8
バレットの銃弾が防弾ガラスを突き破り、アンナを庇おうとした、ロンの肩をかすめる。
「ロンッ!」
デイジーが叫んだ。
——マズイ。この状況で、ユリに気を使って、暴力を振るわないなんて事は言っていられない。俺が仕留めるしか。
黒スーツに向かって突進しようとした時、背後にいるユリの声が聞こえた。
「——やめて」
ユリの瞳に、肩を抑え、うずくまっているローランドの姿が映っていた。
なんで、何でそんな酷いことするの?どうして……。どうして?ユリの頭の中で、何かが切れた。
「やめてええええぇぇぇーっ!!」
ユリの叫び声に、呼応するかのように突如、地面が激しく揺れた。
震動は、直立することすら、困難な揺れだ。
黒スーツと、デイジー達の間にある石畳に亀裂が入り、褐色の土が顔を覗かせる。
「な、なんなんだ?これは——」
デイジーは、突然の事態に動揺する。それはこの場に居る、全ての人間も同様だった。
まさか、ユリがこの地震を引き起こしているのか……?
彼女は描画するモーションを、まるでとっていなかったぞ。
「ユリ!」
デイジーは、ユリに声をかけるが、まるで反応がない。
彼女は膝をつき、まるで魂の抜けた様に、虚空を見つめている。
その時、何処からともなく、チャイコフスキーの『ワルツ』の旋律が聴こえてきた。
「ユリ……大丈夫だよ。落ち着いて」
ユリの肩に、白い小鳥が舞い降り、彼女の耳元で囁いた。
小鳥が発した声は、ジュリアの声そのものだった。
「……え?」
その声に、ユリは正気を取り戻した。——同時に先ほどまでの激しい揺れが、ぴたりと収まる。
小鳥が、彼女の肩から飛び去った。
——直後、黒スーツの男と、彼が具現化した狙撃手の体に、鎖が巻きつき空中に吊り上げる。
「ぐおっ!」
黒スーツは鎖で締め上げられ、苦悶の表情を浮かながら、空中で呻いている。
「あなた達、大丈夫?」
アンナ達が、頭上から聞こえてくる声の方を見ると、四階建ての建物の屋根に、ジュリアが足を組んで座っていた。
手元には、黒スーツを締め上げている鎖が見える。
「ジュリア先輩っ!」
アンナは歓喜し、その場にへたり込んだ。
「……助かったぁ」
ロンが肩を抑えながら呟いた。
「ジュリアさん、どうしてここに?」
デイジーが、屋根に座っているジュリアに尋ねる。
「たまたま、この近くで仕事があったんだ。そしたら偶然、あなた達を見つけたのよ」
ジュリアは、胸中で舌を出した。——なんてね。仕事帰りに、ユリが心配で携帯のGPSを辿って、ここまで来たんだよ。
「お前は、まさか……次元狩りの死神!」
黒スーツは、宙吊りにされながら、ジュリアを憎らしげに睨んだ。
「そのダサい通り名で呼ばれたの、久しぶりかな」
ジュリアは、興ざめした様子で男を見下ろす。
「こいつは傑作だ!まさか特級能力者を二人も拝めるとは思わなかった。おい、そこの黒髪の女!お前がさっきの地震を具現化したんだろ?」
問われたユリが、黒スーツの男を凝視する。
「……私が?」
「まさか自覚が無いのか?そうか……。《《あの人》》の言う通り、やはりお前だったんだな!終戦間際に、島を空襲した爆撃機編隊を全滅させた描画具現者は!」
「……空襲?全滅……?」
ユリは、男の言葉を反芻する。——何、言ってるんだろう?この人。いや違う、忘れていた。そうだ私は、あの岬で——。
「違う……違う。私は……」
ユリは頭を両手で押さえる。
「違う?何を言っている。お前の悪魔のような力でこの島は守られたんだ!いやぁ、助かったぜ。お前には本当に感謝——」
言い終わる前に、男の顎を、ジュリアの蹴りが打ち抜いた。
彼女は蹴りの反動を利用して、地面に着地する。
黒スーツは、白目をむき泡を吹いていた。
「死なないように、加減しといてあげたよ」
ジュリアの表情は、今まで見たことの無いほど、冷徹に満ち瞳は怒りに燃えていた。
「ロン!大丈夫?」
ジュリアが肩を抑え、うずくまっていたローランドに声を掛ける。
「防弾ガラスが緩衝材になって、かすり傷で済みました」
「アンナ、警察に連絡して。それと救急車!」
彼女はアンナに指示を出す。
その様子を、ユリは虚ろな表情で眺めていた。
——ジュリアさんの声が聴こえる。私に向かって何かを言っている。でも耳に入ってこない。私思い出したんです。何故今まで思い出せなかったのか不思議なくらい鮮明に。記憶が。ロン。良かった、傷も大した事無いみたい。デイジー、あのね。私。私は——。
急に目の前が暗転する。最後に自分が地面に倒れる音が聴こえた。
「ユリ!」
デイジーが駆け寄って、ユリを抱き抱える。気を失っているようだ。「くそ。こんな事なら初めから俺が、あの黒スーツをやっておけば良かった」
だが、あの男が言っていた、ユリの引き起こした力とは何なのだろう。さっきの地震も、ユリが発生させたというのか……?
頭の中が、疑問符で埋め尽くされる。
遠くの方で、サイレンの音が響いていた。




