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オーダー2番席『ブラックコーヒー』




       1




 中学二年生の春、次の授業は体育。

 学ラン姿のボクは、廊下で立っていた。教室の中では、男子の笑い声が木霊している。休み時間も残り数分。焦燥感で、唇を噛み締める。

 ようやく引戸が開き、クラスメートたちは列をなして運動場へ向かっていく。その内の一人がボクに気づき、眉間に皺を寄せた。合同レクリエーションのドッジボールで、ボクを男子だと知って冷遇した子だ。

「てめえ、まだジャージじゃねえのか」

 涙を堪えて、貝になる。みんなの視線がある場所で、服を脱ぎたくなかった。

 今日の課程はサッカーであるから、スポーツ好きの男子生徒が楽しみにしていたのだ。授業が遅れると、敏感に苛立つ。

「さっさと、着替えろよ!」

 ボクの左腕を掴んで、教室へ引き摺ろうとした。恐怖で錯乱状態に陥ってしまい、悲鳴を上げる。「おい、止めとけよ!」同級生が仲間に注意を喚起するが、怒りの治まる気配はない。

 Χ菌出現を布告した緊急事態宣言のせいで、学校での給食は、戚利グループ提供のゼリー飲料<セキュリティー・チャージ>が献立に取って代わっていた。白飯を思う存分に食べられない現代社会で、育ち盛りの男子たちはストレスを溜めているのだ。

 抵抗するボクと逆上する男子生徒の間、第三者が暴漢の手を握り締めた。

「――そこまでにしろ」

 護身術で捻り上げて、押さえ込んだ。

「痛いだろうが、校則違反パーマ!?」

「これは地毛だ」

 助けてくれたのは、癖毛のマッシュヘアが似合う少年。クラス替えで隣の席になった子だ。名前はキラキラネームだったから、憶えている。蜜口(みつぐち)零門(れもん)、武家の血筋じゃないかとクラスの女子は噂していた。

「てめえの親に訴えるぞ!」

「構わん。校内の廊下には、監視カメラが設置してある。不利になるのは、お前だぞ?」

 仲間が呻き声を発する有り様に、外野の同級生は危機感を覚えたようで、仲裁に入る。

「零門もその辺にしとけよ。マジで、先公が来るぞ!」

 彼は反撃に遭わぬよう、相手の体勢を崩しておいてから放した。舌打ちする仲間を、同級生たちは連れていった。

「ありがとう、蜜口くん……」

 ボクは彼にお礼を言った。

「零門でいい。苗字はこそばゆい」

 彼は無愛想に答えた。

「教室には誰もいない。俺が見張っておくから、心配は無用だ」

「え、でも遅刻しちゃうよ……?」

 ボクは彼の優しさに不安を感じた。ママの格言に、「甘いのはスイーツにかけよ」があるのだ。下心はないかと、身構える。

 零門くんは続きを述べた。

「問題ない、成績で取り戻す。俺が覗く可能性を気にするなら、階段まで離れていよう」

「いいよ、信じるから!」

 彼の押しに負けて、お言葉に甘えさせて頂いた。上着を脱ぐときに、扉の窓をチラ見する。門番を務める意志に嘘偽りはなさそうだ。ハーフパンツに長袖ジャージを着て、ボクは教室から出ていく。

 零門くんは腕組みして、目を瞑っていた。そこまで徹底するんだ。声をかけて、二人っきりで運動場へ歩く。

 無愛想マッシュパーマくんに興味を抱き、尋ねてみる。

「どうして庇ってくれたの、零門くん?」

 彼は身長差のあるボクを見返る。

「氷上が泣いていたからだ。担任から、母親を一年前に亡くしたとも聞いた」

 先生に頼まれたからか、一歩引いていたボクは肩を落とす。

「男の子のくせに情けないよね、ボク……」

「氷上は俺が嫌いか?」

 脈絡もない質問返しに、むっとする。

「助けてくれた人を嫌うわけないでしょ!」

 その時――、彼が初めて微笑みを見せた。ボクは胸に鐘が響き渡るような感覚を抱く。

「だったら、お前は情がある。胸を張っていい」

 ボクは気恥ずかしさにより、つんとする。

「もう、変な人!」

 不思議と、心が軽くなった。ぎゅうぎゅう詰めの感情を引き出してくれた気がする。

「ボクね、除菌士学校を受験するつもりなんだ」

 彼なら、笑わないだろう。同性でも褒めてくれる男の子に、悪い人はいない。喫茶オレンジセントでの日々を追想する。異性よりも男気がある女の子と等しく。

「ママの仇、Χ菌を討つ。だから、零門くんみたいに強くなりたいなあ」

 憧れだったセーラー服を封印した人生に見出だした希望。相棒(バディ)候補だっている。未来を悲観したりはしない。

 彼の返事がないことに引っかかり、振り返ってみる。零門くんは思案顔で腰に手を当てていた。

「ならば、俺の進路も除菌士にしてみるか」

 ボクは想像してみた、頼り甲斐のある知り合いが同学年にいる。ぼっちを不安がらなくても済む。

「ホント、無理に合わせてないよね!?」

「俺も五歳だった妹を食中毒で亡くしている。通常種ではあるがな。自衛隊に志願するか悩んでいたが、今の社会にはこちらが必要だろう」

 バイ菌によって身内を失った者同士だったのか。胸が詰まる想いであるが、同志に出会えた嬉しさもあった。

「ねえ、零門くん。ボクの名前も、苗字じゃない方で呼んでほしいな……」

 長いこと内気だったから、上目遣いでお願いする。

 彼は再び、笑顔を見せた。

「わかった、眠兎。ところで、チャイムはすでに鳴っていたぞ?」

「え、鳴って? そうだった、急がなくちゃ!」

 廊下を走ってはいけないけど、零門くんは誰彼なく揺るぎないから、先生のお叱りに巻き込んでも気が咎めなかった。良い子の仮面なんて、いらないのだ。

 これを友達と言うのかな――。




       2




 市内の総合公園は、賑わっていた。

 ベンチを陣取って待ち設ける、カップルや家族連れ。立ちっぱなしでもバカ笑いする、若者の友達グループ。感動の瞬間を逃すまいとする、テレビ局の取材スタッフ。

 普段は散策やジョギングのコースとして市民が利用しているが、今日においては運動以外の目的でも人々を呼び寄せていた。滅菌汎用機にコスプレした女性除菌士がナーキッド喫茶の看板を掲げて客寄せする。他店舗も参加しているらしい。新規のファンを獲得することに全力だ。

 五年ぶりの屋外飲食、カフェテラス・イベント。この企画を実現できたのも、戚利グループが開発したナーキッドのおかげであった。都心の空気中には、食した人間を死に至らしめるΧ菌が漂流している。型落ちした機体を一般店舗にも普及できた現在、増殖した化け物と渡り合える戦力が整ったのだ。

 ボクは除菌士の登録受付カウンターを探し回っていた。前方不注意で道行く人とぶつかりそうになり、頭を下げて謝ると、あるものが目につく。ミリタリーコートに取り付けた、霧吹きスプレーボトル型格納庫を携帯するベルトバック。山葵(わさび)の地下茎を象った、抗菌効果のシンボルである胸の紋章。食品防衛部隊の方が巡回していたようだ。

 対Χ菌精鋭組織、通称は食衛隊。自衛隊との違いは、義勇軍の扱いであること。これは階級制度を撤廃することで、上下関係の負担軽減、如何なる状況でも退役できる権利の確保、隊員の社会復帰を保証するためだ。除菌士は出来たばかりの職業であるから、平均年齢が低めで、戦闘の未経験者がほとんど、おまけにスタミナ不足。またΧ菌を根絶できれば皆、食い上げでセカンドキャリアも未確定。そんな彼らを統率するため、年齢・性別問わず指揮官に抜擢するなど、能力適性で他分野もスキルアップさせる必要があった。

 ママさんがかつて、二十代の若さで小隊長の辞令を受けたことも、寿退社で除隊できたことも、このシステムの最たる例だ。彼女の場合、防衛省に在籍する司令官へ格納庫のノズルを突き付ける暴挙も敢行したらしいけど。元部下が喫茶フルバーストに来店して口走ったとき、黒歴史の暴露で顔を隠していた。

 橙香も第一志望で食衛隊の面接を受けたが、学年の成績上位者トップ10以内に入れなかったことがマイナス点となり、落ちてしまった。それくらいの倍率なのだ。

 隊員の零門くんもいないかな。周囲を見渡すが、冷静になってみれば、これだけの雑踏で視認することはできないだろう。きっと、任務を頑張っているはずだ。ボクは走り出した。

 林に囲まれた中央広場、パラソルで日除けした丸テーブルとアームチェアが立ち並ぶ。お客様の行列とは反対側に、C&Rセキュアのロゴがある運営テントを見つけた。

 駆けつけるも、受付終了の立て看板が登録希望者を断ち切っていた。息切れしていたボクは、立ち往生となる。

「そんな……」

 このままでは、橙香が孤立してしまう。

「――君は悪い子だな、眠兎くん」

 聞き覚えのあるハスキーボイス。振り返ると、その主はアジアンフィットのサングラスが様になっている女性、楪薫子さんだった。

 忠告を無視してしまった気まずさに、怖じ気づく。

「すみません、でもボク……」

「解っている。橙香くんが来てるからだろう?」

 理由を察してくれていたことに、ボクは驚く。彼女の口元が緩み、プラスチック製の番号札を手渡そうとする。

「君の相棒(バディ)は北東エリアにいる。私が話をつけておくから、力になってあげるといい」

 ナーキッドの操作は地域によって、制限条例がある。この総合公園では、飛行許可の手続きをしなければならない。許可証の番号札を楪さんより受け取る。

「ありがとうございます。イベントの成功に、最善を尽くします!」

「君たちの幸運を祈る」

 彼女の後押しで、ボクはΧ菌が雪(ベルトパ)崩れ込む区域(ーテーション)の内側へと足を踏み入れた。案内係の導きで、霧吹きスプレーボトル型格納庫を構えるコスプレ集団に混じる。どうやら、ナーキッド喫茶の面子と共闘するようだ。

 手の込んだ衣装の中、私服で浮いていた者がいる。稲餅橙香、フェイスシールドにシャギーカットの髪が垂れる瞳はどこか寂しげだった。歩み寄るボクを察知して、切れ長の目つきで睨んだ。

「参加しないんじゃなかったの?」

「ボクは橙香と一緒に、悪い菌をやっつけたいだけだよ」

 本心で向き合う。仲直りするのに、他の言葉なんていらない。何故なら、来る者は拒まずの性格だと知っているからだ。バイト先の喫茶フルバーストへ家出した彼女をボクが追いかけても、拒まなかった。

 橙香は正面を見据える。

「もうすぐ、始まるわ。準備しなさい」

「うん、電車で作戦を練ってきたから万全だよ」

 ボクもショルダーバッグから発進シークエンス状態の愛機がいる母艦を取り出す。ヘッドギアを装着して、戦闘態勢に移る。

 ステージの大型モニターが、「Cafe & Restaurant Secure」の静止画から広場の中継へ切り替わった。マイクを持った進行役の男性が舞台に上がる。

「お待たせ致しました。今や都心において、映像作品のみとなってしまった日常風景、カフェテラス。そのロマンを懸けた戦いの幕開けです!」

 お客様の行列から、歓声が沸き上がる。

「皆様のお食事を守るため、各店舗の除菌士の方々が集まって下さいました。これより、広場のテーブルに蔓延るΧ菌どもを駆逐します。その戦闘シーンをこちらのモニターでお届け致しますので、待ち時間もお楽しみ下さい」

 カウントダウンのテロップが流れた。それを読み上げる音声ソフトが、広場に鳴り響く。

『3、2、1、Mekkin(メッキン)

「除菌開始、いらっしゃいませ!!」

 始業の掛け声を全員で叫び、霧吹きスプレーボトル型格納庫のトリガーによって、ナーキッドたちは総出撃した。並列飛行する消毒液の水滴が揮発して、無垢なる機体は総合公園の屋外宙域に舞い降りる。

 フェイスシールドの電子モニターに、滅菌汎用機の外部カメラがマイクロスケール世界を映し出した。右下の表示に機体ステータスの追加を確認。水色のキャスケット帽を被った色白のアンドロイド。煇レイは、ピッチャーライフルを直射型に換装していた。

 自機の右側にて、弾け飛んだ水玉の内部より、輝レイが白皙のボディを顕にした。橙香の機体は普段通り、殲滅戦用の標準武器だ。鶏冠のような紺色シェフハットの下、三角目カメラがこちらを一瞥する。

「そんな装備で大丈夫なの?」

 彼女はボクに疑問を投げかける。煇レイが劣勢の防衛戦であるにも関わらず、右手の小銃を除いて、いつもの近接戦用の武装だったからだ。

「考えてみたら、熱刀で輝レイと同じ数をやっつければ、帰艦しなくてもいいって気づいたんだ。ねえ、橙香。ボクと競争しない?」

 橙香お姉様は相棒(バディ)からの挑戦状に、不敵な笑みを浮かべた。

「いい度胸してるわね、手加減なしよ」

「ボクらには、必要ないよ」

 第一作(ファースト・)戦目標(ミッション)、カフェテラス区域内のΧ菌を掃討せよ。

 輝レイと煇レイは寄り合い、直射型のピッチャーライフルを一丁ずつ持ち、手繋ぎとなった。レーダーに敵影、Χ菌種が全方位に多数。撃破数カウンター、通知オン。銃口をそれぞれ左右へ、直線上に向けて照射する。連携技、ローリング・サーブ。二機の妖精は円舞を躍りながら360度回転して、熱光線で薙ぎ払っていく。

 ピッチャーライフルが生んだ、霧散していくサルモネラ菌Χの引き波。戦闘スペースを確保した、輝レイと煇レイは二手に分かれて、各自のやり方でスコアを競い合う。

 姉機の輝レイは脚部を変形させて、砲撃モードとなった。圧縮エタノール弾を連射して、敵へ浴びせる。成分が中性であるため威力は期待できず、主に弱らせる目的で使用するが、彼女の手にかかれば爆薬だ。追従するピッチャーライフルの熱源で引火して、連発花火を披露したのであった。撃破数、百を突破。

 除菌士学校では危険だからと禁止令を受けていたから成績に反映できなかったが、お客様が御来席されていない今なら、彼女の実力は一際に輝く。ラフファイトが行える無法地帯こそ、橙香の得意分野なのだ。

 妹機の煇レイは左手に備え付けていたRトレイ・風火輪をカンピロバクターΧの一群へと投げ飛ばした。円形の盾から繰り出す、輪転する刃が敵を真っ二つにしていく。

 左腰に提げる二本の熱刀を両手で握り、敵陣へ攻め入る。抜刀、ピックブレード。順手と逆手、超高温を放つ二振りの刃先。煇レイは突撃の勢いで上下軸回転(ヨーイング)斬りして、敵軍を分断した。

 増殖形態のブドウ球菌Χを足場に立て直し、光量子機動翅で羽ばたいて回転飛翔斬りする。上空に蔓延する、有毒の徒花は散り乱れた。

 残心の姿勢で滞空する、煇レイ。レーダーでタイミング計測、刃を収納したRトレイ・風火輪が帰ってきた。それを宙返りして蹴飛ばし、また敵へ差し向ける。回転刃が獲物を屠っていく。足癖の悪さは、師匠譲りです。

 撃破数、百を突破。左手首を回して、両方とも順手にする。大物のブドウ球菌Χに狙いを定める。

 むすび流剣術・不羇双除(ふきそうじ)。上段の構えから、葡萄の妖怪へ二本の熱刀を振り下ろす。表面の房を削ぎ落として、中身の(コア)が露出した。

 発光するΧの字に止めを刺そうとした矢先、熱光線が射抜いて横取りする。後方に、銃口を向けている輝レイがいた。

「ズルい、橙香!」

「あら、ごめんなさい。私は補給で帰艦するから、しばらく譲ってあげるわ」

「もう、絶対に追い越すから」

 カフェテラス区域の北東エリアは、ボクらの独壇場と化した。

 煇レイが熱刀を鞘へ納めて、温め直す。その間、ピッチャーライフルで撃破数を稼ぐ。直射型は連射型と比べて、放射し続けているせいでエネルギー切れが急激であるが、雲霞(うんか)の如き大軍を相手にするなら単発で当てるより効率で勝るのだ。

 輝レイが一斉掃射(フルバースト)をお見舞いする。連射型の雨と直射型の鞭で、光束の扇を広げた。拡散する圧縮エタノール弾を、胸部リボン孔から発射した電磁砲弾で着火して、大爆発を引き起こす。衛生を害する烏合の衆は、跡形もなく吹き飛んだ。

 ナーキッド喫茶のメンバーはざわつく。

「あの<キレイ・キレイ>コンビ、何者なの……?」

「やば……」

 ボクは余所見をする。溌剌と八重歯を覗かせる橙香。胸に温もりが広がっていく。

 開始時刻より、三十分が経過。

 二匹のサルモネラ菌Χが、煇レイを挟み撃ちにする。機械仕掛けの乙女は、抜き身の熱刀を腕振りの前後突きで、返り討ちにした。胴体を貫通したことによって、霧散していく。滅して、御免。

 担当エリアの菌反応はゼロ、目標クリア。撃破数カウンターの結果を見る。輝レイ、5252。煇レイ、4989。

「あなたも頑張ったようだけど、私の勝ちね」

「そうだね。さすが、橙香」

 殲滅戦では彼女に、一日の長があった。悔しいけど、橙香のかっこいい所を見られたから満足だ。

「お遊びはここまで。他店とも協力するわよ」

「了解、お先に失礼します」

 第二作(セカンド・)戦目標(ミッション)、防衛ラインを形成して、Χ菌の侵入を阻止せよ。

 煇レイはピッチャーライフルのエネルギーパックを交換するため、帰艦する。残量に余裕がある輝レイは、同エリアにいるナーキッド部隊へ合流しに向かう。

 春陽で煌めく、ベルトテープの巨大橋。熱光線が三次元空間に乱れ飛ぶ。

「殲滅主力機、三段撃ちの陣形を組みなさい。私と眠兎が、交互に援護する」

「ボクらのエリアがナンバー・ワンになって、みんなで有名になろう」

 宣伝効果の餌で、ナーキッド喫茶の店員の成り上がりたい気持ちを触発した。除菌士の界隈は、負けず嫌いで溢れている。狙い通り、彼女たちも奮い立ち、リーダーポジションの方が後輩へ指示していく。

 北東エリアを皮切りにカフェテラス区域内は、病原性のΧ菌を表す色クリスタルヴァイオレットが大型モニターの広場地図から消失していった。入り口の機械バーが自動で解放。C&Rセキュアのスタッフは、行列待ちのお客様を順番に席へご案内していく。

 フェイスシールドの画面には、霧吹きスプレーボトル型格納庫の消毒液内で泳いで働く、ナノマシンたちが脱着式の電力弾倉をピッチャーライフルに取り付けていた。『Refill completed』のアナウンスが、詰め替え完了をお知らせする。煇レイは発進シークエンスに移行。

「橙香、戦況はどう?」

「食べ物に(たか)る、悪戯妖精を三匹ほど、焼き払ったわ」

「そうなんだ、ありがとう……」

 ボクは虫が大の苦手であった。滅菌汎用機のマイクロスケール視点でその巨体を目撃しようものなら、卒倒するだろう。

 カフェテラスは瞬く間に、満席となった。キッチンカーのスタッフがハンディターミナルからの注文伝票を受け取り、厨房で調理に勤しむ。

 イベントの進行は順調だった。大型モニターに、重装備タイプのナーキッドがワインボトル・大口径ランチャーの極太ビームで薙ぎ払って撃滅する活躍を映し出す。その直後、中継が途切れて真っ暗になる。

『――みなさぁん、盛り上がってますねぇ』

 女性の猫撫で声が耳元に響いた。お客様は平然としていることから、ヘッドギアに直接、放送しているのだろう。打ち合わせにない展開で動揺する、除菌士一同。

『楽しそうなのでぇ、菌類解放戦線(、、、、、、)も飛び込み参加しちゃいまぁす!』

 レーダーより報告、友軍の一機が被撃墜。どよめくナーキッド喫茶の従業員に、ボクは異変を感じ取った。母艦のトリガーを両手で構えて引き、煇レイを出撃させた。

「お店の機体だったのに、弁償どうしよう……」

「あんな武装、聞いてない!」

 揮発する水球から飛び出し、自機の外部カメラで状況を調べた。三次元レーダーにて飛び回る、所属不明機。AIの自動索敵に登録、実物を拡大して捉える。全身が青緑色の滅菌汎用機、型番判別で<砦-fort(サイフォール)>と記載してあった。ワークキャップを模した頭部、嘲笑っているかのような半月目カメラ。腰部の両側に武装する紡錘形(つむがた)ポッドよりコンパクト・ディスクを取り出し、イベント参加者の機体へ投げつける。

 投擲武器の円盤が空中で弾けると、本機と同色の粉塵を散布した。それを浴びた滅菌汎用機の挙動がおかしくなり、硬直する。砦フォールは釘付けになった獲物へ鉈型の熱刀を振り下ろして討ち取り、急降下のまま退避していく。

 ナーキッドが、Χ菌ではなく同族機を襲っている。ボクはその異常事態に戦慄した。

「輝レイは、無事!?」

「弾切れのおかげで、帰艦途中よ。それよりも、ナーキッド戦に慣れてない奴らが壊滅していく一方だわ」

「師匠仕込みのボクらが、助けなくちゃ!」

「補給が終わるまで、被害を抑えて頂戴」

 輝レイが母艦へ着水したサインを受信。闇雲に攻め込むよりも、まず敵の武器の正体を探る。ズームアップして、青緑の粉塵を解析。ボクはその事実に驚怖した。

 通常種よりも細小である、ナノサイズのアオカビ。しかも、Χ毒素(、、、)を有している。電波ホーミング誘導で、目標の抗菌装甲が発する電磁波を捉えて、追尾するようだ。内部フレームへ侵入して、駆動を妨害。対レーダーミサイルの応用を未知の技術で、微生物に施していた。

 砦フォールとは別方向にも、友軍機の被撃墜をフェイスシールドの液晶ディスプレイが明示していく。敵は単機ではなかった。

「何よ、あれ……悪魔?」

 狼狽える殲滅主力機たちが凝望する先、所属どころか型番さえも<???>と判別不明になる、漆黒のナーキッドを発見した。遮光器ゴーグルのカメラアイ。光量子機動翅に、一対の飛膜を追加した四枚翼。飛膜の両端に生える鞭毛は、カンピロバクターΧに酷似していた。

 ナーキッド喫茶のメンバーは、不気味さを漂わせる敵へピッチャーライフルの一斉砲火を浴びせるが、漆黒のボディが溶解する様子はない。煇レイのAIは分析する。表面にセレウス菌Χを感知。耐熱性の細菌で身を守っていた。謂わば、バクテリア装甲だ。

 悪魔は飛膜を扇いで、天翔る。片方を右腕に巻きつけて、螺旋状の騎槍へと変貌させた。標的のイベント参加機体へ急接近して、元に戻ろうとする翼の弾性力を用いた廻転切削攻撃で打ち砕く。

 同族機を破壊することに特化した、魔改造のナーキッド。その上、滅するはずのΧ菌を武器として利用していた。第二世代までの滅菌汎用機は、栄養要求性で行動するΧ菌のみを戦闘対象に想定した構造となっている。ナーキッド喫茶の除菌士たちが太刀打ちできないのも当然だ。

 遮光器の切れ込み(スリット)より灯る眼光が、煇レイへと矛先を定めた。警戒していたボクは、自機のRトレイ・風火輪で先手を取った。

 漆黒のナーキッドは、迫り来る鋭刃のフリスビーをバレルロールの空中機動で躱した。追撃しようと帰ってくる飛来物を熱光線で撃ち落とす。ピッチャーライフルまで所持しているのか。

 注意が逸れている隙を突いて、煇レイは二段構えの居合斬りで強襲する。敵は前方を飛膜で覆って、その斬撃を防いだ。翼の表層に裂傷が走るも広げて、二本の熱刀を弾き返す。

 ピッチャーライフルを右の大腿部に取り付け、漆黒のナーキッドは後ろ腰から二刀流のピックダガーを引き抜いた。果敢にも、煇レイが得意とする接近戦に持ち込んだ。

 右手のピックダガーを逆手のピックブレードで受け止める。順手の熱刀で反撃すると、左手の熱短刀を振り上げて受け流してきた。漆黒のナーキッドはそのまま、回し蹴りを煇レイの背中へ喰らわす。リーチの差を物ともしない、短刀捌き。この人、刃物の手練れだ。

 アオカビΧによる、砦フォールの一撃離脱戦法は絶えない。カフェテラス区域の防衛ラインが崩壊して、Χ菌の侵入を許してしまう。持ち場から離れようにも、漆黒のナーキッドより被る猛襲で致命傷を避けるのに精一杯だった。第一世代機の弱点である遠隔操作の遅延(ラグ)が足を引っ張り、煇レイはキャパオーバーだ。

 レーダーに友軍信号の一機が出現。

「随分と、呑んでくれたみたいね」

 一筋の熱光線が、漆黒のナーキッドと煇レイの戦闘に割り込む。ボクは間合いを取って、逆手から順手に左の熱刀を持ち直す。これなら、小回りが利いて対応できる。

「アルコール消毒のおかわりは、いかがかしら?」

 補給から戦線復帰した、橙香の輝レイだ。

 砦フォールが彼女の機体をターゲットにして、詰め寄っていた。三次元レーダーで察知したボクは、敵の主力について警告する。

「捕縛機能のホーミング兵器だよ、迎撃して!」

「わかったわ、こいつは私が仕留める」

 光量子機動翅を大きくして、輝レイは空中戦を挑む。背後を追いかける砦フォールに対して、脚部の砲身より圧縮エタノール弾を発射した。敵機が斜め上方へ回避。ナーキッドのドッグファイトは必ずしも、後方に位置取りして射撃する巴戦が有利とは限らない。自在に動かせる高性能の手足で、360度どこからでも銃口を向けられるのだ。

 両機とも、二枚翅の第一世代でカスタム仕様。推進力では、微粒子の噴出量が多大である砦フォールが優っていた。側面よりピッチャーライフルで畳み掛ける輝レイをあっという間に追い越し、急上昇で失速状態となって、自身の武装を活かせる高度へ移動する。零式艦上戦闘機のお家芸である、木の葉落としだ。

 紡錘形ポッドの取り出し口より、コンパクトディスクを両手で一枚ずつ摘んで投げ飛ばした。破裂するとアオカビΧが散乱して、輝レイの背面へと降り注ぐ。

 橙香は自機を前後軸に反転させ、加熱マイクロ波で生物兵器の菌糸を焼き尽くす。ボクらの改良機は、姿勢制御と取り回し性能を強化しているのだ。押し寄せる陽炎から、砦フォールが退散していく。

『うわぁ、手強いですねぇ』

 素性不明の女性からの通信がヘッドギアより耳に入る。

『なのでぇ、カビちゃんの大サービスでぇす!』

 紡錘形ポッドの先端が、折り畳み式の蓋となって開閉。大量の円盤を投下した。青緑の霧が輝レイの上空を覆い尽くす。

 アオカビΧの飽和攻撃から、輝レイは四肢の銃器で弾幕を張った。自由落下で後退しながら、圧縮エタノール弾の水球にピッチャーライフルの熱光線を命中させ、断続して爆発させる。

「いくつ、ストックしてるのよ!?」

 ナノサイズのΧ菌が爆撃機の兵器倉に収納スペースを取らせているのか、霧の規模は拡大の一途を辿る。

 輝レイの銃器では追いつかず、橙香が広域の加熱マイクロ波に頼り始めた。敵の策略に勘づき、ボクは叫ぼうとする。

「橙香、撤――!!」

 漆黒のナーキッドが煇レイに襲いかかり、味方への手助けを阻んだ。ピックダガーの袈裟斬りをピックブレードの右切上で跳ね返す。もう片方の熱短刀による左切上は、自機をターンさせて左手の熱刀で横一文字斬りして撃退する。悪魔の飛膜で空気抵抗の面積を拡張して止まり、攻撃の手を止めない。眼前の敵に集中しないと、負けてしまう。

 姉機の胸部リボン孔より放出する陽炎が、虚空に消え失せる。光量子炉から送られる電力の供給不足、エネルギー切れだ。隔てる壁がなくなったことで、アオカビΧは輝レイにまとわりついた。

「しまった、逃げ場が!?」

 砦フォールは前腕に備え付けた鞘より熱鉈を抜いた。身動きを封じた獲物へ飛びかかる。

『いーただきぃ!』

 青緑の機影が輝レイの胴体を引き裂く。致命傷を負った姉機は爆裂して、散華(さんげ)する。フェイスシールドの電子モニターは、相棒喪失バディ・ロストを告げた。

 橙香と二人で歩んできた思い出に、罅が入る。

「輝レイが、いなくなっちゃった……」

 ヘッドギアより、警報アラートが鳴る。平常心を失っていたボクの煇レイへ、漆黒のナーキッドは右腕に巻きつけた飛膜の廻転切削騎槍を突き上げた。二本の熱刀を交差して、受け切ろうとするがへし折れてしまう。機体ステータスの警告灯より、煇レイの側頭部を掠めて水色のキャスケット帽が(へこ)んだと知る。

 主武装を損失した煇レイ。砦フォールと漆黒のナーキッドが、二体一で追い詰める。ボクの脳裏に重圧がのしかかった。フランス企業の社長に、もしものことがあれば、国際問題に発展するだろう。ママみたいに、お客様を死亡させてしまったら、責任なんて取れない。輝レイを守れず、煇レイまで壊れるのは嫌だ。

 誰か、助けて……。萎縮して声を出せずにいた。

『いーただきぃ!』

 輝レイを奪った言葉が繰り返される。砦フォールは熱鉈で、弱っている獲物に引導を渡そうとした。Χ菌へ命乞いする機能など、ナーキッドには存在しない。降伏を伝える手段もなく、ボクは立ち尽くす。

 凶刃が煇レイに直撃する間際、その飛翔体(、、、)は別方向より体当りで敵を押し飛ばした。

『あいたぁー!?』

 砦フォールは帽子のつばが折れ曲がり、熱鉈を手離してしまった。

 飛翔体の抗菌装甲を包んでいた消毒液が揮発する。ボクは助けてくれた援軍の滅菌汎用機に見入っていた。赤色の三角巾ヘッドと侍を彷彿とさせる肩当て、バイザーマスクの外部カメラに、漂白のボディ。背部に四枚の光量子機動翅があることから、第二世代機と思われる。

 (バイ)キラー。戦略攻撃兵器を搭載する決戦機。ボクはこのナーキッドとカラーリングの組み合わせを愛用する人に心当たりがあった。

「――俺の級友は、繊細なんだ」

 ボクの隣に、ミリタリーコートの人物が歩いてくる。機械部品が付属するワンピースサングラスに下がった、癖毛のマッシュヘア。懐旧の情に涙を滲ませる。

「よくも、苛めてくれたな。滅菌してやる!!」

 食品防衛部隊の一員となった、蜜口零門。市民が楽しみにしていた屋外飲食を邪魔する不届き者どもへ、除菌宣告する。




       3




 黴キラーは、上肢を保護する長大な肩当ての内、右手のグリップを握る。大口径の銃身が露になり、敵へと照準を合わせる。

「次亜塩素酸ナトリウム砲、発射!」

 アルカリ性水溶液の砲弾を撃ち、黴キラーは反動で後退りする。砦フォールと漆黒のナーキッドが低速の一撃を避けるが、圧縮力から解放された次亜塩素酸ソーダは膨脹して、直径百ミリメートルの範囲内に点在するΧ菌もろとも彼女らを呑み込んだ。漆黒のバクテリア装甲と飛膜を泥状に分解して、Χ菌種を根絶やしにした。

 その威力を目にして、ボクは思い至る。広範囲殺菌戦略兵器を使用するには、いくつかの制約があった。一つ「酸性と混ぜてはいけない」、有毒ガスが発生して危険だから。二つ「換気をしなければならない」、独特の臭気で気分を悪くしてしまう。三つ「人間や食品が周囲に存在しない」、科学火傷を起こす可能性があるため。霧吹きスプレーボトル型格納庫に危険マーク表記を貼るほど、滅菌汎用機における核弾頭クラスの大量破壊兵器なのだ。

「零門くん、お客様がいるんだよ!?」

「安心しろ、お前たちの奮闘で避難は完了している」

 マイクロスケール世界での激戦に気を取られていたが、広場のカフェテラスは全て空席となっていた。食衛隊が市民を出口へと誘導している。

 黴キラーが左側の肩当てに内蔵するグリップへ、右手を伸ばす。甲冑が縦に割れる。その中に一振りの野太刀を納めていた。

黴切(かびきり)、抜刀!」

 両手持ちの左腕を右腕の真下へ、中段による霞の構えを取る。相手が攻めにくい、防御特化の戦法だ。

「継戦とあらば、容赦なく切り捨てる」

 赤熱の刀刃が、脅しでは済まないと物語る。

 溶解するバクテリア装甲を瞥見(べっけん)して、漆黒のナーキッドは踵を返して飛び去っていく。

『バイデェス!』

 砦フォールも追随して、撤退する。

 それは三十年前のテレビドラマで使われた、別れの挨拶「バイバイ、女神様(ゴッデス)」の略語。ボクのママも脚本の内容を気に入っていて、よく口走っていた。当風のポップさから若者の間で大流行したが、時代の移り変わりと共に死語となったらしい。声の主の年代が窺い知れる。

 

 停戦後――。

 カフェテラス・イベントは中止となり、参加した除菌士たちの大敗という結末が尾を引く。

 黴キラーが手負いの煇レイをお姫様抱っこして母艦へと送っていき、着水させた。ナノマシンたちは、緊急修理の忙しさに明け暮れる。フェイスシールドを上げて、総合公園の惨状に心を痛めた。ナーキッド喫茶の面子は嗚咽を漏らしながら、電話で雇い主に連絡している。きっと、滅菌汎用機の損害賠償で減給処分になることだろう。沈んだ表情で撤収作業をするC&Rセキュアのスタッフも、クレーム対応が待ち受けているに違いない。

 橙香は思い詰めた顔で、霧吹きスプレーボトル型格納庫を握り締めていた。一騎討ちに向いていない機体だったとは言え、輝レイを大破させてしまった悔しさが滲み出ている。

 ボクの視界にペットボトルが入り込む。零門くんが食衛隊からの支給品である飲料水を持ってきてくれていた。ワンピースサングラスを外した温顔(おんがお)が、疲れきった心に染み渡る。

「よく、持ち堪えたな。もう、肩の荷を下ろしていいぞ」 

 ボクは泣き崩れて、彼の胸に顔を埋めた。

「会いたかったよ、零門くん……」

 宥める青年の手の温もりに、身を委ねる。

 食衛隊による聞き込み調査は夜までかかり、梅干野夫妻の店舗付き住宅へ帰った頃には、時計が午後七時を回っていた。

「あちゃー、想像していたより被害が甚大だねー」

 ママさんはお昼のニュースで、総合公園が立ち入り禁止になったことを知って、事件性があると気づいていたようだ。LDKの居室でボクと橙香から詳細を聞いて、困ったように笑う。

 あれから零門くんは、追跡班の拠点であるテントへ戻っていった。後日、食衛隊の使者が調査報告で喫茶フルバーストを訪ねてくると、ボクたちに伝達して。積もる話をしたかったのに残念だ。

「あのカビ女、次こそは殺菌してやるわ!」

 橙香はリベンジマッチに燃えていた。失った滅菌汎用機には執着せず、勝利を掴み取ることだけ考えるようにしたそうだ。

 ボクも悔やんでばかりではいられない。アオカビΧのホーミング対策について、帰りの電車で一つ閃いた。相棒(バディ)と協力して、輝レイの仇を取ってみせる。

「ママさん、新しい機体の手配をお願いします」

「ちょっと待ってねー。知り合いに、当て(、、)があるのー」

 自分の頬に指を当てるママさん。

「橙香ちゃんが戦えないなら、眠兎くんの負担を減らさないとだし、わたし一人でお店の除菌するしかないかなー」

 溜め息まじりに言った。彼女は単独で戦う方が動きやすいのだ。ナーキッドの二機同時操作を行うとき、味方に流れ弾が命中する心配をしなくて済むから。

「ぬぁんだとぉ!?」

 梅干野マスターが不自然に慌てふためき、包丁を研いだり、収納棚の鍋を洗ったりし始める。


 休み明けの月曜日。

 橙香とボクは、喫茶フルバーストで久しぶりのホールスタッフに就いた。除菌士学校時代にもアルバイトでやっていたが、卒業と同時に免許皆伝を頂いて、ママさんから滅菌スタッフの役割を引き継いだ。隔離部屋では、現役の頃から衰えることのない実力派除菌士が、ルンルン気分の所作で霧吹きスプレーボトル型格納庫を手にしている。

 何事もなく一日が過ぎ、橙香は右肩を回しながらステンレス製の丸トレイを厨房のカウンターへ置いた。お客様のいない店内でぼやく。

「ブランクかしら、肩が凝って仕方ないわ」

 無地のエプロンを着る自身の胸元へ着目する。

「これ、邪魔ね。いっそのこと、削ぎ落としてやろうかしら?」

 目が据わってます、橙香お姉様。

 梅干野マスターからご褒美のソフトクリーム入りアイスコーヒーを受け取っていたママさんがスプーンで口にした途端、聞き捨てならぬと詰め寄った。

「駄目よ、橙香ちゃん。万人に与えられるものでは、ないんだからー!」

 胸のパッドに触れて、紅涙を絞るママさん。橙香はたじろぎ、返事に困る。

 ボクは店内の片隅で、セルフハグした。男体である現実に、吐息をつく。

「そうだね、取り除きたい……」

 皆が静まり返る。独り言を呟いていたことに気がつき振り返ると、ママさんはボロ泣きしていた。

「眠兎くんまで言うのー!?」

「誤解です!?」

 本当のことを打ち明けられなくて、ボクも犬のお巡りさん状態に陥ってしまう。烏のように賢明である橙香は、お手上げだからとテーブル拭きで逃げに転じた。梅干野マスターがサムズアップして、妻の手を取る。

「胸なんかなくったって、むすびは良い女だぜ」

「ちゃーくん……嬉しい!」

 竹に雀とは、こういうことを指すのだろうか。

 ドアベルがお客様の来店を知らせる。

「すみません、もう閉店――」

 ボクは言いかけて、息をのむ。そこには、霧吹きスプレーボトル型格納庫を片手に佇立する、マッシュパーマの青年がいた。ミリタリーコートの胸部に飾った、山葵のシンボルマーク。昨夜のやり取りと繋がり、ぴんと来る

「零門くんが、食衛隊からの使者だったの!?」

 ワンピースサングラスで目元を隠す頭が会釈する。

「むすびさん、三番弟子ただいま戻りました」

「お勤め、御苦労様でーす」

 元エースのママさんは食品防衛部隊の後輩に、ゆるふわの敬礼をする。その横で橙香が腕組みして、旧バイト仲間を凝視していた。首をかしげる零門くん。

「どうした、橙香? お前たちの仕事を増やさぬよう、ばっちり除菌してから入店したぞ」

 黴キラーの母艦を掲げる。そのハッチが閉じたことから、仕事上がりの自機を格納した模様だ。

 橙香は彼の顔を指差す。

「先週うちに来たときも思ったのだけど、そのダサいサングラスは何?」

「これか? 最新型のヘッドギアだ。昨年から、食衛隊の標準装備となっている」

 零門くんは、耳にかかるテンプル部分の機械装置をいじる。サングラスのレンズが透明になり、引き締まった瞳を現した。どうやら、フェイスシールドの電子モニターが小型化した代物らしい。スイッチのオンオフで、即座に戦闘モードとなることができるのだろう。

「話は逸れたが、事後報告をさせてもらう」

 カフェテラス・イベント襲撃事件の本題に移った。

 零門くんが敢えて敵を逃がした意図は、魔改造のナーキッドを遠隔操作していた者の特定だった。追跡班の除菌士が中継機を出動させて、総合公園の全体を監視してレーダーから消えた地点へ赴いたが、容疑者らしき人物は一人もいない。敵機ごと見失ってしまったのだ。

「怪しい女からの通信があったでしょ。それで逆探知できなかったの?」

 橙香の疑問に、零門くんは首を振った。

「あれはフェイクだ。予め録音しておいた台詞を滅菌汎用機の行動パターンから読み取り、送信する仕組みらしい。発信源の数が多かったせいで俺たちも撤去に手間取って、救援が遅れてしまった。すまない」

 ナーキッドは、人体の脳から伝達する電気信号をヘッドギアが電波に変えて機体各部の動作変換装置(アクチュエーター)へ送り、リモートコントロールする。除菌士と自機の間には識別コードが存在しており、別機体へ誤送信することはありえない。ただし、外部の者がそれを判別しようにも、都心に飛び交う多数の電波を掻き分けて調べなくてはならないのだ。例えるなら、家電のケーブルがたくさん絡まっていると、どれがテレビかプリンターか分からない問題の規模を大きくしたような感覚である。

 都市問題によるナーキッドの欠点を突いた犯行。その手段から、敵のリーダー格は計画性と知識に富んでいる人物だと、ボクは推察する。

「漆黒のナーキッドには、司令官が<()テオトル>のコードネームを名付けた。由来は、穢れと浄化を司るアステカ神話の女神からだ。素体不明の機体をどこから調達したのかは現在、調査中である故、経過報告を待って頂きたい」

 一通り説明して、彼は喫茶フルバーストを後にしようとした。連日出動により、報告書作成の業務が溜まっているそうだ。「待って、零門くん!」ボクはコートの袖を引いて、引き留める。

「また、会える?」

 食衛隊は転勤が当たり前だと聞く。携帯電話を持たない主義だし、任務が終了してしまえば、次にいつ話せるか。訓練所の生活とか、初任務の活躍とか、まだ訊けていないのに。

 零門くんは目を見開いていた。

「分隊長になったから、ゆっくりはできないが……」

「そうなの、新人なのにすごい!」

 指揮官の適正があったという証拠だ。親友として、誇りに感じた。

 零門くんはワンピースサングラスの電源を入れて、レンズに暗色フィルターをつけた。

「可能な限り、足を運ぶ。滞在地の連絡先も今度、教えよう」

「やった、たくさん話せるね」

 彼は急ぎ足で街中の大通りへ出ていった。あれだけの大事件だったから、報告書の文章をまとめるのが大変なのだろうか。

「関係は相変わらずなのね」

 橙香の呟きに、ボクはその意図が読めなかった。




        4




 店じまいして、自宅の二階へ上がろうとした矢先、裏口のインターホンが鳴った。ママさんが対応する。小包の宅配だったようだ。

「どなたからですか?」

「送り主の名前は未記入だよー。住所はえっとー」

 ボクの問いかけに、ママさんは宛名シールを読み上げる。聞き慣れた地名、しかもボクの実家寄りの近所だった。配達業者に頼むとは、奇妙だ。

 橙香は顔色を変えた。

「喫茶オレンジセント(、、、、、、、)の住所……まさか!?」

 ママさんから小包の段ボールを奪い取り、素手でテープごと()じ開ける。あまりの腕力に、ボクと梅干野マスターはびくつく。緩衝材で詰めた箱の中身は、ラジオカセットレコーダーだった。

 居室のテーブルに置いて、四人で記録テープ媒体を囲む。レトロ機器の使い方を知っていた、最年長の梅干野マスターが再生ボタンを押した。

 雑音が部屋内に響き渡る。

『……久しぶりだね、橙香』

 彼女はラジカセに掴みかかる。

「お父さん? どこにいるの、お父さん!?」

「落ち着いて、録音だよ!」

 ボクは興奮状態の相棒(バディ)を制止した。

 稲餅(はじかみ)、喫茶オレンジセントのマスターであり、橙香が帰りを待っていた行方不明の父親。Χ菌による食中毒の第一例目となってしまったことで人々の憎悪(ヘイト)が集まり、廃業せざるを得なかった。

 今も生きていてくれたことに、ボクは涙する。

『率直に言おう』

 彼はその真実を語る。

『君たちを襲った漆黒のナーキッドは、この僕(、、、)だ』

 穢テオトルを操作していた犯人がハジカミさんだったことに皆、衝撃を受けて瞠目する。

「うそよ。どうして、お父さんがΧ菌なんかを操ってるの!?」

 橙香は取り乱して叫んだ。無理もない。実家のお店を失って以来、極度のバイ菌アレルギーになってしまったのだ。ヨーグルトでさえ我慢しないと食べられないくらい、菌と名の付くものに嫌悪感を抱いた。

 ましてや、大好きなお父さんがバクテリア装甲の機体を動かしているなど、耐えられるはずはない。

『あれから僕は、Χ菌のルーツを解明しようと、同業者の力も借りて情報収集していた。そして、ある事実に辿り着いた』

 思いも寄らなかった、敵の起源を探るなんて。除菌士学校では、突然変異の進化だと習っていた。自然災害の類いなら、戦って数を減らすしかないと、心のどこかで諦観していたのだ。

『Χ毒素を産生する細胞。機械工学の本職が観たところ、核の内部に人工物(、、、)が混ざっていた』

 それが示唆するのは――、バイオテロ。ボクは最悪の事態を悟る。Χ菌に対抗するナーキッドの開発、操作法の教育機関、飲食業界を牛耳って儲かっているのは……。吐き気を催す。

『Χ細胞の生みの親は、戚利グループの総帥だった。彼が大学院で行っていたのは、生物の進化を促す研究。Χ菌を口にすると亡くなるのは、免疫系が善玉菌と錯覚して、致命的肉体変化を受け入れてしまうからだ』

 自己防衛機構を誤認識させる病原体。おそらく、人間の食べ物だけを追い求める性質も人為による遺伝子操作だろう。そんな生物兵器を都心中にばら蒔く所業に、背筋が凍りつく。

 ナーキッドとΧ菌の戦いはすなわち、戚利グループが企てたマッチポンプという筋書きだ。

『そして僕は、悪役に仕立てられた全細菌を救済するべく、同志たちと菌類解放戦線を結成した。かの総帥に天誅を下し、失脚させるつもりだ』

 温和であったハジカミさんの怒りを押し込めたような宣言に、胸騒ぎがする。無差別大量殺人を敢行する組織に、一般人の店主が立ち向かうなんて、無謀だ。

『橙香、飲食業から身を引きなさい。僕のことも忘れて、平和を享受するんだ』

 父親としての言葉を最後に残し、カセットテープは巻き戻しへと変転した。陶器が擦れるような不快音を奏でる。

 レトロ機器から漂う煙は、引き返すことができない未来を暗示するかの如く、空気に溶け込んでいった。


 風呂上がりで濡れ髪のボクはパジャマに身を包んで、三階の自室へと向かっていた。四人の男女共同生活だから、ドライヤーは洗面脱衣室ではなく各自の部屋でする決まりになっている。

 階段を上ると、ボクの隣に位置する橙香の部屋が開いていた。彼女は机の写真立てを両手で持って、黙ったまま見つめている。喫茶オレンジセントの店先で寄り添って立つ、中学生になった橙香と父親のハジカミさんが写る思い出の一枚。ボクは気にかかり、扉の隙間から話しかける。

「橙香、大丈夫?」

 彼女は(かげ)のある表情で呟く。

「私は除菌士になって、いけなかったのかしら」

 胸が張り裂けそうになる。橙香が稲餅の姓を名乗り続けていたのも、お父さんと実家の喫茶店をやり直したかったからだ。それなのに、大好きな人は犯罪者となって復讐する道を選んでしまった。

「お父さんの邪魔をして、拒まれて……」

 彼女の部屋へ入り、震える身体を抱き締めてあげた。

「ボクは離れないよ」

「私、どうしたら……」

「ここにいよう、いつもどおり梅干野さんの店で働いて」

「眠兎……」

 橙香は迷子のように、この手を握った。

 勝利の女神様が微笑まなくても、運命の悪戯が二人の夢を脅かそうとも、煇レイはまだ壊れていない。掛け替えのない橙香のために、ボクがハジカミさんの憎しみを消毒する――。


どうも、作者のA2です。

オーダー一番席では後書きを忘れて、二番席以降の後から書く始末の困った作者です。面目ない。


こちらで次回予告や、今後の投稿スケジュールなどをお知らせしていきたいと思います。


7月中に三番席と四番席を投稿する予定です。

五番席からは、一ヶ月を目安に推敲した後、皆様へお届けしたいと考えております。眠兎くんの物語(全十話くらい)をお楽しみ下さい。


追記 : ナーキッド設定資料も随時、投稿していく所存です。良かったら、こちらも楽しんで頂けたら。

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