イケナイ関係? だから良いのだ!
一話 妹と同衾とか朝から忙しい!
とある日の朝、俺は気持ちの良い朝を迎えた。
目覚ましなど必要ないと思ってしまうほどに爽やかな鳥のさえずり。カーテンの隙間から漏れ出た日光。いつもは朝は機嫌が悪く、遅刻ギリギリまで寝ているような俺がなぜこんな朝を迎えられたのか。
答えは簡単!!
同じ布団で妹が寝ているからだ!!
え?
自分で思って初めて気がついた。妹が横ですやすやと可愛い寝息をたてて寝ている。
幸せそうに睡眠を謳歌している妹の顔を見て絶望した。
え?高校生の俺が中学生の妹と同衾!?
人間としてやってはいけないことをしてしまったのではないかと不安に駆られる。
俺、勢いで襲ってたりしてねぇよな......。
記憶がないだけとかじゃねぇよな......。
そんな覚え全くねぇぞ。
とは言っても、横で今もなお美少女は寝ているのだ。
あどけない端麗な顔。その小さな顔は美しいというよりは可愛いという言葉の方が似合う。
ひとまず、バレないようにここから退散しなくては。高校生という多感な時期に妹と同衾とかバレたらマジで取り返しがつかない......。
音が立たないようにそっと腰を上げようとしたのだが、体が動かない。
ということは、だ。
今考えられる最悪とは......。
恐る恐る自分の腰に目を向ける。
正直に言うと、泣きたくなった。
現在、横で絶賛睡眠中の妹の可憐な手によって、腰がガッチリとホールドされている。
つまり、俺に体を密着させるようにして。
甘い匂いがする!! 胸が当たってるぞ!!
吐息が近い!!
なんて思うはずもなく、
マジで冷や汗をかいた。普通はドキドキするような場面なのだろうが、今は自分の名誉を守るために必死なのだ。いちいち背中に当たる胸の感触なんて味わっている暇もない(後になって後悔したのだが......)
この絶望的な状況を打破するには......。
当然、ホールドされている手を振りほどいて逃げることはできる。だがそれでは妹が目を覚ましてしまう。妹が目が覚ます=死なのだ。
だが目を覚まさせずに妹の拘束から逃げることは不可能だった。思いのほか強めにホールドされているからだ......。
マジでどうしよう......。
その時だった。俺は一つの疑問を思い浮かべた。
なぜ妹は隣で寝ているのか。
就寝時の記憶はまだ鮮明に残っている。
妹と一緒に寝た記憶なんてない。
というか、妹が部屋にいる状態で寝ることなんてしない。
つまり、俺は被害者!! きっと俺が寝ている間に勝手に布団に入り込んで来たんだ!!
責められるべきなのは妹! 俺は罪なき一般人!
いやこんな状態なら真っ先に男が疑われるのは当然なのだが、この時は驚きと不安でまともな思考回路をしていなかったのだ。
そして、勝ち誇ったようなドヤ顔で妹を起こす。俺に怖いものなんてない!! 俺被害者だもん!
現実逃避しながら妹の肩を叩く。
「おい、起きろ」
何回叩いても起きないので割と強めに叩く。すると妹はゆっくりと目を開ける。
兄が同じ布団にいるというのに驚いた顔もせず、むしろ幸せそうな笑みを浮かべながら囁いた。
「おにいちゃあん、おはようー」
甘あぁああああああい!!!!
こんなの、日本の......いや世界中の男子を敵に回したようなもんじゃないか!! 俺、嫉妬で殺されるのかな......。これは罰ゲームなのかな......。
なんてバカみたいなことを考えていると、妹はそそくさと布団から脱出し、部屋から出ていった。
いきなり部屋に一人残された俺は呆然としていた。いきなりすぎて追いつけない。
眩しすぎる日光と、妹の甘い香りに包まれて、「気持ちの良い朝だ」 なんて呟いてみる。
俺が部屋から出たのはそれから二十分も経ってからだった!!
二話 妹の憧れ!
俺の名前は加藤裕二。高校二年生だ。
いや、こう言えば分かるか。
つい今朝、妹と寝た男だ!!
色々語弊が生まれそうだが、俺には一切の責任はない。なにせアイツが勝手に部屋に入ってきて布団に潜り込んだのだから。
いくら美少女でもしてはいけないことがあるだろ!! ちょっと嬉しかったけどさ!
そんな変態妹の名前は紗恵。
中学二年生の美少女だ。
どれくらい可愛いかというと、会話をしただけで心が奪われるほど。一目惚れというやつか。よく紗恵は言っていた。「いっつも周りから視線感じるんだよね〜。なんでだろう......」 お前が可愛すぎるからだろ!!
これだけ可愛いと彼氏が居てもおかしくないのだが、紗恵は恋愛経験ゼロであった。
というか、告白すらされたことがないのである。おかしいよな。
でも、これには明らかな理由がある。
それが、玄関に立つ俺の目の前に映っていた。
「お前、相変わらずその格好かよ......」
苦笑しながら言った。
だってさ、超可愛いのにその格好はおかしいだろ......
茶髪に染めた髪に上下黒のジャージ。
うさぎのキャラクターが描かれてあるサンダル。とても学校へ行くような服装ではなかった。
「私服登校が許可されてるんだからいいの!!」
そう、ムキになって言ってきた。
頬はおろか耳まで真っ赤に染めて言い返してくる紗恵を苦笑いで受け止める。
「不良キャラとか、面倒くさいだけじゃねえの?」
「キャラとかじゃないし! 私はヤンキーに憧れてるの!」
家ではヤンキーのヤの文字もないのにどの口が言うんだよ。
それでも、必死に言い返してくる紗恵は本気だった。本当に不良に憧れているらしい。
今に始まったことではないが、もっとマトモなものに憧れてほしかったものだ、と。常々思っている。
だがまぁ、妹のことにいちいち口出ししてもウザがられるだけなので、早々に引き下がった。
と、そこでインターホンが鳴った。
「紗恵ちゃーーん。迎えに来たよー」
友達登場だ!
ドキリとした。今まで紗恵の友人は度々見たことがあるが、もれなく誰もが美人である。俺は、紗恵が美人発生装置だと本気で疑っていた。
――ま、まぁ? 妹の友達に興奮するような変態じゃねぇし? ドンと来いや!!――
何が「ドンと来いや」やねん。一人で突っ込んで虚しくなる。
「じゃあ、お兄ちゃん行ってくるね! バイバイ!」
迎えが来たことにより、急いでドアを開ける。
そこで一瞬、紗恵の【友達】と目があった。紗恵に負けず劣らず超可愛かったのだが、一つ気になることがあった。
紗恵とまったく同じ服装......。
仲良し同士でお揃! とかやるのは分かるが、上下黒のジャージのお揃いなんて女子中学生のやることなのか、と疑問に思った。
「量産型ヤンキーかよ......」
そんなことを考えているうちに、いつの間にか紗恵と【友達】は居なくなっていた。
三話 ぼっち兄出現!
「昨日のテレビ、面白かったなー!」
「それなー!マジで爆笑したわ」
「......」
ぼっち下校です。一人二役です。笑えよ!
高校に入って、環境の変化に慣れずクラスに馴染めていなかった俺は、二年生になっても友達は少ないままだった。まぁ、友達がゼロではないだけマシなのだが。
唯一の友達は中学の時からの仲で親友だ。
学校ではいつも一緒だが、家は俺とは反対方向なので一緒には帰れない。
俺はこの孤独な下校時間が毎日嫌だった。
沈みかかった太陽に赤みがかった空。
青春っぽい風景だが、ぼっちだからか逆に悲しくなる。
一日の疲れがドッと溢れてくる感じだ。
背中を曲げて地面を見ながらトボトボ歩いていると、ふと聞き覚えのある声がした。
『紗恵先輩! すごいですね、尊敬します!』
『当たり前だろうが! ヤンキーとしての自覚を持ちやがれ!』
確かに聞き覚えのある声なのだが......。
俺は顔をしかめた。
ヤンキーモードの紗恵......か。
顔を上げると目の前には二人の女子が歩いていた。どちらも上下黒のジャージ。
黒ずくめの女......。背が縮む薬を飲まされそうな雰囲気がするぞ......。
そこで、黒ずくめの女子二人は立ち止まった。
裕二は驚いて電柱の影に隠れた。
なぜ隠れてしまったのか。他人からすれば女子中学生をストーカーするロリコンくそ野郎にしか見えない。
『紗恵先輩、頼み事があるんですけど聞いてくれますか?』
紗恵の【友達】は妙にうわずった声で問うた。うん、こちらも可愛い。
『どうしたの? 悩み事なら何でも言いなさい! 私はヤンキーとしてあなたの先輩よ?』
紗恵は無い胸を張って言う。
もう完全に調子に乗っていた。
てか【ヤンキーとして先輩】って何だよ、威張れることなのか?
甚だ疑問だ。
そこで、紗恵の【友達】は口を開いた。
『紗恵先輩の家、行ってもいいですか?
先輩のヤンキー心、色々と学ばさせていただきたいんです』
学ばさせていただきたい!?
一体、紗恵に何を期待しているのだろうか。もちろん、家での妹は超が付くほどデレデレなので、ヤンキー? のグッズなんて持っているわけがない。せいぜいあるとしたら短ランと、ボンタンぐらいだろうか。
恥ずかしがって紗恵もしばらく着ていないのだが......。
さて、紗恵は家に来たいと言われ、動揺しているようだ。
不良被れなのがバレるもんな! 人の布団に入ってくるから罰が当たったんだよ! ざまあみやがれ!
俺って最低だな。自覚はあるさ(キリッ)
明らかに目が泳ぎまくっている紗恵は言った。
『い......いいよ。次の日曜日に......来る?』
声震えてんじゃねぇか!!
お友達さんも「え? 悪いこと言った?」みたいな顔してるじゃん!
助けに行ってあげたかったが無闇に紗恵の前に出て、甘々モードを起動させてしまうと大変なので迂闊に動けない。
結局、約束を交わしてしまったのだ。
家には何もないのに。むしろ紗恵の部屋は可愛いのに。めっちゃピンクでうさぎのキャラクターで溢れているのに。
そうして家に帰ると案の定、紗恵が話しかけてきた。両方の人差し指を突き合わせて照れながら。今日も可愛いよ。
「お兄ちゃぁん......。話、聞いてくれる?」
四話 金欠兄妹!
『おにいちゃあん、話聞いてくれる?』
そうして、紗恵は顔を赤くして、目には溢れんばかりの涙を浮かべて話しかけてきた。
きっと、俺が何も事情を知らないと思っているのだろう。盗み聞きして何が起きたのか知ってしまっている俺からすれば、大袈裟すぎる反応だ......。
とはいえ「盗み聞きしてました!」なんて言えるはずもなく、何も知らないふりをして紗恵に説明を促した。
「いったいどうしたんだよ」
「たた大変なの! その......えっと......」
少しずつ声が小さくなる。
......なかなか口を開かない。
これでは話が一向に進まないので少し強めに言った。
「早く言えよ。俺は暇じゃねぇんだよ」
紗恵はハッとして、覚悟を決めたかのように表情が固くなった。じっと俺を見つめている。
と、思ったらいきなり甘く微笑んで、開き直ったように言った。
「友達が家に来ることになったんだけど、どうしよう?」
*
リビングにて。
俺は改めて紗恵から説明を受けていた。
友達が家に来て、紗恵のヤンキーっぷりを見学しに来ること。
その『友達』はヤンキーとして紗恵の手下?のような存在で、ヤンキー要素のかけらもない部屋を見られて失望されたくないこと。
そして、友達を失いたくないということ。
「不良グッズ、買えばいいじゃん」
紗恵の説明を受けて、開口一番にそう言った。
「家での紗恵を見られて失望されたくないなら、不良っぽい物を買って適当に飾っとけばいいんじゃね?」
それを聞いた途端、紗恵の顔は一瞬で明るくなった。分かりやすいな、おい。
「その手があった!! お兄ちゃんも意外と役に立つね!!」
ん? 今ディスられたか?
......ともかく、そうと決まれば早速、近くのギオンモールにでも行くかと思案していたところで、気づいてしまった。恐ろしい事実に。
「紗恵......一応聞くけど金あるよな? 最近、友達と遊びに行くこと多いけど、大丈夫だよな?」
先程までは明るかった紗恵の顔が一瞬で曇る。あ、こりゃ無いな......。
「お金......ない......」
泣きそうになりながら呟く。
そして、上目遣いで俺を見上げてくる。
紗恵の言葉を待つ必要はなかった。言わんとすることは分かる。
――奢ってくれ――
紗恵の目はもう、悲壮感で溢れている。
......紗恵、目がうるうるしてきてるぞ。
さて、デキる兄ならここで妹に奢ってやるのだろうが、果たしてそうはいかなかった。
俺も金がねぇ。
ここ最近カラオケにハマってしまい、一人で毎日通っていた。他に金を使う機会なんてないから金が無くなるまで歌いまくったよ......。
それがここで仇になるとは......。
俺は膝をつき、妹の目線より下に顔を持っていく。見下ろされる形になるように。
そして、紗恵がやったように上目遣いで、口に両手を当ててぶりっ子のようにして、何とも気持ち悪い格好で言った。
「私もお金ないの♪」
俺の愛する妹は、吐き気と絶望の淵に立ち、やがて涙を零した。
他に手を考えなくっちゃな。
五話 妹の、本当。
『お金ないの♪』
さて、現状をおさらいしようではないか。
妹の友達が来るのは今週の日曜日。今日は金曜日。行動を起こすのは明日になるだろう。大事なのは、何をするか。どんな対策で妹の友達を欺くか。
俺は食卓で唐揚げを頬張りながら、真剣な表情で思案していた。
紗恵の顔もいつもより険しい。
兄妹揃って全力で頭を働かせていたので、会話は弾まない。
父、母、兄、妹。
家族が集う食卓の上には、なんとも重い空気と静寂が漂っている。
箸と皿がぶつかる音、コップを置く音。何気ない音がいつもより大きく感じられた。
違和感を察知した母が、我慢の限界といった感じで口を開いた。
「さ、紗恵? 学校はどうだった?」
恐る恐る聞いてきた。
何も事情を知らない母からすれば、重大なことがあったと勘違いするだろう(いや割と重大な事件なのだが......)
......対して紗恵は......。
「普通」
あっけなさすぎた......。
こいつ面倒臭いからって一言で済ませやがった!! 余計に勘違いされるだろ!!
紗恵にそっけなく返事をされた母は、かなり傷ついたのか、それ以上話しかけてくることはなかった。
*
「ご飯でこんなに疲れたの初めてだよ!」
「馬鹿! 大声出すな、そんなの母さんに聞かれたらもっと落ち込むぞ!」
夕食後、俺は紗恵に部屋に来るように言われ、言われるがままに聖地へと足を踏み入れた。なんかもう、色々な意味で感動した。
いつ入っても『妹の部屋』とは良いものである。ああ、いい匂い。
......とはいえ、なぜ部屋に招かれたのか。
妹の友達への対策である。
金が無い以上、他の方法を考えなくてはならない。俺もあれこれ考えていたが、そこで、ふと思った。それまでの前提を覆すことを。
「紗恵、ちょっと思ったんだけどさ」
「何? お兄ちゃん、いい案思いついた!?」
「いや、そもそもさ、紗恵は家では不良じゃないだろ?」
優しく、問いかける。
「本当のお前はどっちなんだ?」
不良か、不良じゃないのか。本当の紗恵はどちらか。
紗恵は困ったように首を傾げた。
「うーん、家ではありのまま過ごしてるから、本当の私って家での私?」
「なら、不良ってのは作ってるってことだろ?」
なら、なら、ならさ......。
言葉が出ない。言いたいことは明確にある。だけど、喉に栓が詰まったようにつっかえる。
「な......なら......」
「......?」
何度も言いかけては止まり、やがて、やっと声を紡いだ。
「ならさ、本当の自分を隠す必要は無いんじゃないか? お前のことを尊敬してくれてる友達なら、きっと理解してくれると思うぞ」
......沈黙があった。長いか短いかと言われれば、それは分からない。
だけど、それは確実に俺を不安の底へと叩き落とす。
紗恵は俯き、動かない。呼吸が荒いのか、息をする度に肩が上下している。
(やっぱり、俺がこんなこと言うべきじゃ......)
「分か......てるよ......」
ポツリ、と。
「私がみんなを騙していることだって分かってる!! でも、本当の私をさらけ出したら、みんなは、私の前から居なくなっちゃう......」
確かに聞いた、妹の声。
不安という心の隙間から漏れ出た本心。
だから、俺は引き下がらない。
だから、それを逃さない。
だから......言ってやった。
「本当にそうか?」
六話 少女、思想、記憶。
*
小さい頃、私は何も夢中になれることがなかった。ゲームも、遊びも......趣味と言えるものは何ひとつとしてなかった。
親には度々、無個性だと言われた。
何をやっても中途半端に終わってしまう。
自分自身に嫌気が差していた。
こんな淡白な自分が嫌いだった。
何かに全力で取り組みたい。夢中になれることを探していた。運動も、読書も、時間を忘れてしまうほどの楽しさは見いだせない。
ピアノ教室に通ったこともあった。
私が「ピアノをやりたい」と言った時は、母は喜んで協力してくれた。なのに、なのに。
ピアノ教室も億劫になり、いつしか通わなくなった。
こうして、真っ白な日々が続いていた。
母は、すごく協力してくれた。
私を、想ってくれていた。
なのに、それに答えられなかった。
今までも、これからも。
母はもういない。少なくとも、私を産んでくれた母は。私の目の前にいる母は、母ではない。それは、父が選んだ第二希望だ。
......
母は、あの事故で亡くなった。
それで不安定だった私を安心させるための再婚だろう。
再婚を経て......お兄ちゃんに出会った。
それから少しして、趣味も見つかった。
不良という、キャラクター。
無理矢理と言われれば、そうだ。
でも、母のために。私のせいでいなくなってしまった母のために。
そんな気持ちがあったのかもしれない。
でも、不良というキャラが嫌いというわけではない。今までで一番熱中できる。
でも、だからこそ。
*
不良キャラを嘘だと認め、友達に打ち明けるのには勇気がいる。
それは私の心を覆う殻だ。閉じ込められる変わりに、私を守ってくれる。
それを破る時が来たのか。
一人であれば、そんなことしようとは思わないだろう。でも、お兄ちゃんがいるなら......。友達を信じられるなら......。
ちょっとした雑音で途切れてしまいそうなほど、か細い声で。それを自分で噛み締めるように、呟いた。
「本当のこと、話して......みようかな」
それに呼応し、兄は力強く言い放った。
「勇気出せよ、大丈夫だ。俺がいる」
七話 決定!
*
『本当にそう思うか?』
言った瞬間、紗恵の動きが止まった。それから......。
長い時間が経過した......気がする。
紗恵は眉間に皺を寄せながら、虚空を見つめている。......顔が可愛すぎるので全く怖くない。
長い沈黙の末、痺れを切らした俺が口火を切ろうとした瞬間、紗恵は顔を上げた。
耳......いや、頬までも朱に染めている。
焦り、不安げな表情。
時間の流れすら分からなくなるほどに静寂が立ち込める、この時に。
彼女は何を考えたのだろう。
どうした? そう俺が聞く前に、紗恵は口を開いた。静寂という名の糸が切れる。時間の流れが戻る。
『本当のこと、話して......みようかな』
とても、小さな声。ちょっとした雑音でかき消されてしまいそうなほどに。
だけど、それを掴んだ。
促したのは俺とはいえ、これは紗恵が決めたことだ。全力で応援する。協力する。
目は涙で潤い、心配そうに俺の返事を待つ紗恵。
「(俺に出来る、一番最初の協力......)」
今の紗恵にやってあげられること。
今、紗恵が一番欲しいのは。
......。
紗恵のすぐ折れてしまいそうなほど頼りない囁きとは真反対に、力強く。
真っ直ぐに『俺の妹』を見据えて、
言い放った。
「勇気出せよ、大丈夫だ。俺がいる」
「うん......ありがとうっ」
言った瞬間、紗恵の潤っていた目から涙が零れた。そして、俺に抱きついてくる。
「ちょっ、やめろよ!」
口ではそう言いながら抵抗できないのが男だ。されるがままにお互いを密着させる。
鼓動が聞こえた。力強く、それでいて速く脈打つ。
それが俺の心臓なのか、紗恵のなのか。
それは分からなかった。
......そんなことは関係ないのか。少なくとも、どちらもドキドキしている。
紗恵は、俺の背中に手を回してくる。
ギュッと、抱きしめられる。
甘い香りがする。溶けてしまいそうなほどに、それは俺を誘惑する。
この前も、こんな状況になったことがあったっけ。その時はベッドの上だったから今よりも危険だが......。
あの時は......俺は何もしてやらなかったな。
だから、
「紗恵......頑張ろうな」
俺を抱きしめる力がより強くなった。
俺はそれに返事をするように、そっと、紗恵の頭に右手のひらを乗せる。
艶々の髪を、そっと撫でてやる。
こうしていると、まるで猫みたいだ。
そういう可愛さを、紗恵は持っている。
何回撫でても足りない気がした。もう、まるで夢の時間だ。
「お、お兄ちゃん、もう、いいよ......」
震えた声で言われた。
「ごめんごめん、つい、可愛かったから」
「......」
「!?」
自分で口にして初めて気がついた。
いま俺、恥ずかしいこと言っちゃった!?
俺は自分の言動を思い返し、羞恥とともに俯いた。
「もう、なんなの!!」
紗恵は怒って部屋から出ていってしまう。
ドタバタと、廊下を走る音だけが聞こえてくる。
「めっちゃカッコよかったのに......最後の最後でやらかしちゃったなぁ......」
結局、男はそういう生き物なのだ。
俺が部屋から出たのは、それから二十分も経ってからだった......。
八話 とうとう来たその日。
金曜日の夜。俺は紗恵と話し合い、友達には本当のことを打ち明けると決めた。
俺の言葉で紗恵の背を押して。
それを紗恵は笑顔で受け取った。
とても嬉しそうだった。
だが、隠している一面を相手にさらけ出すのには、勇気がいる。
紗恵だって、嬉しいだけじゃないはずだ。
大丈夫だろうか。ただ、不安が渦巻く。
どうなるのかはその日になってみないと分からない。
気にしすぎだ、と言い聞かせて布団に入った。
*
「約束の日って今日だろ?」
分かっていても、そう聞いてしまう。
「そうだよ......でも、大丈夫だよ! きっと理解してくれるから!」
言葉ではそう取り繕っても、隠せていない。
紗恵は緊張しているのだろう、落ち着きがない。立ったり座ったりをしきりに繰り返している。
「......」
会話が続かない......。
無理に話しかけても迷惑だろう、と自分に言い聞かせて、気分転換にお茶でも飲みに行こうかと腰を上げた直後。
静かな部屋に一つの電子音が鳴り響いた。
ビクッと、体が震えた。
その一定で無機質な音は俺の心臓を鋭く貫く。妹のことなのに、なぜこんなにも緊張するのだろう......。
紗恵はゆっくりと玄関のドアへと歩を進める。気配を悟られないようにするかの如く、足音が立たないように慎重に歩いている。
その姿を見て、思わず吹き出してしまった。
「お前、本当に打ち明ける気あんのか?」
「あるに決まってるでしょ! あと、お兄ちゃんはどっか行ってて! 友達に見られたら叩くから!」
なんか怒られた。まぁ、吹き出してしまったのは申し訳ないと思っている。
だが、それで俺も紗恵も、緊張はほぐれたようだった。
紗恵はいたって自然な動作でドアノブに手をかける。俺は急いで和室へと駆け込む。
玄関のドアが開く音がしてから、声が聞こえた。
「どうも、紗恵先輩」
「由香ちゃん! どうも! さぁ上がって!」
俺は和室のドアを介して、二人の会話を聞いていた。
どうやら友達の名は、由香というらしい。
由香ちゃんッッッッッッ!! いい響きだ!!
記憶によれば、この子も可愛かったはずだ。あぁ、いいなぁ。
心配するな。変態の自覚はある。
「では、お邪魔します」
由香ちゃんは感情の読み取れない、平坦な声で言った。
こうして、二人は紗恵の部屋へと向かっていく。
紗恵の部屋は今もファンシーなグッズで溢れている。それを見せるということは、すぐにあの話をするというのか。
......信じるんだ。
バタン、とドアの閉まる音が聞こえる。
二人は紗恵の部屋へと入っていった。
俺も足音を殺して、部屋の前までたどり着く。
ドアに耳を当て、会話を聞く。
「あれ? 先輩の部屋ってこんな可愛いんですね」
「あはは......そうなんだよね。こういうの割と好きで......」
「想像と違いました」
「......え?」
「もっと、女の子っぽくない......というか、かっこいい部屋だとばかり思ってました」
「あの......その事なんだけどね」
関係のない雑談は一切せず、紗恵は本題へと切り込んだ。
「私が不良なのは、学校だけなの」
「......」
少しの間、沈黙が続いた。
由香ちゃんは、何を考えているのだろう。
友達からの思いがけない告白を受けて、どう返事をするのだろう。
固唾を飲み、見守る。
十秒ほどの空白が生じ、やがて由香は口を開いた。
ドア越しでも分かる。冷たく、棘のある声色で、冷酷に告げた。
「そんな人だとは思いませんでした」
その瞬間、部屋のドアが思い切り開かれる。勢いがありすぎて、耳を澄ましていた俺の顔にドアがぶつかり、俺は悶絶した。
そんな俺には目もくれず、由香ちゃんは全速力で廊下を駆ける。玄関までたどり着くと、素早く一礼だけして出ていった。
いきなりの出来事に困惑していると、紗恵は嗚咽を漏らし、その場に跪いた。
涙で床が濡れている。静かな家に、妹の微かな泣き声が響く。
俺は、声をかけてやろうとするが何も思い浮かばない。
こういった時、気の利いた言葉の一つも思いつけない自分に苛立ちを覚える。
代わりに、紗恵の肩に手を置いた。
「触らないで!!」
その手はすぐに払いのけられ、紗恵は部屋から出ていってしまった。
俺は呆然と突っ立ったまま、思考が止まった。
九話 俺にできること
友達を信じて、本当のことを打ち明けた。
なのに、迎えた結末は刺すように冷たい。
『そんな人だとは思いませんでした』
俺は、俺は。
どうすればいいのだろう。
正直、大したことはないと思っていた。
不良が偽りだと打ち明けても、その程度のことで仲が悪くなる訳が無いと。
『触らないで!!』
どれだけ考えても、答えは出てこない。
思考はただただ、暗闇の中を彷徨うだけ。
だが、悲しいかな、時間は刻一刻と進んでいく。結論が出るまで待ってはくれない。
明日は、やってくる。
*
由香が家に来てから、次の日の朝。
昨日の出来事が頭に張り付いたまま、俺は学校を目指す。
今朝、紗恵に何か声をかけてやろうと思ったが、一向に部屋から出てこない。
扉をノックしても「今日は休む」と平坦な声で言われ、それっきり返事はしてくれなかった。
学校に到着して、授業が始まる。
当然、内容は頭に入ってこない。
紗恵に対して何をしてあげられるか。
それしか考えることはできない。
だが、特にいい案が浮かんでくるわけでもない。
……本当のことを打ち明けて、それを拒絶されてしまえば、覆すのは困難だ。
どうにかしないと……。
「裕二ぃ? そんな暗い顔して、どうしたんや」
いきなり話しかけられて驚いた。
いつのまにか授業は終わっていた。
そこで、いつまでも席に座って難しい顔をしている俺を見て、友達の端谷が声をかけてきたのだ。
「ん? いや、なんでもねぇよ」
別に、わざわざ何があったかを話す必要はない。
紗恵のことを勝手に話すのは、流石に気が引ける。
「大丈夫なんか? 明らかに浮かない顔してるけどな〜」
「ちょっと寝不足でな。だから、静かに寝かせてくれよ」
嘘をついた。いや、夜中まで考え込んだせいで寝れていないから、事実ではあるか。
とにかく、適当に濁して……。
「でもなぁ、」
端谷はいきなり真剣な顔をして、俺に話しかけてくる。
声は優しくて、諭すように。
だけど、とても頑丈で、芯があるように聞こえた。
「もし何か悩んでるんやったら、今のお前は最悪やな」
「何がだ?」
的をつかれたようなその言葉に、思わず食いついてしまう。
「おっ、反応するってことはやっぱり何かあるんやな?」
「違ぇよ。……ちなみに、何が最悪なんだよ」
「悩み事がある時には、思い詰めるんやないで。視野を広く持つんや」
「……お前、そんなこと言うキャラだっけ?」
「お前がいつにも増してヒドイ顔してたからなぁ」
*
「視野を広く、か」
帰り道にて、俺は端谷から言われた言葉を思い返していた。
その場では軽く流したが、端谷の言葉は俺を強く揺さぶった。
視野を広く持つ……。
俺は、昨日の出来事を最初から思い返すことにした。
『お邪魔します』
それから、部屋に入って……。
『あれ? 先輩の部屋ってこんな可愛いんですね』
……ん? 紗恵のファンシーな部屋を見てもそこまで驚いてはいなかった。
紗恵が不良であれば、あんな可愛い部屋になるのはおかしい。
それでも由香が驚かなかったということは……。
「由香が怒ったのには、何か他に理由がある!!」
我ながら名推理じゃーん。
だが、それが合っているかは分からない。
由香に直接聞かなければ。
なぜ早くそうしなかったのか、自分が不甲斐なくなる。
……やるべき事はできた。
後はそれを実行に移すだけ。
由香が、本当に不良ではない紗恵が嫌いなのであれば為す術はない。
だが、何か他にあるはずだ。
友達がいないボッチの俺が言うのもなんだが……。
友情は、そう簡単に切れたりなんかしない。
明日、由香の家に行ってみるか。
気分はスッキリした。悩むことはない。
明日には全て分かるのだから。
十話 友達を信じる。
由香の元へ、話を聞きにいく。
俺一人で行こうかと思ったが、あくまで俺は二人の仲直りを助ける役目だ。
紗恵がいなくては始まらない。
*
放課後。徐々に空が赤みがかっていく頃合に、俺は紗恵の部屋のドアを優しく叩いた。
「話がある……大事な話だ。出てきてくれ」
ドアの向こうから、冷たい声があった。
「何しに来たの」
「大事な話があるって。お願いだから、聞いてくれ」
金属の軋む音がした。おそらくベッドから身を下ろしたのだろう。
しばらくして、重いドアが少しだけ開く。
そこから、顔だけを覗かせながら怪訝な顔をして問いかけてくる。
「どうしたの、大事な話って……」
俺は、少しばかり開かれたドアの隙間から部屋の中を覗いた。
何も見えない、真っ暗。
その暗闇に侵されたのか、紗恵の顔も浮かない。
きっと、俺が何のことを話そうとしているのか、あらかた検討がついているのだろう。
だが、話さなければ始まらない。
紗恵の顔に浮かぶ暗闇も取り払うことは出来ない。
「……由香の話だ」
短く、告げた。
紗恵はその一言を耳にして、逃げたりなどしなかった。
ただ、無言で俯いている。
「由香が……紗恵をあんな風に言ったのは、何か理由があると思うんだ」
「理由……」
ぽつりと、その言葉を咀嚼するように小さく呟く。
「私が嫌われたのは……私が不良じゃなかったから」
事実を確認するように、機械的に口を動かしている。ただ、平坦に。
「それは違う」
きっぱりと、紗恵の中に渦巻く黒の感情を否定した。
確かに、紗恵の言っていることが合っているのかもしれない。
俺が考えていることは……それを裏付ける根拠なんてない。
だけど、確たる証拠がなくても、友達を信じてもいいはずだ。
「由香が怒った理由ってのは、紗恵が不良じゃなかったからではないと思うんだ」
紗恵は俯いた顔を上げた。
俺を見上げるようにして。
そして、掠れた声で問うた。
「……なんで?」
「それを、確かめに行くぞ」
*
由香の家までの道のりは紗恵に案内してもらうことになった。さすがの俺でも妹の友達の家を把握している訳ではない。そう、俺は断じて変態ではないのだ。
外に出る。
もう空は完全に紅に染まっている。
横に並んで歩く俺と紗恵の影は、道の奥まで伸びている。
「不安か?」
穏やかな街並みを一瞥しながら、静かに問うた。
「……少しだけね」
少しじゃないことぐらい、分かっている。
由香の家までの道のりは、計り知れなく重い。
「ああ……なら、お兄ちゃんが手でも繋いでやろうか?」
――お兄ちゃんのバカ――
そう返されると思っていた。
いつものやり取りをして、少しでも元気づけてあげようと思ったから。
その予想は、外れることになる。
「……繋ぎたい」
身長差を利用して、上目遣いで甘く囁いてきた。『小悪魔』という言葉が似合う……。
お前!絶対わざとだろ!!
……そう思いながらも、静かに手を近づけていく。
……前にも言った気がするが、こういう時に抗えないのが男という生き物なのである。
華麗で、白く細い手の指先に触れる。
その瞬間、隣から甘い声が聞こえてきたのは気のせいだろうか。……気のせいということにしておこう。
そして自らの手を、小さな手のひらへと向かわせていき……。
その時、身体中に電流が走るような感覚に襲われた。
反射的に手に力が入る。
脆い手を強く握ってしまう。
慌てて力を緩めた。
この、か弱く小さな手は繊細で、少し乱暴にしてしまうとすぐに壊れてしまう。
そのような印象がある。
だからこそ、こんなにも惹かれるのかもしれない。
そして……。
痛くはなかったか、確認するために隣を見ようとした時。
手に圧が加えられた。
とっさに自分の手へと視線を落とす。
紗恵が、握り返してきている。
小さな手で、力強く。
この時、身体中に二度目の電流が走った。
言葉はいらない。
二人で、お互いを強く握り合う。
その可憐な手から与えられた温度は、とても暖かかった。紅に染まっている空の色に相応しい、優しい温度だ。
「……つ、着いたよ」
ポツリと言われた。
手に意識を集中させていたため、どれだけ経ったのかは分からない。
正面には、どこにでもありそうな一軒家が建っていた。住宅街に溶け込むようにして。
俺は早速、インターホンに手をかざす。
その手には、まだうっすらと温もりが残っている。
それを感じて、改めて後ろを振り返り、問う。
「準備はいいな」
紗恵は正面に聳える家をじっと見つめながら、力強く頷いた。
直後、聞き慣れた電子音がとある家に響き渡ることになる。
十一話 こんなラッキースケベ望んでない!
やがてインターホンから凍った声が聞こえてきた。
「あなた達、何しに来たんですか」
刺すように冷たく放たれた言葉に、紗恵は思わず後ろに一歩下がってしまう。
とても威圧的な声色だ。無理もない。
そんな紗恵の姿を見て、俺から口を開こうとした瞬間に、紗恵はそれを手で制した。そんなことはするな、と。
紗恵は本気で仲直りがしたいと思っている。それは一目見て分かった。
紗恵はインターホンに向かって言った。
震えながらも、最後まで。
「私、由香ちゃんと話がしたいの……。なんで怒っちゃったのか、私は何をしちゃったのか」
「……」
沈黙があった。
ただ俺達は由香の返答を待つしかなく、ひたすらにインターホンを見守る。
ため息が聞こえた……乾いたため息が。
やがて正面に聳える家のドアが、ガチャりと音をたてて、ゆっくりと開く。
由香がいた。
俺達に怒りの眼差しを向けて、そこに立っている。
……俺は驚いた。
何故かって? その由香が真っ白なシャツに、黒いジャージのズボンだったからだ。
俺は顔には出さないよう密かに絶望した。
今まで抱いていた夢が一挙にして崩れ去った。
どんな夢を抱いていたのか? 聞かないでくれ……。
一人で絶望の淵に立っている俺を置き去りにして、由香は言った。
「…………入ってください」
*
家の中は整頓されていて、とても清潔感があった。無意識に自分の家と比較してしまう。こんな家に住んでみたいなぁ、と。
俺達は無言で歩く由香の後を追っていく。
案内? されているのだろうか。
階段を上りきった正面に、一つの扉があった。
「ここが私の部屋。飲み物取ってくるから中で待ってて」
険悪な雰囲気を出しながらも、そういうところはキチンとしていることに感心した。
俺は、由香が一階へ戻ったのを確認してバレないように紗恵へ耳打ちした。
「良い奴じゃねぇか」
「そうだよ! 由香ちゃんはとっても優しい人なんだから!」
「だったら尚更、仲直りしねぇとな」
「……うん」
俺はドアに手をかけた。
扉の先にはどのような花園が待ち受けているのだろうと心を踊らせながら。
先程に夢を打ち砕かれたので、期待は禁物だが……。
中へ入る。ひとまず衝撃を受けた。
……何もない。
厳密に言えば、ベッドやテレビなどの必要最低限の家具はある。
だがそこに彼女らしさがない。
必要だから置く。無駄なものは一切ない。
一人暮らしを始めたばかりの大学生の部屋のようだ。
そこに物はある。
だけれど、そこは空であった。
咄嗟に紗恵の顔を見る。
彼女も同じく俺の顔を見ていた。
お互いに顔を見合せ、傾げた。
「何も置いてないんだな」
「……由香ちゃんはちょっと変わってるところがあるからね〜」
フォローになっているのか、と疑問に思う。
二人で床に座り、由香を待つ。
言葉を交わすことはなく、静かに由香の帰りを待っていた。
微妙に気まずい空気に負けた俺は、
「ちょっと、由香のこと手伝ってくるわ。三人分の飲み物だと大変そうだし」
言ってからドアノブに手をかけようとしたその時、勢いよくドアが開かれる。
目の前には、おぼんを抱えた由香が
「なっっ!?」
由香は突然目の前に俺が現れたことに驚いたのか、体勢を崩してしまう。
おぼんにお茶の入った三つのコップを乗せたまま、盛大に俺の方へと倒れてくる。
「ちょちょっっ!」
ドスン、と床に叩きつけられる音が響いた。
「痛っ! ってか冷た!」
思い切り床に叩きつけられたのだが、カーペットが敷いてあったのでそこまでダメージは大きくなかった。
というか、お茶が全身にかかってしまい冷たさの方が勝っている。
「何やってるの!?」
紗恵が俺に言い放った。
「ああ、心配は無用だ我が妹よ! この通り無事だ!」
そう言って自らの体を確認しようとした時、俺は紗恵の言ったセリフの本当の意味を知る。
目の前に、俺と一緒に倒れたはずの由香がいた。俺に覆い被さるように横たわっている。
俺の胸の位置に頭が来るようにして。
その瞬間、体の様々な感覚が機能を取り戻した。
――――甘い匂いがする……。柔らかいのが当たってる……――――
というか流石にまずいんじゃないか!?
妹の友達とそういうのはダメだ!!
健全な男子高校生の裕二よ、理性を思い出すのだ!!
……何度も言っているが、こういう場面で抗えないのが男である。世界中の男子諸君よ、そうだと言ってくれ。
その体勢のまま、頭がお花畑になっていた俺だったが、頭に衝撃が走った。
頬を強く引っぱたかれる。
ビンタ!?
頬がヒリヒリとする。
やっと正気に戻った俺は急いで由香をどけてお花畑という名の泥沼から抜けだした。
「お兄ちゃん!! 何やってるの!? 妹の友達に手ぇ出すなんて最低! 人間のクズ!」
可愛く張った声で言われた。
普段、紗恵に罵られても何も思わないのだが、ここまで言われると流石に傷つく。
それと同時に腹が立った。
「今のは俺のせいじゃないだろ! つまづいて転んだだけだ! 不慮の事故だよ!」
「でもお兄ちゃん、由香ちゃんと重なった時に凄く気持ちよさそうな顔してた!」
「表現を自重しろ! 言葉のチョイスがアウトなんだよ!」
この兄にして、この妹ありだ。
「二人とも!」
あーだこーだ言い合っていると、由香が大声で制した。
「すまん、紗恵が色々言ってくるから……」
「それはお兄ちゃんでしょ!?」
由香がますます呆れ顔になっていくのが分かったので、急いで言い合いをやめた。
改めて由香の方を見る。
……顔が赤かった。
赤面した由香を見て、俺は自責の念に駆られる。
――俺はなんて愚かなことを!!――
由香は恥ずかしそうに俺の顔を見つめながら、
「タオル……持ってきます」
「……ありがとう」
冷たい空気はおかげで拭われたが、これはこれで気まずいものである。
ここから大事な話をすることを考えると頭を抱えてしまう……。
はじめまして、中学三年生のひなざむらいです。
『カクヨム』にて連載していたものをこちらに投稿させて頂きました。
小説執筆を始めて間もなく、まだまだ未熟ですのでアドバイス等ございましたら是非お願いします。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
続きもどんどん書いていきます。
ヤンキー仲間の由香も、割と大人しいタイプ!?