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過去を覗いてしまった男  作者: 此道一歩
22/25

対 決

 一方、相手側の弁護士から電話があったことを慎吾から聞いた川本は、信じられなかった。

慎吾が、「代理人に任せていますので」と断ったから良かったようなものの、彼女はかなり頭にきてしまった。


 そしてその翌日、川本は柿本弁護士から電話を受けた。

『近日中に、静岡に来ることがありますか?』と、いとも簡単に尋ねる彼に

『いえ、その予定はないですね』川本が冷たく答えると

『えっ、まさか、われわれに上京しろっていうことじゃないですよね?』なんともその言い方が腹立たしい。

『あなた、私に接見したくて電話してきたんじゃないんですか?』

『そうですよ……』

『それでは、あなたがこちらに出向くべきじゃないんですか?』

『まあ、そりゃ、あなた、同じ弁護士だってねー、やはり格の違いっていうのがあるじゃないですか? あまり粋がらない方がいいんじゃないですか……』

『もう結構です。私共からお話しすることはありませんので、対応いただけない場合は、訴訟に踏み切りますので……』

『ははは、ははっ、あなた、国選弁護しかやったことないんでしょ。あんな証拠で勝てると思っているんですか? 愚かですよ。うちの所長は、県の弁護士会、会長ですよ。遺族のために、適当なところで手を打つべきじゃないですか……』

『ほかに要件がなければ、これで失礼しますよ』

 カシャッ


 川本は頭に来ていたが、それでも、相手が裁判で勝つことしか考えていないことを知って微笑んだ。

「アホかっ、負けたって世論が味方してくれるよ。それだけの証拠だよ。お前こそ裁判やったことあんのか、このボケ」

川本は独り言をつぶやいたものの、はっとして周囲を見回したが、事務所に誰もいようはずもなかった。


 一方、柿本もはらわたが煮えくり返っていた。静岡ではほとんどの者が、名田法律事務所と聞けば、下手に出てくるのに、東京にいるこの小娘は何も知らないのか、思い知らせてやるからなと思っていた。


 中杉開発に顔を出した柿本は

「まあ、世間知らずの小娘ですよ。こっちに来る予定はないかって聞いたら、俺たちに上京しろって言いましたよ。まあ、話し合いが進めば、そのうちに自分の愚かさに気が付くだろうけどね」

 呆れたように話したが


 この人は駄目だ、力で押し通せると思っているのか…… それにこの態度は何があってもいただけない。

 仮にもし、裁判になって勝ったとしても、会社の受けるダメージは計り知れない。裁判云々じゃない、あの文面通りの証拠があれば、世論は中杉を罵倒する、何とかそれだけは避けなければ……

 総務部長の中山は冷静に分析していた。


 それでも最終的には、中山が日程調整し、社長の中杉裕也、中山総務部長、そして柿本の3人が3日後の土曜日、午後1時、川本の事務所を訪ねた。


 3人が事務所に入ると、すぐに中杉と中山は名刺を出して挨拶をしたが、柿本は横を向いたままだったので、中杉社長が、「そちらが顧問弁護士の柿本先生です」と紹介したが、彼は首を傾げて苦笑いしただけだった。


 3人がソファに座ると

「ちょっとコピーして欲しいものがあるんですけど、事務員さんは?」明らかに馬鹿にしたように柿本が尋ねた。

「事務員はいませんので、その辺のコンビニでお願いします」川本も負けてはいなかった。

「大変ですね、客が来てもお茶を出す人もいないし、下手間をしてくれる人もいないんじゃ、なかなかいい仕事ができないでしょ」

「そんなことをお話に来たんですか?」中杉と中山は川本が相当に機嫌を損ねていることがよく分かった。

「じゃあ、さっそく話しますか? 私も忙しいのでざっくばらんに話しますが、いくら欲しいんですか? まさか3000万払ってもらえるとは思っていないでしょ」

「いいえ、思っていますよ。文書でもお知らせしましたように、3000万円を返還いただけない場合は、訴訟に踏み切ります。」

「あなたねー、まだ若いからねこの世界のことがよく分からないかもしれないけど、うちの所長は県の弁護士会会長ですよ。今日なんて、日本弁護士会の会長から呼ばれて、打ち合わせに行っていますよ、そんな事務所相手にしてあなた一人で何ができるんですか、それに、吉田は証言しないですよ」

 彼がどうだと言わんばかりに苦笑いをすると、川本は、そんなことはどうでいいと思っていたが、総務部長の中山は、こいつが吉田に接触したのか、と直感した。


「中杉さん、私はね、あなた方が来られたのは、3000万を返却した後の会社の身の振り方について、相談に来たのかと思ったんですよ」川本は思ってもいないことを口にした。

「は、はい」

「だからお会いしたんですよ。だけどその3千万を少しでも何とかしたいなんて、そんなことのお話なら、これ以上は時間の無駄ですよ。お引き取り下さい」


「川本さん、何を言ってんですか、吉田は証言はしないって言っているんですよ。裁判にならないでしょ」

「さあ、それはどうでしょうか、あなたが説得に行ったのかもしれないけど、別にしないのならしなくても結構ですよ。徹底的に叩きつぶしますから!」

「社長、帰りましょう、世間知らずのお嬢ちゃまと話しても、何の解決にもならないですよ」

 柿本が笑いながら中杉に目を向けた後

「おい、お嬢ちゃん、今の言葉忘れるなよ! 絶対に後悔させてやるからな!」

 川本に向かって言葉を吐き捨てた。

「か、柿本さん」総務部長が制止しようとしたがどうにもならなかった。


 柿本が立ち上がって出口に向かうと、中杉と中山もその後に続いたが、事務所を出たところで、すぐに中山が折り返してきた。

「川本先生、本当に申しわけないです。あの柿本は帰らせますので、この後、社長と私にもう一度お時間をいただけないでしょうか?」

「ええ、かまいませんよ」

「ありがとうございます」お礼を言った中山はすぐに、自分たちはよるところがあるからと、柿本だけをタクシーに乗せ、二人は川本の事務所に引き返した。


 二人が事務所で川本に平身低頭して謝ったあと、

「川本さん、私は、返還するべきだと考えています」中杉が意を伝えると

「ちょっと待ってください。それは橋本さんが無罪だということを認めるということですか?」

 中杉開発㈱との訴訟に向けて既に準備を進めていた川本は驚いた。


「もちろん個人的にはそう思います。しかし、会社への影響を考えると、できれば内内で処理したいという思いがあります。戸田さんがあの3000万円を返還することでご理解いただけるのであれば、わが社としては、それに応えたいと思います」

「ご理解できないですよ!」川本が声を荒げた。

「えっ……」中杉は彼女の突然の豹変に驚いたが

「やはりそうですよね」中山が口を挟んだ。


「それだったら、支払っていただかない方が都合がいいですよ」

「えっ、」中杉はただ唖然とするだけだったが

「無罪を周知したいんですよね」再び中山が川本に目を向けると

「それ以外の狙いはないですよ」川本が苦笑いした。


「さき程のおっさん弁護士は、勝てばいいって思っていますよね。会社が受けるダメージは全く考えていないですよ。あんな馬鹿を視ていると腹が立ちますけど、ある意味、ほっとしているところもあったんです」


「やはりそういうことでしたか……」中山が唇をかみしめる。


「だいたい、吉田さんが証言しないかもしれないなんてことは最初から計算していますよ。でも、彼女は、あの告白が嘘だったなんてことは絶対に言いませんよ。勇気のない気の弱い人ですけど、自分の罪は悔いていますからね。」

「……」

「あれは真実ですよ。私の前で涙を流しながら告白したんですからね。その録音ももっています。世論を動かすには十分ですよ。だとしたら、あの3千万は理屈抜きで戸田さんのものですよ。戸田さんのもとに返って当然でしょ。そのうえで、じゃあ、無実の罪を背負ったままこの世を去った橋本さんはどうなるの、奥さんはどうなるの、戸田さんは3千万を取り返したんだから今までの苦悩は忘れろって言うの?」

「いや、そういうことでは……」中杉は慌てた。

「でも、あなたが言っているのはそういうことですよ。戸田さんは、決まっていた大学へも行けず、名を変えて…… 就職ではいいところまで行っても、最後に父親の話をすると、すべて駄目になったそうです。それでも彼を救ってくれた会社があって、何とか普通の生活が始まりました。でもまた、心ない者に父親のことを暴露され、恋人も去っていき、会社を去ることを決心しました。ただ、そこの社長は、そんな方ではないので、対策を考えてはくれましたが、それでも彼は、会社に迷惑をかけたくないと言って…… わかりますか? 彼のこの苦悩がわかりますか?」

 川本は瞼に涙を浮かべ懸命に慎吾の苦悩を語った。


 しばらく沈黙があった。


「橋本さんの無罪を証明しないと、彼は前に向いて一歩を踏み出せないんですよ。私が願うのはそれだけなんですよ」


「川本さん……」中山は、こぼれ落ちる涙をぬぐいもしないで話し続ける彼女を見て、川本彩子と言う一人の人間に魅せられてしまった。


「裁判の結果がどうなろうとも、週刊誌は、この証拠には飛びついて来ますよ。もう既に3社とは話もできています。必ず世論がついて来ます。そうすれば橋本さんの冤罪が周知の事実になってしまいます。そのうちには、父親の無実を証明した戸田慎吾の独占記事を出しますよ。吉田由紀子が証言してもしなくても、どうでもいいですよ、裁判の行方なんてどうでもいいですよ。中杉開発を徹底的に叩いてやろうって思っていたんですよ」


 しばらく沈黙の中で中杉は遺族の苦悩を思っていた。


「そりゃ、そうですよね。つぶれても仕方ないのかもしれないですよね。母は覚悟はしているんです。でも、もし…… って思った私が愚かでした」

 中杉は都合よくなんとかできないだろうか、と考えていたことの愚かさを今更ながらに痛感していた。


 しかし、真摯に向き合おうとするこの二人を見て

「中杉さん、この事件は、おそらくあなたやあなたのお母さん、会社には関係ない話なんだろうって思うんですよ」川本が再び話し始めた。

「はい、ありがとうございます」

「でもね、世論はそれを許さない。それを言い訳にすると必要以上に叩かれますよ」

「そうですね」


 その様子を見ながら、中山は次の言葉を期待していた。


「だけど、それを認めればどうでしょうか?」

「えっ」

「認めた上で、真摯に戸田慎吾に向き合うことを明言すれば、世論はどう動くでしょうか」


「むしろ、称賛してくれるかもしれないですね」中山が微笑んだ。


「……」川本もそれに応えて小さく頷いた。


「川本さんは、その方向で動くのであれば、理解していただけると思っていいのですか?」

 中山が身を乗り出した。


「もちろんです。御社にだってたくさんの従業員の方がいらっしゃる。後味の悪い結末よりも、笑顔でいられる方がいいですよ」

 二人は納得して事務所を後にした。



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