さんは、天を見上げながら清聴してくれた。開いた口が緩む。

「そっかぁ、御月ちゃんとはもう会えないんだねぇ……」

 間の席に度数0.0%ノンアルコールワインの缶と麦茶のペットボトルを挟んで、ボクは頷く。橙香も隣で瞑目する。

 知らない方が幸せと言う人もいるだろう。だけど、会いたい気持ちを募らせることは、諦め切れない苦しみを抱え続けること。叶わない願いなら、ボクは断ち切る手段を選択する。同じ悲しみを背負う者として。

「大好きな友達は死んじゃうしぃ、大好きな食べ物は悪者扱いだしぃ。ほんと、嫌な時代だなぁ」

 Χ菌が人々から家族と内食を奪って、納豆やブルーチーズも不潔のイメージにより忌避する情勢へと移り変わり、都会で取り扱う店舗は激減した。納豆菌は本来、善玉菌である。腸内環境を整えて乳酸菌の栄養源にもなる。しかしながら、パンデミックの恐怖で根拠のないデマがインターネットを通じて広まり、滅菌汎用機が普及する現在に至っても払拭できずにいる。安全圏または根絶した地域でしか、販売していない。

 麹丸さんは、ママとの出会いをボクに話してくれた。

 高卒だった彼女は二年間のフリーター生活を経て、念願の酒類製造メーカーに就職した。少女期に亡くなった祖母の習慣から甘酒と納豆で育ち、菌を愛して止まなかったのだ。

 しかし酒蔵に入る日、先輩より「出ていけ!!」と大目玉を食らう。要因はその朝、納豆を口にしたこと。<世界最強の有用菌>であるが故に繁殖力が壮絶で、コウジカビを負かしてしまうのだ。栄養素が不足する環境にいると100℃以上の熱湯でも殺菌できない芽胞を体内で形成する上、酸にも耐性を持つ。衣服や手先に付着して持ち込み、工場が停止するなど以ての(ほか)である。

 愛する二つを満足に食べられない仕事柄により、彼女はストレスを溜めて、趣味のオンラインゲームぐらい充実したいと廃課金へ道を踏み外す。気づけば、体調も悪化して会社を休む日が増す一方。投げやりに退職してしまい、貯金が底を尽きて、生活は破綻した。

 路頭に迷っていたとき、ある酒場が目につく。看板には、好物のチーズの写真。よだれを垂らして、店内の客たちへ羨望の眼差しを送った。

「――そんなに食べたいなら、入ればいいじゃない?」

 入店しようとしていたセミロングヘアの女性客が見かねて立ち止まり、背中を押す。

 彼女は朧気に頭を振る。

「……金無いしぃ」

 憧れの職業が自分の首を絞めるなんて予想外で、働く意義を見失っていた。

 女性客は深呼吸する。彼女の首に腕を回し、連行する。

「好物がない人生なんて、糞食らってるようなものよ! 私が払ったげるから、腹一杯に食べなさい」

 戸惑う彼女とチーズの楽園への扉を開ける。

 相席する二人は互いに身の上話を交わす。女性客の名前は、氷上御月。家族はこの酒場のピザポテト臭に嫌気が差してしまったので、独りで飲みに来ているそうだ。自分も無職の経緯を打ち明けると、陽気にアドバイスしてくれた。

「これからは好物を味わうために、金を稼いで費やすといいわ。休日に誘ったげるから、無駄遣いさせないわよ」

 髪が皿へ垂れぬよう後ろ手にまとめて結ぶ、御月。

 一品目に注文したのは、羊乳をアオカビで熟成させたフランス最古のチーズ、ロックフォール。口に含むだけで崩れて溶け、鋭さのある塩味と旨味を感じた後、カビのざらつく舌触りが余韻として残る。それを噛み締めて、彼女は号泣する。

 そうして飯友となった二人は、その店で週末ごとに酒盛りをして、飽くなき好物愛を語り合っていく。彼女もスーパーの正社員に再就職が決まり、飯の種を得られた。恩返しに奢って、持ちつ持たれつの関係性を築き上げる。ところが――。

 Χ菌出現に伴い、警察及び自衛隊を動員。緊急事態宣言でゼリー飲料の支給品が届くまで食事自粛要請。御月との連絡も突然、途絶えてしまった……。

「子供がいるって聞いてたけどぉ、そっくりなのは救いだなぁ」

 この髪型はママも食事に便利だと、気に入っていた。人の役にも立てるのなら、捨てたものではない。死後も庇護してくれるママの善行に、感謝の祈りを捧げる。

 麹丸さんは立ち上がり、親指でバイクを指差す。

「ミントちゃんだっけぇ。そんじゃあ、一緒に行こっかぁ」

「え、どこに?」

 思い当たる場所がなかった。かの酒場は菌死禍の煽りによって、今や潰れてしまっている。

 遊びに出かけるノリで、麹丸さんは述べる。

「御月ちゃんの弔い合戦にぃ、戚利グループ襲撃(、、)しよぉ?」

 橙香とボクは驚愕の声を発した。

「ちょっと待ってよ、あなた何者なの!?」

 Χ菌の発生に戚利グループが関与している疑いは、公になっていないはず。知っているのは喫茶フルバーストのメンバーにその陰謀を知らせた、あの――。

「改めましてぇ、菌類解放戦線の戦闘員。コードネーム、<KK>でぇす」

 彼女はスタジャンの裏から、霧吹きスプレーボトルを取り出す。金属部のプレートに打った、漢字一文字から始まる型番の刻印。ナーキッド所持者である証だ。

 探っていた組織の方から現れてくれた。またとないチャンスに、ボクは麹丸さんの腕に縋る。

「お願いです! 橙香のお父さん……ハジカミさんの居場所を教えて頂けませんか?」

 相棒(バディ)へ振り向く。いつもの覇気は消え失せ、口を(つぐ)んで俯いていた。こんな姿は見ていられない。お節介だろうと、二人を再会させてあげたい。

「えぇと、鼻紙さぁん?」

「カフェテラス・イベントで、穢テオトルを操作していた人。漆黒のナーキッドです!」

「なぁんだ、リーダーの<YK>さんかぁ。秘密作戦なうだよぉ……お父さん!?」

 麹丸さんは組織の創始者が娘持ちだったことに、びっくりする。

「だったらぁ、説明なしでノープロォ? みんなで殺っちゃおぉう!」

 と思いきや、片腕を挙げてノリノリになる。

「駄目です!!」

 声を張り上げて、彼女を制止する。

 麹丸さんは屈み、野性味を帯びた微笑みで覗き込む。

「ミントちゃんもぉ、ムカつくっしょ? あいつら人殺しのくせして、<正義の味方>気取りでさぁ。菌ちゃんに罪を擦りつけるしぃ」

 底知れぬ瞳孔の深さに、ボクは身震いする。歯を食い縛り、ママの友達に訴えかける。

「そうしたら、麹丸さんが犯罪者になっちゃう。ママの御月なら絶対、こう言います。『腹の足しにならない憎しみは、悪い虫だ』って!」

 その言葉を耳にして、麹丸さんの眉がひくつく。

「ふぅん、世紀末救世主ぶるんだぁ。じゃあ、御月ちゃんみたいに力ずくで止めてみなよ?」

 ゴーグルを装着して、滅菌汎用機が出撃待機する母艦のトリガーに指をかける。

 ボクは彼女の戦闘意思に応じて、ショルダーバッグより煇レイの母艦を抜く。

「眠兎、国土交通省に申請していないわ。法律違反よ!」

「ここで戦わなくちゃ、この人は独りで復讐しに行っちゃう」

「そぉうそぉう、憂さ晴らシようよぉ」

 ボクと麹丸さんは間合いを取って、テーブルに使っていた公共の設置物へとノズルを向けた。ヘッドギアのフェイスシールドが下りて、眼前に煇レイの外部カメラ視点を表示した。

「むすび流二番弟子、氷上眠兎。参ります」

「菌類解放戦線、麹丸キクジ。殺っちゃいまぁす」

 トリガーを引き、水滴の弾丸に収まるナーキッドは街区公園の屋外宙域に舞い降りた。揮発する消毒液より、煇レイは飛び出して、麦茶のペットボトルキャップに着地する。機体ステータスより告知、水色キャスケット帽の頭部には、十字絆創膏のような修理痕が凹み箇所を覆い隠していた。

 左側へ首関節を回す。麹丸さんが飲んでいた、度数0.0%ノンアルコールワインの空缶。ステイオンタブに足を着けたのは、見覚えのある機体だった。

 全身が青緑色の滅菌汎用機、砦フォール。折り目傷がついた日除け(ブリム)のワークキャップ・ヘッド、嘲笑する半月目の外部カメラ、腰に装着した紡錘形ポッド。カフェテラス・イベントで橙香の輝レイを葬った奴と同型。麹丸さんが、あの時の片割れだったのか。

 両者は光量子機動翅をはためかせ、交戦を開始する。




       3




 地上では、雑草のジャングルが広がっていた。その上空、二機の妖精乙女が飛び回る。

 ボクは煇レイのピッチャーライフルを左手に持ち替えた。空いた右手には、盾として機能していたRトレイ・風火輪を取り外して、いつでも繰り出せるようにする。

 麹丸さんは砦フォールの両手に、アオカビΧが封入してあるコンパクトディスクを構えていた。敵機に散布しやすい位置へ立ち回ろうと、隙を窺っている。

 砦フォールは脚部ブースターを用いて、前に出る。ボクは煇レイの飛行速度を落として、斜め宙返り(シャンデル)で制空権を握る。敵がナーキッド破壊に特化しているなら、こちらは食衛隊の元エースが叩き上げた実戦慣れを武器にする。

「逃げ恥ぃ? じゃ、追い詰めちゃいまぁす」

 煇レイが放つピッチャーライフルの連射を掻い潜り、砦フォールは背後へ回り込む。ボクも急旋回(ブレイク)して、死角を作らないよう操作する。機動力で劣っているから、テクニックで補う。

 痺れを切らした麹丸さんが、二つのコンパクトディスクを煇レイの前方へ投げ飛ばす。この瞬間を待っていた。姿勢制御スラスター、脚部より光量子噴出。失速して、胸部リボン孔から電磁砲弾を発射する。

 円盤が破裂して、アオカビΧが飛び散った。弾速を調整した別の電磁波に吸い寄せられ、明後日の方向へ追いかけていく。

 煇レイはRトレイ・風火輪を回し投げた。両手の投擲武器を手放した敵へ、ピッチャーライフルで畳み掛ける。

 降り注ぐ熱光線の通り雨で、砦フォールが右側へ避けた。回転刃のフリスビーは軌道を曲げて、彼女の右膝へ命中して切り落とす。

 アオカビΧの対策は、見事に成功した。予想通り、麹丸さんの砦フォールは抗菌装甲ではない。通常機体でなら弾ける実態武器によってダメージを負っている。耐久性の低さが、その証拠だ。おそらく、同士討ち防止の対象が電波ホーミング誘導であるからだろう。まとわりついてくるのなら、抗菌装甲の電磁波よりも魅力的な囮へ振り向かせれば追い払える。

「バイ菌返しぃ!」

 次なるコンパクトディスクを両腰の紡錘形ポッドから抜き取り、煇レイの左右へ交差投げして挟み撃ちにする。

 ボクは電磁砲弾を下方へ撃ち、煇レイを反動で飛翔させる。

「いーただきぃ!」

 別方角にも、アオカビΧの粉塵が発生していた。三次元レーダーより、Rトレイ・風火輪が墜落した報告を受ける。一筋縄ではいかないのも承知の上。

 煇レイはピックブレードを右手で抜刀した。押して参ります。

 リロード最中の砦フォールはコンパクトディスクを手に取る暇もなく、煇レイの接近を許してしまう。熱刀による唐竹割りを左足のブースターで緊急回避した。おっとり目の外部カメラは見逃さない。ピッチャーライフルの追撃を左手に浴びせる。

 ボクは左利きだから、こっちの持ち方で精度が上がるのだ。

「ちょいま、ちょいま、鬼つよぉ!?」

 砦フォールは体勢を立て直すため、距離を取る。

 対する煇レイは、制空権の維持を図る。

 攻めの手札が減った両者は、空中機動のいたちごっこを繰り広げた。ボクの額に汗が滴り落ちる。電磁砲弾も無限に放てる訳ではない。本体が無傷とは言え、光量子炉のエネルギー切れを招いてしまえば敗北。長期戦であればあるほど、こちらが不利だ。

 打つ手がもう一つあった。それに懸けるしかない。煇レイの光量子機動翅を大きくして、加速する。

 片足を失って、推進力が低下した砦フォールは追尾する。奥の手の円盤大量投下をしようにも、相手の上方へ位置取りしなければならない。隻手(せきしゅ)で左腕の鞘から熱鉈を抜いて構える。

 マイクロスケール目線で超高層のビル郡じみた楠の巨樹を縫うように躱しながら、二機の追走劇は最終局面へ突入する。煇レイの脚部スラスターから放出する光量子が底を尽きる。

 砦フォールは透かさず、熱鉈を振りかざす。獲物の背中へと飛びかかった。赤熱の刃を当てる寸前ーー。エネルギー切れのふりをした煇レイが急上昇して、空振りに終わる。

 零式艦上戦闘機のお家芸、木の葉落とし。麹丸さんの技を真似して、輝レイの意趣返しだ。

 砦フォールの背面にピッチャーライフルの照準を定めた瞬間――、視界が青緑の一色に染まった。

 ボクは予想外の出来事に動揺する。敵のAIが自動反撃システムを発動させたのだ。紡錘形ポッドの後部孔より、アオカビΧの煙幕を張っていた。加熱マイクロ波に切り替えようとするが、第一世代の弱点である若干の遅延(ラグ)が命取りになってしまう。ナノサイズのΧ菌は煇レイの関節部から内部フレームへと入り込む。

 麹丸さんは絶叫する。痙攣して身動きできなくなった獲物の胴体を熱鉈で切り裂いた。

 フェイスシールドの外部カメラモニターにノイズが走り、真っ暗になった。『<煇-ray> missing in action』の文面が浮かび出る。MIAとは、戦闘中行方不明を指す。これは操作する除菌士への配慮機能であり、せめてものストレス緩和……。

「ごめんねぇ。あたしもぉ、カビちゃんたちのために戦ってるからさぁ」

 麹丸さんはゴーグルを外して、ボクへ顰笑(ひんしょう)の表情で謝罪した。

「砦フォールもボロっちゃったしぃ。ミントちゃんに免じてぇ、今日はバイデェス」

 ボクたちを残して、バイクの駐輪場所へと去っていった。

 煇レイの母艦を胸に当てる。愛機は二度と、そこへ帰ってこない。

「眠兎……」

 ボクは向き直る、橙香がかける言葉を見つけられず歩み寄っていた。震える唇で呟く。

「どうしよう……煇レイ壊されちゃった!?」

 高身長の橙香は泣き崩れるボクの後ろ頭へ手を回して、肩に抱き寄せる。義姉の温もりに、また大切なものを亡くした慟哭が溢れだしてしまう。

「帰るわよ、梅干野さんの家に……」

 頑張りが仇となる人生の袋小路に、ボクら二人は傷の舐め合いをするしかなかった。

 

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