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過去を覗いてしまった男  作者: 此道一歩
20/25

中杉の事情 

 彩子は再審請求の手続きを進めながら、中杉開発㈱あてに内容証明付きで、3千万円の返還請求書を送りつけた。

 社長が不在だったため、その書類は専務の中杉裕也に報告された。


 書類には、吉田の告白が整理され、もともと現金が車には積まれていなかったことも明記されていて、裕也は恐れていた通りだと思い、すぐに家へ帰ると母親と話し始めた。


 この母、中杉陽子は中杉家の一人娘で、婿養子を迎え、裕也を授かったのだが、その夫が亡くなってしまい、当時先代から重宝されていた中屋一郎と再婚し、中屋一郎は中杉一郎となり、先代の亡きあと社長に就任したのであるが、女遊びの激しいこの一郎については、陽子も裕也もうんざりしていた。そんな時に起きた3000万円の横領事件だったので、陽子と裕也は、もしかしたらという思いはあったが、それでも裁判が確定し、胸をなでおろした。

 しかし、ここに来て、吉田の告白を知り、世論から逃れることができないと思った裕也は、何とかしなければと焦っていた。

 加えて、真実から目を背けていたことを恥じてもいたため、彼は前向きに検討せざるを得ないと思っていた。


「母さん、俺たちにも罪があるよ。あの時、嫌な予感はあったよね」

「そうね、もう別れた方がいいよね、会社は大丈夫よね」

「ああ、ちょうどいい機会だと思うよ。これ以上いられると、大変なことになる。他の役員連中からも急かされている」

「そうなの…… 」

「橋本さんへ誠意を示すことで、何とか穏便に済ませてもらえないか考えてみるよ。任せてくれるよね」

「もちろんよ」



 翌日、社長の一郎が不在のまま、取締役会が招集され、彼が解任された後、息子の裕也が新たに代表取締役社長に選任された。

 顧問弁護士を務める名田法律事務所の柿本弁護士はこの連絡を受け、慌てて中杉一郎に連絡を入れたが、愛人と東京で楽しんでいた一郎は、社用の電話をオフにしていたため、連絡がつかなかった。


 2日後、帰宅した一郎は怒り狂って、すぐに柿本に接見し、

「あの時、吉田が誰かと組んで、やっていたのかもしれない。あいつが橋本を陥れたのかもしれない」

 まさか自分との電話が録音されているなどとは思ってもいない彼は、罪を吉田由紀子に向けてしまった。


 こんな言葉を口にしてしまったが、一郎は、吉田由紀子のことを愛していた。

 彼が中杉の家に入った頃、社長である義父と、あまり自分には心を開いてくれない妻と義息子の3人に、彼は中杉の家が息苦しくて仕方なかった。ところが、ふと立ち寄った吉田由紀子のスナックで、彼は久しく忘れていたぬくもりを感じた。聞き上手な由紀子に愚痴をこぼし、彼女に慰められ、彼はほんのひとときの安らぎに救われるような思いだった。

 やがて先代が亡くなり、彼が社長の座に就いても、由紀子は決して何も求めてはこなかった。一夜を共にしても、決して何かを迫ってくるような女性ではなかった。そんな心地よさの中で心を許した一郎は、いつしか彼女に魅かれてしまっていた。

 そのうちには、6畳一間のアパートで生活しながら、息子を預けている名古屋の母に仕送りをしていることを知った彼は、彼女が愛しくてたまらなくなってしまい、時々、金を渡すようになると、もう少しまともな住居を捜してやりたいと思うようになっていた。

 しかし、そんな彼の懐を支えるのは、会社の公金であった。

 金が必要になって来た彼は、業者からのわいろを受け取るようになり、経理課に勤める甥の芝山健二に命じて、カラ出張を仕組んだり、架空の備品を購入させたりしながら、最初はわずかな金を懐に入れていたのだが、それもだんだんとエスカレートし、そのうちには、安定的な経営を維持するためには、裏金が不可欠なんだと慎吾の父親をも説得し、社長室に自らが管理する金庫を設置し裏金を増やしていった。

 実際に、無理な案件を依頼した場合、議員などへのお礼についてもここから支出されていたため、このことについては、慎吾の父親もやむを得ないと思っていた。


 そんな時、由紀子から、『息子の大学も決まり、名古屋の母親が一人になるのが心配だから、帰りたい。店を出すための資金を貸してくれないだろうか』と頼まれ、彼は何とかしてやりたいと思った。

 他の愛人を作りながらも、彼はいつも由紀子のことを故郷のように思っていた。今まで自分を支えてくれた女に2千万くらいなら出してやりたいと思ったが、裏金も3千万円少々となり、この事件を企てることになったのである。

 ただ、そこには、いつも金に目を光らせている慎吾の父親を疎ましく思っていた彼の思いがあったことも否めない。何とか彼を異動させようと試みたが、会社の金庫番は彼しかできないという義息子の専務や他の役員に反対され、社長である自分の思いが通らない腹立たしさがあったことも事実である。


 しかし、ここに来て、自分が犯人だということを暴露されてしまうかもしれないという危機感が、やむを得ず、吉田由紀子犯人説を打ち出してしまったのである。


「まあ、慌てることはないですよ。中杉開発を大きくしてきたのはあなただ。吉田さえ、封じ込めれば、この話はなかったことにできますよ」柿本は落ち着いていた。

「そ、そうなのか、でも、何度電話しても出ないんだ」

「大丈夫、私がどうにかしますよ、吉田が納得すれば、もう一度役員会を招集すればいいい」

「よ、よろしく頼むよ」


 話を聞いた柿本は、弁護士なら録音くらいはしているだろ、証拠として採用されないことを知っていても、誰かを追いつめるのには役に立つ。馬鹿でなければ、それくらいのことは考えているだろうと思っていた。

 それでも、吉田由紀子さえ押さえることができれば、録音など何とでも言い逃れができると自信を持っていた。

 たが、自宅に戻った一郎は、これまでの浮気やら、会社の公金着服、贈収賄の証拠を並べられ、場合によっては訴訟も辞さないという義息子の決意に、離婚届に印をつくと、自宅を出て、女の所に転がり込んだ。



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