覚書/車輪と水車
Ⅰ 車輪
・車輪は、紀元前3500年:メソポタミア(シュメール文明)で登場。丸太の輪切り二輪一対、軽四輪をソリのカート下にはめ込むことから始まる。その後、軽量化のため、組み合わせ式の板材が用いられる。さらに、元前2000年、エジプトで、車軸から車輪に向かって放射状に伸びる棒状部品「スポール(輻:や)」が開発される(1,2)。
・紀元前3100年:スロベニア遺跡で車輪が出土(2)。
・紀元前3400年:メソポタミアに伝播(2)。
・紀元前2300年:メソポタミアで馬車が使用される(2)。
・紀元前2000年:中国で馬車使用(2)。
・紀元前1200-1400年:ヒッタイト帝国(ハットゥシャの帝国)隆盛。当時の「世界」近東で、エジプト新王国、中アッシリア帝国やミタンニ帝国と覇権を争う(3)。ヒッタイトの「鉄」は有名だが、鉄以上に、戦車(馬車)の効果的な活用が戦局を有利にさせたという。
・紀元前1000年:ケルト人が戦車車輪の外側に鉄を巻きつける(2)。
・平安時代(8-12世紀):日本の平安京で牛車が使用される(2)。
・江戸時代(17-19世紀):大八車が使用される(2.3)。
・19世紀・鉄道用の車輪が発達する(2)。
・1870年代:空気入りタイヤと針金スポーク車輪が発明される(2)。
引用:
(1)新学習図鑑シリーズ24『発明発見の歴史』小学館1973
(2)「車輪」wiki
(3)「ヒッタイト」wiki
(4)「大八車」wiki
Ⅱ 水車
水車は、明らかに車輪の応用である。
紀元前100年ごろ、小アジア(現トルコ)で発明。古代ローマに伝わり、欧州各地に伝播し製粉用に用いられた。10世紀の中世欧州では工業用の動力として用いられた(5)。
中国の漢代(紀元前206-紀元220年)、(恐らく脱穀用に)用いられる。宋代(紀元960 - 1279年)に紡績用に水車が用いられる(5)。宋代から景徳鎮の陶磁器生産が始まり、明代(1368 - 1644年)に宮廷用の焼き窯「官窯」が置かれる(6,7)。――筆者はNHKの番組で、現代景徳鎮の窯元工匠が、「電気だと磁鉱石を砕くとき、均一になってしまい脆くなるなるので、あえて昔ながらの水車を使っている」というインタビューを聞いたことがある。
イスラム圏では、農業用・製粉に用いられたが、欧州のように工業用原動力として使用されることはなかった(5)。
日本では、『日本書紀』推古18年(610年)高句麗僧・曇徴が、碾磑という水車で動く臼を造ったといわれ、平安時代の天長6年(829年)良峯安世が諸国に灌漑用水車を作らせたとある。以降、鎌倉時代『徒然草』、富嶽三十六景の「隠田の水車」に記載や絵画描写が残っている。現在も木製の水車を作成する水車大工が健在だ(5)。
他方、朝鮮半島では、高句麗滅亡後に水車製造技術の継承が途絶えたらしい。室町時代第1回朝鮮通信使(1429年、正使:朴瑞生)や、江戸時代の11回朝鮮通信使(1764年、正使:趙曮)が、日本の水車の普及に驚いた事が記述。自国で生産しようとしたが失敗し、日本統治期でようやく製造が再び可能になった(6.8)。
引用:
5「水車」wiki
6「景徳鎮」wiki
7「陶磁器」wiki
8「朝鮮通信使」wiki
Ⅲ 竜骨車
竜骨車は水車の応用だ。ポンプではないが、ポンプのような役割をする。
竜骨車は、用水から水田に水を組み上げる揚水機だ。中国で発明され、日本にも伝来した。その名の由来は、「竜の骨格」に似ているところからきている。水樋の中で、数多くの板を取り付けた無限軌道を回転させ、樋内の用水を掻きあげる。(人力脚駆動のベルトコンベアのようなもの)。とても複雑な構造なので、故障が多かった。このため、江戸時代(17世紀)の大阪で、シンプルな構造で壊れにくい、(やはり人力脚駆動の)「踏車」が発明されると、18世紀ごろには淘汰されてしまった(9)。竜骨車の運転方法は、中国の明末(17世紀)の宋応星が産業図鑑『天工開物』で、図解している(10)。
引用:
9 「竜骨車」wiki
10 宋応星 平凡社ライブラリー,改訂新版『天工開物』2022年
ノート20221114




