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描画具現者  作者: 綾瀬まひろ
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16

「デイジー!」

 ユリの悲痛な声が聞こえる。

 激しい痛みの中で、デイジーはある作戦を考えていた。

 作戦といっても賭けに近いものだ。だが無抵抗のまま、むざむざ殺されるよりかはマシだろう。

「なぁ……あんたらの狙いはユリなんだろ?俺を殺した後、どこに連れて行くか知らないが、そんなことは俺が絶対にさせない」

 デイジーの言葉にザキコフが嘲笑する。頭でも狂ったかと言いたげに。

「貴様、状況がわかっていないようだな」

 ザキコフは部下に目配せした。兵士達がデイジーに向かってアサルトライフルを連射する。

 だが銃弾はデイジーの前方の空間で静止した後、雪上に散らばって落ちた。

「状況が分かってないのは、あんただろ?」

 デイジーは再度、障壁を張り巡らせていた。そして撃ち抜かれた太腿の部分に、指でバツの図形を描く。

 図形が光を放つと、同時にデイジーの痛覚が遮断された。彼は何事も無かった様に立ち上がる。

「馬鹿な……」

ザキコフと兵士達が動揺している。

 ——さぁ、ここからが正念場だ。

「なぁ、俺から提案がある。ユリと話をさせて欲しい。その願いを聞いてくれたら、俺もあんた達と一緒に、何処でも好きな所について行ってやるよ。何なら手錠で拘束してもいいぜ?」

 ザキコフは、デイジーを鬼の形相で睨みつける。

 ——このガキ。明らかに場慣れしている。奴の瞳を見て確信した。こいつは間違いなく戦場で死線をくぐっている。もし提案を拒めば、奴は我々と刺し違えてでも一戦交えるだろう。そうなったら、こちらもどうなるか分からない。忌々しいが選択の余地無しだ。

 ザキコフは、ユリを掴んでいた手を離す。そして彼女に手錠を渡すと

「奴の両手に付けろ」と命じた。

「跪いて、両手を頭の後ろに組め!一分だけ時間をやる。いいか、妙な真似したら即座に女を撃ち殺す」

 ザキコフの指示に、デイジーは黙って従う。彼の元に駆け寄るユリに、兵士達が銃口を向ける。

「デイジー!大丈夫ですか」

「心配するな。ユリ、俺に手錠をつけろ」

 ユリは言われるまま、ザキコフに渡された手錠を、デイジーの両手首にはめる。

 デイジーが、ユリに小声で囁きかけた。

「ユリ。これから言うことをよく聞いてくれ。何があろうと振り向かずに、街の方角に向かってひたすら逃げろ」

「どういうことですか?絶対に嫌です。デイジーも一緒に逃げましょう」

「お前を守りたいんだ。頼むから、俺の願いを聞いてくれ」

 デイジーの顔は真剣だった。すがるように呟く彼の言葉に、ユリは押し黙ったまま微かに頷く。

「一分たったぞ!こちらに向かってゆっくり歩け。両手は後ろに組んだままだ!!」

 ザキコフが二人に向かって吠えた時、信じがたいことが起こった。

 先ほどまで、前方にいたはずのデイジーとユリが、忽然と消えている。

 デイジーは鋼鉄で出来た手錠を引きちぎり、ユリを抱えて数百メートル離れた倉庫の影まで、一瞬で移動していた。

「……デイジー」

 ユリは、すがるように彼の上着を掴んでいる。

「ユリ。大丈夫。すぐに終わらせてお前のところまで行くから。だから、今はここから出来るだけ離れてくれ」

 デイジーの瞳を凝視しながら、ユリは沈んだ声で「約束ですよ……」と言った。

「ああ、約束する」

 そう言うとデイジーは、ユリの前から消えた。

「絶対に奴らを逃がすな。追え!」

 ザキコフの怒声に、兵士達が反応するより前に、デイジーが再び姿を現す。

「よう、待たせたな」

 デイジーの賭けは成功した。

 ——俺の望みはただ一つ、ユリを無傷で保護することだけだ。確かにお前らからしたら、俺はただのガキに見えるだろう。実際、経験や知識もあんたらの方が遥かに上だ。だが、俺はそれを上回るアドバンテージを持っている。その、アドバンテージである『禁術』を得る対価は、自分の命。

「奴だ!撃ち殺せ」

 ザキコフの命令と共に、兵士達がデイジーに向かって銃を撃ちまくる。超音速で撃ち込まれる無数の弾丸を、デイジーはやすやすと避けた。

 デイジーの禁術『体速超越』(トランスオーバー)は、脳内を走る電気信号の速度を並列光速化させる。

 自分の額にプラスの図形を描くことで、電気信号を具現化するのだ。

 結果、彼の握力、脚力、運動能力、反射神経、五感の全てが常人の数十倍にも引き上げられる。

 デイジーの目には、兵士達の動きはおろか、超音速の弾丸もビデオのコマ送りのようにスローモーションに映る。

 彼は兵士達の銃撃をかわしながら、男達の首筋に手刀を打ち込んでいった。

 奴らの目に、俺の動きは残像すら映らなかっただろう。

 数十人いた完全武装の兵士が、雪の上にバタバタと倒れ込んだ。

「……化け物がっ!」

 ザキコフは拳銃をデイジーに向けながら、憎々しげに罵った。

「化け物か……確かにそうかもな。だが俺からしたら、あんたも人間の面を被った化け物にしか見えねぇよ」

 デイジーは銃弾を避けながら、ザキコフの脇腹にボディーブローをめり込ませる。

 ザキコフが吐瀉としゃ物を吐きながら崩れ落ちる。

 その様子を、倉庫の影からユリが見つめていた。彼女は逃げていなかった。

 自分一人だけ逃げるなんて嫌だ。私にも何か出来ることがあるはずだ。 

 しかし救援を要請しようにも、携帯はザキコフという男に捕まった時、粉々に壊されてしまった。

 ユリは必死に思考を巡らし、あることを思い出す。昔、ピクチャー協会で教わった協会員同士の緊急連絡手段だ。

 だが手元には紙もペンも無い。それなら——。

「私ならできる。私なら出来る。私なら……」

 自分に言い聞かせるように連呼しながら、倉庫の壁に指で図形を描く。

「集中、集中。集中っ!」

 ユリはありったりのエネルギーを、頭に集約させ具現化のイメージを指先に込めた。

 数秒後、彼女の指先と壁に描かれた図形が、淡い光を放ち始める。

 ユリの手元に実体化されたものは、信号弾の発射に用いられる銃だった。

 彼女は片耳を塞ぐと、空に向けて銃を発射する。

 赤と黄色の煙幕を出しながら信号弾は、灰色の雲に向かって空高く舞い登っていく。



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