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「デイジー!」
ユリの悲痛な声が聞こえる。
激しい痛みの中で、デイジーはある作戦を考えていた。
作戦といっても賭けに近いものだ。だが無抵抗のまま、むざむざ殺されるよりかはマシだろう。
「なぁ……あんたらの狙いはユリなんだろ?俺を殺した後、どこに連れて行くか知らないが、そんなことは俺が絶対にさせない」
デイジーの言葉にザキコフが嘲笑する。頭でも狂ったかと言いたげに。
「貴様、状況がわかっていないようだな」
ザキコフは部下に目配せした。兵士達がデイジーに向かってアサルトライフルを連射する。
だが銃弾はデイジーの前方の空間で静止した後、雪上に散らばって落ちた。
「状況が分かってないのは、あんただろ?」
デイジーは再度、障壁を張り巡らせていた。そして撃ち抜かれた太腿の部分に、指でバツの図形を描く。
図形が光を放つと、同時にデイジーの痛覚が遮断された。彼は何事も無かった様に立ち上がる。
「馬鹿な……」
ザキコフと兵士達が動揺している。
——さぁ、ここからが正念場だ。
「なぁ、俺から提案がある。ユリと話をさせて欲しい。その願いを聞いてくれたら、俺もあんた達と一緒に、何処でも好きな所について行ってやるよ。何なら手錠で拘束してもいいぜ?」
ザキコフは、デイジーを鬼の形相で睨みつける。
——このガキ。明らかに場慣れしている。奴の瞳を見て確信した。こいつは間違いなく戦場で死線をくぐっている。もし提案を拒めば、奴は我々と刺し違えてでも一戦交えるだろう。そうなったら、こちらもどうなるか分からない。忌々しいが選択の余地無しだ。
ザキコフは、ユリを掴んでいた手を離す。そして彼女に手錠を渡すと
「奴の両手に付けろ」と命じた。
「跪いて、両手を頭の後ろに組め!一分だけ時間をやる。いいか、妙な真似したら即座に女を撃ち殺す」
ザキコフの指示に、デイジーは黙って従う。彼の元に駆け寄るユリに、兵士達が銃口を向ける。
「デイジー!大丈夫ですか」
「心配するな。ユリ、俺に手錠をつけろ」
ユリは言われるまま、ザキコフに渡された手錠を、デイジーの両手首にはめる。
デイジーが、ユリに小声で囁きかけた。
「ユリ。これから言うことをよく聞いてくれ。何があろうと振り向かずに、街の方角に向かってひたすら逃げろ」
「どういうことですか?絶対に嫌です。デイジーも一緒に逃げましょう」
「お前を守りたいんだ。頼むから、俺の願いを聞いてくれ」
デイジーの顔は真剣だった。すがるように呟く彼の言葉に、ユリは押し黙ったまま微かに頷く。
「一分たったぞ!こちらに向かってゆっくり歩け。両手は後ろに組んだままだ!!」
ザキコフが二人に向かって吠えた時、信じがたいことが起こった。
先ほどまで、前方にいたはずのデイジーとユリが、忽然と消えている。
デイジーは鋼鉄で出来た手錠を引きちぎり、ユリを抱えて数百メートル離れた倉庫の影まで、一瞬で移動していた。
「……デイジー」
ユリは、すがるように彼の上着を掴んでいる。
「ユリ。大丈夫。すぐに終わらせてお前のところまで行くから。だから、今はここから出来るだけ離れてくれ」
デイジーの瞳を凝視しながら、ユリは沈んだ声で「約束ですよ……」と言った。
「ああ、約束する」
そう言うとデイジーは、ユリの前から消えた。
「絶対に奴らを逃がすな。追え!」
ザキコフの怒声に、兵士達が反応するより前に、デイジーが再び姿を現す。
「よう、待たせたな」
デイジーの賭けは成功した。
——俺の望みはただ一つ、ユリを無傷で保護することだけだ。確かにお前らからしたら、俺はただのガキに見えるだろう。実際、経験や知識もあんたらの方が遥かに上だ。だが、俺はそれを上回るアドバンテージを持っている。その、アドバンテージである『禁術』を得る対価は、自分の命。
「奴だ!撃ち殺せ」
ザキコフの命令と共に、兵士達がデイジーに向かって銃を撃ちまくる。超音速で撃ち込まれる無数の弾丸を、デイジーはやすやすと避けた。
デイジーの禁術『体速超越』は、脳内を走る電気信号の速度を並列光速化させる。
自分の額にプラスの図形を描くことで、電気信号を具現化するのだ。
結果、彼の握力、脚力、運動能力、反射神経、五感の全てが常人の数十倍にも引き上げられる。
デイジーの目には、兵士達の動きはおろか、超音速の弾丸もビデオのコマ送りのようにスローモーションに映る。
彼は兵士達の銃撃をかわしながら、男達の首筋に手刀を打ち込んでいった。
奴らの目に、俺の動きは残像すら映らなかっただろう。
数十人いた完全武装の兵士が、雪の上にバタバタと倒れ込んだ。
「……化け物がっ!」
ザキコフは拳銃をデイジーに向けながら、憎々しげに罵った。
「化け物か……確かにそうかもな。だが俺からしたら、あんたも人間の面を被った化け物にしか見えねぇよ」
デイジーは銃弾を避けながら、ザキコフの脇腹にボディーブローをめり込ませる。
ザキコフが吐瀉物を吐きながら崩れ落ちる。
その様子を、倉庫の影からユリが見つめていた。彼女は逃げていなかった。
自分一人だけ逃げるなんて嫌だ。私にも何か出来ることがあるはずだ。
しかし救援を要請しようにも、携帯はザキコフという男に捕まった時、粉々に壊されてしまった。
ユリは必死に思考を巡らし、あることを思い出す。昔、ピクチャー協会で教わった協会員同士の緊急連絡手段だ。
だが手元には紙もペンも無い。それなら——。
「私ならできる。私なら出来る。私なら……」
自分に言い聞かせるように連呼しながら、倉庫の壁に指で図形を描く。
「集中、集中。集中っ!」
ユリはありったりのエネルギーを、頭に集約させ具現化のイメージを指先に込めた。
数秒後、彼女の指先と壁に描かれた図形が、淡い光を放ち始める。
ユリの手元に実体化されたものは、信号弾の発射に用いられる銃だった。
彼女は片耳を塞ぐと、空に向けて銃を発射する。
赤と黄色の煙幕を出しながら信号弾は、灰色の雲に向かって空高く舞い登っていく。




