駅ナカ文庫に恋は散る
私の最寄り駅の構内に、空き店舗を利用する形で設けられた、「駅ナカ文庫」っていう小振りの私設図書館。
そこで私の初恋は始まり、そして終わったんだ…
キッカケは、ほんの些細な事だったの。
朝の登校時、私は通学カバンに読書用の本を1冊も入れていない事に、駅の改札を潜ったタイミングで気付いたんだ。
根っからの活字中毒者である私には、電車の中を本無しで過ごすなんて考えられなかったの。
-売店で文庫本でも買うなり、スマホで電子書籍を読めば良いじゃないか。
そうツッコミを入れられそうだね。
だけど、駅の売店のラインナップはオジサン向けの雑誌や官能小説がメインだから、女子高生の私が読むにはハードルが高いし、私は紙媒体派だから電子書籍は合わないし。
そこで私は窮余の策として、駅ナカ文庫で手頃な本を見繕う事に決めたんだ。
平日朝の通勤通学時に、駅ナカ文庫に足を運ぶのなんて、私位。
そう高を括っていたんだけど…
「あっ、ごめんなさい…お邪魔でしたか?」
意外や意外。
駅ナカ文庫には先客が入っていたんだよ。
それも、私と同世代の男の子がね。
ハタキを手にしていたから、駅ナカ文庫の掃除をしていたんだね。
細身の長身を黒い詰襟学生服に包み、ご丁寧に学帽まで被った男子高校生。
太い眉はキリッと男らしく、それなりに目鼻立ちは整っていたの。
彼氏候補としては、ルックスはまあまあ及第点かな。
「いいや、大丈夫だよ。そろそろ終わる所だったんだ。こっちこそゴメンね、気を使わせちゃって。」
男の子は私に気付くと、詰襟のポケットにハタキを手早く仕舞ったの。
声のトーンは穏やかで、態度も紳士的。
まるで昔の少女漫画から抜け出て来たみたいな、爽やかな好男子だよ。
「ううん!私、電車の中で読む本を探しに来ただけだから、気にしないで大丈夫ですよっ!」
紳士的だけど、口調はフランク。
そんな男の子に釣られて、私も少しだけ砕けた喋り方になっちゃったの。
「ああ…でも、さすがにラノベは置いてないなぁ…読みたいミステリー系のは下巻しか残ってないみたいだし…」
だけど私は、借りる本を決めかねていた。
次の電車に乗らないと遅刻しちゃう。
そう焦れば焦る程、書棚の書名が目移りするよ…
「え…?」
逆手に持ったハタキの柄で、男の子が指し示した文庫本。
半ば褪せた黒い背表紙には、「江戸川乱歩傑作短編集」と書いてあったんだ。
「面白いよ。『屋根裏の散歩者』とか『心理試験』とか。学校の最寄り駅までどれだけかかるか分からないけど、短編だから区切りはつけやすいし。」
文庫本を抜くようにハタキで示しながら、男の子は快活そうに笑った。
そう言えば私、小学校の頃は学級文庫にあった「少年探偵団」シリーズをよく読んでたっけ。
「ありがとうございます、選んで下さって!良かった、これで諏訪ノ森駅まで楽しく読書出来ちゃう!」
喜色満面の笑みを浮かべ、文庫本を通学カバンへ詰め込む私。
鼻歌まで歌っちゃって、すっかり気が緩んでるよ…
「私、そろそろ行きますけど…学校、急がなくて大丈夫ですか?」
私の通う私立諏訪ノ森女学園の最寄り駅は、南海本線の諏訪ノ森駅。
この男の子の在籍校次第では、電車の中でお喋り出来るかも?
「僕は蛸地蔵高だからね。和歌山市方面の各停は、まだ来ないんだよ。」
思いっきり反対方向だね、それだと。
どうやら、デート気分の通学は諦めないといけないなぁ…
「じゃあさ…せめて、名前だけでも!私、私立諏訪ノ森女学園高等部2年の浅香マヤって言います!」
「えっ…諏訪女?まあ、いいか。僕は蛸地蔵高2Aの折口学。落ち着いてね。焦って階段から落ちたら、シャレにならないよ。」
男の子は一瞬だけ怪訝な表情を浮かべたけど、すぐに穏やかな笑顔に戻って、私を見送ってくれたんだ。
学校についてからも、私の頭からは駅ナカ文庫で会った彼の面影が離れないの。
せっかく選んで貰った文庫本も、未だに読み終えていないし。
「マヤちゃんったら、どうかしたの?朝のホームルームからこっち、ずっとニヤニヤしちゃってさ?」
お陰でクラスの友達の沢野蝶葉ちゃんには、こうして茶化されちゃったの。
「当ててみよっか?その顔だと、男が出来たとか?」
「うぐっ!?」
妙な具合に勘が鋭いんだよなぁ、この友達は…
お弁当のハムサンドを、危うく喉に詰まらせる所だったじゃない。
「彼氏とかボーイフレンドとか、そういうのじゃないんだけど…」
この際だから、蝶葉ちゃんには朝の出来事を打ち明けてみる事にしたの。
隠していたら、余計変な誤解を受けちゃうからね。
「へえ~?浮いた話の無かったマヤちゃんに、ようやく春が訪れたんだ!それは何よりだよ!」
話を聞き終えた蝶葉ちゃんは、新しい玩具を買って貰えた子供みたいに興奮していたんだ。
しばらく茶化されちゃいそうだね、これは。
「しかし、そのお話には妙な所が御座いますね。」
すると、自販機で緑茶のペットボトルを買い求めた少女が、長い黒髪を風に揺らして、私と蝶葉ちゃんの隣に腰を下ろしたの。
艶やかな黒髪と和風の細面が美しい我孫子羅依ちゃんは、私と蝶葉ちゃんの共通の友達なんだ。
「どういう事、羅依ちゃん?」
蝶葉ちゃんの問い掛けに、羅依ちゃんは上品に頷いて切り出した。
「詰襟の学ランとおっしゃいましたが、蛸地蔵高校の男子制服が詰襟だったのは10年前までの事です。現在はブレザーに移行しているはずなのですが…」
「えっ…?」
羅依ちゃんが言うように、あの男の子の制服は妙にクラシカルだった。
10年前に廃止された旧制服を着ているって、どういう事なんだろう?
応援団って感じじゃなさそうだけど…
まっすぐ下校した私は、駅員さんに話を伺う事にしたの。
あの男の子が、駅ナカ文庫の掃除を手伝っているボランティアだとしたら、駅員さんと顔馴染みのはずだからね。
「えっ…?駅ナカ文庫でハタキを持った男の子に?貴女、学君に会ったんですか?」
私の話を聞いた古参の駅員さんは、ひどく驚いた顔をしていたの。
駅員さんが言うには、折口学君っていう蛸地蔵高校の男子生徒が駅ナカ文庫のボランティアをしていたのは事実だけど、それは13年前までの話なんだって。
読書家の学君は駅ナカ文庫を大切に思っていたんだけど、病気に罹って死んじゃったんだ。
そして今日が、ちょうど13回目の命日にあたるんだって。
私の在籍校が諏訪ノ森女学園だと聞いた時、学君が変な顔をしていた理由が分かったよ。
諏訪ノ森女学園の制服は、3年前にリニューアルされたばかり。
スカートと同柄の青いチェックが用いられたセーラーカラーと、襟元を飾る細めのリボンタイは、今でこそ諏訪女のトレードマークだけど、その前はプレーンな紺色のセーラー服だったんだ。
13年前に亡くなった学君がイメージ出来る諏訪女の制服は、旧モデルの方のセーラー服だもんね。
「同年代の読書好きの子がいたから、学君も嬉しくなったんでしょうね。それは生前の学君が愛読していた本ですよ。」
「そ…そんな…」
駅員さんの声を聞きながら、私は文庫本のページを震える手で繰っていく。
「ま…学君…」
巻末には、「折口学」という古風な蔵書印が押されていたんだ…