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動物園の謎

作者: 相草河月太

 人間、気になることができると眠れなくなる。それが大したことでなくとも、例えばアパートの隣人が決まった時間に立てる奇妙に規則的な足音だったり、電車でよく乗り合わせるOL風の女性の首元にちらりと覗く和彫だったり、気になり始めると頭が勝手に状況に尾鰭をつけ始め、気づけばとても長い時間そのことを考えてしまう。答えがわからない、確かめようもないときは空想を満たすこともできないので一層たちが悪い。

 野田秀明も今ちょうどそんな悩みに煩わされていた。気がつかなければよかったと思うが一度気になってしまった以上どうしようもない。

 「野田くん、何ぼんやりしてるの、しっかりカウントしてね」

 「すみません」

 隣の山本さんに怒られる。野田はたびたびのことで本当にすまないと思いながら再び前の門に目を向ける。

 女性1、子供2。男性2、女性2。高齢者3。女性4、子供3。高齢者1。女性2、子供4。

 椅子に座り膝に乗せたカウンターを通りがかる人に合わせて押していく。分類は非常に単純で、女性、男性、高齢者、子供の4種類。高齢者は男女関係ないのか、という失礼な話ではあるが、それがルールらしい。

 場所は動物園の入り口だ。土日祝祭日は数えきれないほどの人が通るので逆にカウントはしない。平日にのみ行われる比較的簡単なアルバイトで、友人のつてがなかったら獲得できなかっただろう。そう言う意味では野田はラッキーだと思っていたし、今でもこんな楽なバイトを紹介してくれた友人には感謝している。

 しかも期間は一ヶ月。大学の長い夏休みで他に予定もなく、少々時間は長いが残業も他の業務を任されることも一切ないストレスフリーのバイトで、正直最初は仕事終わりの飲み会や映画、帰りの街でのショッピングなどこれ以上にないほど充実していた。

 1周目の最後の日に、それが気になったのだっただろうか、それともバイトの初日からだったか。

 ともかく、野田がカウント数をリーダーの山田さんに報告し、何気なく他のバイトの数字と照らし合わせたデータを覗き込んだ時に気がついたのだった。

 入り口に二人、出口に二人という簡単な体制でおこなう動物園の来園者のターゲット調査で、フリーパスや子供パスでは正確にチェックできない年齢や性別の分類カウントを行なっている。入り口のチケット販売のスタッフは他の業務があり、また仕事の性質上外部の委託会社に発注する必要があってこんな状況になっているらしい。まあ、動物園の運営報告や業務改善に使われるのだろう。そこはあまり興味はない。

 ともかく、入り口と出口でダブルチェックして、なるべく誤差のないようにカウントをしていく仕事なのだが、何気なく目に入るその数字。

 どう言うわけか必ず毎回、入る人数と出る人数が違うのだ。

 もちろん誤差はあるし、数え漏れやカウントが滑って多く押してしまうこともある。

 しかし、入り口側、出口側の二人がそれぞれ人数が合っているようなときでも、一人か二人、どちらかが多くなる。

 気にしすぎだし、単なる誤差だ、と誰もが言うだろう。野田もそう思う。

 しかし、最初にも言ったが、気になってしまうと人間の頭というのはそこから離れることが難しい。きっと意味もないし無駄な思考でしかないと分かってはいても、どうしようもなくそのことについて考えてしまう。

 最初の週の土曜、バイトの初めての休日に、風呂に入っていた野田はそのことを延々と考えていた。

 銭湯は混んでいたが、人の立てる微かな物音が逆に静けさを演出し、仕事から解放された自由な午後を満喫している野田の心にそれは入り込んできた。

 一体、なぜ毎回数が違うのだろう。

 もし、それが単なる数え間違いでなく、なんらかの理由があったとしたらどうだろうか。

 入る人が多いとすると、出ていく人が一人少ない、ということになる。動物園のスタッフであれば、入り口から出ていくことはないだろう。しかし、スタッフは従業員入り口から入るはずだし、胸にかけた名札や服装でわかるはずだ。

 病人や怪我人が別の出口から搬送された?いや、救急車や医者が呼ばれたという話はないし見かけてもいない。

 万が一そうだとして、出る方が多くなる理由はなんだ?誰か動物園のなかに隠れていて、翌日オープンに合わせて出口から歩いて出ていくなんて、そんな馬鹿な話があるだろうか?

 くだらない考えに夢中になりすぎてのぼせた野田は、冷たいシャワーを浴びながら馬鹿馬鹿しい、と自分をたしなめた。しかし、どうにも気になる。

 風呂上りに扇風機にあたりながら牛乳を飲む野田の頭にうかんだのは、注意して客の特徴をみるしかないな、ということだった。


 翌週のバイトで野田が試みたのは、入ってきた客の中に出て行かなかった客がいたら、それに気づけないか、ということだ。

 もちろんやってくる全員の顔や服装を覚えるなんて不可能だ。しかし、平日にやってくる客の数はある程度限られていて、また無視することのできる客もいる。例えば大人数の客や親子連れで、もしそういうグループの一人が園内に消えたとするならば、他のメンバーが大騒ぎをするはずだ。

 二人連れに可能性がないとは言えないが、気をつけるべきはやはり一人の客だろう。一人の客はすくないし、注意して見ていれば何かの気配を感じることも不可能ではないのではないか?

 というのが寝れない日曜の夜中に考えた結論だった。

 試みの二日目。出口を担当していた野田は、早速怪しい人物を発見した。

 なぜ今までおかしいと思わなかったのか、というくらいその人物は特徴的だった。

 背は中背よりもやや低いくらい、帽子を目深に被り、色付きのメガネをし、マスクをしていた。そこまではいいのだが、その人物が着ていたのは、季節に似合わない長いコートだった。身長に合わないサイズなのか、足下をほとんど引きずりそうな長さではおり、前のボタンもきっちりと閉めている。両方の手をポケットにいれて、小股にあるく姿は、いかにも怪しかった。

 そして、野田がその日確信して言えるのは、その人物が入り口から入ってくるのを野田が見かけなかった、ということだ。

 間違いなく、この人物、おそらく男は、今日まともな方法で動物園に入っていない。そして、出口にいきなり現れた。

 疑いが確信に変わって、野田の好奇心はどうしようもなくふくらんでしまった。

 その人物を問い詰め、理由を聞きたいという思いを押さえつけて業務を終えた野田は、出る人数が多いことを確認して帰宅したが、すっかりこの奇妙な人物に取り憑かれてしまった。

 何かおかしなことが起きているのは間違いなく、そして疑わしい人物も発見した。しかし、これ以上何かを確かめる方法がない。


 怪しい人物は一度気がつくと、入ってくる人間の中にも容易に発見することができた。

 特徴は簡単で、外部から本人の顔や体がほとんど見えない格好をしていること。

 どういうわけか背の高さに差があることがあるのだが、帽子を被り、サングラスとマスク、手はポケットや懐の中。和服や浴衣、スカートのこともあるが多くはコートや長い上着で、足下もしっかり隠れている。歩き方は必ず小股で、存在の不気味さを際立たせている。

 何か、この世のものでないような、人ですらないような雰囲気を野田は感じていた。

 確信に至りながらも、誰にも話はできなかった。

 当たり前だ、こんな馬鹿な話、誰も真面目に聞きはしないだろう。もし聞いてくれても笑い話としてで、本気で考えている野田の望む反応は得られないし、逆にこちらの正気が疑われそうだ。

 かといって、仕事仲間にする気にもなれない。暇なときに会話をしていけないということはないのだが、この人物に野田が抱いている印象を、もし相手が気にもとめなかったら?それにそんなふうに仕事以外のことに気を取られていることを知られ、山本さんに報告でもされたらこのバイトが続けられなくなる。

 気がつくと野田の頭はすぐにその人物のことを考えてしまい、結論のない妄想に支配されていた。


 そんな状況だったから、山本さんに怒られた野田はバイトの条件の良さに感謝しつつ、やらなければよかったとも思い始めていた。気になりすぎるのだったらバイトをやめればいいじゃないかとも思うが、それでは謎の人物の正体がわからない。

 ほとんどノイローゼになりかけた野田がバイトを終え帰ろうとすると、後ろから声をかけられた。

 「野田くん」

 それは動物園の職員で、事務をしている佐藤さんだった。バイト初日から野田たちに優しくしてくれ、飲み物の差し入れなど何かと気を使ってくれる初老のやさしいおじさんだ。

 「野田くん、元気ないね、何か悩みでもあるの?」

 「佐藤さん、ううっ」

 その何気ない優しさに、野田は思わず感極まって泣き出してしまった。

 野田の様子に佐藤さんは驚きながらも優しくなだめてくれ、普段はバイトは入れない従業員の控室の椅子に座らせ、お茶を入れてくれた。

 野田は自分の失態を詫び、佐藤さんにお礼をいいながら、もう聞くならこの人しかいない、と心を決めた。

 「佐藤さん、実はどうしても気になっていることがあって、そのことが誰にも話せなくてどうしようもなくなっていたんです」

 「うん、そうかい」

 佐藤さんは自分もお茶をすすりながら、野田に茶菓子のかりんとうを勧める。

 「私でよかったら話を聞くよ?どうかな」

 野田はうなづき、是非お願いします、といって、自分の妄想を語り出した。

 話をしながらどこかで、そんな話は荒唐無稽な妄想だよ、と否定されるだろうなと野田は思っていた。そして、そうしてもらえたらどんなにいいかとも思っていた。

 野田の期待が裏切られたのは、謎の人物の特徴に触れたあたりからだった。柔和な笑みを浮かべていた佐藤さんの表情が次第に強張り、まるでなにか触れてはいけない秘密を知ってしまった人間を見るかのような不審と詰問の表情に変化する。野田の一言一言に表情は険しさを増し、話し終えたときに訪れたのは言い様のない気まずい沈黙だった。

 佐藤さんが沈黙を破って発したため息には、隠そうともしない面倒臭さがあふれていた。

 「で?」

 佐藤さんは言った。

 「誰かにこの話、した?」

 「い、いえ、誰にも」

 「まあそうだよね、もちろんこんな馬鹿げた話、だれもまともに信じちゃくれないよね」

 期待していたのとは真逆の響きがそこにはあった。これがまごうことなき真実で、何か重要な秘密があるという響き。

 「ともかく、誰にも言わないで。私の一存じゃ何も言えないから」

 佐藤さんは厄介そうにそう言うと、野田を追い出すようにさっさとお茶と茶菓子を片付け帰り支度を始める。野田は戸惑いと混乱、そして恐怖を感じながら席を立つ。なるべく早くここから去りたいと願い、お茶の礼をいいながらドアに手をかけた野田に、佐藤さんが声をかける。

 「野田くん」

 「はい?」

 「余計なことには首を突っ込まない方がいいな、これからは」

 そういう佐藤さんの目は笑っていなかった。返事もそこそこにドアを開けた野田に、佐藤さんはさらに声をかけた。

 「バイトはやめないでね、このままいなくなられても困るから」

 背筋に走る悪寒に震えながら野田は部屋を出た。


 その後一週間、野田はバイトに行きたくないと思いながらも佐藤さんの言葉への恐怖から、出勤し続けた。仕事中に会う佐藤さんはいつものように優しく、あのやりとりが夢のようだった。

 なんの変化もなく日々がすぎ、しかし野田は妄想と恐怖でやつれて行った。

 もう限界だ、と野田は思った。まだバイトの終了まで5日を残していたが、これ以上の精神的不安には耐えられそうもなかった。このままではおかしくなってしまう。

 しかし、恐怖が先に立ちそれを山本さんに告げることもできない。

 妄想にうなされ3日も一睡できず体調は最悪で、野田はついにバイト中に意識を失ってしまった。

 

 「野田くん、大丈夫?」

 目を覚ました野田は、自分が従業員控室の長椅子に寝かされていることに気づいた。声をかけてくれたのは佐藤さんで、いつものように優しい声だったが、野田は自然と怯えるように体を起こした。

 「悪かったね野田くん、この間の件」

 佐藤さんはすまなそうに詫びる。

 「私が話していいかわからなかったし、君が倒れるほど気にしているとも思わなかった」

 佐藤さんはそう言いながら、後ろにいた人物に目をやった。

 その人物こそ、野田が見つけた正体不明の謎の男だった。遠目で見るよりも小柄で、痩せており、やはり人間離れしている。

 「相沢さん、説明してあげて」

 謎の人物の後ろには、別の女性がいた。青い上下のつなぎを着た、動物園のスタッフで、おそらくは飼育員だろう。

 「野田くん、この子が君を脅かしたみたいでごめんなさい。君に秘密にしたのは、このことは外の人に言ってはいけない決まりだからなの」

 「一体、なんなんですか」

 野田はたまらず声を上げる。恐怖も我慢も辛抱の限界だった。

 「何か異常なことをやっているんでしょう、この動物園は。だから人に隠して、僕のことを脅かして」

 佐藤さんと相沢さんはそんな野田を見て吹き出す。

 「笑うなんて失礼じゃないですか。僕はこの一週間ろくに寝てないんだ」

 「ごめんごめん」

 笑う佐藤さん。

 「そう、君が思っているようなことじゃないのよ、これは」

 と相沢さん。

 「どういう意味ですか?」

 不機嫌に答える野田に、相沢さんが真面目に聞く。

 「君は秘密を守れる?」

 「は?」

 「今から君にいうことは、決して君がおもうような犯罪や怖いことではないけれど、守らなければならない秘密ではあるの」

 野田は理解がついていけず、怒っていいのか笑えばいいのか、訝しめばいいのかもわからず混乱しながらも、これだけは確信があった。

 ここで話を聞けないなんてあり得ない。

 「守れますよ」

 根拠もないセリフを野田は口にする。本当に守れるかなんてことはどうでもいいと思っていた。

 「わかった」

 相沢さんは謎の人物を野田の目の前に連れ出すと、何かの合図をする。

 いよいよだ、野田は唾を飲む。

 謎の人物が帽子を外し、コートの前を開ける。

 

 「は?」

 そこにいたのは二匹の猿だった。一匹の猿がズボンを胸の下まで履き、もう一匹の猿がシャツをきてその猿に肩車されている。

 なんてことはない、ただの猿回しの芸だ。

 野田は裏切られた気分だった。これだけ自分をひっぱり回し、おびえさせ、眠れないほどに悩ませた秘密がただの猿の人真似だとは。

 「これは、これは一体なんなんです!?」 

 怒りの混じった声で叫ぶ野田に、相沢さんがいう。

 「これが動物園の秘密」

 「意味がわからない」

 「動物園の動物が、用事で外出するときにこの服を着て出てゆくの」

 野田には理解できなかった。動物園の動物が外出する?

 「出かけるのは知り合いが外にいる、日本猿とか、狸、狐が多いわ」

 「はあ。え?出かける?」

 「動物がどうして動物園にいてくれると思う?」

 「そりゃあ人間に捕まえられたからじゃ」 

 「もちろん最初はそうだったけど、動物にも知恵はあるのよ。動物園を襲って仲間を助け出すことだってできる。本当は人間の知らない、様々な力を動物は持っているの」

 そんなバカな。信じられない話だ。

 「でも、動物たちは基本的に穏やかだから争いを好まない。それに人間が動物園を作った事情にも理解を示したの。それで、長い年月をかけて動物と人間の間に協定ができて、動物園の出入りを動物にも保証することにした」

 「まさかそんな、そもそもこの姿で外にでて、何をするんですか?移動もできないし、行く場所もないでしょう?」

 相沢さんは理解のできない子供に常識を説明するように根気強く話す。

 「さっきも言った通り、仲間のところにいくの。電車にものるし、バスにもタクシーにも乗るわ。公共の交通機関の人間は、みんなこのルールを知っているの。だから彼らの行動の邪魔はしない。で、君が気づいた怪しい人物っていうのは、みんなこの動物園にやってきた動物か、出かける動物。

 やってきた動物は、仲間や家族と同じオリで一泊か二泊することもあるし、出て行った動物もそう。野生の猿や狸の中にも、このルールが分かっているものは人間の服を着てここにくるのよ。本当は他の動物、熊とかキリン、象なんかもそうさせたいんだけど、彼らが人間のフリをするのは無理があるから」

 野田は馬鹿馬鹿しい、と思いながらも、なにも言い返せなかった。事実こうして怪しいと思っていた人物の正体が、二匹の猿なのだ。

 「で、野田くん」

 佐藤さんが野田を見る。声には、あの日の疑いの響きがこもっている。

 「君はこの秘密を守れるよな」

 有無を言わせぬ響きに野田はうなづく。

 「今後一生、誰にも話してはいけない。もし街中で彼らの変装した姿を見ても、正体に気づいたようなそぶりとか、何かの反応を見せてはいけない。わかるね」

 うなづきながら、野田は思った。


 やっぱりこのバイト、やらなければよかったかも。

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