9
長かった隠者のような生活も、ようやく終わる。
ザキコフは笑みを浮かべた。
最悪、作戦が失敗した場合でも、我々が、どこの国の軍や情報部に所属しているかなど、奴等には追跡できない。
ここにいる兵士達は全員が非正規部隊であり、俺自身も本国では存在しない人間だからだ。
そして、絶対にしくじりはしない。幾重にも張り巡らせた策謀、長年の実戦経験が彼の自信を支えている。
ザキコフは不敵に笑うと、車に向かい歩き出した。
依頼主の住所は、島の南部に位置するアグリジェという港町だった。
道中、しんしんと降り続いていた雪はいつの間にか止み、空を覆っていた雲は、ふわふわした羊の群に変わっている。
ユリとデイジーがバスと電車を乗り継ぎ、支部から小一時間かけてアグリジェに到着した頃には空は橙色に染まり出しており、斜陽が二人の到着を出迎えた。
白い息を吐きながらデイジーが、ユリに尋ねる。
「なぁ、ユリ。こんな場所に、今回の依頼者の住居があるのか?」
歩きながら辺りを見渡す。目的地の最寄り駅を降りた時、デイジーの瞳に真っ先に飛び込んできたのは、ベージュの壁に赤茶色の屋根瓦をした製粉工場だった。
「住所は間違いなく、ここで合っていますよ。何故そんなこと聞くんですか?」
彼女は不思議そうな表情を浮かべる。ユリは純白のコートに茶色のマフラーを巻き、暖かそうな不織布のスカート、厚地のレギンスを履いていた。
これもジュリアのお下がりなのだと、道すがらユリが嬉しそうに語っていたのを思い出す。
「サイズは大丈夫なのか?」と聞いたら「せっかく頂いたものを着用しないなんて失礼です。寸法直しはします」との答えが返ってきた。
本当に外見には無頓着だなとデイジーは呆れたが、それは自分にも言えることだと自重する。
デイジーが着ている冬服も、ピクチャー支部から支給されたファー付きの黒いブルゾン、茶色のコーデュロイパンツにスリップ防止機能のついたデザートブーツだ。
彼は先ほどのユリの疑問に答える。
「いや、この辺りって倉庫や工場しか見当たらないからさ。もしかして道を間違えてるんじゃないかと思っただけだよ」
「大丈夫です。ほら、携帯でも確認しました」
ユリは二つ折りの携帯を開き、地図ツールを起動させて、デイジーの目の前に掲げた。
小さな画面に映る地図のナビは、間違いなくこの付近にマークをつけている。
「それならいいんだが……」
「それはそうと、デイジー。約束は忘れていませんよね?」
ユリは携帯を鞄にしまうと真剣な眼差しで、デイジーの瞳を見つめた。
「ユリ。今朝も言ったろ?今日の任務が終わったら、帰りにレストランで全部話すって」




