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結局、街に服を買いに行くメンバーはユリ、ジュリア、アンナの三人だった。
カスミとトオルは電気街へ。ローランドは美容院に行きたいらしく、足早に道路沿いのバス停から国営バスに乗りこんで行った。
「じゃあ、私達もラクサの街までバスで行きましょう」
ジュリアが二人を先導して本館を出ると、建物の右手から支部長の声が聞こえた。
「お、三人ともお出掛けかい。ユリちゃん、今日いきなりの仕事だけどジュリアちゃんも付いてるし、あまり気負わないようにね」
支部長は本館の外に据えつけられたベンチに座りながら、柔和な物腰でユリを激励する。
「はい、支部長。行って参ります」
ユリは片手に持っていたデッサンセットの入った手提げケースを両手に持ち替えながら彼にお辞儀をした。
三人に手を振り見送ったあと、ハワード支部長はベンチの横に置いていた缶コーヒーを美味そうにすすった。彼の座っているベンチの前から二百メートル先には茶色い煉瓦で造られた壁が見える。
高さ三メートル程の外壁は本館や東側の別館、西側にある運動場、そして正面の広大な敷地に生い茂った芝生を取り囲むように建てられていた。
本館から正門に向かう小道には桜並木が立っており、満開になった桜花が風に揺れる度に地面に落ちる。
ハワードが正門へ向かうユリ達の後ろ姿を観ながら缶コーヒーをうまそうに飲む。隣に座っていたクラーク教官がタバコを取り出しライターで火をつける。
「ハワード、本当に良かったのか?」
クラークはタバコの煙を深々と吸った。
「なにがですか」
「今回の中級試験合格者のことじゃ。本当にあの子らを昇格させて正解だったか……わしは心配じゃ」
彼は何とも物憂げな顔をしている。
「実技試験の合格をつけたのは、あなたじゃないですか、クラーク教官。それに実践経験を積んだ方が座学などより、よほどあの子達の成長になると私は思います」
「無論じゃ。ただな……あの五人は特に性格というか、なんちゅーか危なかしくてな。何より描画具現能力は使い方を誤れば即、死をもたらす危険な術じゃ」
「その為にあなたは能力の危険性や特性、知識をここで生徒達に叩き込んできたんじゃないですか」
ハワードは缶に残っていたコーヒーを飲み干した。
「一番の心配はユリちゃんですか?」
彼の脳裏に終戦間際、この島を守った奇跡のような光景がよぎる。そして《《その奇跡を引き起こすユリの姿》》をハワードとクラークは、まるで昨日の事のように未だはっきりと覚えていた。
「あれは描画具現者の領域を確実に超えておる。潜在能力だけなら——」
「……潜在能力だけならユリちゃんは特級のジュリアちゃん以上ってことになりますね」
二人は、正門に目をやる。正門は鉄柵の開き戸になっており、すぐそばに守衛の詰所がある。
ユリ達は何やら守衛と楽しそうに言葉を交わしながら道路の方へ出て行った。
「それも見据えて、ユリちゃんの様子を逐一報告してもらうようにジュリアちゃんには頼んであるので」
「ふむ、まぁジュリアがそばにおる分には安心じゃな。彼女は本当の意味での天才じゃ。あれは努力でどうにかなるものを超えとる。正に神童じゃ」
クラークはジャケットの内ポケットから携帯灰皿を取り出しタバコをもみ消す。
「おや、珍しく弱気な声が聞こえますが。もしや引退発言ですか?《《元準特級能力者》》のクラーク教官殿」
ジョンが茶化すとクラークは「ふん」と鼻を鳴らした。
「アホか。わしは生涯現役じゃ!それに准特級の称号など名誉勲章みたいなもんに過ぎん」
「それは失礼、じゃあそろそろ仕事に戻りますか」
ハワードとクラークは立ち上がると本館の入口に向かい歩き出す。
ジョンがふと空を見上げると、カモメが鳴き声を上げて海の方角へ飛んでいくのが見える。
彼は両腕を天へ伸ばし肩の筋肉をほぐすと「よし、やるか!」と活を入れ、本館の中に消えていった。