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煙みたいに残る Smoldering  作者: 梅室しば
一章 また初夏がやって来る
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剣道部の依頼

「──兄さん?」

 妹の声で匠は我に返った。

 カメラのシャッターを切るように、一瞬にして八年前の夏の情景が遮断され、現実の視界に切り替わる。

 理学部研究棟にある他の研究室と同じように、重厚なデスクタイプの実験台が四つ置かれている神保研究室。だが、本来の用途で使われている物は、今の所一つもない。遺伝子工学や発生学の研究室であれば、各種の分析機器が整然と並んでいるのかもしれないが、一にも二にもフィールドワークの神保研究室ではどの台も等しくただの物置き場としての扱いを受けている。プリンタから出力した論文や私物のマグカップ、菓子折りの箱などが積み上がっているが、入り口に一番近い台だけは辛うじて片付けられて、来客対応用のテーブル代わりに使われていた。

 今、匠はその実験台を挟んで、二人の女子生徒と向かい合っている。

 一人は実妹の佐倉川(さくらがわ)利玖(りく)。理学部生物科学科の学部二年生で、匠の後輩にあたる。寒がりで、夏の只中でも必ず一枚は上着を持ち歩いている。今日は、シンプルなロゴ入りのTシャツに、アイボリーのミリタリージャケットを羽織っていた。外がどんなに暑くても、薬品などの変質を防ぐ為に、採光の役割を果たす窓や(がら)()戸が可能な限り排除された理学部棟の中はいつでもひんやりと肌寒いので、彼女のように着込んでいる学生も少なくない。

 利玖の隣に座っているのは東御(とうみ)汐子(しおこ)。理学部数学科の学部三年生である。装飾の少ない白のブラウスに黒のタイトスカートという出で立ちで、細い銀縁の眼鏡をかけている。

 汐子は今日、利玖の紹介で初めて神保研究室を訪れたが、研究室に入った時に小声で「失礼します」と言ったきり一言も喋っていない。匠に用事があるのは彼女の方であるはずなのだが、どういう魂胆なのか、用件はほとんど利玖が話していた。

「ああ……、ごめん。ちょっとぼんやりしてた」

「寝不足ですか? まさか、徹夜なんてしていないでしょうね」

「大丈夫だよ」匠は微笑んで、眼鏡の位置を直す。「……で、何の話だっけ」

「来られなくなったコーチの代わりに剣道部の合宿に同伴してもらえないか、というお話です」

「ああ……」

 匠は、まだ上の空で返事をした。

 そういえば、そんな話だった。だから、剣道部のマネージャーである汐子がわざわざ訪ねて来ているのだ。

 久しく遠ざかっていた剣道という話題が出たから、あの夏の日を思い出したのだろう。

「それ、いつ?」

「八月二日から一泊二日です」

「ちょっと待ってね……」

 匠はキーボードを叩いて、パソコンの画面に予定表を表示させる。カレンダーの日付を一つずつクリックして確かめたが、大した用事は入っていなかった。

「うん、別に構わないよ。でも、そういうのって部外者が行ってもいいの?」

「わたしはその辺り、詳しくないのでわからないのですが……」利玖は隣の汐子をちらっと見て、話を続ける。「あえて、指導役を社会人や他大学の卒業生で固める事で、客観的な批評を受けたいとの事です」

「ふうん……。批評とか、あんまりしたくないな」

「希望すれば稽古への参加も出来るそうですよ」

 匠は苦笑した。

「それは、もっとやりたくない」

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