嵐の二日前
「やっぱりあの二人が犯人なのか、親父、済まない」
彼は目頭を押さえた。今更ながらに父親を信じて前に向かおうとしていた母親の姿を思い出すと、涙があふれ、父親との縁を避けて生きて来た自分が情けなかった。
翌日彼は静岡県警の安藤に電話を入れて、健二と言う名前に記憶がないか尋ねた。
健二は、芝山健二と言い、経理課にいた父親の部下で、中杉社長の妹の息子だということが分かった。
『実はこいつにも目をつけていたんです。サラ金に借金が300万円位あって、事件の1週間後に全て支払いが済んだもので、金の動きを調べたのですが、中杉の家の貯金をおろして、それを芝山の通帳に振り込んで、芝山がその通帳から借金払いをしていて、気持ち悪いくらい、金の流れがはっきりとしていたんで、どうにもならなかったんです。それに、事件当日ね、中杉とこの芝山は社長室で話をしていたらしくて、当時の総務課長がそれを証言しているんです』
『そうですか…… その総務課長が嘘を言っているということは?』
『それはないです。誠実な人間で、決して警察相手に嘘をつけるような人間ではないです。』
『そうですか…… 』
『ただ、彼の取り調べには立ち会っていないので、実際に中杉を見たのか、声だけだったのかとか、その辺の詳細はわからないのですが、班長が取り調べたもので、しつこく聞くと怒りだしてしまって…… すいません』
『あっ、いえ、とんでもないです。ありがとうございます』
『でも、どうして芝山の名前を知ったのですか?』
『えっ、偶然耳にしたもので……』
『そうですか』
彼はその夜、ファミレス、サンシャインで川本と待ち合わせをしていた。
この頃から、彼は川本に会えることがうれしくて仕方なかった。まして今日は自信をもって報告できる案件がある。久しく忘れていた高揚感に彼は、うきうきしながら彼女を待っていた。
その時、注文を聞きに来てくれた若い男性店員が
「年上の彼女っていうのも、なんか、安心感があって素敵ですね」と微笑んだため
「えっ!」彼は驚いたが、それでも微笑んで小さく頷いてしまった。
(カップルに見えるのか…… でも、4歳年上か…… )
ふと、川本と二人で楽しく語らっている光景が瞼に浮かんだが
( いやいや、向こうは弁護士、俺は犯罪者の息子、ありえない )彼は苦笑いをすると脳裏に残った残像を打ち消してしまった。
しかし、この頃から、彼の頭の中では、弁護士川本彩子と、女性川本彩子が混在するようになってしまった。
時間ギリギリに入って来た彼女が慎吾の向かいに座ると
「川本さん、理由は言えないですけど、犯人がわかりました」慎吾が微笑むと
「えっ…… 」彼女はしばらく彼の目を見つめて動かなかった。
「わかった。理由は聞かないから、話してみて」
慎吾が、吉田が電話で話していた内容をすべて説明すると
「そうなの……」川本は唇をかみしめて一点を見つめた。
「それで、吉田はそのベージュの携帯を、奥の部屋の金庫の横に3段ボックスがあって、その一番下に仕舞って鍵をかけました」
「ええっー、リアルね、まるで見て来たみたい」
「見てきました」
「えっ…… でも、なぜなのかは言えない、ってことね」
「はい、すいません」
川本は、何か不思議なことが起きたのだろうとは思った。
電話の内容はほぼ彼女が想像していた通りだった。
しかし、次の一手が見えてこない、彼女は眉をひそめると目を閉じた。
とんでもないものでも出て来ない限り、再審の道は難しい。しかし再審の扉が開かなくても、世論を納得させるだけの証拠、あるいは証言が得られれば、それは無罪に等しい価値がある。でも、それがない……
本当にどうにかなるのだろうか…… そんな不安が川本を襲った時だった。
「川本さん、一度だけでいいので、食事を御馳走させてくれませんか?」
「えっ、そんなこと、気にしなくてもいいわよ」はっと我に返った彼女は慌てて答えた。
「でも、一度だけでいいんです。せめて、一度だけ」
「わかった。じゃあね、うちの事務所の近くに居酒屋ができたのよ」
「はい」
「一度、覗いてみたいんだけど、入っていくのはカップルが多くて、お一人様の私にはちょっと入りづらいのよ、一緒に行ってくれる?」
「はい、もちろんです」
その夜、帰宅すると川本の笑顔が脳裏をよぎった。彼女が食事の誘いを受けてくれたことで、慎吾は幸せだった。
しかし、ふと我に返ると
( あの人は同情してくれているだけ、それだけなんだ、なに変な期待をしてんだよ )
彼は懸命に自分に言い聞かせた。