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描画具現者  作者: 綾瀬まひろ
69/84

15

 ユリは目を開いた。

 デイジーと自分の周囲を、透明なガラスのような物体が包み込んでいる。

 彼を見上げながらユリは声を上げた。

「デイジー。これってもしかして……」

「ごめんな、ユリ。話す順番が狂った」

 彼は正面を見据えながら、低い声で答える。

 同時に、二人を覆っていた障壁が砕け散った。

「でも……」と言いながらデイジーがユリに顔を向ける。

「この仕事が片付いたら必ず全部話すよ。約束しただろ?」

「……デイジー」

 デイジーの瞳は何故か、とても悲しげで儚い光を湛えていた。

 彼は無理矢理作った様な笑顔で、ユリに笑いかけると、前方に向き直る。

 視線の先に、一人の男が立っていた。

 迷彩柄の軍服を着た男の目からは、周囲の冷気を更に下げるような冷血さが放たれている。

 デイジーは瞬時に相手の力量を推し量る。

 ——こいつ、只者じゃない。あの黒スーツの男など比では無いくらいの威圧感を感じる。

 もし、こいつがジュリアさんクラスだったなら、万が一にも俺に勝ち目は無い。そう思う根拠は彼自身が以前、特級能力者と交戦した時に、手も足も出ず死にかけた経験からくるものだった。

 だが、恐らくは——違う。

 デイジーはポケットから、折り畳み式のナイフを軍服の男に投げつけた。

 高速で投げられたナイフが、男の手前で弾かれる。

 ——やはり障壁を張っていたか。

「ユリ、そこから動くんじゃ無いぞ!」

 そう叫ぶと、デイジーは男に向かって走り出した。

 男は素早く、内ポケットから紙を取り出し広げた。

 紙に描かれた蛇が光を放ち、紙上から消える。

 同時にデイジーの足元の雪が崩れ、巨大な白蛇が頭をもたげながら出現した。

 通常、見かける蛇の十倍以上はあろう、その巨大な白蛇はとぐろを巻き、真っ赤な目と赤い舌をチロチロ出し入れしている。

 蛇の頭上に男が舞い降り、デイジーを見下ろしながら不気味な笑みを浮かべていた。

 ——突如、デイジーは足に痛みを覚えた。見ると直径一メートルほどの白蛇が、彼の足首に噛み付いている。

 デイジーはその蛇を、手刀で切り裂く。

 真っ二つになった蛇は、灰色の煙となり霧散した。

「この蛇……毒か」

 デイジーは噛まれた足首に、指でバツの図形を描いた。

 男の乗った巨大な白蛇が、尻尾を鞭のようにしならせ打ち込んでくる。デイジーは、それを、すんでのところで躱す。

 白蛇の上から、男がデイジーを見下ろしながら、奇妙な表情を浮かべた。

「お前……何故死なない?」

 ——思った通り、やはり毒か。デイジーは少し挑発するように、笑みを浮かべて男に言った。

「さぁ?何でだろうな」

「貴様……」

 デイジーは指で素早く額に、数式で使用するプラスの図形を描く。

 図形が光を帯びた時、デイジーの姿は男の視界から消えていた。

「な……」

 男の驚愕する顔面に向けて、デイジーは蹴りを放っていた。だが相手の創り出した障壁がデイジーの蹴りを阻む。

 デイジーの動きに身動き一つ取れなかった男は、自身の障壁が蹴りを防いでいるのを見るとニヤリと笑った。

 その途端、男の周りに張られた障壁が砕け散った。

 デイジーの蹴りは、そのまま男のこめかみに直撃し、倉庫の壁まで吹き飛ばす。

 彼は、蹴りの反動を利用して白雪に着地した。男が創り出した巨大な白蛇が、煙のように消えていく。

「俺も障壁を張れるのを忘れたか」

 デイジーは白い息を吐きながら、白目を剥く男を一瞥した。

 描画具現者が創り出す障壁はあらゆる物質、衝撃を通さない。

 だが一つだけ、その障壁を破るすべが存在した。

 それは相手と同レベルの障壁を創り出しぶつけること。すると障壁同士が干渉し合い、見事にかき消されるのだ。

 何故その様な現象が起こるのか、詳しい理屈をデイジーは知らなかった。あの『サディスト野郎』にそこまで教わっていなかったからだ。

 ——デイジーの背後から、銃声が鳴り響いた。

 銃声の方を向くと髭を生やした貫禄のある軍人が、ユリの頭に銃を突きつけている。

 その周りを数十人の武装した兵士達が警護し、銃口をデイジーに向けていた。

「そこまでだ!一歩でも動けばこの女を殺す」

 デイジーは舌打ちした。迂闊としか言いようがない。蛇使いに集中したせいで、ユリから意識を外してしまっていた。

「まさかボルスキーをやるとはな……ガキにしては骨がある。どうだ、良かったら俺たちにつかないか?大金を弾んでやるぞ」

 髭を生やした軍人が、横柄な口調でデイジーに言う。

 ——そんな言葉で籠絡ろうらくできると思っているのか?

 デイジーは鼻で笑いたい気分だった。だが敢えてポーカーフェイスを決め込む。

 それよりどうやってユリを無傷で助けるか、彼の神経はそこに集中していた。

 押し黙っているデイジーを見て、ザキコフは誘いには乗ってこないと判断する。

「障壁を解け!」

 ザキコフは、ユリの頭に銃を押し付けながら、有無を言わさぬ口調でデイジーに叫ぶ。

 彼が障壁を解くと同時に、兵士が銃を発射した。

「——っ!」

 焼けるような痛みが走る。デイジーは体勢を崩し、その場にしゃがみこんだ。

 太腿からあふれる鮮血が、雪を紅く染める。



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