全長百六十の嘘
勁草をかき分け、疾風のごとく這いまわる何かが、やけにカラフルなものだから、衛星カメラを寄せていくと、服のはだけた花魁に龍のまとわりつく春画、その入れ墨を背中にいれた一匹の狐であった。目測、全長百六十センチメートル。対称に七足七足。耳はでかく先が尖り、右頬には左を向くドクロのタトゥーが入っていた。
「狐さんじゃないかい。」
声の主は、もんぺを履いた黒髪の女で、束ねた薪を頭の上に乗せて、どこかへ運ぶ道中らしかった。
「こっちにおいで、狐さん。」
もんぺの女が地面に腰を下ろすと、狐は素直に膝の上にすり寄って来た。案外人懐っこい性格である。
「毛がふさふさで、一体どうすれば入れ墨が入るのか不思議に思っていたけど、まさかこんな風になっていたとはね。ちょっと撫でてもいい? へえ、温かくてなんだか懐かしい感じがする、折り紙みたいな手触りね。」
もふもふの入れ墨に手をうずめながら、もんぺの女は「折り紙みたいな手触りね、折り紙みたいな手触りね」と何度か繰り返し、これに潜むサルサのリズムを楽しんだ。撫でられる狐の方も満更じゃない表情を浮かべ、時折このリズムにつられてはしっぽが揺れたり、十四足がドミノ倒しに足踏みしたりした。
二人のいる原の遥か下には海が広がっていた。二人の背景として見え、海小屋のモーターボートが帰ってくるのが分かる。冬の未明のことだった。
「船の音。」
もんぺの女のこの言いようは、雨の日に雷が鳴って、「雷だ」と口にするくらい何気ないもので、さらには狐を相手に、人間と動物との差を見せつけるような余白だった。普通、動物にこんな余白ができるはずはない。つまりいつも食うか寝るかくらいで脳は満杯なのだ。しかしこの狐、やはりただの狐ではく、もんぺの女からその余白を一目で見抜くと、「見抜いたぜ」と言わんばかりに「コンコン」と鳴いて見せたのだ。人間の余白を見抜いた上、さらには余白から嘘を発明したのである。
「まあ、狐って本当にコンコンと鳴くのね。」
化かし化かされ、化かされるのもまた人の余裕の内だった。
静かな海は二人の背景として見え、一艘の海賊帆船が灯りを消して浜へと忍び寄っている。冬の寒くて誰もが布団にくるまる朝のことだった。
「今度ね、私の娘が幼稚園に通うことになったの。」
女はポッケから抜き出した写真を指先に握り、狐と自分からも見通せるよう手首を傾けた。出された写真には、一足早くスモッグを着た女の子が、照れたように腕を後ろへ回している姿があった。
「これが娘よ、かわいいでしょう。」
その子の頭はバスケボールで、実際の感情は計り知れない。模様が三本こっちを向いているだけだった。
「コンコン。」
真っ暗な海は娘の可愛い母親の背景として見え、灯りのない海賊帆船が錨を下ろし、海小屋はぼうぼうと燃えて明るかった。
海小屋の炎を目にするなり、狐は嘘でなく誠の鳴き声を上げた。そして、そのあり過ぎる十四足の脚を楕円形に回転させながら崖へ、遥か下に広がる海へと身を投げてしまった。もんぺの女からすれば突然の出来事だ。心配になって覗き込んでみると、下に狐の姿はもうなく、その代わりに一辺百六十センチメートルの紙が滞空したまま、凄まじい速度で山折り、谷折りをズレもなく繰り返していた。
「まあ、狐さんって本当に折り紙だったのね。」
女の言う通りで、狐は自らを船に折って海へ出て行こうとしたのだ。だが着水するなり、狐は穏やかな波に騙され、縦になった船は足掻くこともなく沈没してしまうのだった。




