描く者たち 1
「——リ。ユ……リ。ユリ・フローレス!」
自分を呼ぶ声が、微かに聴こえる。
講義室の黒板の前にいるビル・クラーク教官が、後方の席にいるユリに鋭い眼差しを送っていた。
「何でしょうか。クラーク教官」
ユリは微笑みを浮かべながら訊き返した。
「何でしょうか、ではない。わしの質問を聞いていたかね?」
クラークはやや呆れたような渋い顔を、ユリに投げかけている。
——どうしよう、とユリは焦る。昨日見た夢に意識を支配されて、教官の声が耳に届かなかった。
「クラーク教官。申し訳ありません……。全く聞いておりませんでした。失礼ながらもう一度ご質問をお聴きしてよろしいでしょうか……」
ユリは申し訳なさそうな様子で静かに答えた。クラークはため息を吐きながら、隣の席に座っていたアンナ・オルティースに代わりに答えるように指示する。
アンナは席から立ち上がり「ピクチャー協会規則第二条『協会に所属する描画具現者一同はその協会が属する国家に住まう人民の生命・財産を決して脅かしてはならない」と、やや訛りの入った発音で先ほどクラークがユリに問うた質問に答えた。
「よろしい」
クラークが頷くとアンナはユリを一瞥しながら着席する。
五十分の授業が終わり生徒たちが教室から出ていく後に続いて、ユリは教科書をトートバックに入れ廊下に出る。と、後ろからアンナが話しかけてきた。
「ユリ、大丈夫?らしくないじゃん。いつもは授業中寝てる私を起こしてくれるのにさ……。あのハゲジジイの授業、誰よりも一番真面目に聞いてるのに」
アンナはユリと同じ十六歳で第四十期生の同期だ。
「ちょっと考え事していました。ところでハゲジジイって誰のことですか?」
「クラーク教官のことに決まってるじゃん!」
アンナは栗色に染まったセミロングの髪を指でつまみながら、ユリを凝視しまくし立てる。
「教官はハゲていませんよ?」
ユリは不思議そうな顔をしながら、おっとりした口調でアンナに聞き返した。クラーク教官は白髪だが頭髪はふっさりしたイメージだったからだ。
「いや、アイツけっこうキテるって!」
廊下を一緒に歩きながらアンナとユリは押し問答を繰り返していた。
アンナの話を聞きながらユリは廊下の窓から覗く海を流し見る。
ユリたちが住む、ここ国立ピクチャー協会支部はティグニス海に浮かぶチルア島の東部に位置していた。
島の大きさは約二千五百平方キロメートル。やや縦長の形をしており人口は五百万人ほど。主な産業は漁業・陶芸品・特産品でもあるオリーブやワインの輸出などである。




