トラック1:星に願いを
『KOtoDAMAの元メンバーにして、作曲家および名プロデューサー、流星ケイ』こと一条彗(旧姓:星森)は58年にわたる生涯を終えようとしていた。
(実に長い人生だった)
還暦も迎えずに世を去るなどあまりにも早すぎる、と世間は思うだろう。しかし彗にとっては充分すぎるほどに長い歳月であった。
KOtoDAMAなるロックバンドが突如としてヴォーカリストを喪い、程なくして解散を余儀なくされたのは30年近く前のことである。突然訪れた不幸は、彗たちに悲しみを抱かせる隙さえ与えなかった。或いは彗の方が、無自覚に己の心を殺していたのかもしれないが、ともかくもKOtoDAMAというロックバンドは、そうせざるを得ない状況にあったのだ。
虚無感、怒り、慈しみ、寂しさ、悔しさ、友愛……彼に抱くごちゃまぜになった感情を風化させないことこそが友として正しいことであると彗は判断した。
人は最初に声から忘れてゆくらしい。だから彗は彼を忘れないようにずっとその声を聴き続けた。思い出のいちばん大事な部分では、いつだって27歳の彼が笑っていた。
それ故に彗は、祈るように此方を覗き込む配偶者に一抹の罪悪感を覚えた。婿入りし、長年連れ添った愛しい女性が傍にいるというのに思い浮かべるのは戦友であった男の顔ばかりとは、なんたる不誠実だ。
病床に臥せてからというものの、外出のままならない彗はラジオを聴くより他なかった。彗は生来の音楽馬鹿であったため、才能ある若者の音楽に出会う度、もう少し長生きするのも吝かではないと考えたが、着実に近づく死の影をどうすることもできなかった。
人は最期まで聴覚を残して死んでゆくというのはどうやら本当のようだ。真っ暗な視界の中でラジオの音に耳をすませば、餞別だと言わんばかりにKOtoDAMAの歌が流れてきた。
彗は僅かに口角をあげた。なんて幸福な幕引きだろう。とてつもなく良いタイミングじゃないか! あいつが迎えにでも来たのか? そういえば、人は死んだら何処へ行くのだろう。何より先ずはあいつに会って三発ほどお見舞いしてやりたいのだ、おそらくまだ元気でいるであろう残りの二人の分も含めて。それから話したいことが、聞きたいことがたくさんあって……もしまだ新しい歌でも作っているなら、それも是非聴いてみたい。ああそういえば、自分もあれからたくさん曲を書いたんだっけ。あの楽譜の束をどうするか結局決めていなかったけど、そのへんはあのひとが何とかしてくれるだろう。
(悪くない人生だったよ、でも何でお前がこんなにも早く死ななきゃいけなかったんだろうなって……それだけが納得いってないんだ)
叶うはずもないことだけど、もし、今と違う今があったのなら。自分達は一体何処にいて、何をみて、どんな話をすることができたのだろうか。
そんなことを考えながら、ひとりの男は静かに息を引き取った。
〈……恒例のコーナー、伝説の邦楽ロック・アーカイブ! 本日お送りしたのはKOtoDAMAで、『星に願いを』でした。続いては……〉
このお話はフィクションです。実在の人物・団体様等は一切関係ございません。