屑弁護士
一方、ここまで一郎と親しくしていた柿本は、これまで金をもらったり、女を世話してもらったことなどもあったため、無下にはできないと思い
「近いうちに話をつけるから、しばらくは静かにしておいた方がいい」と一郎を説得し、裏では手のひらを返したように新社長、中杉裕也に近寄って行った。
裕也は不快極まりなかったが、賠償請求の問題もあり、この件が片付くまでは、彼に頼るしかないと考えていた。
その柿本は、川本からの返還請求に目を通すと、高笑いをして、
「相手方の弁護士を調べてみますので、火曜日まで時間をください」と言うと、その足で名古屋の吉田由紀子のもとへ急いだ。
中杉の代理人だと聞いた吉田は驚いたが
「あなた、あの川本っていう弁護士のことを知っていますか? あることないこと並べて相手を脅しにかかるんですよ。彼女の所業は、弁護士会でも問題になっているんですよ。何を言われたのか知らないけど、最後は金なんですよ。あなたが証言して何が変わるんですか……!」
「でも、無実は証明してあげないと…… 」
「あのね、あなたは何も知らないからそんなことを言うんですよ……」
「どういうことですか? 」
「あの橋本貴文は、あの事件の前に、隠し金庫から1千万円を着服しているんですよ。問い詰めた社長に、あの男がなんて言ったと思います?」
「……」
「『警察へ行けばいいですよ。裏金なんだから、あったことの証明なんてできないですよ』って言ったんですよ」
「し、信じられない……」
「その時にね、社長が目を真っ赤にして私の処へ相談に来たんですよ。でも、さすがにどうにもならなかったですよ」
「確かに今回の3千万円は冤罪なのかもしれない、でもね、私は社長の気持ちもわかりますよ。それに彼はあなたのことを愛している。あなたがいたからあんな家でも我慢できたんだって言ってましたよ。」
「ほ、本当ですか?」
「嘘言って何のメリットがあるんですか? 私はただの顧問弁護士なんですよ。あなたが証言してもしなくても、どうでもいいんです。でもね、中杉さんがあまりにもかわいそうですよ。会社のために頑張って来たのに、会社を大きくしたのはあの人ですよ。なのに、今頃になって、あなたとの浮気を理由に離婚を迫られて、一文無しで追い出されたらしいですよ。」
「そ、そんな……」
「でもね、あなたが証言を取り下げてくだされば、彼の権利を主張してあげることができる。だいたい、あの家では、彼が帰宅しても食事の用意なんてしていなかったそうですよ。洗濯物だって、自分で洗濯機を回していたらしいですよ。風呂だって、奥さんより先に入ったら、もう一度お風呂を洗ってから奥さんは入っていたらしいですよ」
「ひどい……」
「あの人は本当に気の毒ですよ。浮気だなんだって騒いでいるけど、そんな家庭にも問題があるんです。浮気だけが理由なら、彼が無一文で放り出されることなんて絶対にさせない。彼が一生暮らしていけるだけのものはいただくことができるはずなんです。でも、犯罪を理由にされてしまうと、何も言えないんですよ」
「かわいそう……」
「ある意味、あなたも被害者かもしれない、かつての裁判でも、証人Aと記されて、実名は報道されていない、でも、次に証人台に立てば実名が出ますよ。橋本は自業自得なんですよ。なのにあなたは誰のために今更、実名を出すんですか? 意味が分からない……」
「でも、録音のデータを渡してしまって……」
彼女が川本との話を説明すると、
「大丈夫です。金さえ渡せば引き下がりますよ。今までもそうしてやって来たみたいですよ」
「あ、あの人が…… 」
「とにかく裁判になっても、証言はしないと言って下されば問題はないんです。中杉さんは救われると思いますよ」
「わ、わかりました。すべてお任せします。あの人を…… あの人のことを助けてあげてください」
「でも、あなたが納得してくれたことで、裁判にはならないと思いますけどね」
帰途、柿本は静岡に向かう新幹線の中で、吉田由紀子が「証言はしない」と言ったことをどのように活用しようかと思案しながら、あれこれ試算をしていた。
個人的な利益につながりそうなのは、中杉一郎の離婚交渉で、中杉家から1億円の慰謝料を取ってくれば、報奨金3%、交渉費用、諸々、まして相手は一郎個人だから1千万は取れるだろと思っていたが、川本弁護士から要求されているの会社の返還金については、3千万を1千万にしたとしても、経済効果は2千万、10%と諸々で400万円、これについては事務所に入れないとまずいだろうなと思っていた。
「まっ、いずれにしても、当分は一郎と新社長の間でうまいことやった方がいいな」
最後は上手く立ち回ろうと考えていた。
そして、7/20の火曜日、中杉開発㈱にやって来た柿本は、裕也と新たに銀行から出向してきた総務部長の中山を前に、ソファにふんぞり返ると足を組んで、
「社長、任せてください。相手の川本っていう弁護士は、ほとんど経験もなくて、国選弁護で食いつないでいるような屑ですよ。300万も渡してやれば、喜んで決着しますよ」
彼は憎々し気な笑みを浮かべるといとも簡単に話したが、総務部長の中山は首を傾げた。
しばらく間が開いたが
「実は、もう一つ話がありましてね。前社長が来られて、離婚に際して慰謝料を請求してくれっていうもので、私は立場上お断りしたのですが、他の弁護士のところに行くって言うもので少しだけ待ってもらっているんです」
「3千万も横領して、慰謝料もないでしょ!」
「それがね、吉田は証言をしない、了解も取ったっていうんですよ」
「ええっ、じゃあ、橋本さんの遺族から来ている返還請求はどうなるんですか!」
「それとは別物で考えた方がいいですね。おそらく録音だってしているだろうし、吉田が証言しなくてもおかしな話になる可能性はありますから、橋本は橋本で話をつけておく方がいいと思いますね」
「そうですか…… 」
「でも仮に橋本さんの件は別にしても、浮気、会社の公金着服、贈収賄の証拠などもあるわけですから、離婚について言えば奥さんの方が要求したいくらいでしょ」中山が反論すると
「でも、それは奥さんも社長も、今までは目をつぶっていたんでしょ、裁判になればそこは突かれますよ」
「そうですか、ちょっと違うような気がするんですけどね」中山が首を傾げると
「素人さんにはわかりにくいところなんですよ、なんといっても法律の世界ですからね、私が客観的に考えても、やられそうな気がしますよ」
「わかりました。そこはまたお袋とも相談してみます。」
「そうですか…… なんでしたら、私が間に入って交渉してもいいですよ」
「そうですね、その時にはまたお願いします。」新社長は、中山の釈然としていない様子を見て、即答は避けた。
柿本が引き上げたあと
「なんか、変な話ですよね、吉田が証言しないって言っているのなら、3千万円の請求はなかったことになるんじゃないですか?」
「いや、そこは確かに柿本の言うように別の話として考えるべきでしょ。証言するかしないかはあくまで裁判になった時の話で、あの川本さんから提出された返還請求に記された吉田さんの告白が真実か否かが重要だと思いますよ。社長が真実だと思えば、わが社は裁判前に決着をつけるべきですし、真実ではないと考えるのであれば、争うことも一つの方法かもしれないですね」
「難しい話ですね」
「確かに、でも簡単に言えば、裁判になっても吉田は証言しないと言っているけど、あの告白を否定しているわけじゃないですよね。それに、吉田があの告白を否定したとしても、川本弁護士は何か、もっと狙いが違うところにあるような気がするんですよね」
「正直言って私にはよくわかりませんが、出て行った前社長には、食べて行けるようにはしてあげないといけないって思っているんです。少なくても、義理とは言え、父親だった人ですから……」
「わかりました。そこは、橋本さんのことの方針が出てから考えましょう。ただし、あの柿本は中には入れない方がいいと思いますよ」
「そうですよね、私もそう思います」
「それにしても、あの柿本は気分が悪いでしょ」裕也が苦笑いすると
「そうですね、何でしたら、うち(銀行)の顧問弁護士を紹介してもいいですけど、300万円で決着できるのかどうか見てみたい気もしますよね」
この50歳を過ぎたばかりの総務部長、中山はトラブルの生じた企業に出向しては、そこを立て直すような仕事をしてきた人間で、この中杉開発の前々社長から若い頃大事にされた銀行の現頭取が、状況を心配して、送り込んできた人間であった。
「でも、それだけで済ましてはいけないような気もするんです」社長が口にすると
「そうですね、金では済まない問題がありますよね、まっ、いずれにしても相手の出方もありますから、もう少し様子を見てみますか」
「はい、よろしくお願いします」裕也はわずかの間にこの中山は信頼できる人間だと思っていた。




